迫害とリバイバルの備えについて



 すぐ後、時代が急変して、「終末」という非常に困難な時になる
 これは、”生みの苦しみの初め”という時であり、大艱難期のいわば前哨戦のような時である。この時期、主の器が整えを受け、真にリバイバルの器として建て上げられていく。
 (生みの苦しみの初め → 全世界での預言・あかし・種まき → 大リバイバル → 大艱難期 → さばき → 主の再臨)

 まず、多くの”にせキリスト”が出現し、全世界で戦争や地震やききんが起こる。ここで言うにせキリストやにせ預言者とは、自分こそはキリストだと言う者ではなく、(聖霊のバプテスマを受けたことはあるが)イエスの名や賜物を使って、主の導き無しに人間的に働く不法のクリスチャンの事である。先に、このようなにせキリストやにせ預言者たちが現れ、わざを大々的に行なう。そして、すでにある本当の器に対して偽りの告発を行なうようになる。(一方、リバイバルの器となる人たちの多くは潜行しリバイバルの時に備える。)
 私たちは、働きやわざに惑わされる事無く、これから公然と世に出現するいろいろな器が、真に主に聞き従って働きを行い、その結果現される、「品性の実」を結んでいるかどうかで見分けていかなければならない。(マタ7−15〜27、”岩”とはキリスト(のことば、導き)、”砂”とは人間(世、世的思索)、マタイ7章の前半も一貫している)

 ”生みの苦しみ”という表現は、エバに与えられた予告(創3−16)で、善悪の知識の木の実の毒を色濃く持つ人ほど、取り扱いによって苦しむことを意味する。それは悪だけではなく、人間的善という恐るべき不従順についても同じである。ただ、十字架に掛かられた御子イエス様を信頼して主により頼むことによってのみ解放され整えを受ける。時が進むにつれて、このようなさばきが段階的に成し遂げられていく。

 この迫害では、リバイバルに用いられる主の器たちの整えがなされる。
 それは、ちょうどダビデがサウルに迫害された時のようである。社会の片隅という洞穴にいるダビデ的なクリスチャンは、預言者サムエルさえも間違えたほど目立たず、外見では判別がつかず、主に聞いて初めて器とわかるような人物だった。(彼は、主と親しく交わり、主による予備訓練を受けていた霊的なクリスチャンだった。) ダビデはサウルの(恐れとねたみの悪霊による)偏執狂的な迫害を通して、イスラエルの王としての品性と、主により頼む信仰が整えられていったのである。
 (迫害は理屈を超えて”霊的”である。 筆者も、学生の時、聖書だけによって信じたが、その1年後、配られたトラクトを見て福音系の教会に行った。最初は親切な対応を受け青年会にも入ったが、聖書のカリスマの件に触れると、手のひらを返したように、誰にも相手にされず言葉で迫害され、問題児あるいは異端扱いされた。信仰の初期でさえこうなのである。その後、むしろ教会に行かなくなってから、罪からの解放と成績の飛躍的向上がなされた。)

 今ある、また、今後起こされる数々のミニストリーも規模やわざなどの外見では判断できない。アブラハムに主の約束があったにもかかわらず、主の時を待ちきれずに生まれた、いわば人間的妥協の申し子である奴隷の子イシュマエルも、主によって一つの国民として祝福されたからである。ただし、彼らは互いに敵対して住んだ。(分裂の霊は互いの教理の相違点のみを強調する。) イシュマエルはイサクをからかったので、主の命令により宿営から追い出された。

 真にイエス様が生まれて御臨在するミニストリーは、イエス様が幼少のころヘロデ王に殺されそうになってエジプトへ避難したように、まだ初期のうちにそれを潰してしまおうという、サタンの大々的だが雑な妨害を受ける。場合によっては教会外で成長する。

 この迫害の迫害者となった肉的クリスチャンは、肉体やたましいが損なわれても霊が救われる為、”荒らす憎むべき者”以降の大艱難期に迫害され、サウルの死のような悲惨な死に方をする。(なかなか死なない。(Tサム31-3、4、Uサム1-8〜10) しかし、主に油注がれたサウルに手を下した異邦人も打ち殺された。) 主は、一人でも多くの肉的クリスチャンをも救う為に、大艱難の期間を短縮して下さった。(マタ24-22の直訳・肉)

 また、時代は困難かつ邪悪になるので、奇跡が頻繁に必要となり、そのため、真に主により頼む信仰が強められて行かなければ、とても主の働きを全うする事はできない。迫害の中で、賜物が開かれ強められていく
 マリヤとマルタは、どちらもイエス様の声を聞き、イエス様に同じ言葉を言った。(ヨハ11-21、32) しかし、マリヤは、主にへりくだって親しく交わり、マルタよりもはるかに主を信頼していたので、主の御心について間違ってとらえていたにもかかわらず、祈りが聞かれラザロの復活の奇跡がなされた。

 迫害は今信仰の自由を享受している国に最も激しく起こる。それは今ゆっくり忍び寄り、ある時激しく”反キリストの霊”が教会や政治・マスコミなどに働くようになる。アメリカやカナダから反キリストの霊が世界中に出て行き、サタンは”兄弟たちの告発者”(黙12−10)と言われているように、教会内・外に働く。(すでに、国内にも器たちに対する告発ページがあるので注意。私たちもさばき的な言動に注意しなければならない。)
 また、日本については右翼化の動きに警戒が必要である。

 リバイバル状態にあることは守りの箱舟である。(01.8/14、グレイ師、 マタ24-17,18)
 だからこそ、私たちは、今、預言者たちによって語られている事を、主に聞き従って実行していかなければならない。
 (かつて用いた賜物を再び燃え立たせる事。預言者のネットワーク。他教会・他教団・異種クリスチャンとの積極的なかかわりによる御霊の一致、霊的同性愛の予防。礼拝賛美のオリジナル化。芸能人・スポーツ選手への伝道。神中心の新しい芸術。自然のあかし。右翼化対応。イスラエルへのとりなし。召しの国へのとりなしと援助。シロアム的な働き。すでに迫害下にある国の使徒団とのかかわり。その他示されている事。)


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