まとめ


 前述のように、普通、”フリ−エネルギ−機器”と呼ばれるものは、本来、物理的には、決して”永久機関”や”反重力機関”などではないのである。ここで、新しい物理原理が存在しないと言っているのではないし、確率的にはきわめて低いが宇宙人はいてもおかしくないと思う。ただし、聖書のことばによると、仮にそれが現在の物理法則から見て新しい物理原理であったとしても、実は過去にすでに見出されていたものにすぎないのである。(近代の科学的発見のうちの多くは、古代エジプトやバビロニアの時代に見出される。) また、クリスチャンの立場からすると、聖書に書かれていないことは、書かれていることよりも重要度が低い。

  「「これを見よ。これは新しい。」と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか先の時代に、すでにあったものだ。・・・」 (伝道者の書1-10)

 むしろ”新しさ”については、次の聖句が重要である。
 
 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、すべてが新しくなりました。」 (コリント人への手紙・第二・5-17)

 イエスキリストを救い主として受け入れるならば、その人の信仰と神の定めた時期に応じて、新しい神の恵みの計画がその人の内に、またその人の人生に成就して行くのである。これには、神による摂理的な再創造や具体的な奇跡が伴うものである。


 しかしながら、ある時ある所でそのような超常現象が報告されたり、うわさが立ったりする背景には、やはりそのような事実が確かに存在する場合があると考えられる。そして、これらは、いつでもどこでも再現され得る普遍的・一般的な物理法則ではなく、ある特定の人や団体にかかわったり、局所的であったりし、そして暫定的であるのが大きな特徴である。
 このことは、あたかも、ある目に見えない人格者()が、(神の許しのもとに)所々である一定の期間、物理を超越させるような現象を意図的に引き起こしているように見えるのである。

 「彼らはしるしを行なう悪霊どもの霊である。彼らは全世界の王たちのところに出ていく。万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。」 (ヨハネの黙示録16-14)

 したがって、科学的新発見というものは次のように分類される。
 1.測定ミス あるいは 故意に作成されたもの
 2.過去に在った物の再発見(いわゆる”新発見”)
 3.しるしを行なう霊が新発見のように見せかけているもの         

 さて、聖書の預言によると反キリストが終末の時現れるための準備について書かれている。

 「不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めているのです。」(テサロニケ人への手紙・第二・2-7)

 反キリストの組織は神の計画に沿ってすでに全世界規模に達し、世の終りの憤りの時に現れようと今か今かと待ち構えているはずである。
 いままでも、科学技術の分野においてもいろいろと事実と異なる反キリスト的な情報を流してきたのである(進化論、ビッグバン、(意識論的な)コペンハ−ゲン解釈、ニューサイエンスなど)。これは、おのれを神とする(高慢にさせる)方向へ人々を持っていこうとするニュ−エイジ的惑わし(・・・本来の神を信じ、神に従う事に対する惑わし)である。
 したがって、 すべての歴史の中で、支配者が神に対抗しておのれが神の立場に立った時、神のさばきが及んだように、終末の憤りの時、反キリストおよびそれにつく者すべてに対し神のさばきが下るのは当然である。
 また、われわれクリスチャンにとっては、これらの敵の策略をよく見分け神からの恵みを失う事の無いように充分注意する必要がある

 「神は高ぶるものに敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。」(ペテロの手紙・第一・5-5) 



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