十字架信仰の力  ・・・・・・・  2010年巻頭言
                                                        2010 1/11


  「・・・地を従えよ。・・・すべての生き物を支配せよ。」(創2:28)

  このみことばは、アダムとエバが罪に落ちる前に、神様が人に与えられた最も基本的な命令であり、(良い意味での)支配、統治する力、軍隊を建て上げる、大きな地域に目を留めることを意味しています。 キリスト・イエス様の十字架の贖いを信じた私たちは、信じた瞬間に”天国市民”になりました。そして、永遠の天の御国で生きる準備をしているのです。 しかし、それだけではなく、この地上で勝ち取っていくことを学び、この世のどこにいても、占有し、影響を及ぼすことを行なっていかなければならないのです。

  「主の祈り」は、「御国が(私たちに、地に)来ますように。 天でみこころが成るごとく、地でも成りますように」 の2つの祈りに集約されますが、これも、この「地上」に主の主権をもたらし、統治することを言っています。
  聖書のほとんどの奇跡は、教会外の、日々の生活の中で起こりました。 教会で必要ないやしや解放もありますが、いつまでも自分探しや、自分の弱さに目を向けていてはいけないのです。私たちは、教会内にとどまるのではなく、使徒的な油注ぎを受けて、外で働きをするように召されています。教会は、いわばその訓練センターであり、聖徒を建て上げる働きがありますが、ミニストリーは日々の生活の中で行なわれます。私たち一人一人は、ある意味で「使徒」であり、”遣わされた者”として召されています。それは、「教会」の使徒もあるでしょうが、「ビジネス」、「政治」、「医学」、「科学界」などの「使徒」としてです。この統治権こそが、人が創造された本来の目的であり、神の子供たちが、高いレベルの人たちと肩を並べて歩み、世の中に主の栄光を表していくことなのです。

  2010年は、今までとかなり違った年になることが語られています。神様のことばを聞いて、受け取っているクリスチャンにとっては、大きなブレイクスルーが引き起こされる年となるでしょう。
  ただし、この創世記2章の祝福を受け取るためには、「戦う」ことが前提になっています。


  (* 以下、引き続き、前年、前々年と同じ記事で、巻頭言・”十字架信仰の力”を書かせていただきます)




  経済・お金・ビジネスというと、クリスチャンにとって”汚いもの”、”世的なもの”というイメージがあります。確かに、お金は人間の欲望と直結していて、「神と富(マモン)に同時に仕えることはできない」(マタ6:24)、「お金を愛することがあらゆる悪の根」(Tテモ6:10)とあります。また、経済界には、詐欺師が横行し、法を犯す、霊的に悪い人が多いのも確かです。(ただし、5つのパンの奇跡で、ヨハ6:12は”倹約の勧め”ではなく、奇跡を奇跡として確認させるため。昔は”清く貧しく(清貧)”などという間違った教理があった。昔は、牧師というと”貧乏”、今は、たとえばモーリス・セルーロ師は自家用飛行機で世界中を飛び回っている。)

  しかし、実は、ビジネスは、世の初めに、アダムとエバが創造されたときからありました。仕事、ビジネスという環境が、創造の初めから、神様によって備えられていたのです。
  「神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。」(創2:15)、「・・・地を従えよ。・・・すべての生き物を支配せよ。」(創2:28)、 また、「・・・その地の金は良質で、・・・」(創2:11、12)とあるように、お金もあったのです。そして、「(善悪の知識の木の実以外は)思いのまま食べても良い」、すなわち、”すべてをエンジョイしなさい”と言われたのです。
  ところが、アダムとエバが罪を犯した結果、神様は、(アダムとエバをではなく)仕事をのろいました。「土地は、あなたのゆえにのろわれた。」(創3:17) そして、仕事に対するのろいのゆえに、彼は顔に汗をかいて、苦労して食糧を得なければならなくなりました。
  しかし、堕罪前の本来の姿は、神様が仕事の大部分をして、人はそのほんの一部をするだけで良かったのです。

  私たちは、主イエス・キリストの十字架を信じて、贖われ、神の子とされました。だから、のろいは本来、私たちに存在してはいけないのです。そこで、土地や仕事が主によって贖われ、のろいの力を打ち砕く宣言をすることによって、ビジネスにおいても、神の子としてふさわしい歩み方ができるのです。すなわち、神様が働き、私たちは刈り取るだけです。(創世記2章の世界) 本来のクリスチャンの歩みはこのようなものです。(⇔ 創世記3章の世界: 私たちが働き、計画が成らず、ストレスがたまる、・・・)

  「救い」という言葉の中には、「永遠のいのち」はもちろん、「癒し」、「解放」、「平安」、「安全」、・・・の他に、「経済的な繁栄」も含まれています。ちょうど、船の切符の中に、乗船だけでなく、航海中の食事やいろいろなサービスが含まれているのと同じです。
  また、「小さいことに忠実」(ルカ19:12)の”小さいこと”とは、ずばり”お金”のことです。(1ミナは3か月分の給料に相当し、100万円くらいで、決して小さい額ではありません。) そして、このみことばの約束によると、投資やビジネスに忠実ならば、都市を支配する権威が神様から与えられるのです。この権威を用いて、日本に、世界に、御国の福音の影響力をもたらし、世を揺り動かすことができるのです。(→ リッチマーシャル・セミナー07 7




  さて、御子イエス様が、人間として地上で生活されていた時、父ヨセフが(イエス様が30歳となられた公生涯の直前に亡くなったという説(カトリック)もありますが、「貧しくなられた」(Uコリ8:9)というみことばから、)早くに亡くなり、長子であるイエス様が若くして家の稼ぎ頭にならざるを得なかったと考えられます。ヨセフは、イエス様が12歳のとき、行方不明になったイエス様を捜してエルサレム神殿におられたのを発見した、という記事以降は聖書に出てきません。イエス様の兄弟には、4人の弟たち(ヤコブ(ヤコブの手紙の著者、エルサレム教会の長老)、ヨセフ、ユダ(ユダの手紙の著者)、シモン)と2人の妹たちがいて、彼らをも養っていかなければならなかったと思われます。

  大工の仕事といっても、普通の家を建てる建設業ではなく(大抵はそれぞれ自分で泥土で作る)、主に農業の道具(土地を耕す鋤、鋤を引っ張る二頭の牛用のくびきなど)や家具などを作ることでした。だから、そんなに大もうけできるような仕事ではなかったのです。「『この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。』」(マコ6:3)のように、この”大工(≒建具師)”とはあまり見栄えのするような職業ではなかったようです。

  当時のパレスチナはローマの属州であり、いろいろな税金を納めなければなりませんでした。(属州の農地にかけられる地租(収穫の1/4−1/3と きわめて重税)、人頭税(人口調査をたびたびした理由)、関税、通行税、その他(ローマ市民には)相続税、売上税)、これらはローマの国庫に収められました。その上、ヘロデ・アンテパスなどの領主が(ローマから認められた徴税権が無いのに)税金を取り立て、民は二重の税金に苦しみました。これで病気でもしたら、借金しなければならず、身代を食いつぶされてしまいます。さらに、神殿税(レビ人が徴収、4日分の給料)があり、律法学者、パリサイ人のような偽善者が横行していました。 ローマの属州となってからのパレスチナでの徴税は、ローマの総督が徴税官であり、徴税権を買い取って徴税請負人となった「取税人」(レビ(後の使徒マタイ)、ザアカイなど)がいました。「取税人」のほとんどは、恒常的に不正な取立をしていたようで(ザアカイも悔い改めた後「不正に取り立てたものは、4倍にして返す」と言っている)、彼らは国民に大変嫌われていました。

  このように、全宇宙の創造主、神のひとり子であるイエス様は、”大きな国の王様の家に王子として”生まれたのではなく、”貧乏な国の貧乏な家に生まれ貧乏な生活を強いられた”のでした。霊的生活では「神と人とに愛され」(ルカ2:52)ましたが、実生活は一貫して貧乏だったのです。十字架の時の前でしたが、”十字架を負う人生”だったと言えます。
  そしてそれは、実に、信じる私たちのためだった、と、みことばは語っています。


  「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」(Uコリ8:9)


  ・・・・・ すなわち、ここに、「永遠のいのちの救い」、「罪の赦し」、「律法ののろいからの贖い」(ガラ3:13)また、「癒し(健康、健全)」・「平安(たましいが幸い、喜び)」(イザ53:5、Tペテ2:24)と同じように、”交換”があります。

  聖書には、多くの 神様との契約の言葉があります。聖書は、神様との契約書、神様の”遺言状”です。(旧約: 古い契約、新約: 新しい契約
  前後関係を見ると、このみことばは、使徒パウロによるコリント教会の人々に対する献金の勧めの中で用いられています。しかし、文脈から、この8:9のみが独立した契約のみことばになっていて、より源泉性の高い、「十字架のみことば」の一つであり、使徒によってここに引用されたという位置付けにあります。
  このUコリ8:9の「恵み」とは”交換”です。すなわち、ふさわしくない者に、無条件で与えられる、神様からの賜物です。そして、これは、「キリストの貧困」によってすでに約2000年前に、信じる私たちが「豊か(富む者)」になった、ということの「契約」です。さらに、この契約は”上限”が無く、”大金持ち”、”財閥”、”大富豪”などとも適用できる言葉です。なぜなら、万物の創造主であり、無限に豊かな方が貧乏になられたからです。ソロモンにも、彼が願っていなかった大きな富を神様は与えられました。(cf.ピリ4:19、必要、願望まで)

  (* 癒し、解放の交換については、十字架信仰の力2006年みことばによるいやし 参照)




  では、どのように、神様との契約の書を実現させるのでしょう? 契約書がありながら、契約違反をしてそこに居座っている者、サタンを、そこから追い出すのです!
  たとえば癒しの場合、病の霊が取り除かれると、バネが自然に解放されるように、自然治癒が始まっていきます。この霊が、問題の”根”です。イエスの御名の権威は、何にもまして力あるものです。ただし、この契約(みことば)に基づいて追い出す時にのみ出て行きます。その後で、治癒を早めたい、あるいは、自然治癒が期待できないものについては、御名の権威によって、「奇跡(再創造)」(ヨハ14:14、「無ければそれを造ってあげましょう」の意)を命令します。 カルロス・アナコンディア師のミニストリーでも、聖会の初めに必ず会場で、まるで狂ったように悪霊追い出しをしますが、それゆえ金歯の奇跡が会場で多く起こりました。

  経済の分野も同様に、”貧困の霊”、”衰退の霊”、”小さくする霊”など、また、抽象名詞である”貧困”そのものに出て行くように命じます。また、イザ53:5の「癒し」も、”病”を、システム上の”問題”、”トラブル”と解釈して、同様に追い出すことができます。
  経済の分野は霊的に悪い分野なので、十字架のみことばで戦っていると、真っ暗な中に剣で切り裂いて穴をあけていく感触です。聖霊様によって油注がれて、いわゆる「レーマ」となった聖書のみことばは、霊の世界で最も強力な効力をもつ「剣」(エペ6:17)です。

  また、いずれにしても、「信仰の歩み」なので、「信仰の試練」が付き物であることを覚悟しなければなりません。信仰の歩みの中で、一時的に悪くなることが許される場合があります。しかし、それはサタンの惑わしであることをよく理解して、あくまでも、みことばの宣言・告白と霊の戦いを続けてください。ヨシュアとカレブを見習い、否定的なものに精神を集中しないでください。癒しの場合でも、ハンター師が言っているように、神様はあなたが信じ、癒されたことについて一つの疑いもなくなるまで、癒しを行う義務は無いのです。あなたの霊の中に入るまで告白してください。


  やるべきことをやった後は、神様に感謝し、リラックスしてください。リラックスして神様にゆだねるということは、神様に対する「信頼」の表現です。幼子が父親に対して無条件に信頼するのと同じです。神様は、良いことをする、良い神です。だから信頼してよいのです。 癒しの場合でも、(想いで)患部を”リラックス”させます。なぜなら癒しは神様のみこころだからです。
  そして、リラックスして、神様にゆだねる時に、聖霊様が働かれます。神様がたったの6日間で瞬間的に天地を創造されたように、聖霊様によって奇跡が起こるのは”一瞬”です。それは、ほとんど私たちが気が付かないうちに成されます。(アダムが熟睡している間に、エバが造られたように)

  時には、神様ご自身が、私たちの努力を止められます。(ロマ8:20) ”神様から自立した者”、”私が全部やりましたと言う者”は砕かれなければなりません。高慢だけは、どうしても砕かれなければならないのです。それは、私たちが、私たちの能力によるのではなく、神様ご自身のみに頼る者となるためです。それこそ、神の第2位格でありながら、生涯、全面的に聖霊様に頼られたイエス様を模範とすることです。(= 創世記3章の世界から、創世記2章の世界へ!)


  ・ 09 12/25 ポールキースデイビス

  2010年は今までとはかなり違う年になると私たちは信じます。それはレムナントとなる資格のある人達−神の御前にへりくだり、砕かれた魂をもち、神から御言葉をいただいておそれおののく人達−によって大きなブレークスルーが起こると信じているからです。
  真のリーダーシップ、夢やヴィジョンを洞察し解釈する力が必要。
  聖書や創造、科学、芸術、その他多くの事柄に関する啓示的洞察と超自然的な知識が巨大な倉庫に蓄えられていて、ダニエルと三人の仲間によって築かれたモデルに倣う聖人たちに与えられ委ねられようとされている


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