キングスレイ・フレッチャー;
預言者として召されるのは普通の人たちではありません。普通の人と同じ常識的な生活をしながら、預言者として仕える事は難しいでしょう。神は新しい預言者の群れを世界中に起こしておられます。エリシャ(*)のような、敵を恐れない人たちです。(cf.エリヤ)
皆さんが預言者としての召しを受ける場合、たいてい第二ステップを知る事はできないでしょう。神はほとんどの場合、最初の一歩だけを示されます。それを聞いて従うとき、また次の一歩を示されます。
神に完全に従うことのできない預言者は、決して神の声を正確に聞くことはできないでしょう。皆さんが預言者であってもなくても、神の声を聞くためには、従う者となる事が最低条件です。(神が語られる時、何でも従うので、人の目を気にしない変わった人ととられる。)
預言の働きに召されている人たちに、どうしても欠かせない条件;
1) 人々から受け入れられることを求めてはいけない。神からの賞与だけを求めよ。
2) 自分を偉大なものと思ってはいけない。ただ、神の管、神の口になる事に徹する事。
3) 自分の優れた能力に頼ってはいけない。神はこれから、もっと素晴らしいレベルの高い賜物を人々に託そうとしておられる。しかし、自分を低くしつづけ、神の御手の下にへりくだって歩む人々を通して現される。
4) 人々を脅してはいけない。
5) 自分の命を救おうとしてはいけない。人々の中傷などは、預言者のミニストリーの一部。迫害は、神の働きをいっそう前進させる。
これから多くの預言者や、多くの女性預言者が立てられていく。彼らは神の軍隊の先見者として用いられる。目立たない普通の人たちが、建て上げられていく。
* (筆者・注) エリヤはイゼベル(**)を恐れて逃走したが、主は、御使いを遣わしたり、御自身の力を現したりして、エリヤを奮い立たせようとされた。 しかし、エリヤはその生涯に、主に語られた、エフーとハザエルに油を注ぐこと(T列19-15、16)ができなかった。恐れはエリヤのような超一流の預言者をも聞き従えなくさせる。
その代わり、変ぼう山でモーセ(モーセも不本意な最期だった)と共に現れ、イエス様と十字架と復活について話をし(ルカ9-31)、終末のイスラエルで再び2人の預言者として現れ、主の(今回はさばきの)前触れ(黙11-5、6)と十字架と復活をあかしすると思われる。(黙11-7〜13)
エリシャは、エリヤの霊を受け継ぎ(二倍の分け前=兄弟の中で長子の権利の事・後継ぎ(文字通り二倍ではない))、エリヤができなかった事を行なった。(U列9-1〜6) エリシャの奇跡はイエス様が行なわれたような暖かいものも多い。しかし、エリシャは、ハザエルがイスラエル人をひどく迫害する事を知って、悲しみ泣き、ハザエルがアラムの王になることを預言したが、油を注いでいない。(U列8-7〜15)) エリシャは恐れを知らない預言者だったが、悲しみによって完全に従えなかったのではないかと思われる。
(** 新約時代になって、パウロらによって弱められていたアルテミスの女神の悪霊に対し、ヨハネは止めを刺した。ヨハネが主に祈ると祭壇が崩れ灰がこぼれ落ちたと言われている。)