参1). 使徒行伝の流れ;
リバイバルの為の政治的・社会的な主の備え(戦略)を考察し、現在と比較するために、初めの雨の時の状況を、使徒行伝から捉えてみたい。
基本的に、 福音が、聖霊の力により、 (1)エルサレム → (2)ユダヤとサマリヤの全土 → (3)地の果てまで、宣べ伝えられる、のイエス様による予告と指示(使1−8)がある。
(1) AD30: エルサレム教会の設立:
120人ほどの兄弟が一つ所(泊まっている屋上の間?)に集まって、心を合わせ、祈りに専念していた。
→ ペンテコステの聖霊降臨(初穂の祭り(穂を揺り動かす)、過越の祭りの50日目、五旬節): 激しい聖霊の風の響きと炎のような舌、外国語の異言(内容は伝道の為の預言)(バベルののろいの解除)、ペテロの説教で3000人が弟子になった。信者となった者は全財産を共有。 → 毎日、宮(ヘロデの神殿)に集まって、こころを一つにして神を賛美していた。午後3時の祈り、夜まで説教。家で聖さん式。人々は毎日救われていった。 宮の門での足なえのいやし → 5000人が信じた。
民の指導者、サドカイ派(復活を否定)などの前でのあかし。 → 使徒たちの祈り、さらに場所が震い動く事を伴うほど、聖霊に満たされ、みことばを大胆に語り、多くのわざによってイエス様の復活を非常に力強くあかしした。(宮の中のソロモンの廊) 捕らえられても奇跡により脱出して福音を宮で宣べ伝えた。 毎日、宮や家々で教えた。
7人の、人々へ食事を配給する人たちを任命(御霊と知恵に満ちた評判の良い人たちを選ばせ、使徒たちが按手、人々と直接かかわる人たち(牧師、あるいは、召しではないが牧会経験))・ 使徒たちは、祈りとみことばの奉仕。 多くの祭司たちも次々と信仰に入った。
(2) ステパノの殉教: 大祭司への激しいあかし → 石打ちで殉教
→ ”エルサレムの教会”に対し、激しい迫害: 使徒たち以外は、ユダヤとサマリヤの地方に散らされた。(使徒たちはエルサレムにとどまった)
7人のうちの一人ピリポが、伝道者として、著しい不思議としるしを伴う福音宣教 → サマリヤがリバイバル・多くの人々が信じて、(水の)バプテスマを受けた。: ただし、聖霊のバプテスマは使徒たち(エルサレム教会から遣わされた、ペテロとヨハネ)が按手で授けた。 ピリポは御霊によって、奇跡的に移動し、次の宣教地へ連れて行かれた。
(3)−1 AD32: 迫害者サウロ(ギリシャ名でパウロ)の回心 ・・・ 異邦人、王たち、(外国で暮らしている)イスラエルの子孫たち、への宣教の召し(使9−15)、 AD34: パウロのエルサレム初訪問(9−26)
ペテロのイスラエル内の宣教:ヨッパでの幻 と 敬虔な異邦人の百人隊長コルネリオの導き
→ アンテオケへの招き: エルサレム教会からバルナバが派遣され、サウロを連れて、”アンテオケ教会”が設立
( ・・・・・ 使徒パウロが伝道に立てられるまで10年以上の期間がある ・・・・・ )
エルサレム教会から預言者たちが来てききんの預言。 → AD45〜46: アンテオケ教会からエルサレム教会へ救援物資を送る、 使徒ヤコブの殉教
エルサレム: ヘロデ王による迫害
アンテオケ教会: 預言者や教師(サウロも)がいた。 → 礼拝と祈りの中で、聖霊が、バルナバとサウロを遣わす
”にせ預言者”・・・ユダヤ人の魔術師(治療師)エルマ・総督を信仰から遠ざけようとした → パウロの預言による戦い
主として、ローマ帝国内の異邦のユダヤ人の会堂で宣教、会堂管理者たちが奨励のことばを求めた。
((注) まだ正当な権威が保たれている時(モーセの座)、それに従った。イエス様も、ナザレでいつもの通り安息日に会堂に入り、係りの者に渡されたイザヤ書からご自身をあかしされた。)
−2 AD46〜47: パウロの第1次伝道: 使徒パウロと使徒バルナバ
・・・ しるしと不思議を伴う宣教、町中の人が神のことばを聞きに会堂に集まる、しかし、 ユダヤ人たちによる迫害・追放(パウロに対する石打による死と生き返りがあった)、 の繰り返し。
時に、 異邦の素朴な偶像崇拝者の中で、主のわざ → 異邦人の群集の中であかし(使14−6〜)
”にせ教師” ・・・ 異邦人クリスチャンに割礼を強制する事を教えた(教理において主の道を妨害) → エルサレム教会の使徒会議(AD48、使15)
パウロとバルナバの(みこころに沿った)反目: 宣教という点でパウロが正しい。(牧会という点ではバルナバが正しいがこれは牧会ではない。ヨハネ・マルコはユダヤ人による迫害があまりにもひどいので恐れて引いてしまった。)
−3 AD48〜51: パウロの第2次伝道: 使徒パウロと預言者シラス と テモテ
既成の教会を巡回 ・・・ エルサレム教会が決めた規定(異邦人の信者に割礼と律法を強制しない事)を伝えた。
アジヤとビテニアは聖霊のストップ → 幻でマケドニアへ行く指示を受ける。マケドニアのピリピでテアテラ出身のルデアの家に招かれる。 占いの霊につかれた女奴隷、投獄、看守とその家族の救い
→ テサロニケ: 会堂で宣教・ユダヤ人の迫害 → ベレヤ → 迫害によりパウロはシラス、テモテと分かれる。
パウロはアテネの会堂と広場で論じた。アレオパゴスでの説教。(パウロ一人で、しかし、しるし無しで)
コリントでアクラとプリスキラの家に泊まり、仕事をした。安息日は会堂で議論。シラス、テモテと合流
→ 幻による励まし: 1年半居て異邦人に教え続けた。 → シリア → カイザリア → エルサレム教会にあいさつ → アンテオケに帰る
−4 AD53〜: パウロの第3次伝道: パウロのチーム
ガラテヤなどの弟子たちを力付ける → エペソ: アポロ・・・旧約聖書によって、イエスがキリストである事を証明、ユダヤ人を論破、信者たちを(迫害から)助ける。(ただし、聖霊の事は知らなかった) → アポロ、コリントへ
この時パウロがエペソに来た(AD54〜57・エペソ滞在): 使徒パウロの按手により聖霊のバプテスマ
会堂でユダヤ人を説得× → 毎日、ツラノの講堂で論じた・2年間続いた → 小アジヤの人々はほとんど福音を聞いた。 + パウロによる著しい奇跡
魔よけ祈祷師(ユダヤの祭司長スケワの7人の息子たち)の失敗 → 人々は恐れを感じ、主イエスの御名をあがめるようになった。罪や魔術の悔い改め。
パウロに御霊の示し: エルサレムへ行き、そこからローマへ、 アルテミスの騒動(エペソの獣)
→ マケドニヤ(AD57〜58: ギリシャ滞在) → ギリシャ → シリヤへ船出(ガイオ、テモテ、テキコ、トロピモなどは先にトロアスヘ)
ユテコの生き返り、 エペソの教会の長老たちを呼び決別説教(使20−17〜)、強暴な狼(異端)についての警告 → ツロ → トレマイ
→ カイザリヤ、伝道者ピリポの家: ユダヤからの預言者アガボの預言: エルサレムで捕縛後、異邦人に渡される
→ エルサレム: 監督ヤコブ・長老たちを訪問、あかし、 誓願のきよめの供え物: 異邦に住むユダヤ人に律法の割礼・ユダヤ人の慣習をさせない事 → エルサレムの大騒動
→ AD58〜60: カイザリヤでの投獄: 千人隊長の保護の元に、議会・大祭司アナニヤにあかし
→ 主が現れ、ローマでのあかしを指示、また、励ます
総督ペリクスへあかし、後任のフェストに、カイザル(その時の皇帝はネロ)への上訴を申し立てる。(ローマ市民権利用) アグリッパ王へあかし
→ イタリヤへ出帆、 難船 ・・・ 御使いが励ます。 マルタ島へ漂着、いやし
→ ローマへ: AD61〜63: ローマでの軟禁: ユダヤ人の不信仰により、自費で借りた借家で2年間、異邦人に伝道