参2). 歴史的背景における環境の整備;
(1) ギリシャのアレクサンドロス大王(BC336〜323)によるペルシャ崩壊(ダニ8−5〜7の成就)
→ 大王の急死、ギリシャが4分割(マケドニア、トラキア、シリア、エジプト)(ダニ8−8の成就)
エジプトがパレスチナも支配、
多くのユダヤ人がエジプト(アレキサンドリア、プトレマイオス朝)へ移住し、共同体を作っていた。
・・・ ギリシャ語が公用語、旧約70人訳聖書(BC2c半)、ヘレニズム運動がユダヤ人にも浸透
→ BC190 シリアがローマ軍に敗れる
アンティオコス・エピファネス(BC175〜164、反キリストの予型@)がシリア王国の再興をはかる。
→ ユダヤ人にギリシャ文化を強要、ユダヤ教の分派に間者を送り込んだ。
エルサレムの神殿に、異教の神の祭壇を築き、偶像を設置した。(ダニ8−11、12、9−26、11−31の成就)
→ マカベヤの乱により宗教的自由を回復、ローマとの懐柔策、サマリヤとガリラヤを回復(〜BC63まで)
→ ローマが王朝(ハスモン家)内部の争いに介入、エルサレムは占領され、パレスチナはローマ領シリアの一部となった。
(2) ローマのアウグスト(ユリウス・カエサルのおいの子・BC27皇帝〜AD14)
・・・ 地中海世界を支配: 全世界の戦争を終結させた
新しい道路網を整備(帝国内のどこへでも比較的安全に通行できるようになった)
ラテン語とギリシャ語が公用語
ユダヤ人 ・・・ 聖書に約束されたメシヤの出現を熱望していた
会堂 ・・・ 帝国内の離散したユダヤ人社会に必ずあった、ローマの保護の元で富裕な共同体を形成
ヘロデ大王(BC37〜AD4) → 死後3分割、 BC6 ローマの直接統治、ヘロデ一族はローマに協力
→ 人々は政治的メシヤを待望 ・・・ 極右の熱心党(ローマへの納税を拒否)、メシヤを自称する者たち(ガリラヤから)、取税人たちは私服を肥やしていた
AD26 ユダヤの総督にピラト就任(AD26〜36)、政治全体が緊張している時、イエス様の裁判
暴君ネロ(AD54−68、反キリストの予型A)による迫害 ・・・ ローマ大火をキリスト者のせいにした。(ローマ市の特別な出来事、AD64 パウロ殉教、AD64?ペテロ、ローマで殉教)
(3) パレスチナ ・・・ 失政と熱心党による反抗運動(AD66〜70)
AD70 ティトゥスによるエルサレムの陥落: 町とヘロデ宮殿の破壊 (→ 信者の脱出グループ、ヨルダン川の反対側のペレア地方へ避難(ルカ24−20) → そこから各国へ遣わされる)
→ 帝国内のユダヤ教はこれまでの特権を失う(ユダヤ人は散らされパリサイ派のみになった)
キリスト者への帝国内全域における大迫害
・・・ ドミティアヌス(AD81〜96、反キリストの予型B)・自ら”主また神”を自称し、皇帝礼拝を強要(ただし、その後の皇帝たちも帝国全域で迫害(デキウス(249〜251)、ディオクレティアヌス(284〜305)、しかし、かえってキリスト者は増える) モンタノス運動(*)
(4) キリスト教のローマ国教化、 エルサレムが異邦人の支配下にあった時、ローマ・カトリックなどの制度的教会の支配
(5) 16c ルターより、5職の牧師職が回復(信仰と秩序の回復、ヨーロッパのリバイバル)
→ 大航海時代: キリストは”軽く見られなかった” ・・・ 良くても悪くても御名のゆえ、キリスト教国は必ず支配的立場に立った、 18c ウェスレーより、伝道者職が回復、世界的な福音宣教、 ナポレオン(アレキサンダー大王) → 合理主義や民主主義、科学信奉(無神論、単なる伝統、あるいは、心理的な理解など)がはびこる、 自由主義との戦い
→ 20c/F ペンテコステ運動
→ 2度の大戦、 ヒトラー(ボヘミアの兵長から総統に、ユダヤ人の大虐殺(反ユダヤの霊)、反キリストの予型C) → 連合国の勝利、 一方、共産主義
→ 1948 イスラエル国の再建
20c半ば カリスマ運動(しるしと不思議の回復)と教師職の回復
→ 科学技術の著しい発展、情報化社会、(預言者職の回復、世界中の生みの苦しみの初めの時、 ・・・ )
* モンタノス運動: 異端が多く出現した時期であるが、異端ではない。多少の行き過ぎはあったかもしれないが、熱狂的・禁欲的な預言を主張する教会運動。AD172フルギア(小アジア西部)で始まり、1世紀以上も影響した。合同の安定した教会を作ろうとしていたアジアの主教会議で除名。アフリカやフルギアでかなり長く存続した。彼らの主張(預言)は、
1. キリスト者たちは迫害を楽しむようになるべきである、
2. 預言の時代はこの運動を除いて、終わりの時になるまで現れない、などである。