聖霊に酔い続けることについて  ・・・・ ジョン・スコットランド師聖会
                                               06 1/10 東京都江戸川区 K教会


  ・ ジョン・スコットランド師夫人による略歴紹介:

  英・リバプール生まれ、18歳のとき救われ、牧師として12年間奉仕、困窮者への働きのため英国女王に表彰される。
  トロント・リニューアルの初めの頃、1994年9月に、特別な油注ぎを受け、聖霊様に酔わされること(エレ23:9、使2:15)が11年間も継続している!。
  特別な油注ぎを受ける半年前に、預言者からの預言があった。それを語ったとき、預言者も前もって、酔ったようにふらふらした。93年には困窮者への働きが忙しく、経済的にも家を売らなければならなかった。それは、「あなたは忙しくて疲れている。主の喜びが必要。普通の考え方ではできないので、”喜び”を与える」という主の言葉であった。人を恐れるのではなく、主を恐れるために。
  その後、教会を辞任し、世界中を回っている。ジョン師は特別な油注ぎを受けた後の2年間は講壇でしゃべることができなかった。2、3言葉を語ると、それが預言になり、その預言を聞いた会衆は聖霊様に満たされた。


  ヨハ7:37 より、「誰でも渇いているなら私のところに来て飲みなさい。私を信じる者には、その人の心の奥底から生ける水の川が流れ出るようになる。」


  私は以前はまじめな人間でした。(講壇においてあるミネラルウォーターを飲みながら、時々語って、)
  (”ヘーイ”と叫ぶ。) H(ヘーイ)は、ヘブライ語の5番目の文字で、”恵み”を意味します。たとえば、アブラムはアブラ”ハ”ムになって、これは、神の息の意味です。
  神様が働くと、まず預言者に啓示して、それから人々に伝えられます。
  『行動』にも預言の霊が臨み、そのような行動は預言の一つです。私は30分で水を4リットルも飲み、何も語りませんでした。

  バプテスト教会はみことばに重要性を置きます。しかし、私のミニストリーでは、メッセージ中に笑い、転がりまわります。神様に主権があり、私たちが計画しているプログラムに介入されるからです。
  ペテロは、祈りの中で放心状態となった時、レビ記に書いてあるにもかかわらず、きよくない動物の幻を見て食べました。その結果、異邦人が救われたのです。神様は、箱や形を崩そうとしておられます。

  私は水を飲みながら、神様が語ってくださるのを待っています。水は体の中でぶどう酒に変わります。
  私たちが想像している以上の、主の祝福がありますように。
  この前の主催者のワードオブフェイスでは、いつになったらみことばを語るのか?と皆いらいらしていました。


  聖霊様に継続して満たされる秘訣は、いつも、第1に、飢え乾いていること、第2に、今の状態で満足しないことです。主よ、もっとほしい!と。

  しかし、もし、心の内側に壁があるなら、その壁は傷付かないためですが、神様も入ってこれません
  私には奇跡が起こっています。1ガロンの水を飲んでも、トイレに行かなくてすみ、他の人が代わりに行ってくれます。(ちょうど一人がトイレへ、笑い)
  私たちは、もっと軽く、明るくならなければなりません。聖霊さまに酔って大胆になることが必要です。
  ぶどう酒の樽の下に小さなねずみがいて、上から滴り落ちてくるぶどう酒を飲んで酔ってこう言いました。”ネコはどこだ!”
  聖霊様に酔うことは、大宣教命令を全うするためです。


  1994年、私は”燃え尽き症候群”になっていました。初めにトロントの教会の戸を開けたとき、聖霊様が「何がほしいのか?」と語られました。私は”聖霊に酔いたい”と言いました。
  教会の奉仕者は、バーテンダーのようなものです。教会ではしばしば、牧師や指導者から受けようとしますが、人々は実を結ばないのです。
  英国も日本も島国です。防衛の壁が高く、他からの情報が入ってこないのです。私たちは、御声を聞く練習をしなければなりません
  そしてこれは、本当に、本当に、神様をほしいのですか?をテストしています。
  酔っ払いは、突然大声で叫びます。イギリス人や日本人のように、親切で、先にどうぞ・・・ではありません。これらは壊されなければなりません。私たちは、霊的に激しくならなければいけないのです。奪い取る者に神の御国が来ます。
  日本人が得意としていること・・・他のものを真似て、もっと良いものにする、ですね。しかし、必要としていない西洋の文化を取り除いてください。アジアが立ち上がりますように。


  預言を語ります。主は、神の霊が日本に来ると言われます。 ピンポーン!

  私たちは、瞬間的に、なるべく早く受け、タッチで倒れたいのです。しかし、”飲む”ことをしなければなりません。飲みなさい!
  人々は、祈りの列ではなく、酔っ払いの列をつくって並びます。私たちは子供のようでなければならない。下を向いて、あごを上げないと飲めないでしょう?。話すことと、飲むことは同時にはできません。
  簡単なことです。ワインは天使がいっぱい持ってきて、あとは”飲み友達”つくることです。神様は、いろいろな方法(*)で、もっと受けることができるようにしてくださいます。


  (会場をまわって、その場で一人一人に油注ぎの祈り)


  * 主は、聖霊様が一人一人に臨まれるために、プログラムの形や人々の堅さや心の壁が砕かれるようにミニストリーを導かれる。
  ベンジミン・ドン師”パフォーマンス・ミニストリー”。ロケット弾がヒューン、機関銃でダダダ・・・、など。人々は満たされ癒され倒された。 また、埼玉県S教会のA師は、ある堅い福音系の教会で、最後には”座布団投げ”ミニストリーになり、投げた座布団に触れた人々がみな癒された。 メル・ボンド師やモアシル・ペレイラ師の”ダンス・ミニストリー”(それぞれ、インディアン・ダンス、フラメンコ・ダンス)がある。 また、アフリカの”夢のミニストリー”を行う預言者は、講壇でいびきをかいて寝る。


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