明治天皇の孫 小林隆利牧師のあかし 2007 2/10
・・・・・ 「明治天皇と昭和天皇と私」 小林隆利牧師 1996 1/28 at 寄居の教会 より テープ起こし
§ 小林隆利牧師について:
この公演の内容は、HAZAH(ハーザー)2001年2月号(マルコーシュ・パブリケーション)に掲載された。
小林隆利(たかとし)牧師は、明治天皇の内親王・仁(しのぶ)様の長男(すなわち、明治天皇の孫)として、大正14年に名古屋に生まれる。
1996年時点で、73歳、大阪の堺市鳳において牧会されている。
小林師によると、八咫(やた)の鏡のレプリカは現在、皇居にはなく、明治神宮に移されたそうである。また、皇太子が割礼を受けている。昭和天皇は、定期的に牧師を宮中に招いておられ、侍従長を始め周囲をクリスチャンで固めていた。平成天皇のためにクリスチャンの家庭教師(女性)を招き、音楽の教育にカリスマ派のクリスチャンを招いていた。戦後マッカーサーに宣教師と聖書を要請した。また、クリスチャンの病院活動(聖隷ホスピス)に対し下賜金を数度にわたって与えられた。また、平成天皇は、牧師を招いて宮中で聖書講義を受けておられる。三笠宮(オリエント学を専攻する学者)も天皇家の起源について興味を持って取り組んでおられる。
* 明治天皇には側室が40人いたので、系図に載らない非公式の子、孫がいても不思議ではない。明治天皇の子供は、(非公式の子も含めて)生涯、全部引き取られているが、孫については必ずしもそうではない。また、娘の仁(しのぶ)という名前については、仁の字は男児にのみ付けられるが、彼女については、明治天皇の特別な思い入れがあったためと思われる。
* 小林牧師の姻戚関係は裏付け調査中です。追って報告いたします。
§ メッセージ:
お話する前に2つのことを申し上げたいと思います。一つは、青森県の戸来村(へらいむら)で何かうわさがあるんです。イエス様の弟が出てきて身代わりになったというお話が青森にあるんです。おそらくうわさをお聞きになった方はいらっしゃると思います。これには明快な答えがあります。ここにおられる川口さんが、長谷川太郎先生が亡くなったと、何度も電話をくださいました。長谷川先生は台湾でずいぶん活躍されて、蒋介石総統の終戦の文を全部日本語に翻訳して、すばらしい奉仕をした方であります。私の非常に尊敬している先生で、この先生からあるとき一つの質問を受けました。あの戸来村のうわさについてでしたが、私は聖書を開いて説明をしました。マタイの28章にこう書いてあります。イエス様が復活された時に、祭司長たちはお金を出し合って、キリストの遺体を盗んだと言え、と言いました。ずいぶんお金をもらったその一人が、実は青森県に来ているんです。これがすでに青森にユダヤ人がたくさん来ていた証拠です。ユダヤ人が多く住んでいる青森にそのユダヤ人の一人が来ました。それは早く嘘をつかないと、本当のキリストをなぜ信じないかとやられたら困るからです。
もう一つ、この宇宙の成り立ちを申し上げますと、もっとはっきりします。私は、いささか大学で資源科学を勉強させていただきましたが、現在この地球上の人口50数億、60億近いといわれています。分かりやすく50億としましょう。宇宙の星の数は、その4万倍、200兆個あります。野辺山天文台がありますが、そこに東大の宇宙化学研究所というのがあります。電波望遠鏡、直径50mのパラボラアンテナで集めまして、宇宙を調べたら大変なことが分かりました。一番遠い星は地球から6000万光年といわれています。ところが驚くべきことは、200兆もある星の中で、地球のような星は全く無いことがはっきりしました。ということは、創世記の一番初めに神様が、天地を創りたもうたということの意味が非常に深くなるわけです。ところがそのもっと初めに、ヨハネの1章1節、「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」 ということは、神様が天地創造の時にいらっしゃったことははっきりします。これはすごいことです。ですから、この聖書の真理は、どんな人が疑おうとも疑うことができないのです。この世界で天文学者がたくさんいますが、これは地球物理といいます。この地球物理で調べれば調べるほど、クリスチャンでない学者が、聖書を読まざるを得ないということになってきています。その一人が、竹内均(たけうちひとし)教授、東大の地球物理の世界的権威者です(故人。東大退職後、科学雑誌ニュートン創刊)。彼はクリスチャンではありませんが、宇宙を調べている間に次第に神様に対する敬服の念が起こってきて、どうしても聖書を読まざるを得なくなりました。これはすごいことです。牧師先生が来て勧めたわけではありません。宇宙を調べると、キリスト教に関心を持たざるを得ないのです。だからもう、内面的には完全なクリスチャンです。
今日はもう少し解き明かしをしましょう。この中で、南十字星を見た方はおられるでしょうか。大阪市内の警察の著長さん、クリスチャンですが、一人見た方がおられました。しかし、注意して見ると、右と左のほうに小さな十字架が付いています。神様は初めから贖罪を表すように宇宙をお造りになりました。聖書の真理がどんなにすごいものであるか、聖書の真理は宇宙が全部証明しているのです。神様のなさるわざは大きいです。
今ご紹介いただきましたが、明治天皇がどれほど聖書を読まれたか、今日は、明治天皇の御製(ぎょせい=天皇の作られた詩文・和歌)を少し抜粋してきました。
明治天皇の前の、孝明(こうめい)天皇(*開化に反対)の御製の中にこのようなものがあります。
・ 国民(くにたみ)の、安けきことを今日ここに、向かえて祈る神の御前に
すでに、孝明天皇の時にこのような歌が歌われていたのです。孝明天皇は36歳で世を去られました。
明治天皇は聖書を非常によく学ばれました。私にとっては”祖父”ですが、やはり天皇ですから、天皇としてお話申し上げたいのです。
明治天皇が聖書を学び始めたのは、明治2年(1869年)からです。1867年大政奉還した徳川慶喜の孫、すずこ(鈴子?)さんといって、これが小原(おばら)氏(東大の先生)の奥様になられた方ですが、すばらしいクリスチャンです。お子様7人は全部牧師です。
フルベッキという宣教師・博士が、明治2年に長崎から招かれました。このとき三条実美が迎えに行って、日本は新しく変わったので、日本の政府を作るために助けてください、と依頼しました。フルベッキという先生はすぐにOKしました。しかし彼は、確かにオランダ系の人ですが、実は血統ではユダヤ人だったのです。神様はそういうところまで働いているのです。彼は上京し、明治天皇に仰せつけられましたが、まだ若い、16歳で即位された明治天皇はずば抜けた頭脳の持ち主でした。フルベッキはその時から明治天皇に聖書を教えました。
明治天皇には2万7千数百の御製があります。その数多くある御製の中の80〜85%は、聖書を知っていないと理解できないのです。キリスト教を知らない人は分かりません。
”あさみどり 澄み渡りたる大空の 広きをおのが心ともがな”
大空をこんなに歌われたということは、背後にどうしても聖書があるのです。
因みに、明治天皇が一番愛読された聖書の個所は、詩篇の133編、「見よ、同胞(はらから)合い睦みて居るがいかに良き、楽しからん。・・・」(「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。・・・」) 明治天皇の名は”睦仁(むつひと)”ですから、聖書に自分の名前が出ている、として、明治天皇の側近は詩篇133篇が愛唱の句であることをよく知っていました。
明治天皇は非常によく聖書を読まれ、特に、イエス様の十字架の贖罪のみことば、彼の心を動かした個所でした。その、イエス様の十字架の個所を、自分の御製に託してこのように歌われました。
・ おのが身は かへりみずして 人のため つくすぞ人の つとめなりける (or つとめなるらん)
明治天皇に聖書を教えた人は、他に、内村鑑三、新渡戸稲造、塚本虎二(東大の聖書学・教育学者)がいます。この塚本虎二のお弟子さんに、長谷川町子がいたのです。サザエさんの漫画を描いた長谷川町子さんをクリスチャンに導いたのが塚本虎二でした。彼女の漫画の先生は田川水泡でした。それともう一人、畔上賢三(あぜがみけんぞう)は、明治天皇に一番長く聖書講義をした人です。彼は内村鑑三の推薦で早稲田大学の教授になった人です。早稲田大学の創始者は大隈重信ですね。彼もクリスチャンでした。早稲田大学の前にキリスト教の教会があります。それは、”早稲田奉仕団”(財団法人)といいますが、大隈重信の遺志を受け継いでいる所です。畔上賢三は、心から明治天皇に尽くした人でして、非常によく聖書の講義をしました。彼には内村鑑三の影響が色濃くありました。
皆さんご承知のように、内村鑑三は天皇に対する不敬罪(対、教育勅語)に問われました。東大・駒場の教養学部、昔は”一高”と言いましたが、その教授の時に、明治天皇の御真影に最敬礼しなかったのです。すると、他の教授たちから非難を浴び、大学に居られなくなって、さすらいの旅をすることになりました。彼が行った先は大阪でしたが、財界人は彼のことをよく知っていてお迎えしました。その内村鑑三を喜んで、丁重に迎えたのが住友財閥でした。だから、住友銀行は未だにキリスト教に好意をもっていて融資してくれるらしいのです。内村鑑三はそうしながら、名古屋や熊本に行き、随分さすらいの旅をしました。彼は、どこでも非難中傷されましたが、一度も妬んだり、恨んだり、そしった事はありません。彼は本当にクリスチャンです。パウロも言っていますね。迫害する者をのろってはいけない、祝福しなさい、彼はそれを全うしたのです。後に、明治天皇は、内村鑑三を誉め、あれが本物だと評価され、再び招かれて明治天皇に講義をし始めました。内村鑑三のそのクリスチャンとしての姿勢が、天皇家のみならず、宮内庁の職員など、いろいろなところに波及し、非常に深い影響を与えたのでした。イエス様の十字架の贖罪がどんなに尊いものか、それが深く入っていくのです。しかも、明治天皇はある時、宮内庁の職員の幹部に命令しました。
八咫鏡(やたのかがみ)(伊勢神宮の御神体)は天皇即位にどうしても必要です。その儀式は、TVで報道されていませんが。そのなかにヘブライ語があって、真中に、「エヘイエ アッセル エヘイエ(=我は、有りて有る者なり)」(出3:14)という言葉があります。ということは、天皇即位の時、それが”天孫降臨”の意味するところなのです。神から直接、天から下ってきた、天皇家としての王権を頂いた、ということなのです。ですから、日本の王権は、他の国々の王権と全く違います。日本の天皇家は、特別な王家であることが示されているのです。だから、モーセを通して与えられたレビ記に書かれてある事柄、天皇家はレビ族、大祭司の立場なのです。しかも、創世記の49章を見ますと、ヤコブが各王族に預言をしていますね。その8−10節のところから、ユダ族について言っています。ユダ族は王権を持っている者であると、だから、日本の天皇は王権を持っている者です。
しかも、高松塚の古墳(*奈良県明日香村の古墳の壁画にあるチョゴリは韓国と同じ服装、韓国にもある)には、あまりよく知られていませんが、ダビデの星があります。ダビデの星はそこだけではなく、伊勢神宮にあります。
伊勢に行くと、表参道があって、たくさんの灯篭が立っていますが、一番上に16枚の菊の御紋、その下にヘロデ大王の紋があって(*)、一番下にダビデの星があります。だから、三重県の教会は伊勢と一緒で盛んです。灯篭について、遷宮する際、石工が自分たちの思いのままに彫ろうとしたら、伊勢のほうから叱られ、このような昔のとおりにするよう強く言われました。なぜなら、伊勢はまさに神様の臨在の場所であり、この彫り物は、あのエルサレムの神殿と同じことを表すシンボルだから、という理由によったのです。日本の天皇家が、ダビデの直系であるという証拠ではないでしょうか。
伊勢音頭がありますが、初めから終わりまでヘブライ語なんです。青森県の戸来村の歌も全部ヘブライ語です。宮崎県・日向地方の地引歌、家を建てるとき大きな柱を綱で引き上げドスンと落としますが、あれもヘブライ語で神様を賛美する歌なのです。
ですから、この日本にダビデの子孫が入ってきたルートが3つあることが判明しているのです。一つは、北方ルート、日本人はアイヌの人を軽蔑しますが、学者が調べますと、アイヌの言葉に随分ヘブライ語の変形があるのです。もう一つは、中央ルート、シルクロードです。今は砂漠ですが、昔のシルクロードはオアシスがたくさんあって、中近東からも行き来がしやすかったのです。正倉院の宝物を見ますとやはりユダヤからも来ています。もう一つ、南方ルート、舟で沖縄を通ってきています。私は3年程前に沖縄に4回行きましたが、沖縄の有力な学者にお会いしました。沖縄の人が使っている言葉をすべて分けて、ヘブライ語の変形が3500ある、ということを知りました。大阪に衆議院議員で中山正暉(まさあき)という人がいます。彼は自分で本を書き、国会議員の中で特に歴史に詳しい人ですが、その本の中で、古代にユダヤから王侯貴族が日本に2万7千人以上来た、と書いています。世界中に王国はたくさんあります、イギリス、オーストリア、スウェーデン、ノールウェー、オランダ、ベルギーなど。けれども、どこの王国へ入っても、ダビデの星が出てきたり、ヘブライ語が出てくるような国は、日本だけです。日本の皇室がどんなにすばらしいか分かります。
明治天皇が聖書を読み、皇室の文化、文字などのユダヤ性に気が付かれ、ヘブライ語の分かる学者を捜させた。青山学院大学の左近よしすけ(義介?)教授が呼ばれ、彼は八咫鏡などにヘブライ語が書いてあるので驚いたそうです。私は左近先生のお孫さんに会ったことがありますが、いろいろ尋ねようとする前にお亡くなりになりました。残念です。そして、明治天皇は日本という国がどのような国であるかが分かってきたのです。
だから、明治天皇は自分の娘、仁(しのぶ)、私の母ですが、を呼んで、日本は神道と言っているけれども、本当はこれはキリスト教中心だ、そこで、”仁が結婚して男の子が生まれたら牧師にしなさい”、と言われました。
先日、中山純一先生の使いの方が堺の私のところに2人来られました。そして中山先生ご自身が翻訳されたシロニー先生の本に、直筆で小林隆利先生に、とサインして渡してくれました。彼は、元
皇宮警察のトップで位でいえば警視総官と同等の人です。私のメッセージを聞いて、中山先生は私にこう言いました。私は神道ですが、戦争の死者の事がよく分かりました、神道とキリスト教は一つになれないことはない、そこまで言われたのです。
神道のことでもう一つ大事なことを言います。昭和26年、高松宮信仁殿下から、日本の神道の主だった宮司たちに書簡が行きました。その書簡には(私もその控えを持っていますが)、君たちは、キリスト教とタイアップせよ、との命令したものです。これは未だ手付かずです。
ところが不思議なことが最近起こりました。数年前に、日本の神社の中で最も古いものの一つ、幣立(へいたて)神宮の春樹さんが私にお会いしたいと言ってこられました。大本教(おおもときょう)の出口 王仁三郎(でぐち わにさぶろう)は、戦前に、日本に火が降る(戦争に負ける)と言った人ですが、その大本教の京都の総本部で、なんと数年前から、カトリックの神父、牧師、宮司らが集まって、賛美歌を歌って神様を礼拝しているのです。その写真を見ましたが良い写真でした。大きな波がそういうところにも来ています。
中山先生の使いの方は、私の顔を見て、昭和天皇そっくりだと言いました。眼鏡をはずすとそっくりだそうです。右翼の人もそう言っているらしいです。大阪に、大学の先生をしておられた方で、三笠宮崇仁殿下(たかひと、ひげの殿下の父上)と一緒に食事をした方がいます。関西学院の英文学卒で、国際会議で通訳される方で、国のお金でアメリカに長くおられた人です。その姉妹が、私を見て、三笠宮殿下と非常によく似ているので驚いたと言っておられました。沖縄の大学の先生からも同じことを言われました。彼は、私も三笠宮殿下とだいぶお付き合いしたけれど、小林先生と雰囲気がおそろしく似ている、と言いました。また別の人からは、高松宮殿下と雰囲気が一緒だと言われています。その方は、先生、やっぱり血は争えません、何かの時に必ず出てきますから、とも言いました。けれども私は、高松宮殿下とは文通できませんでした。彼は、ご逝去されましたが、妃殿下にお悔やみのお便りを差し上げましたところ、しばらくしたら、高松宮菊子妃殿下から丁重なご返事が来ました。私が手紙を書いた以上に、さらにすばらしいお言葉で、これ以上の言葉はないというほどの表現でお返事を下さいました。
この手紙を、先ほどご紹介していただいた笹井さん(* 笹井大輔氏; マルコーシュ・パブリケーション代表)にちょっとお見せしました。中身はお見せしなかったのですけれど。
それで、先ほどの高松宮殿下が昭和26年に、神道の宮司たちにキリスト教とタイアップせよ、との命令を出されましたが、今日まで何も動きはありません。恐れたのです。しかし心の中では、キリスト教と一緒にならなければならないということは相当響いているはずです。
今の天皇陛下が、昭和天皇の後をお継ぎになられて即位されました。私はすぐに、両陛下にお手紙上げまして、そのときの手紙の中で、伊勢に行かれましたら、どうか灯篭をご覧下さい、16の菊の紋、ヘロデ王の紋、ダビデの紋、・・・。そこで、皆さん出かけられて、そのときお留守番で残っていたのが、今の皇太子(幼称:浩宮(ひろのみや))です。私が言ったとおりだったので、両陛下、皆さんが、随分お変わりになりました。
どう変わったか。それこそ明治天皇のお言葉が実現しました。私の母、自分の娘、仁(しのぶ)に、男の子が生まれたら牧師にしなさい、役に立つ時が来るぞ、と。天皇陛下にお手紙上げました。皆さんそれをご覧になって、人が見られない所でご覧になりました。そして、大変化が起こりました。宮内庁の全職員の半分が、クリスチャンになったのです。右翼の方からちょっとクレームがつきましたが。
今はもう退官しました藤森長官にも手紙が行ったらしいですが、彼は知らん顔でした。その陰にいたのが、中曽根康弘です。彼は堅い人ですが、彼のお母さんはクリスチャンなのです。中曽根康弘もキリスト教には一目置いているはずです。宮内庁の全職員の半分がクリスチャン、何とすばらしいことでしょう。神様が、明治天皇の言葉を実現しているのです。
明治天皇が聖書をよく勉強された結果の御製で、次のようなものがあります。
・ 目に見えぬ 神の心にかようこそ 人の心のまことなりける (目に見えぬ 神に向ひて 恥じざるは 人の心の まことなりけり)
・ 天地(あめつち)も 動かすという ことのは(=言葉)の まことの道は たれか知るらん
・・・ 神の創造について、だれがこの聖書の大真理を知るだろうか。
だから、明治天皇の御製を調べるだけで、クリスチャンになれますよ。これはすごいことです。
・ わがくには 神のすゑ(=末)なり 神まつる 昔のてぶり わするなよゆめ (=忘れてはいけない)
・・・ モーセの末、天皇家はレビ族・大祭司の末裔、天地万物の神様を忘れてはいけない。
・ とこしへに くに守ります 天地(あめつち)の 神の祀り(まつり)を おろそかにすな
私は明治天皇の孫、明治天皇は祖父ですが、そのたましいはすごいと思います。
・ あまてらす 神のみひかり ありてこそ わが日の本(ひのもと)(=日本国)は 雲らざりける
預言書のイザヤ書には、東の国からすばらしいことが起こると書いてあります。東から、これは日本です。日本は今度は世界を動かすことになります。
・ とき(=登起)おぞき たがいはあれど つらぬかぬ ことなきものは まことなりける
・・・ 登起とは、人生の高いところ低いところ。人生には難しいときもある、楽しい人生もある、悲しい人生もある、苦しい人生もある、いろいろな生き方があるのです。人生が、どんなに違っていても、貫かないことがないものは、誠(まこと)です。これは何でしょうか。イエス・キリストの十字架の愛です。明治天皇は、聖書の中にあるキリスト様の愛が、どんなに尊いものであるか、分かっていたのです。これに勝るものはない。この愛さえあれば、どんなところにでもついていく。差別を超えて、愛は入っていくのです。
天皇両陛下、皇太子、秋篠宮殿下に、私はいつも和歌をお送りしているんです。この間、秋篠宮の佳子(かこ)さんの1歳のお祝いにお送りしました。
”ひととせを(=1年間) めぐりていよよ すこやかに 育つるふたば 香りのかんばし”
私も母から和歌の手ほどきをうけました。母は、大変素敵な人でした。大きな声を出したことはありません。しかし、一言言えば、静かですが、威厳があります。その母と、実は昭和天皇は、広島の福山で(* 公式には、静岡県の沼津御用邸で養育されたことになっている)、6年間一緒に生活していたのです。それが川村中将(=川村純義(かわむら
すみよし)海軍中将、明治天皇からの信任が篤く、昭和天皇の養育を任じられた)は軍人ですが、大変な文人で、学者です。その川村中将宅で、昭和天皇が赤ちゃんの時から、私の母、仁といっしょに6年間生活していたのです。だから、昭和天皇にとって一番忘れがたいのは、実は、私の母です。まるで兄弟のようでした。
川村中将は、中将でありながらものすごい質素な生活をされました。まして、将来天皇になる方だから余計厳しくしつけられました。昭和天皇の好物は実はイモ類なのです。里芋、さつま芋、ジャガイモ。裕仁(ひろひと)様が6歳になった時、明治天皇は彼を学習院に入れさせました。その時の学習院の院長が、有名な乃木大将であり、さらに厳しい教育を受けました。乃木大将は自分自身を鬼にして厳しくしつけたのです。昭和天皇は小さい時からいやというほどしつけを受けているのです。
その昭和天皇の質素な生活のしつけが発揮されたのが、この戦争です。
この戦争の時は、軍部は天皇の権威を抑えるほど力がありました。東条英機の位は、天皇と同等かそれ以上の位です。船舶委員長の会長が亡くなりました。笹川良一。彼は身を張って大演説しました。中ノ島の中央公会堂で、3500人以上の人を集めて、今の昭和天皇さん弱虫で、平和主義で、日本をだめにしてしまう、と大見得を張って公演をしました。すぐに宮内庁から警察へ連絡が行っているわけですが、その時は軍部の勢いが強くて抑えようがなかったときでした。
もう一方では、軍人たちが昭和天皇に圧力をかけて、あの皇居の天皇の執務室で、軍人たちがどかどかと入ってきて、天皇、判を押したか、と言いました。押さない。皇室典範ご存知でしょうが。分かっている。 ここで、皇室典範には、天皇は、内閣で決議せられたことは、判を押すべし、とありました。押さなくてよいではなく、押しなさい、だったのです。その内閣を牛耳っていたのは東条英機です。しかし、皇室典範に違反しても、昭和天皇は戦争したくなかったのです。これが昭和天皇の本心でした。 そこで、将軍たちは感情的になって、昭和天皇を押さえ込んで、判を持たせて無理やり判を押させました。
そのときから、昭和天皇は戦争責任をはっきり自覚されました。日本は戦争に負けました。あの玉音放送の中で、耐えがたきを耐え、忍べきを忍んだ、と言われたことは、戦争に対してのみならず、この軍人たちのやり方に対してでもありました。
また、日本はその時に、原爆を作っていたのです。理研科学の仁科博士が中心となって原爆を作っていたのです。その総指揮官は杉山元帥でした。昭和天皇は、このときばかりはお怒りになったのです。すぐに杉山元帥を呼び出し原爆開発をやめるように言いました。その時は杉山元帥は帰ってからまた開発を続け、そしてあの失敗をしました。すると昭和天皇は烈火のごとく怒って、杉山に、原爆中止、やめなさーい、とどなりました。そのようにして原爆をやめさせたのです。その原爆に日本は負けたのですから、玉音放送の、耐えがたきを耐え、とは、ありとあらゆることを含めた言葉なのです。大変な言葉です。しかも天皇は、この戦争の全責任を負われたのです。
昭和天皇は、マッカーサー元帥のいる第一生命の本社ビルの9階に行き、彼に、”私が罪だ”と言われたのです。一般的には、国民のためにどうなってもよい、と言われたと聞いています。しかし、本当に言われた言葉は、”私は罪だ、私を処刑しなさい”でした。世界の国々で、戦争に負けた国の王様はそんなことは言わないのです。ほとんどの王様は逃げるか、殺されるか、自殺するかです。昭和天皇は真正面からマッカーサーにこのように言ったのです。 ”罪”という言葉はどこからきたのですか? その一言で、昭和天皇がどんなに深く聖書を学んでいるか分かるのです。本当の意味での”罪”の意識は、聖書による以外にはないのです。だからそれを聞いて、マッカーサーは大変驚きました。マッカーサーがアメリカを出る時は、昭和天皇は処刑される立場にありました。しかし、日本に来て、昭和天皇が直に来られて、こう言われたので、彼は驚き、最高の心をもってこの方に仕えようと変わったのでした。彼は連合軍の総司令官です。どうしてですか? 昭和天皇のお人柄、そして、その一言によったのです。そして、その言葉が、バイブルから来たことが分かったからです。マッカーサー自身もクリスチャンでした。彼は軍服のポケットにいつも聖書を持っていて、それを離したことはなかったのです。(マッカーサーの一番好きな個所は使徒行伝(聖霊行伝)でした。) だから、マッカーサーは自分が防波堤となって、昭和天皇を助けることにしたのです。
その上に、さらにすばらしい人が出てきました。それが、蒋介石です。彼もクリスチャンです。彼は初めはクリスチャンではなかったのですが、奥様がすばらしいクリスチャンで、彼女の影響を受けてクリスチャンになったのです。日本は敗戦しました。日本の軍隊でもソビエトに抑留された人々もいます。餓死して、凍死した兵隊がたくさんいるのです。しかし蒋介石は、戦いは終わったのだから、日本兵を敵と思うな、今までどんなに激しい戦いがあったにしても、全部忘れてしまえ、と命令しました。しかも、日本兵が帰るときには、食べものでも何でも持てるだけ持たせてやりなさい、日本兵は大事にして送ってやりなさい、と言いました。あれだけ戦争で苦しんだにもかかわらず。さらに蒋介石は付け加え、もし、中国の兵隊が日本兵に危害を加えるなら、それを銃殺にする、とも言いました。それほど、蒋介石は立派なすばらしいクリスチャンでした。
何とすばらしいクリスチャンたちが、日本を助けてくれたのでしょうか。その上に、蒋介石総統は、あのヤルタ協定、ソビエトのスターリン、イギリスのチャーチル、アメリカのトルーマンで決めた、北海道はソビエトが取る、本州はアメリカ、四国はイギリス、九州は中国が取る、ということが内密に決まっていた、それに対して、蒋介石は、中国は日本の領土を少しも要らない、ソビエトは手を引け、日本を分割しても何の徳にもならない、と言いました。ヤルタ協定の発案者は不凍港がほしいソ連のスターリンだったのです。だからソビエトも取れなかったのです。
いうなれば、神様が、このような人たちを用いて日本を救ってくれたのです。ハレルヤ、神様は本当にこんなにして日本を愛してくださった。何と感謝ではないですか。
後になって昭和天皇は、何度も何度も、マッカーサーでよかった、と、おっしゃっていました。私は何度も昭和天皇にお手紙差し上げました。大阪には造幣局があります。数百本立っている桜がなかなか銘木です。造幣局の通りの桜を選んでアルバムにしまして、お送りしたんです。お送りしたとき、あえて、「我は有りて、有る者なり」とヘブライ語で書いて、いろいろなことを書きました。昭和天皇が崩御された後、その幹部が昭和天皇の枕元や周辺を整理して、私の手紙がたくさん来ますから、(退官された)藤森正一宮内庁長官がわざわざ私に会いに来てくれました。その半年近くの後に、侍従長が、天皇陛下の命令で、私のところに来ました。侍従長は天皇ご自身に直接仕える人です。私がそのとき思ったことは、明治天皇が私の母に、おまえが結婚して男の子が生まれたら牧師にしなさい、と言われたことを本当に痛感いたしました。日本の国で、皇室のつながりを持っている私が牧師である、母が明治天皇の命令で、小さい時からずっと教会に連れて行ってくれた、今になってそれが大きな大きな神様の恵みとなって来ているのです。神様はこのように導いてくださっておられます。ここに、横山先生(横山隆師・日本メシヤニック親交会)や皆さん、本当に日本とユダヤ教とのことを随分調べて苦労しておられる先生方がここにたくさんいらっしゃいます。それが一つになってきています。ここに本がありますが、日本を変えるのみならず世界を変えていきます。世界中の王様で、原爆やめさせた人はいらっしゃるでしょうか? 昭和天皇しかいないのです。昭和天皇のお人柄がどんなにすばらしいか分かるでしょう。しかも、重荷を全部負って、国民の罪も、兵隊の罪も、軍部の罪も負って、私は罪だ、私を処刑しなさい、と言うほどに、イエス様のような、天皇陛下のご人格です。日本にはこのような天皇がいる。ハレルヤ。皆さん、日本のために、天皇家のためにも、祈っていただきたいと思います。