十字架信仰の力   ・・・・・・・  2007年巻頭言
                                                                  2007 1/7



  去年10月26〜28日山梨県精進湖畔で行なわれた、ソン・ファニン師による 第1回JRM預言学校の時、ホテルの窓から富士山が見えました。
  富士山は、日本の象徴となる山ですが、活火山で、最後に噴火した1707年(永宝4年)には江戸でも火山灰が4cm降り、今後も噴火の可能性が残されていると言われています。(2000年10月に富士山の低周波地震が増加した時から監視体制の検討が始められているそうです。)

  富士山噴火について、次のような幻が数年前のある集会で語られました。

  「日本は爆発を起こす。富士山が噴火する幻
  火は溶岩となって、人々は逃げ惑う。 しかし、山の裾野から流れ出る、いのちの川に入った人々は生かされ、その先には、たくさんの緑の稲があって、すぐに成長し、今が刈り入れの時であるとの主の声。」

  したがって、日本のリバイバルは富士山噴火にように聖霊の大爆発として激しく短期間に起こり、(筆者個人の考えでは実際に噴火する可能性もあり、)聖霊様が北海道から沖縄まで日本全土に臨まれ、短期間に爆発的な主の働きが起こされ、非常に多くの人々が救われることが予想されます。私たちは、その大いなる収穫のために今から準備して備えていかなければなりません。


  この「リバイバルの備え」とは、(物質的な側面もありますが、)主として霊的側面についてです。
  (* フィリピンでは、教会の建物が無くても、人々は駐車場などに集まって礼拝します。また、宗派の伝統へのこだわりも無くなり、カリスマ・カトリックの人たちも大勢います。)
  (** また、日本のリバイバルには、子供が大きな働きをします。(by.ヘンリー・グルーバー) チャーチスクールは、スタッフが揃っていて一般の授業も行なうことができる、いわゆる”チャーチスクール”だけではなく、一般の学校に行かせながら、(塾の代わりに)週8時間位でも子供に通わせ、みことばを12年間教え続けるようすべての教会がするべき働きではないでしょうか。)


  「みことば」は「光」であり、光(みことば)は闇(サタン)を苦しめます。(ヨハ1:5)
  ある種の悪霊については、思索神のみことばと直結するようにしないと叱りつけることはできません。
  悪霊から来る抑圧感、痛み・苦しみは、神のみことばを”考える”と、悪霊とともに去っていきます。
  「あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。」(ヨハ15:3)

  しかし、多くのクリスチャンは苦しめられています。それは、自分の感覚で苦痛が去っていったかどうかを確認し続けている(否定的なものを見る・探す・語る)ならば、それは、みことばが本当に真実かどうかを確認し続けていることになるからです。そのため、一度みことばによって解放されても、すぐに悪霊が舞い戻ってしまうのです。(みことばに対する単純な信仰の必要性) しかし、みことばは確実に悪霊を追い出します。そして、マタイ12:43−45にあるように、私たちが、家の主人である光(=みことば)に満たされているならば、悪霊は戻って住みつくことができないのです。



  攻撃は最大の防御です。私たちが「備え」をすべき、エペソ6:10−18に書かれてある 戦いのための「神の武具」は、実に、その全部が「みことば」についてです。
  私たちが「キリストにある」ということが、キリストの武具を身に付けていることの大前提です。「キリストにある」とは、キリストにあることがどんなにすばらしいことかを知り続けることです。(cf. 「祈り」は神様との交わり、コミュニケーション) 具体的には次のようです。

  ・ 「真理の帯」: 神のみことば以上に真理であるものはなく、「真理」とは「みことば」です。多くの主の働きを成し遂げるために 「を発揮する「腰」の部分を、「真理のみことば」によって保護することを言っています。(賜物の働きは「力」です。) 私たちは、防御するために立っていなければならない時もありますが、激しく攻撃的でなければならない時があります。そして、聖書の約束のとおりに、人が考えたこともない圧倒的な勝利を得ることができ、激しく攻め取る者がそれを奪い取っていきます。

  ・ 「正義の胸当て」: 胸当ては私たちの人格の中で最も致命的な部分を保護するものです。「恵み」とは、(最も)ふさわしくない者に与えられる神様からのご一方的な(最高の)祝福であり、すでに、神の性質にあずかる者になっていることです。私たちが価なしに「義」とされたことは、実に、ただ一つの方法、「恵み」によります。この「神の正義」によって、私たちは父なる神からの強い確信と大胆さが与えられるのです。この義に立っていないと簡単に悪霊にやられてしまいます。

  ・ 「平和の福音の備え」: 私たちは、どこへ行っても「福音」(=良い知らせ)だけを語るように備えをしなければなりません。靴は、ぬかるみや火や嵐などの困難な所を行くときに足を保護するためのものです。しかし、「神の愛」によってそのような所を通過した後に、私たちは勝利を得ることができます。

  ・ 「救いのかぶと、信仰の大盾」: かぶとは頭、すなわち、「思索」を守ります。福音は、私たちが良く考えることによって信じることができました。(Tコリ15:2) また、「(思索の中に)すなおに受け入れ」られたみことばは、たましいを救うことができます。(ヤコ1:21) 敵は、(アダムとエバの時以来)第一段階の攻撃として、私たちの思いの中に「火矢」を投げかけてきますが、みことばはそれらをすべて消します。みことばを思索のすべての領域に満たすことによって、「心(=思索)の一新(=変貌(マタ17:2))によって変える」ことができます。

  ・ 「剣」: は、唯一の攻撃用の武器であり、それは「神のみことば」です。イエス様も、みことばによって「〜と書いてある」と言われ、サタンを撃退しました。(マタ4:4) そのときの霊的状況にふさわしいみことばを語ることによって、すばらしい結果を期待することができます。



  神のひとり子イエス様が、私たちのために十字架にかかられたことを、いつも考えましょう。

  メル・ボンド師によると、サタン、悪霊は、4次元の世界に棲息する霊です。(これは、メル・ボンド師が「霊を見分ける力」の著しい賜物が与えられているため、きわめて具体的に霊が見えるために、このように言っています。) そして、神様は、第5次元(実際はそれ以上)に生きておられます。(注: チョー・ヨンギ師が霊の世界を”第4次元”と言ったのは、物質世界の3次元に対して霊の世界が存在することを強調するため) 次元が一つ違うとは、それよりも低い次元の一切のものは、無いに等しいほどレベルが違うということです。

  だから、神の子(であると同時に神である)イエス様が十字架につけられ、死なれたことは、「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。」(ガラ6:14) というほどに、万物にとって決定的なことでした。そして、この十字架が、4次元の霊の世界においても、この世の支配者であるサタンに対し、「(蛇に乗り移ったサタン対して)おまえの頭を踏み砕く」(創3:15)ことになりました。
  すなわち、御子イエス様の十字架によって、物質的なことも霊の世界についても、すでに(=時制を超えて)、完全に贖われ、完全に勝利しているということなのです。ただ、主は、肉体にあっても、たましいにあっても、この上ない苦しみを体験され、私たちに主ご自身の「真実」(黙19:11、「忠実」とは”聞き従い”の事)をあかしされました。それは、神様が、ご自身を偽ることのできない方であり、神様が本質的に「愛」である方だからです。
  この「真実」のゆえに、私たちは神様を畏れなければなりません。神様は、ここまでなさるお方だからです。

  イエス様は「光」である方です。岩をどかして太陽の光を当てると、岩の下にいた虫はそこから逃げていきます。神様の光は悪い霊どもに対し、このう上もない苦痛を与えるものです。
  御子イエス様は、御父のすべての栄光を表しておられる方です。御父の御座のまわりを飛び回っている御使いたちは、彼らが創られてから現在にいたるまで、一周するごとに「聖なるかな」と叫び続けています。それは、御父から発せられる常に新しい創造の栄光を、彼らが垣間見て感動のあまり叫ばずにいられないからです。(黙4:8)
  臨死体験をしたある犯罪者の男は、死んで、さばきの座のイエス様の前に立ったとき、この上もなく非常に苦しみました。その苦しみは燃えるゲヘナにいるほうがはるかにましだと思うほどのものでした。それは、イエス様の栄光の輝きによって表されている、神様の想像を絶する愛の光に照らされ、彼自身の罪の醜さが白日のもとに曝され、彼が生前に十字架を信じてその愛を受け取ることができなかった、という今となってはどうしようもない後悔のためでした。ゲヘナに落とされることは恐ろしいことです。しかし、神様の真実な愛を拒絶しつづけることはもっと恐ろしいことです。

  「私の民は知識がないので滅ぼされる(無知のために捕らえ移される)。」(イザ5:13、ホセ4:6)

  今日、神を知らない暗闇の力が、人々に、病気、欠乏、思い煩い、精神病などのあらゆる苦しみの奴隷としています。サタンの策略は、私たちがみことばについて無知であることによって、私たちを食いものにすることです。(Uコリ2:11) これは、『すでに イエス様が十字架で私たちの身代わりに、私たちに向けられている”苦難”を受けてくださったので、私たちはそれらから自由である』 という知識です。イエス様はそれらの代価をすべて支払ってくださったのであり、このことを何よりもまず 私たちクリスチャンは知らなければならないのです。



  私たちの本来の召しは、あらゆる分野にあって知識や真理の主要な源であること、すなわち、「地の塩・世界の光」(マタイ5:13、14)でなければなりません。イエス様の十字架の真理は、その中心的なものです。

  聖霊様に満たされるための条件は、「心(=霊)の貧しい者」(マタ5:3)となることです。ここで、”貧しい”とは”全く財産がなく、乞食をしないと生きていけないほど貧しい”という意味で、自分の霊が何の頼りになるものがなく、ただ、神様のあわれみによるしかない状況の人です。しかし、注意しなければならないことは、”貧しいふりをする”とは「偽善」であり、神の前に罪を犯していないとするものであり、これは「神を偽り者にする行為」です。(Tヨハ1:9、10) あらゆる罪は、悔い改めて罪を神様に告白すれば、御子の尊い血潮によってすべて赦されます。
  また、教会成長・拡大のためには、しるしと不思議が伴う”力の伝道”だけではなく、「すべての民に好意を持たれ」(使2:47)ることによって毎日救われる人々を主が加えれくださり、また人々に「尊敬」されていなければなりません。(使5:13、14) 奇跡や賜物の働きは一過性のものですが、愛はいつまでも残るからです。

  2006年の10月から、ヘブルの年でSWORD(剣=みことば、預言・賛美)という年が始まりました。現在は、敵の陣営を囲む、取り巻く、分捕るという時期でであり、たましいの収穫をもたらすための戦略が考えだされ、主の組織が形成される時です。また、今年は今までの古いものが完成される年であり、2008年以降はさらに新しい段階が始まっていきます。
  リック・ジョイナー師の預言によると、
  2007年は勝利の年となるだけではなく、人生で最高の年となる可能性を持っている、 2007年はみ言葉の啓示、預言、夢、ヴィジョンが拡大していく年、 初級から中級へ、となります。



      【お勧めの本】   ・ 「サタンの策略」  著者 メル・ボンド・訳者 綾部裕子 (定価1500円+税)

  メル・ボンド師が自らの驚くべき霊的体験を通して、明白に原因を解明できない問題の解決にあたり、サタンの正体を暴いている。「1973年10月、幻の中でイエスさまに、霊の世界に連れて行かれ、あらゆる種類の悪霊を見た。その中に、数年後に私の心臓の激痛を引き起こさせた悪霊もいた。イエスさまが、「わたしはいつもあなたと共にいます」と言われた瞬間、私を苦しめていた恐れが消え、悪霊が姿を消し、その後、人々についている悪霊を見るようになった。」(メル・ボンド)

           本の申込み先: 〒206-0022 多摩市聖ヶ丘4-19-12 ジャパン・リバイバル・ミニストリーズ
                      Tel./Fax.042-376-7505  Email:jrm70@hotmail.com


    ・ 「(三次元の人生を支配する)四次元の人」 チョー・ヨンギ著、 トランスフォーメーショングロース、2006 11  ・・・ 思索、信仰、夢、言葉という神様からの四次元世界が、あなたの三次元人生を決める。


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