2. 当時の福音宣教法の現代における適用について;



 1. 会堂(シナゴーグ)での宣教:  ローマ帝国の支配下にありながら、ユダヤ人は保護され宗教的活動を認められていた。宣教者たちは、町々にある”会堂”で、旧約聖書の土台のあるユダヤ人たちや転宗した異邦人たちにまで福音を語ることができた。ただし、そこのユダヤ人たちが中心的な迫害者になった。ユダヤ人たちは、最近に至るまで、福音の敵として用いられてきた。

 霊的イスラエルについても同じような事が言える。アメリカ、カナダなどの現在のキリスト教国の教会社会はこれに近い。預言によると、今信仰の自由を享受している国ほどひどい迫害が起こる。むしろ、ロシアや中国、イスラム圏から力ある使徒たちが出現し、世界中のクリスチャンたちを助ける働きをするようになる。

  *  ユダヤ人伝道: アポロの記事が基本である。旧約聖書からイエス様が神の子であることを証明すれば良いのである。これは、別に聖霊の力を知らなくてもできる。(心のかたくなさが和らぐのではなく、知的に論破すれば良い。そうすれば、人間的に信じるレベルまでは持っていける。)
 ただし、聖書の予告により、聖霊が注がれる時(神とイスラエルの関係が回復される時)が来るならば、きわめて短時間にリバイバルする。(栽培種のオリーブの木)



 2. 聖書の土台の無い人々: 素朴な人々にも(使14−25〜)、教養のある人々にも(使17−22〜)
   (1) 偶像を取り除き、唯一の神を知らせる
   (2) 自然啓示(自然を通しての神のあかし)から特別啓示(神の子キリストによる救い)を導く
   ・・・ 特に、”神の存在”、”神の愛と恵み

   ・・・ 現代の日本(クリスチャン人口0.5%)などがこれに相当する。信教の自由が保証されているにもかかわらず、聖書知識の土台が全くできていない。だから、聖書から神を解き明かす手法はおのずと限界がある。
 一方、日本は科学・技術が発達し、情報が広く行き届いている(*)ので、”奇跡”や”科学・技術”によるあかしが効果的と考えられる。 著しい主のわざが多く起これば、TV局や新聞社の方から取材に来てかってに宣伝してくれるだろう。 その時我々は、聞く耳を持つようになった人々に自然啓示のあかしを交えて、単純に、まっすぐに福音を語れば良いのである。

 ただし、急に人々が大勢集まるので、その時までに人々の受入態勢が出来ていなければならない。また、制度的な教会であってはならない。リバイバルは短時間で起こる。
 この時、使徒的な権威と油注ぎが必要である。
 使徒が現れて本格的なリバイバルが起こされるまで、一部の預言者が教会形成をする働きに入る。
 そこで、我々が今できる備えとしては、主との交わりの確立心の整え、主の主任牧会(聖霊様による直接牧会)の祈り、みことば真理を教える準備、御霊の賜物の備え(**)、霊の戦いの祈りの備え、などが挙げられる。

 ここで、新しい教会形成の働きに伴い、人々が移動することで各教会や他の宗教団体から訴訟問題が起ったり、政治家を扇動するなどの大きな波瀾が当然予想される。また、経済的な問題が絡むと未信者との間にトラブルが発生する(使19−23〜)から、これらの点においても祈りの備えが必要である。(ムーブメントが大きくなる事そのものについては、人々への評判さえ良ければ、政府も警察も自衛隊も天皇も全く問題ではない。)


  *  「知識の旅行(情報)が広く一般化する終わりのときまで、このことば(預言)は理解されない。」(ダニ12−4の別訳)

  **  預言者マーク・フィサー師は、南アフリカで、”占い”をすることをトラクトに書いて配ったならば、多くの人々が集まり、個人預言による効果的な伝道が出来た。(しかし、多くの牧師たちから非難された)
 日本のほとんどの宗教は、”商売繁盛”、”無病息災”、”家内安全”の3拍子の”ご利益”を謳い文句にしている。 おまけに、最近、”ハリーポッター”のような作り話の”魔術”や”ミステリーもの”や”超常現象”にも依然として人気がある。(実際はそのようなものは、ほとんど何も実質が無いものであるが、それでも、人々は集まるのである!。)

 福音は、恵みが先行し、永遠の祝福に至るものであり、この世においてさえ、いわゆる3拍子の祝福(心の幸い・健康・すべてについての幸い(当然、経済の事も含む。パウロも結構金持ちだった。)(Vヨハ−2、使24−26、28−30、Uコリ8−9、ピリ4−12))を受ける事ができる事が聖書で保証されている。だから、キリスト信仰は本当の”ご利益宗教”で良いのである。

 ただし、このような伝道が成功すると、いつもの通り、サタンの似て非なる反撃が許されることに注意。にせ教師の後は、にせ預言者(キリスト教と半分合体したような魔術師・祈祷師)が現れる。日本から”オーム真理教”が出た事もきわめて示し的である。 この時こそ、我々の品性と主への聞き従いがためされるのである。(彼らは羊のなりをして来るが、うわべだけの品性や敬虔さはにせ預言者の特徴である。日本はアメリカほど見分けが難しくないかもしれないが。) また、使徒たちが戦ったように彼らとの戦いが導かれる事も予想される。

 不法に対抗しての試練や殉教などは、よりすぐれたよみがえりを受け、神の栄光が現される為に、一時的に落とされるだけの事である。キリストにとどまってさえいれば、キリストと共に復活の力にあずかる。(「実際には富んでいる」(黙2−9、ヘブ11−35))

 したがって、我々は、超自然的な神のわざによる主の栄光を切に求め、そのために賜物に熟達していかなければならないのである。


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