私は幻を信じる 前半      (更新08 9/1)

 

 

 この本は元米アッセンブリーズオブゴッド教団で牧師、伝道者、巡回教師として活躍し、レーマ・バイブルトレーニングスクールの設立者、校長として全世界的に有名な預言者、聖書教師のものです。

イエス様の顕現の中で直接任命され、按手された預言者でもあります。この本にその経緯が書かれています。その幻の中で、現実にイエス様とお会いした数々の実際の記録です。メル・ボンド兄の霊的父です。

現在その神学校の卒業生は3万人を超え、その神学校教会は1万人ほどにもなっていると聞いております。霊的には世界最高峰の一つとも言われております。ヘーゲン兄の友人ゴードン・リンゼイ兄はクライスト・フォーザ・ネーションズと言う神学校を設立され、日本中に卒業生がおられます。

イエス様から直接教えられ聖霊様から多くの啓示を受けた事が書かれています。まことに残念ながら翻訳の許可を得ておりませんが、あまりに素晴らしいので私達の教会で、翻訳したものです。翻訳は未熟ですので、間違いがあるかもしれませんが、霊的に大きな益を受ける事と信じます。誰か許可をとり出版を望みます。20年間手紙で交流を持ちました。

☆印は説明のために入れたものです。

  信仰のことばミニストリーズ 作成1984年 改訂03.2.27 星野明義  

 

目次

第1章 神がどのように私を死の床から起き上がらせ福音を宣べ伝えるようにしたか

 1917年にケネス・ヘーゲン師は生まれ。しかし、彼は未熟児として生まれ、医者は「すぐに死んでしまう」と言っていた。その通りに1933年に彼が16才の時心臓は止まり、死んでしまったのです。そして彼は地獄(黄泉)に行きましたが神様の憐れみによって死からの甦りを体験しました。その後彼は御言葉の啓示を受け癒しを祈り、信仰により健康になり、福音を伝えるようになったのです。

第2章 ここに上って来なさい

第3章 かどうか?――疑いのしるし

第4章 サタンは今日どのように私たちに影響を与えるか

第5章 私はあなたの祈りに答えるためにやってきた

第6章 天使の訪れ

第7章 病院への訪客

第8章 賛美の川

第9章 天使のメッセージ

 


 第1章神がどのように私を死の床から起き上がらせ福音を宣べ伝えるようにさせたか

 

 「死んでいます」というのが医者の言葉でした。それは1917年の8月20日にテキサス州、マッキーニーのイースト・スタンディング通り900丁目の家で未熟児として生まれた時の事です。

<生まれた時>

私は生まれる時に健在だった祖母が言った事には私は全く生きているしるしが見つからなかったそうです。医者は私が死んでいるものと思って私をベッドの足のところに置いて、祖母と二人で、危険な状態にあった母の世話を続けました。彼女は私が生まれる数週間前から、ひどく具合が悪かったのでした。

 45分ほど経って、母の容態が良くなると、医者は必要なものを取りに彼のオフィスまでひとっ走り行って来ると祖母に言いました。彼がいない間に祖母は私を外に出そうと思ってつかみました。するとすぐに彼女は生きているしるしを見つけました。彼女は私を洗い、小さな着物を着せました。しかし、普通のおしめは私をのみこんでしまうほど大きかったので彼女は間に合わせのおしめを使わなければなりませんでした。そして、彼女は私の体重を量りました。小さな着物とおしめをして、量ったところ2ポンド(約908g)ちょっとでした。着物なしでは2ポンドもありませんでした。

 今日、医学と技術の進歩によっても、未熟児を入れる保育器をもってしても、2ポンド以下の赤ん坊が生き延びる確立というのは実際ゼロです。私は保育器もない時代に家で生まれたのですから、私の生きる確立というのはほとんど無に等しかったのです。

 医者が戻ってくると祖母は彼に赤ん坊に何を食べさせたらよいのかと尋ねました。「赤ん坊は死んでいますよ」彼は言いました。「先ほど調べて見たのですから」彼女が医者に私は生きていて、洗って着物を着せたと話すと、彼はポケットに手を突っ込んでベビーフードのサンプルの袋を取り出しました。「これをやりなさい」彼は言いました。「このベビーフードが無くなる前に彼は死んでしまうでしょう

 祖母はベビーフードを混ぜると私に食べさせました。それが全部無くなると彼女はミルクを飲ませました。それを目薬の容器から一滴ずつたらして飲ませたのです。彼女はこんなに小さな人間を未だかつて見た事がないと言いました。と言うのも、彼女は、その時の私よりも長いくしを持っていたのです。彼女が言うには、時々、たった一滴のミルクにも私はむせて、窒息し、青くなったそうです。

<子供時代>

私の子供時代というのは他の子供達とは違っていました。なぜなら私は生まれつき心臓が変形していて、普通の活動的な生活をすることが全く出来なかったからです。私は全く何も出来なかったというわけではありませんでしたが、私の活動の範囲には限界がありました。私は走ることができず、他の子供達のように遊ぶことは出来ませんでした。当時は7才になるまで子供達は学校へ行きませんでした。しかし、私は6才の頃から読むことを習いました。私の兄がすでに学校へ行っていましたので、私は彼の本を読みました。私は体を使う事ができなかったので頭を使いました。

 学校へ行き始めるとすぐに、一人の子がやっつけられていると他の子供達は強い子の方に味方するものだということを知りました。私自身を守る為に、けんかすることはできませんでした。なぜなら私は息が切れて青くなり、気絶しそうになったからです。そこで私はもっと平等な方法をとることに決めました。

 一人の運動場のガキ大将がいました。彼は私達みんなより三つ年上でした。というのも彼は三年留年して私達のクラスにとどまっていたのでした。彼はよく誰かに走りよってきてはその子をなぐり倒してしまうのでした。彼は私がけんかできないと知っていたので、私をいじめるのに喜びを感じていたようでした。ある日私は20インチ(約50cm)ほどの長さの厚さ2インチ(約5cm)幅4インチ(約10cm)の木材を見つけました。次に彼が私をたたいた時に、私はその材木をとって彼を打ち、それで彼の頭を殴りました。彼は40分間ばったりと倒れていました。彼はすぐに私にちょっかいを出さない方がいいということを学びました。人は何とか自分を守る方法というのを身につけるものです。そして私はその方法を身につけていたのです。私の一番上の兄も私とけんかするべきでないということを学びました。というのはある時私が金づちで彼の頭をなぐったからです。彼は気絶して45分もの間意識がなくなっていました。

 

 成長していくと、私は年のわりにいつも小さい方でした。私の兄は私に近所に住んでいた56才の年とった男より決して大きくなることはできないと言いました。その男は体重がたったの

89ポンド(40kg)で、10才の男の子ぐらいの背格好でした。私の兄は私に何かして欲しいことがあると、私がそれをしなかったら私が12才になったら女の子になってしまうぞと言いました。もちろん、彼は私が何でも手につかむことのできるもので彼をぶつことを知っていましたから、そう言う時にはいつでも半丁ほど離れた所で逃げながら言うのでした。

 私の父は私がまだ幼い時に母や私たち子供と別れて母に私達を世話する全ての責任を押しつけて去って行きました。私が9つの時、私は母の両親と一緒に住むことになりました。というのも、母は体が弱く私達の世話をするのに助けを必要としていたからです。

 15才の時、16才の誕生日のきっかり4ヶ月前に私は完全に寝たきりになってしまいました。私は5人の医者にかかっていました。そのうちの一人は以前メイヨ・クリニックで働いていました。私の祖父は大富豪というわけではありませんでしたが、かなりの金持ちでした。当時は大恐慌時代で、財産はあまり価値がありませんでしたが、彼はかなりの財産を持っていました。

もしメイヨ・クリニッツクの医者たちが私を助けることができたなら祖父は私をその病院へやったでしょう。しかしながら、私の医者たちは、メイヨで働いていて医者はアメリカ中で最も優れた医者の一人で、彼が手のほどこしようがないと言うなら、メイヨ・クリニックまではるばる行っても時間とお金の無駄だと言いました。彼らは私には全く希望がなく、私の生きる確率は  100万分の1だと言いました。医学において、彼らの知る限りでは私のような状態で16年以上生きた人はいませんでした。

 毎日毎日、そして毎週毎週、私はベッドの上に横たわって苦しみながら私はいったいどこが悪いのだろうと思いました。私は心臓がどこかおかしいということは知っていましたが、医者は私に教えてくれなかったのではっきりとどこが悪いのかは知りませんでした。後になって知ったことには、私の心臓には二つのひどい器質性疾患があったのです。

 

 私の体は部分的に麻痺してきました。私はベッドのわきにあった水の入ったコップを見て、その水が飲みたいのになぜ自分がそれを取ることができないのか不思議に思ったことを覚えています。45分の間それにありたけの精神力を集中させて、そのコップのところまで手をのばすことができました。しかし、私はそのコップを持ち上げることができませんでした。医者の一人は私が全身麻痺の状態にいて、ついには完全に麻痺してしまうだろうと言いました。

 私は時に何もわからない時がありました。ある時などは意識がなく、何もわからない状態で三週間も経ってしまいました。私は赤ん坊のように何もできなかったので、私の母と祖母が私に食べさせ世話をしてくれました。私は彼らが私に話していることが聞こえなくなるというところまで行きました。彼らが後になって私に語ったことには、彼らが口を私の耳につけて、大声で叫んでも私は彼らの言う事がほとんど聞こえなかったということです。私には彼らが1ブロックか2ブロック離れた所で話しているように思えました。そして、彼らが私の顔に、顔をつけるようにしても彼らが1ブロックも向こうにいるように見えたのを覚えています。私は現実の領域と非現実の領域の間をさまよっていたのです。

 

<死んだ時>

 私は寝たきりになったちょうど始めの夜に心を主に明渡して新生しました。それは1933年4月22日土曜日の午後7時40分に、テキサス州マッキーニーのノースカレッジ通り405の南のベッドルームでのことです。(※訳者注16才の時)

その晩の少し前の時間に私の心臓は鼓動が止まって私の体に住んでいた霊の人は体を離れました死が私の体を襲った時、私の祖母と一番下の弟と母が部屋に座っていました。

私はただ「さようなら」と言うしかひまがなく、私の内なる人はすぐに体から抜け出て、目がすわって冷たくなって横たわっている体を離れました。

 私は下へ下へ下へと落ちて行き、地球の光は消えさりました。私は気を失ったと言っているのではありません。私が意識を失ったというのではないのです。私が実際に死んだという証拠があります。目はすわって心臓は鼓動をやめ、脈は止まってしまいました。

聖書は失われた者達は外の暗闇に追い出されて、そこで泣いたり嘆き叫んだり歯ぎしりしたりすると言っています。(マタイ25:30)

私がどんどん下へ降りて行けば行くほど回りは真っ暗になっていき、とうとう全くの暗闇になりました。私の手を私の目から1インチのところまでもってきても私には手が見えなかったでしょう。私がどんどん落ちて行けば行くほど熱くなってきて、息苦しくなってきました。

 ついに、私のはるか下の方で罪に定められた者たちの洞窟の壁に明かりがちらちらしているのが見えてきました。それは地獄の火によるのでした。巨大な白く泡立った炎の球体が、磁石が金属を吸い付けるように私を引っ張りました。私は行きたくありませんでした。私は歩きませんでしたが、金属が磁石に飛びつくように私の霊はその場所に引っ張られて行きました。

私はそれから目をそらすことができませんでした。熱が私の顔に飛びかかりました。もうその時から何年もたっていますが、私はその時見た光景を今だにはっきりと思い浮かべることができます。それはあたかも昨夜起こったかのように私の記憶に生々しく残っているのです。

 私は地獄の入口までやってきました。ある人はこう尋ねることでしょう。「地獄の入口はどんなふうでしたか」私にはそれを説明することができません。なぜなら、私がそれを説明しようとするなら何かにたとえるものが必要だからです。誰か生まれてからずっと木を見た事がない人がいたとしたら、木と比較して、こういうものだとたとえるものが何もないので木がどんなものかを彼に教えるのは不可能でしょう。

 私は入口まで来て止まりました。私は完全に停止したというわけではありませんが、行きたくなかったのでほんの一瞬ためらったのです。私はあと一歩で、あと一歩で、あと1ヤード(約0.9m)で永遠に行ってしまい、2度とあの恐ろしい所から戻ることができないことを感知したのです。

 私は穴の底につくと、何か霊的な生き物が私のわきにいるのに気づきました。私は地獄の火から視線を離すことができませんでしたから、その生き物を見ませんでしたが、私がためらった時、その生き物は私の腕をとって中に入れようとしたのです。

 

その瞬間、暗闇のはるか上の方から、地の上、諸々の天の上から一つの声がしました。それは神様の声でした。私は彼を見ませんでした。又、彼が何を言ったのかわかりません。なぜなら、彼らは英語で話さなかったからです。彼は何か他の言葉で話しました。彼が話すとその声は落とされた者たちの領域中に響き渡り、木の葉が風にゆれるようにその場がゆれて、私の腕をつかんでいたものはその手を離しました。私は振り向きませんでしたが、目に見えない何かの力が私を引っ張り、私は火から遠ざかって行き、熱から遠ざかり、さっきの吸い込まれるような暗闇の陰にもどりました。

 私はどんどん上へと昇り始めとうとう穴の一番上まで来ると地球の光が見えました。私はいつもドアを通って入っていたのと同じように現実にあの部屋に入りました。ただ違うことといったら霊にはドアなど必要ないということだけでした。私は人が朝になってズボンをはくように自分の体の中に入りこみました。出て行った時と同じように口を通してです。

 私は祖母に話し始めました。彼女は言いました。「おまえ、私はもうおまえが死んでしまったのだと思ったよ。」私の祖父は医者で、彼女は祖父と一緒に働いていました。彼女は後になって私に言いました。「私はかつて埋葬するために多くの人たちに着物を着せて入棺の準備をしたものだ。私は死に関して多くの経験をもっていたけれど、それまで私が知っていたことより多くのことをおまえと、おまえの体験から学んだね。おまえは死んでいたんだよおまえはもう脈もなくなり心臓の鼓動も止まっていたし、目はすわっていたよ

「おばあさん」私は言いました。「さっきはまだ行かなかったんだ。でも僕はもう行くところだよ。死んでしまうとこなんだ!お母さんはどこ?」

 「お母さんは外のポーチのところにいるよ。」彼女は言いました。その時私は母がポーチのところを行ったり来たりしながら祈っているのが聞こえました。「弟はどこ?」私は尋ねました。

 「あの子はお医者さんを呼びに近所へ走って行ったよ。」彼女は答えました。「おばあちゃん。僕はお母さんにさよならを言いたいけど、おばあちゃん僕のところから離れないでね。お母さんにさよならって言ってね。」私はこう言って、祖母に母へのメッセージを残しました。そして私は言いました「おばあちゃん、ありがとう。お母さんが体の具合を悪くして、僕のめんどうを見れなくなって、おばあちゃんは僕の第二のお母さんだったね。今もう僕は行ってしまうんだ。そして今度は戻って来ないんだ。」私は自分が死んで行くのを知っていました。神様に会う備えをせずに……

 

 私の心臓は胸で再び鼓動をやめました。二度目に私の霊は体を離れました。私は再び暗闇に落ちて行き、地球の光が消え去りました。下の方で、同じことが又起こりました。神様が天から話されると私の霊はその場から抜け出て、自分の部屋に戻り、自分の体に戻りました。私は再び祖母に話し始め、言いました「今度はもう戻ってこないよ、おばあさん」私は彼女にもう少し家族の者たちに伝えてほしいことを言いました。

 

そして三度目に私は体から抜け出して下へ降り始めました

 私は地獄の恐怖をうまく描写する言葉があればと思います。人々はあたかも自分が地獄に行く必要などないといわんばかりに、あまりにも自己満足的なのん気な生活を送っています。しかし、神の御言葉と、私自身の体験はそうでないと言うのです。私は気を失うというのがどういうことか知っています。そして気を失っている時には真っ暗になっています。しかし、外の暗闇のあの暗さには較べるものがないのです。

私が三度目におりて行った時、私の霊は文字どおり、金切り声を上げました。「神様、僕は教会に所属しています。僕は水のバプテスマを受けています」私は神様の答えを聞こうとしましたが、答えはありませんでした。ただ私の自分の声がばかにするようにはね返ってくるだけでした。教会に所属しているだけではだめなのです。地獄をまぬがれて、天国に行くには水のバプテスマを受けているだけではだめなのです

イエス様は言われました。「…あなたは新しく生まれなければなりません」(ヨハネ3:7)

もちろん、私は水のバプテスマを信じていますが、それは人が新生した後に限ります。もちろん私は教会に加わり神のために働くのにクリスチャンとして団結することを信じています。しかし、人がただ水のバプテスマを受けただけで実際に新生していないで教会に加わっているならその人は地獄に行くのです

 

<新生の時>

私が三度目に穴から抜け出た時、私の霊は祈り始めました。私の肉体の声は私の霊の祈りをとって霊が祈ったまさにそのことを祈りました。私はあまりにも大きな声で祈って、近所の人たちに聞こえたほどでした。人々は何事が起きたのかと、私の家まで見に来ました。というのは彼らは私の祈っているのを聞き、私の母がポーチのところを歩きながら大声で祈っているのを聞いたからです。私が時計を見ると8時20分前でした。まさにその時間に、私は神の憐れみによって、母の受け入れられた祈りを通して新しく生まれたのです。

私のその祈りは教会の会員であるという事や、水のバプテスマを頼みとしたのではありませんでした。ただ私は神様を呼び求め、罪人の自分を憐れんで下さい、私の罪を赦し、私を全ての不義から聖めて下さいと祈ったのでした。私はイエス・キリストを受け入れました彼を告白し私の救い主として受け入れました。私は重荷が胸から落ちたような素晴らしい感じを味わいました。

私は霊においては喜びがあり、幸せでした。私は霊的には素晴らしい感じでした。しかしながら肉体的には全然よくなった感じはありませんでした。医者が呼ばれて来ると、彼は家族の者たちに私は死ぬだろうと言いました。私はその晩に死ぬかと思いました。しかし、そういう思いがあっても、私は平気でした。その時にはもう行く準備ができていることを私は知っていたからです。

 

私が体験した、死からの甦りというのは新しいことではありません。イエス様はラザロを死から甦らせ、同じようにヤイロの娘や、やもめの息子をも生き返らせました。使徒ペテロはドルカスを死から甦らせました。使徒パウロは若い男を死から甦らせました。教会の歴史の中で他の人々もこれと同じような経験をしました。私の体験の中では、神様が私に救いの知識を与えて下さいました。

そしてこれは世界中で知ることのできる事柄のうち最も素晴らしいことです。私は自分の心が神様と正しい関係になり、もし朝になる前に死んだなら主とともにいるようになることを知って大いに感謝しました毎晩あかりが消え、家族の者たちが床につくと、私は一人残されて思い巡らしていました。そして私は多く考え、多く祈りました。

私は自分が救われ神の子とされたことを神様に感謝したことを覚えています。私はほほえみをうかべて、主を賛美しながら眠りますから、夜の間に死んだとしても次の朝彼らは私がほほえんでいるのを見るでしょうと主に告げました。もし私がこの命を去ったなら、心に賛美をもって行ったでしょう。私は主を賛美しながら眠りにおちて行きました。私は眠るために全然何も飲んだりする必要はありませんでした。そして今でもそうです。聖書は私たちにこのように言っています。「主は愛する者に眠りを与えられる」(詩篇127:2)一人一人のクリスチャンがそうであるように、私は主に愛されている者です。ですから私たちは単純にその節をとって主にそれを感謝し、安らかな眠りにつくことができます。私たちは精神安定剤など必要ないのです。

 

 次の朝、太陽の光がベッドのところへ差し込んで、私が目をさますと、まず最初に私のしたことは神様を賛美することでした。私は新しい陽の光を神様に感謝しました。私は太陽を、木や花を草や葉を神様に感謝しました。私は小鳥たちの歌う歌を神様に感謝しました。私はこれらすべての素晴らしく、驚くべき美しい小さな者たちのゆえに神様を賛美しました。私はそれまで誰かが神様を賛美するのを全く聞いたことがありませんでした。しかし人の心が神様とうまくいっており、天国への行く準備ができていることを知っているなら、その人は魂には自然と賛美が湧き上がるものです。

私は神癒については全く何も知りませんでした。私は神様がそのような祈りに答えてくれるなどという事を知りませんでした。でも私は死んで地獄に行かなかった事を神様に感謝しました。

 お昼になって祖母が昼食をお盆にのせて持ってきてくれました。私は祈り、食べ物を主に感謝してこう言いました。「主よ、夕暮れの陽の落ちるころには僕はここにはもういないでしょう。僕は多分このこの昼間のうちに行ってしまうでしょう。でも僕は救われてとても嬉しく思います。あなたが僕を地獄にやらなかったことをとっても嬉しく思います。あの下の方にとどまっていなくてすんでとっても嬉しく思います」

 しばらくして、夜になると、私はまたすぐに暗闇の中に一人とり残されました。私は再び救いのゆえに主を賛美し、私は多分、夜のうちに死んでしまうでしょうけれど、救われていて、主にお会いする準備ができていて感謝でいっぱいですと主に告げました。そして私はほほえみながら主を褒めたたえながら眠りにつきました。来る日も来る日も何週間もの間、そして何ヶ月もの間私はこうしました

 その年の秋、気候がだんだん涼しくなってきた頃に、私は幾分気分がよくなってきました。祖母は私を支えてベッドの上に起こしてくれました。そして彼女は聖書をもってきて、私の前に置いてくれました。私は時々、私がバプテストの少年で、祖母のメソジスト聖書を読んでいたと人々に言います。

 

 私が始めに聖書を読み出した時には、一度にたったの10分くらいしか読めませんでした。それ以上たつと、見えなくなってしまうのでした。ですから、その日はそれだけで終わりです。次の日には又10分か15分くらい読みました。そのようにして数週間読んでいくと、私は一度に1時間読めるようになりました。そしてついには、いくらでも私が読みたいだけ長い時間読むことができるようになりました。

 私は日曜学校で育ちました。私は最初に教会に行った時のことを思い出すことができません。私は人生においてずっと祈ってきたようでした。そして又、初めて聖書を読んだ時のことも思い出すことができません。しかしあの4月22日の土曜日の夜、神様が私に一瞬の間、地獄をのぞかせて下さった時まで私は真に生まれ変わってはいませんでした。人は宗教的でありながらも、真の生まれ変わった神の子ではないということもあり得るのです。

しかしながら人が生まれ変わるなら、その人がこれまでの人生においてずっと読んできた聖書も、突如として違ったものに見えてくるのです。私が祖母の聖書を読むと、イエス・キリストはきのうも今日もいつまでも同じだということがわかりました。

 医者たちは私が死んでもおかしくないと言っていましたので、私は聖書を読み始めるにあたって新約からから始めました。私はこんなふうに理論づけて言いました。「僕は今からあと10分も生きないかも知れない。それなら、この10分を又何分であっても活用することにして、新約から始めよう。」私はマタイの福音書を読み終え、マルコの福音書を読み始めました。私は私の人生を変革した聖句を読みました。

 

だからあなた方に言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、その通りになります。」(マルコ11:24)

 

勿論、救いは人に起こりうることの一番重要なことです。しかし、人が普通の子供時代を全く持たずに、ずっと病気で何ヶ月も何ヶ月も病床で寝たきりの生活をし、もうあと長くはない死の床についていることを知ったなら、彼がどんなにか言い尽くせないほどの健康と癒しと命に対する欲求を持つかあなたには全く理解できないでしょう。

 私の心の中にあった最も大きな願いは、健康になり、強くなることでした。そしてこの聖句でイエス様はこう言っておられます。

祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、その通りになります。」誰かが真っ暗な部屋に明かりをつけたような感じでした。そして、昼間までも四方を壁で閉じ込められていていつも全くの絶望を感じながら天井を見つめているその暗さと言ったら、どんなであるか誰にも想像がつかないでしょう。

 私は詩篇の記者がこう言ったのを知りませんでした。

「あなたの御言葉は、私の足のともし火、私の道の光です」(詩篇119:105)

しかし、その御言葉を知らずに、私はその経験をしました。突如として、部屋中が光にのみ込まれたように見え、私の内側に明かりがともったように思えました。私はその経験とその聖句を決して忘れることができません。その時以来私の心に焼きつけられているかのようです。

 

 当然のことながら悪魔はちゃんとそこにいて私の心に疑いを植えつけようとしました。光が来たその時に、悪魔もやって来ました。しかしながら、その時には私はそれが悪魔だということを知りませんでした。私は霊的識別力、すなわち知っておくべき御言葉の知識を十分に持っていませんでした。

 このような巧妙な思いがやってきました。すなわち「…求めるものは何でも…」というのは多分、肉体的な事柄には当てはまらず、霊的な事柄だけにあてはまるのだろう。多分それは単に霊的なもので、「求めるものは何でも…」という意味なのだろう。そして明かりは消えました。疑いが信仰のろうそくの火を吹き消してしまったので、私は再び暗がりの中に戻りました。私は悪魔の言うことを信じてしまい、再びもう希望はないと思いました。私は死ななければならないと!

 私は私の行っていた教会の牧師を呼んでマルコ11;24が実際どういうことを言っているのかを尋ねようと決心しました。振返ってみると、イエス様が本当に真理を語られたのか否かを誰か他の人に聞こうと人を呼ぶなどということはいかに馬鹿げたことであったかと思います。しかし、そういうことは全て私には新しいことであったし、私はその時まで私の行っていた教会の牧師に絶大なる信頼を置いていたのです。私は彼が私に言うことは何でも信じていました。私は人に従い、本当に神様に従ってはいない多くの人々のようでした。

 私は奉仕した場所において人々にただ私が言ったからというので何でも信じないようにして下さいと努めて言ってきました。

そうではないのです。私が自分の言っていることが真理であると聖書で証明できなかったら、それを信じないで下さい。それを受け入れないで下さい。私には誰か他の人に自分の意見や、私のお気に入りの教理を押しつける権利などありません。私は他人に私の信念を押しつけたくはありません。御言葉によって生きようではありませんか。

 

 私は牧師にこの聖句について話してもらいたいと思って、祖母をベッドのそばに呼んで、私たちの家から4丁ほど先に住んでいた牧師を連れて来るように頼みました。彼女は牧師に会おうと牧師館まで歩いて行きました。彼女は私が彼に会いたがっていると彼に伝えました。彼はその日はとても忙しいので、2日経ったら行くと言いました。彼女は彼に午前中の早いうちに来るようにと頼みました。なぜなら私はその時間帯には他の時間よりずっとおちついていて調子が良かったからです。朝の10時以降は、私は一日中ずっと昏睡状態になっていたのです。彼は午前8時半ごろに来ると言いました。

 私が寝たきりになる前には、私はとても忠実に日曜学校に通っていました。しかし、私が具合が悪くなってからというもの牧師は一度も私に会いに来たことがありませんでした。彼が訪ねて来ると約束した木曜日の朝になると、私は彼に会って私の心を燃やしていた質問をしようとわくわくと、とても楽しみにしていました。8時半になり、時間が過ぎて行きました。9時になり、私はまだかまだかと牧師を待っていました。9時半になり、10時になりました。しかし、彼からは何とも言って来ませんでした。そして、私はそれからずっと一年間病床に伏していたというのに彼は一度も私に会いに来なかったのです。

 私はその時には失望と幻滅に押しつぶされてしまいましたが、後になって考えてみると彼が来なかったことは私にとって一番良いことだったのです。なぜなら、彼が来たなら間違ったことを言ったに違いないからです。彼は私に肉体の癒しに対する神を信じる信仰を吹き込むどころか私のすでに持っていた疑いを強化するばかりだったでしょう。

 

 私の行っていた教会の牧師が来てくれなかったので、祖母は彼女がとても信頼していた他の説教者に会いに町の別のところに歩いて行きました。彼は彼女に行きますと言いましたが、やはり約束を破りました。その時もやはり私は彼が来なかったので失望して泣きましたが、彼がこなかったのは本当に恵みでした。多くの場合、私たちは泣くことがありますが、その時点ではわからなくても、それが私たちの益になることがあるのです。私たちが未来を見ることができるなら泣くことなどないのです。

 他の教会に行っていた私のおばが、彼女の牧師が私に会いに来てくれると言いました。しかしながら、その時には私は彼も来ないだろうと確信していました。私のおばは彼女の教会の日曜学校高学年部門の校長をしていました。ですから私がその部門に入れる年、すなわち9才から11才の間は彼女と一緒に日曜学校へ行きました。私は勿論彼女の教会の牧師に会ったことがありました。そして、その期間に、私は毎日曜日欠かさずに出席しました。

 先ほど言ったように、その牧師が私を訪ねると約束したにもかかわらず、私はかなり疑い深くなっていましたので、彼が来ることをあまりに期待しませんでした。ある日私は誰かが玄関のドアをノックするのを聞きました。家族の者の一人が出て訪ねてきた人の声を聞いた瞬間、私はそれがこの牧師の声だということがわかりました。急に私の心は喜びで踊り上がりました。なぜなら私は彼にあの聖句がどういうことを言っているのかを聞くことができると思ったからです。きっと彼はその意味を知っていて、私の頭の中の混乱をすっきりさせてくれるだろうと思いました。私はこの聖句がもし私の思っている通りのことを言っているなら、私は病床から抜け出すことができると知っていました。

 

 その頃、私の部屋には一度に一人の人しか入ることが許されていませんでした。ですから彼は一人で入って来ました。私の家族は誰も彼と一緒に入ってくることができませんでした。私には彼の姿がはっきり見えませんでした。彼が私の上にかがみこむと始めてピントが合って彼の顔がはっきりと見えました。

私の喉と舌とは部分的に麻痺していましたから私ははっきりと話すことができませんでした。そして私は多くのことを何度も言い直しました。あることを言おうとうとするのに時々長い時間がかかりました。私の脳はまともに働いていないようでした。私はしばしば一つの質問をするのに10分くらいどもって言葉が出ないことがありました。

 私は口と唇を動かして何かを言おうとしました。私は彼の名前を呼ぼうとしました。そして彼に私の聖書をとってマルコ11:24を開いてそれがどういうことか教えてほしいと言おうとしました。しかし、私にはその言葉を出すことができませんでした。私はただどもってしまいました。私は言葉をはっきりと出すことができなかったのです。私が何か言う前に彼は私が話すことができないのだと思いました。

彼は私の手をポンとたたくと職業的に敬虔そうな声で言いました。「ぼうやがまんをし。あと数日すれば全て終わるから。」そして彼は私の手をおろすと部屋を出て行きました。

 その時私に襲いかかった失望といったら言葉で表現することもできません。私には彼に私の知りたかったことを尋ねる必要はなくなりました。彼があの聖句の意味を知っていたなら、そしてそれが私に何らかの意味をもっていたなら彼は私にそう言ったでしょう。しかし、彼は信仰も希望も私に残さずに私を一人にして出ていってしまいました。

 この牧師は私には一言も祈ってくれなかったのに居間へ行くとそこに座っていた私の家族と祈りをしました。どういうわけかその頃私の聴覚はとても鋭くなっていて彼はそれほど大きな声で祈っていたわけでもないのに彼の祈る一言一言がはっきり聞こえました。

彼は言いました。「御在天なる御父よ、今お孫さんを奪われようとされているこの愛するお婆さんとおじいさんを祝し給え。彼らの心をこの来るべき暗き時のために備えたまえ。」

 私はこの祈りを聞くと、学校の先生から罰を受け、黒板に書かれた丸の中に鼻をくっつけてすみっこに立たされているいたずら小僧みたいな気持ちになりました。彼は外面的には立っていても、心の内では自分は座っているつもりなのです。私はそんな少年のような反抗心を持ちました。私は声に出して言うことはできませんでしたが、心の中でこう叫んでいました。「僕はまだ死んでいないぞ!」

 私は牧師が続けてこう祈るのを聞きました。「この息子さんを失おうとされて心痛めている、愛する母親を祝したまえ。」私の母はその時まではいくらか希望をもっていたのでした。しかし、彼が彼女の持っていたその希望を盗み去ってしまったので、彼女は泣きはじめました。

 

 牧師が帰って行くと、祖母が私の部屋にやってきて、この牧師が私に会いにきた唯一の牧師だからお葬式には彼に説教してもらってもいいかと私に尋ねました。私はそれでいいと同意しました。すると彼女は私にお葬式の時どの歌を歌って欲しいか尋ねました。私は特別に好きなのはないから何でも好きなのを歌って下さいと言いました。彼女が二、三こういうのはどうかと言ったので、私はそれでいいと言いました。次に彼女は棺側の付き添い人は誰がいいかと聞きました。彼女が何人かの名前をあげると私は彼らでいいと言いました。母は彼女の言うある場所に埋めて欲しいかどうか私に尋ね、私は同意しました。そして彼らは部屋を出て行きました。

外ではまだ太陽がまぶしく輝いているというのに、私の部屋の中は本当に大変暗く思えました。

これら全てのことに打ちのめされたようになった私は呆然として次の30日の間というもの全く動かずにベッドに横たわっていました。私はあきらめてしまい、ただ死ぬのを待っていたのです。

 30日ほどしてから後、私は再び聖書を読みはじめました。私は次の聖句からどうしても離れることができないような気がしました。

 

祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすればその通りになります」(マルコ11:24)

 

 秋も深まってくると私はずっと大胆になってきました。私は主にこう告げました。二人の牧師を呼んだけれども彼らは来ませんでした。そして三番目に呼んだ牧師は来ましたが、彼は来なかった方がよかったのです。私は主に告げました。主がこの地上におられた時、彼はこう言われました。

「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさいそうすればその通りになります。」(マルコ11:24)そして私は癒されたいと願っているのです。

 私は彼の御言葉で言っている通りに彼がして下さるとそのまま、その言葉を受けますと主に告げました。私は彼が真実を語り、この聖句はその言っている通りだと信じました。新約聖書が真実なら、私はベッドから起き上がることができるということでした。私は彼に、私は死ぬことなく生きると言いました。「僕がベッドから起き上がることができないというなら、聖書は真実じゃないから、僕は聖書をごみ箱に捨ててしまいます。」私は本気でした!

 私はベッドから起き上がろうと決心しましたが、まだその聖句に立ってどのように私の信仰を働かせればよいのかわかりませんでした。人は叫んだり祈ったり自分の知っている全てのことをするとしても、信仰を持っていなければ何にもなりません。イエス様は、ただ祈るようにとは言われませんでした。この聖句の鍵となる言葉は信じるです。

 この頃私はまだ信仰というものを十分に理解していませんでした。私は神様は確かに私に聞いて下さると思っていたし、心の中ではいい感じがしました。しかしながら私の心臓はいっこうに正常に鼓動しないのです。そのころ私は自分の感覚によってではなく、信仰によって歩まなければならないということが分からなかったのです。私たちは神の言葉の約束に立つべきであって、私たちをとりまく環境に目を止めるべきではないのです。

 私は自分の手を使うことができるところまでいきました。祖母は時々私を短い時間ベッドの上に起こしてくれました。私は自分の足に触れてみました。それには全く筋肉がなく、骨ばかりでした。私は本当にガリガリだったのです。

 しかしながら、私はちっとも癒しが進んでいないように思えてこう言いました。「主よ、僕はあなたが癒して下さると思っていたのですが。」私は彼が確かに私に聞いて下さると思っていましたが私はいっこうによくなっていない感じでした。今では私は祈った後にいい感じがしたからといってそれが神様が聞いて下さったというしるしではないと知っています。そしてまた祈った後、いい感じがしないからといって、それが神様が聞いて下さらなかったというしるしではないということも知っています。どう感じるかということに頼ることはできないのです。私たちは神の言葉がそのことについて何と言っているかに戻らなければならないのです。こんなふうにして、私は何ヶ月かの間苦闘を続けました。

 

 年が明けて、1934年のお正月になりました。それは引越しの日でした。祖父は町にいくつかの家を持っていて、そのうちの一つの家に引っ越すことに決めたのでした。彼はその家を借りていた人に、その家を自分で使いたいからと言っておいたのです。彼らが越して行くと、彼はその家のペンキを塗り直したり、壁紙を貼りかえたりし終わって、引越しの準備ができていました。引越し屋さんが来ると、家の中の寝室を最後に残して、他の部屋の家具から運び出しはじめました。彼らが私の家具を運びに来た時、救急車が来て私を運んでくれました。

 私が救急車に乗っている時に、付き添い人の一人が私が一年近くも寝たきりだということを聞いたと言いました。「正確には9ヶ月です。」私は彼に言いました。すると彼は、私がよかったら救急車で、家の周辺を少し回って、景色を見せてあげようと言いました。私は何ヶ月もの間いろんなものを見ることがなかったので、とてもうれしく思いました。私たちがしばしば見過ごしにしてしまう小さな喜びというのは、それらを長い間奪われてきた人々にとっては莫大な喜びとなるものです。

 私は彼らが町の中をゆっくり運転してくれる間中、頭を動かして窓の外を見ることがでました。すると救急車の付き添い人が言いました。「坊や、もしよかったら広場の方まで行ってあげよう。今日は祭日だからあまり車も通らないだろうし、景色を楽しむことができるから。」

この人口8千から9千の愛すべき小さなマッキニーの町のあの古い裁判所や店や他の建物を再び見ることができるなんて、何てすばらしいことかと私は思いましした。

 角のよく出入りした雑貨屋が見えました。J.C.ペニーの店も見えました。その隣にはモード、オーディの洋服屋があって、その隣にはウールワースの店がありました。ずっと下って行くと靴屋があって次の角には婦人ものの既製服の店がありました。それから広場の西側の通りを回って南側の通りに来ました。私はいつまた見られるとも分らないこれらの景色全てに見とれていました。

 私たちが角を曲がって広場の南側の通りに来た時、私は振り返って広場の真中に建っている裁判所を見ました。私はその瞬間を生涯忘れることがないでしょう。その瞬間何かが私に言いました。「ほらあなたはこれらの古い建物を再び見るとは思わなかったでしょう。そしてあなたを連れて回ってくれているこの男の親切によらなければあなたは見ることができなかったのです。」

 

そして、私はマルコ11:24の聖句を思い出しました。「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすればその通りになります。」そして、私はその前の節でこう言っていたのを思い出しました。

「…それが何であれその言った通りになります。」(23節)(※訳者注、ギリシャ語では)

ここに信仰の原則があります。あなたの心で信じ、口で告白しなさい。そうすれば「それが何であれその言った通りになります。」

 私が救急車の中でこう言うと、涙が頬をつたって落ちました。私は今私が知っていることの全ては分りませんでした。私はほんの小さな一条の光を得たのです。それはドアの割れ目からのぞく小さな光のようでしたが、それが私にとっての初めでした。1934年1月の最初の日の午後2時頃のことでした。

 私は言いました。「そうだ。僕はこれらの建物や裁判所をまた見に来よう。また来てこの裁判所の広場に立とう。だってイエス様は心で信じて口で告白するならその通りになるって言ったんだもの。」私ははっきりとした態度をとりました。

 

 1月と2月が過ぎ去って行きました。私はまだ寝たきりでした。3月、4月、5月、6月、そして7月と過ぎて行きました。悪魔はそんなもの働くものかと言っていたでしょうが、私は自分の告白を握りしめてあきらめることを拒否しました。私は主にこう言いつづけました。私はこの告白に留まります。そして私は彼の御言葉に立っているのですから、それは働くはずです!…と。

 ついに、私は自分のやっていることの何が間違っているかに気づきました。私は自分が本当に神の言葉の言っていることを信じていないということに気づいたのです。私は頭の中では神の言葉が真実であると言っていたにもかかわらず、心からそれを信じていなかったのです。すなわち心からの信仰によって行動していなかったのです。私は自分が数ヶ月の間徐々に良くなってくるようにと希望してきたことに気づきました。私は信仰によってではなく、希望によって祈っていたので何にもならなかったのです。

(※希望は未来形、信仰は完了形なので希望は信仰でなく実現しない。)

私は自分の信仰は神の言葉に基づくものではなく自分の目に見えること、感じることのできる事に基づいていたのだと分かりました。私は自分の心臓がまだ正常に鼓動していない事を感じることができました。私はよく自分の足や腕を見て、泣き出したものです。私はそれらが変わっていないことを見ることができました。私は自分の肉体の目で見える事しか信じていなかったのです

 

<癒しの信仰の実践>

このようにして、1934年の8月の第二週がやってきました。火曜日の朝、私は早い時間にずっと祈っていました。いつもの時間になると、母がやってきて私をお風呂に入れてくれました。8時半ころに彼女は部屋を出て行きました。私は祈りを続けました。私はマルコ11:24をもってしてその時まで苦闘してきましたが、まだちっとも良くなっていませんでした。私は主に言いました。「あなたは地上におられたときこう言われました。『祈って求めるものは何でもすでに受けたと信じなさい。そうすれば、その通りになります。』僕は癒されることを切に求め、信じます。もしあなたがこの部屋においでになってここに立っておられるとしたら、僕があなたをこの肉体の目で見ることができて、あなたの手を握ることができるなら、そしてあなたが僕に僕の問題は信じていないことだと言われるなら僕はそれは本当じゃないと言わなければなりません。僕は信じているんです。」

 すると内なる声がはっきりこう言うのが聞こえました。それは私にとって誰かが声に出して話したかのようにはっきりと聞こえました。「そうです。あなたの知っている限り信じてはいます。でもその節の最後の部分では『そうすれば、その通りになります。(あなたはそれらを持ちます)』と言っているではありませんか。」

 私は信じるという事に対して自分の知っている限りの範囲において信じてはいましたが、私はこの信じるという事を十分知らなかったのです。人は祈ることによって信仰を得ることはできません。

聖書は信仰は「聞くことから始まり、聞く事はキリストについての(神の)御言葉によるのです。」(ローマ10:17)と言っています。

私たちは御言葉の知識が必要なのです。この御言葉の知識の光がやってくるなら、信仰は自動的にそこにあるのです。

 その瞬間、私はこのマルコ11:24がまさに何を言おうとしているのかが分りました。その時までは、私は実際癒されるまで待とうとしていたのです。私は自分の体を見つめて心臓の鼓動を確かめ、癒されたかどうか見ていたのです。しかし、この聖句は祈ったその時に信じなければならないと言っていることが私には分りました。持つ事は信じる事の後に来るのです。私はそれを逆にしていました。私はまず最初に持とうとして、そうしたら次に信じようとしていたのです。そしてそれはほとんどの人々がやっていることです。

 

 「わかった、わかった」私は喜んでいました。「どうしなければならないか分りました。主よ。僕はこのベッドの上に横たわっているこの今の時、心臓が正常に鼓動していないこの時に心臓は良くなっていると信じなければいけないののですね。ここで何もすることができずに横たわっているこの時に、麻痺はとれたと信じなければならないのですね。

 僕はあなたが祈りに聞いて下さったと心の中で信じます。僕は心臓も癒されていて、麻痺は消えてしまったと信じます。僕は体の癒しを受けたと心で信じます。

 

 私がこう言っている時、こんな考えがやってきました。――お前は大した奴だ!お前を見たらクリスチャンだなんて言っておいて横になっているじゃあないか。お前は嘘つきその報いとして火と硫黄の池に投げ込まれると聖書が言っているのを知らないのか?――

 「僕は嘘つきじゃあない。」私は宣言しました。「確かにおまえは嘘つきだ。なぜって癒されたと言っておきながら癒されていないんだから。」

 「僕は癒されていると感じるから癒されていると言ったんじゃない。」私は言いました。「僕は癒されていると信じているから癒されてるんだ。そして悪魔よ、お前が僕は癒されていないと言うなら、お前は嘘つきだ。僕は神の言葉に立って行動してるんだ。僕が癒されていないんだったら、イエス様が嘘つきだってことじゃあないか。そのことについては神様と議論すればいいだろう。僕にかまわないでくれ。」私がこう言うと悪魔は私を離れて行きました。

 

そして私は言いました。「神様感謝します。僕は癒されています。」私は手をあげて神様を賛美しました。その瞬間私は自分の心臓が正常に鼓動しているかどうかさわってみたいと思いました。しかし、私は自分を押さえて自分は感覚によってではなく信仰によって歩んでいるのだと言いきかせました。このようにして私は10分ほどの間主を賛美しました。

 すると内なる証人である聖霊様が心のうちに語りました。「あなたは自分が癒されたと信じています。もしあなたが癒されているなら、あなたはベッドから起き上がるべきです。」(※行動)

 私はそれもそうだと思い、手に力を入れて起き上がって座った姿勢になりました。そして私は足を下に伸ばすと、ベッドのわきに下ろして、ぶらぶらさせてみました。感覚はありませんでしたが、私にはその足が見えました。そして私は立ち上がって歩くんだと言いました。悪魔が私たちを感覚的領域にとどめておくことができる限り、悪魔は私たちを打ち負かします。しかし、もし私たちが信仰の領域に留まるなら私たちは悪魔を打ち負かすのです!

 

私はベッドの支柱をつかむと立とうとして、自分自身を引っ張りました。もう16ヶ月もの間寝たきりだったので、部屋がぐるぐると回り始めました。私は目を閉じると、腕をベッドの支柱に巻きつけて、そこに数分の間、立っていました。ついに私は目を開けると全てのものが回るのを止めて止まりました。

私は自分は癒されて、歩くんだと宣言しました。私の足に感覚が戻ってきました。するとまるで200万本もの針で刺されるような感じがしました。神経が反応したのです。私は突き刺すようなひどい痛みにもかかわらず、死んだようになった足に感覚が戻ってきたので本当にすばらしいことだと思って喜びました。しばらくすると痛みは去り、私は正常に感じることができました。

私は絶対に歩くんだという決心をますます固めるとベッドの支柱をつかんだまま注意深く一歩踏み出しました。そして次の一歩を踏みました。家具につかまりながら、私なんとか部屋を一周しました。

私はこのことを誰にも言わずに、次の日にまた同じことをしました。その夜私は母に次の朝私はテーブルのところまで行って朝食を食べるから服を持ってきて欲しいとたのみました。彼女は驚いてぎょっとしましたが頼んだようにしてくれました。三日目の朝には私はベッドから出て、自分で服を着ると台所まで歩いて行って家族の者たちと一緒にテーブルについて朝食をとりました。そしてその時以来私はずっとそうやってきました。

1934年の8月第二土曜日には、私は裁判所広場まで歩いて行きました。土曜日にはいつも人々が買い物にやってきたので町は混雑していました。ですから私は広場の外の市場へ行くのに、人ごみの中を押し分けて進まなければなりませんでした。私がそこに立つと涙が頬をつたいました。そして私は神様が本当に良くしてくださったことを感謝しました。私は持ってきた新約聖書をとり出しました。人は私が涙をぼろぼろこぼして新約聖書を読もうと開いているのを見てどう思ったか知りませんが、私はそんなこと気にしませんでした。私はこういう聖句を読みました。

すべてのものを見分けて(prove 試す、立証する)、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。」(Tテサロニケ5:21)

私はマルコ11:24の聖句をためしました。そしてその聖句は私の大好きなことばとなり、私の人生においてそのことばが真実であることを知りました。私は神のことばが真実であるということを知ったのです。神の言葉を正しく信じることによって「(あなたがたが)求めるものは何でも」持つことが可能だったのです。

しばらくすると、医者は私の心臓を調べ、私の心臓にはもはや何の障害もないと言いました。彼は、私のような心臓の状態だった人は良くなったためしが全然といっていいほどないと言いました。私にはもはや何の悪いところも見つからなかったのですから、本当に奇跡としか言いようがありません。

 

私はすぐに若いバプテストの説教者として奉仕をはじめ、裁判所からちょうど8マイル離れたところにある合同教会を牧会しました。私が牧会した最初の1年の間に私は歩いて伝道して回り、四足の靴をはきつぶしました。私は福音を伝えるため、イエス様がどのようにして私を救ってくださり、癒してくださったかを語るために古いほこりだらけの道を歩き回りました。私はよくこう言ったものです。「僕はレッド川(テキサス州北部の境界を流れる川)からメキシコ湾まで至る所に行って、イエス様が僕を救い、癒して下さったこと、そして彼は再びやって来られることを伝えるんだ。そして僕はそれをルイジアナとの州境(テキサス東部)からニューメキシコとの州境(テキサス西部)まで伝えるんだ。」その当時はそれだけの地域も私にとってかなり広い範囲のように思えたのです。

 

私は神癒を信じていましたので、やはり神癒を信じそれについて話すフルゴスペル(全福音)の人たちと交わりを持つようになりました。私は彼らの集会に行くのが好きでした。なぜかというと、そこに行くとちょうど腕に注射を受たれるような感じで、信仰が強められたからです。彼らは聖霊に満たされて異言で語るということについても説教しました。

それは何か私にははっきりと理解できないことで、全く賛成できるということではありませんでした。しかし、神癒という点において、彼らと一致になって交わるために、私はこのことについては我慢して、大目に見ていました。

 私は礼拝において、皆がいっせいに祈るということに慣れていませんでしたので、初めはこれにひどくとまどってしまいました。私は1回か2回これらの人々を正そうとして何か言いかけたことがありました。すると誰か他の人が彼らにこう言うのが聞こえました。「神様は難聴じゃあないことをあなた方はご存知ないのですか。」

 「彼は神経質でもありませんよ。」彼らは答えました。彼らがクリスチャンは祭壇のところ出て来て祈るようにと招いた時、私も祈るために前に出ていきました。しかし、みんなが一斉に祈るということがうるさくて不愉快だと思ったので私はできる限り彼らと離れていました。私はみんなから離れて、どこかすみっこの方で静かに祈りました。

 しばらくするとこのような考えが浮かんできました。これらの人々は神癒について知っていたけれども私の教会の人たちは確かに知らなかった。ここにいる彼らはもしかすると私よりも多くのことを知っているのかも知れない。

 

 私は初代教会ではどのように祈ったかを見るために使徒の働きをずっと読んでみようと決心しました。私が読んでみると、彼らが長老ブラウンさん、ジョーンズ姉妹祈りを導いて下さい…

などと言っている個所は一つもありませんでした。私は初代教会において、みんなが一斉に祈ったことを知って本当にびっくりしてしまいました。

「釈放された二人は、仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちが彼らに言ったことを残らず報告した。これを聞いた人々はみな心を一つにして、神に向かい、声を上げて言った。…」(使徒4:23,24)<訳者注、英語ではthey lifted up their voices to God with one accord彼らは声を合わせて一斉に神に向かって声を上げたとなっています。>

 そしてとどめを刺したのは使徒の働き16章のパウロとシラスが真夜中に牢屋に入っていた時のことでした。彼らの背中からは血が出ていました。彼らは神に祈り賛美していました。「…他の囚人たちも聞き入っていた。」(使徒16:25)その時まで私は神様に祈るということは信じていましたが、静かに祈るものだと信じていました。しかし、ここで私はパウロとシラスが牢の中でさえも静かにしていなかったことを知りました。

 私がフルゴスペルの集会に行った時、彼らがみんな祭壇の方に来て祈るようにと招くと私は彼らの真中に行って、彼らがするように大きな声を上げて祈りました。私は祈りのうちに素晴らしい解放感と自由を感じました。神の言葉はあなた方を自由にするのです。イエス様は言われました。

「そして、あなた方は真理を知り、真理はあなた方を自由にします。」(ヨハネ8:32)

 

 しかし、私がフルゴスペルの人々が語る聖霊のバプテスマと異言を話すことは別の話しでした。あの「異言」というものは、飲み込むのに苦い薬でした。私はそれに対して警戒心を抱いていました。しかし、あるイーストテキサスの男がこれらのフルゴスペルの人たちについてこう言ったのはその通りでした。「あれはつるつるしたクリークの浅瀬みたいなもんだ。みんなクリークにはまってしまった人々をばかにしてからかいながら、自分もすべってつかまってしまうっていうわけさ。」

 私は聖霊様に関する聖句を思い巡らし、それについて考えてみたあげくに、フルゴスペルの人たちは間違っているという結論にたどり着きました。異言など必要ないそれは今日私たちのためのものではない。信者は異言を語らなくてもこの授けられた力を受けることができるのだ…と。勿論それは私の自分の判断でした。当然それは聖書に書かれていたことではありませんでした。

 私は主に言いました。「これらの人々はいい人たちだということを知っています。彼らは完全に救われていて、新生していて、私の教会の人たちの知らなかった神癒について知っていました。 私はもちろん聖霊様を信じます。そして高き所から授けられる力である聖霊の満たしも信じます。私は自分の人生において力に欠けていることに気づいていますし、聖霊の満たしが必要だということも知っています。そして私はそれをちゃんと受けたいと思って待ち望んでいます。しかし、私の意見としては、異言はそれと関係がないし、それは今日の私たちのためではないと思うのです。

 

 すぐに主が私の心に語りました。私はそれが御言葉を通して語りかける聖霊様の声であると知っていました。小さな声ではありましたが、私を苦しみの病床から起き上がらせ、神癒へと導いたあの声が私に尋ねました。「聖書には何と言っていますか。」

 私は聖句を引用しました。「なぜなら、この約束は、あなた方とその子供たち、ならびに全ての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」(使徒2:39)

 するとその声は言いました。「この約束とは何ですか?」「…そうすれば、約束として聖霊を受けるでしょう。」(使徒2:38)「ここで言っているのは、主よ、賜物としての聖霊の約束についてです。」そして、私は急いでこう付け加えました。「でも、主よ、私は聖霊を信じています。はっきり分らないのは異言なのです。」

 聖霊様はいつも御言葉に沿って私たちを導いて下さいます。御言葉と御霊とは一致するのです。私はただ声だけに従うということには賛成できません。なぜなら人は声に従って間違った方へ行くことがあり得るからです。しかし、私たちがどんな声でも神の御言葉に沿って私たちを導いて行かせる声に従うなら、決して間違った方へ行くことはありません。

イエス様は言われました。「御霊は私の栄光を現わします。私のものを受けて、あなた方に知らせるからです。」(ヨハネ16:14)

神に感謝します。御霊は語られるのです。「御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し…」(13節)<訳者注、英語ではwhat soever he shall hear that shall speak何であれ彼は聞いたことを話す>

 新生したクリスチャンは、ある程度聖霊(※内住の御霊)を持っています。しかしながらそれは力の賦与(※着せられる力)と同じではありません。それでも新生においての聖霊様の働きというものはあります。「私たちが神の子供であることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかしして下さいます。」(ローマ8:16)

 

 そして、主は私に言われました。「使徒2:4では何と言っていますか。」私はもちろん、その聖句を引用することはできました。しかし、あなたが頭でそれを覚えているからといって、あなたが本当にそれが何を言っているか知っていることにはならないのです。あなたは神の御言葉が何を言っているかを本当に知るために、霊のうちに啓示を受けなければならないのです。

 私はその御言葉を引用して言いました。「『すると、みなが聖霊に満たされ…話し…』ああ、わかりました。わかりました。『みなが聖霊に満たされ…話しだした。』私が聖霊に満たされるとき、私は他国のことばを話しだすのです。主よ、これではっきりしました。私は今すぐにフルゴスペルの説教者の家に行って聖霊を受けます。」私は牧師館まで歩いて行き、ドアをノックしました。私は言いました。「聖霊を受けるためにやって来ました。」

彼は言いました。「待ちなさい。」その日から今日に至るまで、私は誰かが聖霊を受けたいと願っているというのになぜその人に待ちなさいと言う人がいるのか全然わかりません。ある人は言いました。「あなたはイエス様が弟子たちにとどまっていなさい(tarry)と言われたこと、そしてとどまるとは待つことであるということを知らないのですか。」

 

いいえ知っています。しかしそれは聖霊を受けるための原則ではありません。それならなぜエルサレムという単語を抜かしてしまうのですか。イエス様は言われました。「あなた方は、いと高き所から力を着せられるまでは、都(※エルサレム)に留まっていなさい。」(ルカ24:49)

<※訳者注 新改訳では抜けている>それは聖霊を待ち望んでいたそのグループ――120人――がエルサレムにおいてしなければならなかったことです。

そしてまた、彼らは準備して用意万端整えて聖霊に満たされるのを待っていたのではありません。彼らはペンテコステの日を待っていたのです。聖霊はその時までまだ与えられることはできませんでした。彼らが準備を整えて待っていたのなら聖書は「彼らが準備できると…」と言うはず

です。しかしこのように言っています。「五旬節の日になって(が満ちると)…」(使徒2:1)

ある人は言いました。「ええ、待つことによってあなたは準備することができるのです。」いいえ違います。救われたことによって準備が整うのです。イースト・テキサスのある男が言いました。「おれは聖霊を受ける前に、盗んだブタを返さなきゃいけない。」

私は言いました。「それは私が救われるためにやらなければいけないと言われたことですよ。」

これは自分自身で自分を聖めようとする事です。しかしあなたには自分自身を聖くすることなどできないのです。「…御子イエス(キリスト)の血はすべての罪から私たちをきよめます。」(Tヨハネ1:7)もしあなたが御子の血によって洗われているなら、あなたはたった今準備が整っているのです。

コルネリオと彼の家族は救われたばかりでなく、ほとんど同時に聖霊に満たされました。(使徒11:14,15)彼らには準備を整えているひまなどありませんでした。聖霊が彼らに下り、彼らは異言で話し出したのです。もし彼らが異言で話さなかったなら、私達異邦人が教会にいることはなかったでしょう。その時までは厳密に言えばユダヤ人の教会でした。ペテロ自身でさえも異邦人が救われるという事は使徒の働き10章の始めの部分に記されている幻を見るまで知らなかったのです。「彼らが異言を話し、神を賛美するのを聞いたからである。…」(使徒10:46)

私がフルゴスペルの牧師に「聖霊を受けるために来ました。」と言って、彼が私に待つように言ったとき、私はだしぬけにこう言いました。「でも、私は聖霊を受けるのに時間などかかりませんよ。」

その教会ではその夜リバイバル集会が開かれることになっており、私が行ったのはもう6時でした。彼は私にその集会で聖霊のバプテスマを受けるために、待ち望んで求めるようにといいました。しかし、私はその集会がはじまる7時半まで待たなければならないと知っていました。そしてまた前置きが終わるまで待たなければならないし、それが終わったら説教です。私が祭壇のところまで出て行くのは9時ぐらいになるでしょう。しかし、なんで与えられている贈り物を待たなければならないのでしょう。

 

私は何年もの間フルゴスペルの人々と交わりを持っていますが、いままで誰にも待つようにと言ったことは一度もありません。もし人々が今晩救われたいと言うなら、あなたは「待ちなさい。そして日曜日に教会に来て、救いを求めなさい。」とは言わないでしょう。もし誰かが癒しのためにあなたに祈ってほしいと言うならあなたは「待ちなさい。」とは言わないでしょう。彼らは今すぐに癒されたいのです。特に痛みがある時はそうです。救いは賜物です。癒しも賜物です。そして聖霊もそうなのです

私が「私は聖霊を受けるのにそんなに長い時間かかりませんから。」と言うと、その熱心さを見て、牧師はしぶしぶこう言いました。「それじゃお入んなさい。」他の牧師が言いました。「使徒の働きにそうあるから君は今すぐ聖霊を受けられるけど、君が長い間待つなら、その経験は君にとってもっと大きなものになるんだよ。その例として、私は聖霊を3年と6ヶ月かかった。私は待って待ってとどまって求めたんだ。そして今や、聖霊は私にとって本当に意味あるものとなったんだ。」

私は言いました。「それじゃあ、かわいそうな年老いたパウロはそれを知らなかったというわけですね。あなたが彼の所へ行ってそのことを彼に教えてあげることができたらよかったのに。彼はそのことを知らずに、アナニヤが手を置いたその時すぐに聖霊を受けてしまったのですから。彼は待ったりとどまったり、求めたりしなかったのですから。

でもそして彼のしたことというのは新約聖書の半分を書くということです。もちろん38年の彼の奉仕においてたったひとりでなしたことは500年の間どの教団がなしたよりも大いなることです。でももしあなたが彼に3年と6ヶ月の間待つように言うことができたなら、聖霊は彼にとって大した意味のあるものになったでしょうね。」

 

私は居間に入ると大きな椅子の前にひざまずきました。私は自分のまわりのことをいっさい気にせずに、それらから離れて、目を閉じると、両手をあげました。誰もそうするようにとは言いませんでしたが、私はただ自分で手をあげました。私は言いました。「愛する主よ。私は聖霊を受けにやってきました。」私は祈りの中でつい先ほど使徒2:39と使徒2:4で学んだことを繰り返して言いました。そして私は言いました。「あなたの言葉には聖霊は賜物だとあります。ですから、私は聖霊は信仰によって受けるものだと分りました。私は賜物としての救いを信仰によって受けました。私は肉体の癒しを信仰によって受けました。そして、今私はあなたが差し出してくださるその贈り物を受け取ります。」

ここで聖霊様はペンテコステの日に与えられたのであって、彼はそれ以来ずっとここにいらっしゃるということを言わせて下さい。神様はペンテコステの日以降は誰にも聖霊様をお与えになりませんでした。今やただ人々が聖霊様を受けるというだけのことなのです。私は使徒の働きの中で弟子たちが誰かに「神様はあなたに聖霊をお与えになりましたか。」と尋ねている個所を見つけることができません。しかし、彼らがこのように尋ねている個所を見つけることができるのです。「あなたは受けましたか。」神が与えるという方に強調をおいていないのです。なぜなら、彼はすでに与えて下さったからです。人々が受けるという方に強調が置かれているのです。

 

聖書ではこう言っています。「ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなた方が見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。」(使徒2:33)

「…パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って」(使徒19:1)パウロは彼らにこうは尋ねませんでした。「神様はあなた方に聖霊をお与えになりましたか。」そうではなく、彼はこう言いました

「(KJ訳Have ye あなた方は)信じた時、聖霊を受けましたか。」(使徒19:2)

 「さてエルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が神の御言葉を受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところへ遣わした。二人は下って行って、人々が聖霊を受けるようにと祈った。」(使徒8:14,15)ここで「人々が聖霊を受けるように」と言っているのに注意して下さい。ペテロとヨハネは神様がサマリヤの人々に聖霊を与えて下さるようにと祈ったのではありません。彼らは神様が彼らの上に注いで下さるようにとさえ祈りませんでした。彼らは人々が聖霊を受けるようにと祈ったのです。「二人が彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。」(使徒8:17)

 「そこでアナニヤは出かけて行って、その家に入り、サウロの上に手を置いてこう言った。『兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現われになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。』」(使徒9:17)

彼はこう言いませんでした。「神様があなたに聖霊をお与えになるように祈るために神様は私を遣わされました。」彼はまた、「神様があなたの上に聖霊を注いで下さるように祈るために神様は私を遣わされました。」とも言いませんでした。アナニヤはこう言ったのです。「神様はあなたが聖霊に満たされるために私を遣わされました。」

 私たちは神様に救いを送って誰かを救って下さいとは祈りません。人のしなければならないことは受けることだけです。私たちは神様が癒しを送って誰かを癒して下さいとは祈りません。私たちはその人が癒しを受けるようにと祈るのです。同じように私たちは神様が彼の御霊を送って飢えた心を満たして下さるようにと祈る必要はないのです。私たちはただ単に心を開いて受け取ればよいのです。

 

 私は1937年の4月、その牧師館で主に言いました。「聖霊は賜物です。私は信仰によって救いを受けました。私は三年前、信仰によって身体の癒しを受けました。そして今私は信仰によって賜物としての聖霊を受け取ります。そして私は今それを受けたのであなたに感謝します。」

 私たちが異言で語る前に、聖霊を受けたことを知るということに注意して下さい。私たちはまず始めに聖霊を受け、それから異言で語るのです。「すると、みなが聖霊に満たされ、(もしここで読むのを止めるなら誰でも彼らが満たされたということが分るでしょう。しかし続けて読むと)そして、御霊が話させて下さる通りに他国の言葉で話しだした。」(使徒2:4)異言で語ることは聖霊を受けた結果であったのです。私たちはまず最初に聖霊を受けるのです。

 私は主に言いました。「私は聖霊を受けました。聖霊様は私の内におられます。なぜならイエス様がこのお方は私たちの内に宿ると約束されたからです。私は聖霊を受けたと心で信じるので口で告白します。そして、今異言で語ることを期待します。なぜならペンテコステの日に彼らが異言で語ったからです。

そして私は異言で語ることを神様に感謝します。私は聖霊を受けました。私はそれを信じます。そして私は今聖霊様が私に与えて下さる言葉通りに異言で語ります。」

 私はそのように祈った後、聖霊を受けたことと、これから聖霊様が私に与えて下さる異言で語ることに対して感謝で一杯になったので「ハレルヤ、ハレルヤ」と言いました。しかし私はそのように言うのにこの時ほど味気なく感じたことはありませんでした。感覚と信仰とはお互いに遠く隔たったものですが、時としてあなたが最も少ししか信仰がないと感じる時に、あなたは最も多くの信仰を持っているものなのです。ですから私はその言葉に窒息しそうな感じでしたが「ハレルヤ」と7回か8回ほど言いました。

 

私が「ハレルヤ」と8回ほど言った時――すぐにではなく、とてもゆっくり――私の内の奥の方に聞いたこともないような言葉が出てきました。それは何だかちょうど私の内側でぐるぐる回っているような感じでした。私はそれを口に出すとどのような音になるか知っているような気がしたので、それを口に出して話しはじめました。そして私が始めにその牧師館のドアをノックしてから8分後に、私は異言で語っていました。彼らは「待ちなさい。」と言いましたが、私は待つ代わりにその一時間半の間、異言で語って過ごしました。聖霊なしで待つよりも、聖霊と共に待つ方がずっといいものです。

 勿論私は神様を待ち望むことを信じています。私たちは聖霊に満たされた人々の主を待ち望む集会を持たなければなりません。聖霊なしで待ち望むより、聖霊に満たされて待ち望む方がもっと素晴らしいのです。

 

 私はその異言で語った一時間半の間、主にあって栄光に満ちた時を過ごしました。異言で語ることはあなたを啓発します。「異言を話す者は自分の徳を高めます(自分を啓発する)…」(Tコリント14:4)これは霊的な啓発、教化です。語学の学生たちは「啓発するedify」よりこのギリシャ語の単語の意味するもっと近い英語の言葉があると教えてくれました。それは「充電するcharge」という言葉です。私たちはバッテリーを充電します。パウロは言いました。「異言を話す者は自分を啓発します。」彼は自分自身を満たすのです。彼はバッテリーを充電するように自分自身を充電するのです。(※異言の祈りは自分の霊を啓発、充電するのです。)

 私はそれまで説教してきたことと同じことを説教し続けました。私はただほんの少しそれに付け加えただけでした。聖霊様は奉仕者が幻を拡大する手助けをして下さいます。私は言いました。「私はイエス・キリストに救われ、癒されることを宣べ伝えよう。私は彼が聖霊によって満たして下さることをそして彼が再び来られることを宣べ伝えよう。そして今や私は大西洋岸から太平洋岸まで宣べ伝えよう。(私は考えをテキサスより大きくしました。聖霊様はあなたをテキサスよりも大きくされるのです。)私はロサンゼルスからニューヨークまでそのことを宣べ伝えよう。私はメキシコ湾からカナダとの国境まで、そのことを宣べ伝えよう。」

そして神様が私の奉仕を祝福してくださったので、私はそれをすることができました。私は100万マイル以上もアメリカ合衆国中とカナダを自動車で走り回りました。30年以上の間、今に至るまで、私は全国各地で私たちの主イエス・キリストの栄光ある福音を力強く宣べ伝えてきたのです。☆後半に続く  

 



 ● 後半(第2章−第9章)が必要なら連絡下さい。料金は1000円ですが、1000円を超える分はミニストリーへの献金としてお受けしております。下記の口座への振込みを確認しだい、メール添付でお送りいたします。

・私は脳出血で、左半身麻痺の為、現在はヘーゲン師の真理をネットで提供する働きだけを行っております。

・ヘーゲン兄の流れはワード・フェイス、つまり言葉の信仰と呼ばれております。1984年から2002年ころにヘーゲン牧師が天に召されるまで、手紙と献金により交流がありました。

 

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761-0431香川県高松市小村町(オモレ)651−15TEL,FAX087-847-8977

信仰のことばミニストリーズ 作成01.7.14日、

全面改訂03.2.27日 星野明義

メールアドレス stngfay3231@ma.pikara.ne.jp 



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