5. 新約聖書(各論・使徒行伝~黙示録




  1) 使徒行伝3:19-26


  日本語訳で、特に意図的な削除箇所がまとまっている箇所です。 これは、ペテロとヨハネによって ユダヤ人宣教が最初に行われた箇所ですが、異邦人向けの意図しかなかったようないい加減な訳になっています。
  下記のみことば(KJV)の 太字の部分が、日本語聖書(口語、新改訳、新共同、ニューバイブル ← 現代訳英語聖書)から削除・改ざんされている部分です。(文語は少しまし、StudyBibleJapanese


   「19  だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえり(×)なさい。
    20  それは、主のみ前から慰めの(×)時がきて、あなたがたのためにあらかじめ定めて(×)あったキリストなるイエスを、神がつかわして下さるためである。
    21  このイエスは、神が聖なる預言者たちの口をとおして、昔から(×)預言しておられた万物更新の時まで、天にとどめておかれねばならなかった(×)。
    22  モーセは言った(×)、『主なる神は、わたしをお立てになったように、あなたがたの兄弟の中から、ひとりの預言者をお立てになるであろう。その預言者があなたがたに語ることには、ことごとく聞きしたがい(△)なさい。
    23  彼に聞きしたがわない(△)者は、みな民の中から滅ぼし去られるであろう』。
    24  サムエルをはじめ、その後つづいて語ったほどの預言者はみな、この時のことを予告した。
    25  あなたがたは預言者の子であり、神があなたがたの先祖たちと結ばれた契約の子である。神はアブラハムに対して、『地上の諸民族は、あなたの子孫(△)によって祝福を受けるであろう』と仰せられた。
    26  神がまずあなたがたのために、その僕を立てて、おつかわしになったのは、あなたがたひとりびとりを、悪から立ちかえらせて、祝福にあずからせるためなのである」。(口語訳)


   「19  Repent ye therefore, and be converted, that your sins may be blotted out, when the times of refreshing shall come from the presence of the Lord;
    20  And he shall send Jesus Christ, which before was preached unto you:
    21  Whom the heaven must receive until the times of restitution of all things, which God hath spoken by the mouth of all his holy prophets since the world began.
    22  For Moses truly said unto the fathers, A prophet shall the Lord your God raise up unto you of your brethren, like unto me; him shall ye hear in all things whatsoever he shall say unto you.
    23  And it shall come to pass, that every soul, which will not hear that prophet, shall be destroyed from among the people.
    24  Yea, and all the prophets from Samuel and those that follow after, as many as have spoken, have likewise foretold of these days.
    25  Ye are the children of the prophets, and of the covenant which God made with our fathers, saying unto Abraham, And in thy seed(単数) shall all the kindreds of the earth be blessed.
    26  Unto you first God, having raised up his Son Jesus, sent him to bless you, in turning away every one of you from his iniquities.」(KJV)


   → ∴
   「19 それゆえ、罪を悔い改め、変えられなさい。それは、主の現れ(再臨)による刷新が来る時に、あなたがたの罪が帳消しにされるためです。
    20 そして神は、以前にあなたがたに宣べ伝えられた イエス・キリストを遣わします。
    21 彼は、万物が改まる時までは 天におられるべき方で、世が始まって以来、神がすべての聖なる預言者たちの口を通して語られた、実にその方です。
    22 それは、モーセが父祖たちに、本当にこのように言っているからです。「主なる神は、ひとりの預言者を、あなたがたの兄弟の中から、私がそうであるように、あなた方の間に高く立てられる。 彼があなたがたに語る全ての事を、聞き入れなさい。」 ・・・①
    23 そして 「どのようなたましいも、その預言者に聞かないならば、民の間から断ち切られる ということになる。」 ・・・②
    24 実に、サムエルをはじめ、その後のすべての預言者たちによって語られたほどに、今のこの日について 同様に予告された。
    25 あなたがたは、預言者たちの子であり、アブラハムに語られている 神が父祖たちとの間に立てた契約 の子である。そして、そのアブラハムの契約とは、「地上の諸民族は、あなたの子孫(種)(単数)によって祝福される」 ・・・③ である。
    26 神が初めにあなたがたに対し、御子イエスをお立てになり、すべての人々を邪悪な行いから立ち返らせる過程で、あなた方を祝福するためである。」

  (引用聖句)
  ① 申命記18:15 「15  あなたの神、主はあなたのうちから、あなたの同胞のうちから、わたしのようなひとりの預言者をあなたのために起されるであろう。あなたがたは彼に聞き従わなければ(×)(hearken 聞く、耳を傾ける(○))ならない。」
  ② 申命記18:19 「19  彼がわたしの名によって、わたしの言葉を語るのに、もしこれに聞き従わない者(×)(not hearken unto 耳を傾けない(○))があるならば、わたしはそれを罰するであろう。」
  ③ 創世記22:18 「18  また地のもろもろの国民はあなたの子孫(単数、直訳:seed 、種)によって祝福を得るであろう。あなたがわたしの声に従ったから(×)(聞いたゆえ(○))である。」

     


     ・・・・  この箇所は、ユダヤ人伝道のポイント(モーセの預言、アブラハムの契約)が書かれてあります




  2) ローマ5:20、21、 16:20、16:24、 8:1


  「律法が入ってきたのは、違反が増し加わるためです。 しかし、罪の増し加わるところには、最高の恵みも 満ち溢れました。 それは、罪が 死によって支配したように、この偉大な恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。」(ローマ5:20、21)

  「平和の神は、すみやかに、あなたがたの足で サタンを踏み砕いてくださいます。 どうか、私たちの主イエスの偉大なる恵み(grace)が、あなたがたとともにありますように。 アーメン。」(ローマ16:20)

  「私たちの主イエス・キリストの偉大なる恵みが、あなたがた すべてと ともにありますように。 アーメン。」(ローマ16:24)


     ・・・・・  ローマ書全体ののポイントのことば 「χαρις(カリス、カリスマの語源) = grace = (この上ない、超越的な)恵み」 は、単に 「恵み」と訳すと、軽すぎて真意が伝わらないと思われる。


  「こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることはありません。肉に従って歩むことをせず、聖霊に従って歩むならば。」 (ローマ8:1) ・・・ 抜け




  3) ローマ10:6-8


  ローマ書の改ざん・削除も、使徒行伝の改ざん・削除と同様に多いです。
  この箇所は、英語訳(KJV)でも、アレキサンドリア訳、日本語訳でも、すべての聖書が間違っている部分です。 6節、7節は、明らかに 申命記30:12、13からの引用で、このヘブライ語からの訳が伝統的に間違ったままになっているためです。

   「6  しかし、信仰による義は、こう言っている、「あなたは心のうちで、だれが天に上るであろうかと言うな」。それは、キリストを引き降ろすことである。(×) ・・・ 誤訳
    7  また、「だれが底知れぬ所に下るであろうかと言うな」。それは、キリストを死人の中から引き上げることである。(×)」 ・・・ 誤訳

  → (6、7節を12、13節にそのまま差し替える ↓)
   「12  これは天にあるのではないから、『だれがわれわれのために天に上り、それをわれわれのところへ持ってきて、われわれに聞かせ、行わせるであろうか』と言うに及ばない。(○)
   13  またこれは海のかなたにあるのではないから、『だれがわれわれのために海を渡って行き、それをわれわれのところへ携えてきて、われわれに聞かせ、行わせるであろうか』と言うに及ばない。(○)

   14  この言葉はあなたに、はなはだ近くあってあなたの口にあり、またあなたの心にあるから、あなたはこれを行うことができる。」(申命記30:12-14)

  このように、ローマ書10:6、7は、8節-の、「みことば、救いが、口にあり、心にある、天や海の向うなどの遠くではなく、すぐ近くにある」ことを言うために、パウロが単純に引用したに過ぎないのです。 そして、次の重要な 「救い」のみことばにつなげます。


   「9  すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。
   10  なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。」(ローマ10:9、10)







  4) Ⅰコリント6:20



   「20 For ye are bought with a price: therefore glorify God in your body, and in your spirit, which are God's.」(KJV)

   「あなたがたは代価をもって買い取られたのですから、あなたがたの体をもって、霊をもって、神の栄光を現しなさい。 それら(体と霊)は神のものです。」(Ⅰコリント6:20)

   ・・・ 霊と体が 神のものであるという認識を強調しています。




  5) コロサイ1:14、 Ⅰコリント11:24


   「14  In whom we have redemption through his blood, even the forgiveness of sins: 」 (KJV)

   「24  And when he had given thanks, he brake it, and said, Take, eat: this is my body, which is broken for you: this do in remembrance of me. 」 (KJV)

  ・・・・・ KJVでは、コロサイ1:14で、「血潮を通しての買戻し(贖い)」、 Ⅰコリント11:24では、(聖餐式の)「砕かれた主の御体」、という箇所が有りますが、他の シナイ写本、日本語訳(口語訳、新改訳等)では 削除されています。これは、十字架の記述が弱くされているということです。
  御子イエス様の十字架の「血」によって「買い戻し(贖い)」が完了し、また「罪」が赦されます。罪の赦しは、その時のものだけではなく、現在、過去、未来のすべての罪についてです。
  日々犯してしまう罪については、日々悔い改めます。これは、(毎朝 顔を洗うように)神様との正常な関係を日々保つためです。

  旧約時代には、律法の定めによって、まず「血」によって贖いと罪の赦しがなされ、ユダヤ人には不可欠なものとすぐに分かります。(「祭壇の回りに血を注ぐ」 (レビ1:5)、 「いのちを贖うのは血、 血 = いのち」 (レビ17:11))
  それほど、「血」には 重要な意味を持っています。



  6) Ⅰコリント13:10、 13


   「10 οταν(ホータン、when) δε(but) ελθη(to come) το(this) τελειον(テレイオス、perfect)、 τοτε(then) το(this) εκ(out of、from) μερους(メロス(単・中)、a part) καταργηθησεται((未来・受・3・単)< カタルゲオ、destroy、do away)」

   「10 But when that which is perfect is come, then that which is in part shall be done away.」(KJV)

   「しかし完全なものが来るとき、 そのとき部分から成るものは廃れます。」(Ⅰコリント13:10)  ・・・ ”不完全なもの”(新改訳、×)、 この「部分的なもの」、「部分から成るもの」(〇)とは 私たちが今知っていることや、預言などの御霊の賜物のことです。


   「13 νυνι(ヌニー、now) δε(and、then) μενει(3・単< メノー、abide(とどまる)、remain(残る)) πιστις(単・女、ピスティス、faith) ελπις(単・女、エルピス、hope) αγαπη(単・女、アガペー、love、charity) τα(複・中、these) τρια(複・中< トゥレイス、three) ταυτα(複・中、<ホウトス、these)、 μειζων(比較・単・女、<メガス、greater) δε(but) τουτων(所有・複・中、these) η(単・女、this) αγαπη」

   「13 And now abideth faith, hope, charity, these three; but the greatest of these is charity. 」(KJV)

   「今や 信仰と 希望と 愛、これらの三つのものが とどまっています。 しかし この中でもっとも偉大なのは この愛です。」(Ⅰコリント13:13)  ・・・ いつまでも残るものは(×)、今 とどまっている(〇)、 未来 ではなく、今すでにあるもの、という意味。




  7) Ⅰコリント15:45、47、49、55    ・・・ Ⅰコリント15章は「福音」について語っています。


   「45 ουτως και γεγραπται εγενετο ο(the) πρωτος(first) ανθρωπος(human) αδαμ(Adam) εις(into) ψυχην(ψυχη、プスケー、soul) ζωσαν(living)、 ο(the) εσχατος(last) αδαμ(Adam) εις(became) πνευμα(spirit) ζωοποιουν(making live、vivifying)」
   「45 And so it is written, The first man Adam was made a living soul;  the last Adam was made(× → became) a quickening spirit. 」(KJV)

   「そして聖書にも書かれていますが、 最初の人 アダムはたましいが生きている者として造られました。 一方、 最後のアダム(=イエス・キリスト)は いのちを与える(=生き返らせる) 霊なられました。」(Ⅰコリント15:45)
    ・・・・ 御子がそのまま「聖霊」(神の第3位格)になられたのではなく、 「聖霊」は、御子イエス様が 御父にお願いされて 下って来られました。(ヨハネ14:16)


   「第一の人は地から出て、土から造られましたが、第二の人は 天から出た です。」(Ⅰコリント15:47)
    ・・・ アレキサンドリア型では”天からの~(無し)”。 ビザンチン型では「ο κυριος(キュリオス、Lord) εξ(from) ουρανου(オウラノース、heaven)、 天からの


   「49 και καθως(according as) εφορεσαμεν(we wear、have borne) την εικονα(エイコーン、image, figure) του χοικου(コイコウ、earthly、earthy)、 φορεσομεν(we shal wear、bear) και(also) την εικονα(image) του(of the) επουρανιου(heavenly) 」

   「そして 私たちの体が土から造られた像を着ていたように、 天上の体の像をも着ることになります。」(Ⅰコリント15:49)

   ・・・・・ このあと、15:51、52で、 「奥義(μυστηριον、 mystery) ・・・ 主の再臨の時、(終わりのラッパ×)最後のラッパ(the last trumpet=第7のラッパ)とともに、御使いによって天に携え上げられる時に、 肉の体が、朽ちない 天上の体に、瞬時に変えられる こと ・・・ が語られています。


   「55 O death, where is thy sting(×)? O grave(△、NKJVでは ハデス(○)), where is thy victory(×)?」(KJV)
   「死よ。お前の勝利(×)はどこにあるのか。 死よ(×)。おまえのとげ(×)はどこにあるのか。」(新改訳など)
   「אֱהִי דְבָרֶיךָ מָוֶת, אֱהִי קָטָבְךָ שְׁאוֹל」(ホセア13:14) の引用  ・・・  EHY(エヒー):Where、 DBRYK(デヴァーレイハー):sting(とげ、×)、疫病、災害、 MWT(マーウェス):death、死、  EHY:Where、 QTBK(カーターヴェハー):destruction、破壊、殺戮、 ShEWL(シェオール):よみ

   = 「災害はどこにあるのか、死よ。 殺戮はどこにあるのか、よみよ。」(Ⅰコリント15:55)  ( → 旧約編 ホセア13:14参照)




  8) Ⅱコリント6:5、 11:27


   「むち打たれることにも、入獄にも、騒乱にも、労苦にも、徹夜にも(×)、飢餓にも(×)、」(Ⅱコリント6:5、口語訳)

   「In stripes, in imprisonments, in tumults, in labours, in watchings(= 目を覚ましていること, in fastings(=断食; 」(○、 KJV
   「εν πληγαις εν φυλακαις εν ακαταστασιαις(disturbances, confusions) εν κοποις(labours, troubles) εν αγρυπνιαιςwatchings) εν νηστειαιςfastings)」 (○、ビザ型ギリシャ語訳、 ワードプラネット

   「労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし(×)、飢えかわき、しばしば食物がなく(×)、寒さに凍え、裸でいたこともあった。」(Ⅱコリント11:27、口語訳)

   「In weariness and painfulness, in watchings often(=よく目を覚まし), in hunger and thirst, in fastings often(=よく断食し), in cold and nakedness. 」(○、 KJV

  特に、「霊的に目を覚ましていること」(*)、「断食すること」(**)は、無理やり強いてさせられたのではなく、パウロが能動的、自発的に行ったものです。パウロは元 迫害者であり、回心後には、主から厳しい召しの言葉を語られていましたが、それでも自発的に主に聞き従って使徒としての使命を全うしたのでした。
  これは、御子イエス様が、初めからの神の計画により、ゲッセマネで勝利され、ご自分の意志で 十字架にかかられたのと同じです。イエス様は、十字架の時、ご自分の意志でいつでも十字架から降りることができ、また 周りに天の軍勢が満ちて、御子のことばがいつ発せられてもすぐに対応できるように 待機していましたが、イエス様は 十字架の死にまで従い通されました。御子の従順のゆえに、私たちは救われました。(→ 十字架上の7つのことば

  * 「霊的に目を覚ましていること」は、最近、「使徒」たち(Dr.金山師(側近たちと敵対者はだめ、しかし 彼本人は相変わらず良い)、ブラジル在住韓国人のワォン・ジュンサン師 など)がメッセージの中でよく言っています。 これから 多くのとんでもない事が日本に、イスラエルに、世界に起こるからです。(金山師や 主ご自身による霊の戦いの結果、イスラエルに長く在住した人によれば 日本は最近 イスラエル並みに「軽く」なっているそうです。 また逆に、惑わしも多くなっています。)
  ・ 日本は、主の御前に非常に罪深い歴史を持っていますが、キリシタンたちの血とりなしのゆえに、必ずリバイバルします。 たとえば26聖人たちは、移動の途中 火山に投げ込まれた時、ダニエルのように無傷で守られ、主が共におられることが明らかでしたが、最後は自発的に磔の刑に処されました。12歳のルドビコ茨木は、自分の十字架を慕って駆け寄ったそうです。
  
・ ISISに殺害された後藤さんは、福音派のクリスチャンであり、主に聞き従って 自発的に渡航し 「殉教」したと言われています。

  ** 「断食」については、改ざん修復(2)の 14) 参照  この「断食」についても、敵が覆い隠そうとした重要な真理の一つです。




  9) ガラテヤ2:16  NEW 2017 2/10


   「16 ειδοτες(エイドテス、having perceived)  οτι(ホチ、that) ου(オウ、not) δικαιουται(ディカイオウタイ、be justified) ανθρωπος(アンスローポス、human) εξ(エクス、out) εργων(エルゴーン、of works) νομου(ノモウ、of law)、  εαν(エアン、if ever) μη(メー、no) δια(ディア、through) πιστεως(ピステオース、faith、女・所有格) ιησου(イエソウ、Jesus、男・所有格) χριστου(クリストウ、Christ、男・所有格).」

   「人は、律法の行いによってではなく、イエス・キリストの信仰を通してでなければ、義と認められない。」(ガラテヤ2:16)

   ・・・・・ 「イエス・キリストを信じる信仰によって、(新改訳、△)」  イエス様は約2000年前に大変な苦労をされて、十字架の贖いによる義を全うされました。「信仰の創始者であり、完成者です。」(ヘブル12:2) 神様の一つの大きな働きはすでに完了しました。 私たちは、ただそれを受け入れるだけです。




  10) ガラテヤ3:2、 3:5、 ローマ10:7 


   「2 τουτο μονον θελω μαθειν(learn) αφ υμων、 εξ(エクス、out of、from) εργων(work、deed) νομου(ノモス、law、律法) το πνευμα(プニューマ、Spirit、霊) ελαβετε(receive)、 η(エ、or) εξ(out of) ακοης(of hearing、ears、所有格・単・女 < ακοη、アコエー、hear、listen) πιστεως(of faith、所有格・単・女、信仰について)」

   「これだけをあなたがたに聞いておきたい。 あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからですか。 それとも、(信仰をもって(×)) 信仰について(〇) 聞いたからですか?」(ガラテヤ3:2)


  ここでも、 ακοη (アコエー、hear、listen) = 「聞く」 という言葉( ・・・「聞き従い」ではなく)が用いられ、他の箇所にも出ています。 ακοη(22か所

   「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、(キリストについての(×))キリストの(語る)言葉による。」(ローマ10:7) など。


    一方、  「従う、obey」 = πειθαρχεω(ペイサルケーオー) という言葉は、4か所(ただしネストレ新約聖書)程度しか書いてありません。(使徒5:29 「人に従うより、神に従うべきです。」、5:32、 27:21、 テトス3:1) いずれも、かたくな人たち(使徒たちを殺そうとする大祭司ら)、また、パウロの忠告を聞かなかった船乗りたち、異邦人に対して 語られています。

    cf.1  「不従順」 = απειθεω(14か所)、 απειθεια(7)、  「不信仰」 = απιστος(23)、 「信仰」 = πιστις(227)


    cf.2  旧約聖書でも、日本語で”聞き従い”と訳されているヘブライ語は、 「聞く」と訳されるべきものが多くあります。  ・・・  従う(obey)とは書いていない
   (例)
     申命記18:15 אֵלָיו (エライゥ、3単男尾) 彼(キリスト)に対して、  תִּשְׁמָעוּן (ティー シェマーオーン、未完・2複男) あなたがたは聞きなさい
     Ⅰサムエル12:14 שְׁמַעְתֶּם (シェマヱテム、2複男) あなたがたは聞く、  בְּקוֹלוֹ (ベ コーロー、単男・3単男尾) 彼(主)の御声に
     イザヤ48:18 לְמִצְוֹתָי (מִצְוָה、ミツヴァー、複女・1単尾) わたしの命令を、  הִקְשַׁבְתָּ (קָשַׁב、カーシャヴ、注意して聞く、耳を傾ける、完・2単男) あなたは傾聴する
     エレミヤ7:23 שִׁמְעוּ (シメウー、複男・祈使) あなたがたは聞きなさい、   בְקוֹלִי (ベ コーリー、単男・1単尾) 私の声に

         ( שָׁמַע シャマァ 旧約で1071か所、 קָשַׁב カーシャヴ 45か所 )





  11) エペソ4:11      →  地域教会と五役者の働き


   「11 And he gave some, apostles; and some, prophets; and some, evangelists; and some, pastors and teachers;
   → (直訳) 「彼(キリスト)は、ある者たちを 使徒たちに、他のある者たちを 預言者たちに、他のある者たちを 伝道者たちに、他のある者たちを 牧師また教師、それぞれ任命されました(それぞれの賜物与えられました)。」
   「11  Κι αυτος εδωσε αλλους μεν αποστολους,  αλλους δε προφητες,  αλλους δε ευαγγελιστες,  αλλους δε ποιμενες και δασκαλους」

  * και(ケー or カイ)は ① ~と~(並列、A and B)、 ② ~にして~(等しい、A=B) の2つの意味、 後者としてとると 「牧師にして教師」(牧師 ≒ 教師)となる可能性があります。また、δε(冠詞、the、it)は、この一つが牧師と教師の両方にかかっている
        αλλους other、  ποιμενες pastors、 δασκαλους teachers
        διακονιας(ディアコニア、エペソ11:5) ministry、 奉仕、働き ⇔ 職業(×)



  五役者(ごえきしゃ、あるいは 五職)とは、「職業」「職(office)」「制度」ではなく、神学校を出たからといって牧師になるのではなく(**)、直接、御子イエス様が個別に「賜物」として「与えられた」ものです。 ・・・ 使徒、預言者、伝道者、牧師・教師
  これは、御霊が 9つの賜物を分け与えられる(Ⅰコリント12:11) ・・・ 知恵のことば、知識のことば、信仰、いやし、奇跡、預言、霊を見分ける力、異言、異言を解き明かす力
  御父が 教会に 7つの奉仕(賜物)を分け与えられる(ローマ12:6-8) ・・・ 預言(prophecy)、奉仕(ディアコニア、ministry、教会管理・貧者 対応)、教える事(teaching)、勧め(exhortation、カウンセリング)、分与(giveth、福音宣教と貧者のために分け与える賜物(*))、指導(ruleth)、慈善(sheweth mercy、助ける働き)
  ことと同じで、すべて「賜物」です。
  また、これらの3つのカテゴリーの中で 「預言」だけが共通していて、「預言」が「神の三位一体」の中心点に位置していることを表しています。

  * 什一献金の束縛は不法です。マラキ書(3:8-10)は旧約時代の定めで、御子イエス様の十字架によって信じる者にとっては、律法の のろいは無効になりました。献金はあくまでも自発的なものでなくてはならず(Ⅱコリ9:7)、いかなる強制もあってはならないのです。(ま た十分の一は計算法によって大きく変わるという問題があります。定職のある人たちに対しては、月定献金という形で集めている教会が多い。) そして、本来 の教会の経済を担うのは、御父が定める この「分与」の賜物の奉仕によって中心的に行われるべきです。一般の人がマラキ書の定めの通り教会に献金したからといって何も起こりませんが(天には宝を積みます)、「分与」の賜物の人は、与えればより与えられます。

  「使徒」が教会の方向性を決め、全体を引っ張っていきます。(***)
  新約時代には、使徒が 子羊の12使徒以外にも存在し、預言者たちもいました。(「使徒たちパウロとバルナバ」(使徒行伝14:14)、「預言者たちや教師たちがいた」(使徒13:1))
  教会形成の働きは、「使徒と預言者の土台」の上になされます。(エペソ2:20) ・・・ 預言者(旧約聖書)+使徒(新約聖書)という「聖書」の土台の上に、という意味もありますが、具体的な使徒、預言者の賜物を与えられた働き人を通して、真の教会形成が行われることを表しています。

  使徒行伝の、パウロの1回目の伝道旅行では、パウロとバルナバのペア(使徒+使徒)であり、アジアの バルナバやマルコの郷里の近辺のみでした。その後、使徒パウロが 使徒バルナバと ヨハネ・マルコのことで反目し、パウロが 預言者シラスとペアを組み(使徒+預言者)共に(2回目の)伝道旅行をした際には、摂理的な奇跡が多く起こり、より遠く、ギリシャ(マケドニア、アカヤ)というヨーロッパ伝道が始められ、教会形成がなされ、また教会を強める働き「諸教会は強められ、日ごとに人数が増し」(16:5)ということが、1回目よりも強力に成し遂げられていきました。
  (3回目の伝道では、パレスチナからギリシャへの宣教の要衝である エペソ中心の伝道、 (その後) → (パウロ単独で)エルサレム → ローマへ)

  * パウロ: 使徒+伝道者+教師(兼任、Ⅰテモテ2:7)、 テモテ: 教師(上記より、おそらく牧師でもある)(”伝道者(宣伝者)”として働くこと(Ⅱテモテ4:5)は、五役者の「伝道者」ではなくても誰でもやっていたことです。) 使徒は 預言者のアドバイスを聞かないと 暴走することがある。

  ** 制度的な神学校出の牧師、海外の団体(福音派など)の経済援助による教会設立(戦後~昭和30年代) → 反カリスマの間違った教理、 礼拝にイエス様が見当たらない(by. 霊を見分ける賜物の人による)、教会の祈り会である油注がれた人たちが祈っているその間にはイエス様が立っている(by. 霊を見分ける賜物の人による)、 カトリック教会の上のほうでは サタンと ミカエルのような御使いが常に戦っている。(まだ脈がある)(by. 霊を見分ける賜物の人による)、 など。


  *** 「真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。」(Ⅱテモテ4:4) ・・・ 今の時代の傾向

  もし、イエス様が定める 五役者が 地域教会にいなければ、教会のすべての働きが ”ファンタジー”の方向に行ってしまいます。
  聖霊様以外の霊による働き: まじない、卜占(レビ19:26)、霊媒、口寄せ(19:31)、+霊的姦淫(20:5)、 1)主の御名によって、主が語られていないことを語ること( ex) 知恵・知識は本物で、信用させ、続けて出まかせを”預言”として語る)、( 2)他の神々の名による預言者) ・・・ にせ預言者 → 実現するかどうかで見分けなさい(申命記18:20)、 「(品性の)実を結んでいるかどうかで見分けなさい。」(マタイ7:16)
   ・・・ ニューエイジ: イエス様抜きで、幸福を追い求める働き・ムーブメント。 神から離れ、”自分の力”で幸福を追い求めようとする ”原罪”の性質が基本にある。
  幸福を第一に求めるのではなく、まず第一に 主のみこころを求めるべきである。(「神の国とその義をまず第一に求め続けよ。そうすれば、それに付け加えてすべて与えられる。」) 世的な幸福を第一に求めると 惑わされます。(繁栄の神学) 聖霊様は、「罪、義、さばきについて、世にその誤りを証明する。」(ヨハネ16:8) 十字架を負わないと惑わしの霊(にせ預言の霊)が働く(Ⅱ歴代誌18:21)、
  また、エキュメニカル運動(聖霊様によらない制度的な、宗派・宗教の一致運動)、 日ユ同祖論が嵩じた 神道との合同礼拝などの(クリスチャンの方の)霊的姦淫 には要注意。ただし最近では、神道関係者がクリスチャンと共にイスラエルに行くなど、キリストのほうに歩み寄ってきています。


   ∴ いわゆる五役者の働き、特に、使徒、預言者による 主からのビジョンと 言葉が 教会には常に必要。(「幻の無い民は ほしいままにふるまう。しかし、律法(みことば)を守る者は幸いである。」(箴言29:19))
     ( 参考) 1980年以前の韓国のリバイバルアズサストリートのリバイバル)、ピョンヤンリバイバル






  12) エペソ人への手紙 全体について:


   教会論 と 霊の戦い の書なので、特に、全体的に 変遷の度合いが大きい。 もともとの底本が、主の神性を貶める方向に 改ざん・削除されている上に、日本語訳は 多くの箇所で文法がずれた中途半端な訳のゆえに、真意が十分伝わってきません。 (パウロ文章は長く、たとえば1:3-1:14まで句点なしに一気に書き上げられている。)



  ・ エペソ1:4  「4 According as he hath chosen us in him before the foundation of the world, that we should be holy and without blame(傷、汚れ、罪×、非難○) before him in love(抜け):
   「世の基が据えられる前からの 主の選びに従って、主の御前で 愛のうちに、私たちは 聖なる者、(神に)非難されることの無い者とされました。」 (罪の無い方は神のみ)

  ・ 1:5  「5 Having predestinated us unto the adoption(養子縁組) of children by Jesus Christ to himself, according to the good pleasure of his will, 」 (ただみこころのままに(×))
   「主のすばらしい喜びのご意志に従って、イエス・キリストご自身による養子縁組の子どもとなるように、私たちをあらかじめ定めておられました。」

  ・ 1:7  「7 In whom we have redemption through his blood, the forgiveness of sins, according to the riches of his grace(χαριτος < χαρις カリス、恩寵;
       ・・・・  エペソ書に特徴的な言葉 grace: 日本語訳の「恵み」は軽い。日本語に訳しにくい言葉。 χαρις: 1.grace、 2.good will、 3.thanks、 4.pleasure ・・・ カリスマ、賜物 の語源 →  「栄光の恵み」「すばらしい恵み」

  ・ 1:8  「8 Wherein he hath abounded toward us in all wisdom and prudence(思慮深さ);

  ・ 1:11  「11 In whom also we have obtained an inheritance(△、lot(〇)), being predestinated according to the purpose of him who worketh all things after the counsel of his own will(抜け):
   「キリストにあって、また 私たちはくじによる相続地(*)を獲得した。それは 主ご自身のご意志による熟慮の上で すべてのことを実現させる主の目的に従って、あらかじめ定められていたものです。」 ・・・ * イスラエルのくじによる割当地と同じ(ヨシュア13:6、民数記26:55)、 「くじ(κληρος、クレロス)」という言葉は 新約(ヨハネ19:24、使徒1:26、Ⅰペテロ5:3、等)にも用いられている。 NEW (16 11/20)

  ・ 1:12  「12 That we should be to the praise of his glory, who first trusted(希望×、信頼○) in Christ.


  ・ 1:14  「14 Which is the earnest(保証金・手付金) of our inheritance until the redemption(買戻し、贖い) of the purchased possession(obtaining (神の)獲得物、(意訳)神の民), unto the praise of his glory.
   「(聖霊は、) ① 獲得されたもの(神の民)の買戻しのための 相続財産の保証金であり、 また(聖霊は、) ② 主の栄光を賛美するための お方です。」

   ・・・ αρραβων アッラボーン、earnest = 保証金、手付金、   απολυτρωσιν της περιποιησεως アポリュトゥローシン テース ペリポイエーセオース、 redemption(贖い、救い) of purchased possessionobtain = 獲得されたもの、占有物
  救われた時に与えられた聖霊様は、来るべき主の再臨に伴う 神の国を相続するための、いわば 保証金の位置づけとなる


  ・ 2:1  「1 And you hath he quickened(生き返らせる), who were dead in trespasses(παραπτωμασιν 違反、罪過、あやまちの罪) and sins(αμαρτιαις < アマルティア 罪、罪悪、(霊的な)邪悪な罪、(Ⅱテサロニケ2:3の「罪(不法×)の人」)); 」 (日本語聖書では、太線部 欠落)
   「そして、主はあなたがたを生き返らせました。その あなたがたは、あなたがたの違反罪悪の中で 死んでいたのです。

  ・ 2:10  「10 For(γαρ ガル なぜなら) we are his workmanship(ποιημα ポイエマ 作品、出来栄え、(意訳では)最高傑作、優れた芸術作品, created in Christ Jesus unto good works, which God hath  before ordained(προητοιμασεν < プロエトイマゾprepare (運命的に、あらかじめ)用意する) that we should walk in them.
    ・・・ 8節で、「救いは行いによらない」ことを語り、さらにこの節でもう一度そのことを強調している。


  ・ 2:14、15  「14 For he is our peace, who hath made both one, and hath broken down the middle wall of partition between us; 15 Having abolished in his flesh the enmity(敵意), even the law of commandments(律法) contained in ordinances; for to make in himself of twain one new man, so making peace; 」 → 日本語の文法がおかしい
   「というのは キリストは私たちの平和であり、二つのもの(ユダヤ人と異邦人)を一つにし、私たち(ユダヤ人と異邦人)の間の 隔ての壁を打ち壊し、 ご自分の肉において敵意を廃棄され、儀式を含む律法さえも無効(カタルゲーサス、力を奪う)にされました。そしてそれは、キリストにあって その二つが一人の新しい人になるためであり、こうして平和を作るためです。」

   ・・・ ユダヤ人と 異邦人の 両方について、キリストによる贖いの結果 一つの御体(普遍的教会)となること を言っています。 単純にイスラエルからすべてキリスト教会に変わっただけではない。(置換神学×)  → 最終的には、終末前の、 「異邦の7つの教会」(黙示録1:20) と、 「主の御前の2本のオリーブの木、二つの燭台」(黙示録11:4)


  ・ 2:20  「20 And are built upon the foundation of the apostles and prophets, Jesus Christ himself being the chief corner stone;
   「あなたたちは、使徒 と 預言者 の土台の上に建てられ、イエス・キリストご自身が (すみ)の頭石(かしらいし)です。」

   ・・・ 小羊の12使徒(マッテヤではなくパウロが12番目)以外にも、アンテオケ教会に所属していた 「使徒バルナバ」(使徒14:4、『慰めの子』と呼ばれたヨセフ、キプロス島の生まれのレビ人、財産をすべて売り払って、その代金を使徒たちに差し出した。回心後のパウロを受け入れ、彼を保護してタルソスへ送り、パウロの第1回宣教旅行(キプロスから小アジア)に同行した。)がいた。
  「預言者たち」「預言者アガボ」(使徒11:27)、ピリポの4人の娘(使徒21:9)、アンテオケ教会のユダやシラスたち(使徒15:32) は、新約時代の預言者。
  「教会内の使徒、預言者」(Ⅰコリント12:28)。
   →  現代にも、使徒、預言者、伝道者、牧師、教師の「五役者(五職)」(エペソ4:11)が存在する、と十分解釈できる。
  (制度的でない、本当の)教会形成は、「使徒」と「預言者」による
    cornerstone = 土台の隅の礎の石、 cf. アーチ上に積み上げた中央のくさび石(keystone、仕上げの石、頂角石(ちょうかくせき)


  ・ 3:8  「8 Unto me, who am less than the least of all saints, is this grace given, that I should preach among the Gentiles the unsearchable riches of Christ;
   これはパウロ独自の造語で、 「ελαχιστοτερω < エラキストテロス、less than the least」 = 「すべての聖徒たちの中で最も小さい(最上級)者よりも小さい(+比較級)者」 = 「いと小さき者よりも小さき者」(めずらしく、文語○)

   * パウロのへりくだり: 「使徒の中で最も小さい者」(Ⅰコリント15:9) → 「すべての聖徒たちの中で最も小さい者」(エペソ3:8) → 「罪人のかしら」(Ⅰテモテ1:15)
   ・・・ この自己評価は過去の罪の罪責感によるものではなく、自己に与えられた過分な「恵み」を知っていくほどに、このように掘り下げられていきました。

  ・ 3:10  「10 To the intent that now unto the principalities(△) and powers(△) in heavenly places might be known by the church the manifold wisdom of God,
    「今 天にある 「αρχαις<アルケー」(支配(×)) beginning, origin 初め、起源、principality 公国 (○)と  「εξουσιαις<エクソウシア」権威(者)、公的権力(= どちらも天使の名称(エペソ1:21))とに対して、・・・ 神の豊かな知恵が示されるためであって、」
   ・・・ 「最も小さい者」と自称したパウロが、今度は一転して、自分に与えられた「異邦人伝道」、「奥義を明らかにすること」の「使命」を語る段になると、ついには神の知恵を「天使群」にも示そう、と公言してはばからなかった。
   *  天(ハシャマイム 男性・複数、the heavens) ・・・ ユダヤの言い伝えにより 3つ(または 7つ)の天界、  地(ハアレツ 女性・単数、the earth) (創世記1:1)
      パウロが行ってきた「第三の天(=パラダイス)」(Ⅱコリント12:1、4)   「もろもろの天(複数)の中を」(ヘブ4:14)を通られた大祭司イエス様は、「天(複数)よりも高くされた大祭司」(ヘブ7:26)、「もろもろの天よりも高く上られた方」(エペソ4:10)   「新天(複数)新地(単数)」(イザヤ65:17、黙示録21:1)

  ・ 3:21  「21 Unto him  be glory in the church  by Christ Jesus throughout all ages, world without end. Amen. 」  栄光を与えるものが、教会ではなく、キリストでなければならない(教会により×)
   「キリスト・イエスにより、 教会において、 主に 栄光がありますように。世々限りなく、永遠にまで。アーメン(確かに)。」

  ・ 4:8  「人々に賜物を分け与えられた(εδωκεν<ディドミ、 give、grant 授ける)」 引用元の 詩篇68:18 「人々からみつぎを受けられました(LQX ラーカハ、take、receive)」 と逆になっています。 一般には、パウロがこの引用箇所を用いて 自説に適応させた と解釈されます。

  ・ 4:14 「人の悪巧み(△)」 → 「クベイア((語源) cube)、サイコロばくち」、   「策略」 → 「メソデイア(後のmethod)、はかりごと、手段」(6:11)

  ・ 4:17  「17 This I say therefore, and testify in the Lord, that ye henceforth walk not as other Gentiles walk, in the vanity of their mind,
   「他の異邦人(=救われていない異邦人)がむなしい心で歩んでいるように歩んではいけません。」 ・・・ 「other = 他の」をつけないと、救われている異邦人クリスチャン のことと混同される危険があります。 「むなしい」 = マタイオテース、目当ての無い、無益な  :18 の 「かたくな」は ポーロス、硬い石から

  ・ 4:23  「23 And be renewed in the spirit of your mind; 」  「あなたの心のにあって新しくされ、」(○)、口語訳の「心の深み」(×)

  ・ 4:24  「24 And that ye put on the new man, which after God is created in righteousness(δικαιοσυνη < ディカイオスネ 義、公義) and true holiness(οσιοτητι της αληθειας ホシオテティ(神聖) テース(of) アレセイアス(真理))」. 」 (trueのかかりかた)
   「と、真実の聖とをもって、神にかたどり造り出された、そのような新しい人をあなたがたは着たのです。」


  ・ 5:1 「1 Be ye therefore followers(△) of God, as dear children;
   「神にならう(△)」 とは、 「μιμηται < ミメテス、imitator、 生き写しの」 「神と生き写しの者になりなさい。」・・・ パウロの手紙の中でもかなり思い切った言い方の箇所(他に見られない)! そしてそれは、「愛された子供」だけが 父に似るようになります。


  ・ 5:19  「19 Speaking to yourselves in psalms and hymns and spiritual songs,  singing and making melody  in your heart to the Lord;
   「19 λαλουντες(<ラレオー楽器を伴って語る)  εαυτοις(< ヘアウトウ、彼ら自身、互いに)  ψαλμοις(プサルモス、詩、詩篇)  και  υμνοις(ヒュームノス、賛美歌)  και  ωδαις(オーダイス、オーデー=歌) πνευματικαις(プニューマティカイス、霊的) 、  αδοντες(アドー = sing)  και  ψαλλοντες(<ラレオー楽器を奏でる) εν τη καρδια(カルディア、心、心臓) υμων(< スー、あなたがたの) τω κυριω(キュリオー、主) 」

   「詩(奏楽付きの 旧約聖書の詩篇の朗読)と 賛美歌(当時のキリスト者の作った歌)と、霊の歌(聖霊様に導かれて歌う 霊的な歌 = いわゆる「霊歌」、「spiritual song」)で互いに歌声をもって語りなさい。 (このように、)歌い、また 奏楽を奏でることを、主に向かって、 あなたがたの心からしなさい。」


  ・ 5:26  「みことばにより、の洗いをもって、」(新改訳)  「 with the washing of water by the word」(KJV)  「καθαρισας(clean) τω λουτρω(washing、bath) του υδατος(<υδωρ、フードル、water、) εν(エン、in、by) ρηματι(レーマティ <ρημαレーマ、word、saying、言葉、みことば)」(ビザ型ギリシャ語)
   ・・・・・ この「水の洗い」は 洗礼式ではなく、 ヨハネ15:3 の 「あなたがたは わたしの話したことばによって、もう きよいのです。」 より、 ここでは、
       みことば(レーマ: 聖霊様が宿り、生きているみことば) = 水(いのちの水)   であることを象徴的に表していると考えられます。

    * 他の「レーマ」の語:  マタイ12:36「語られたことば」、 ルカ1:37「こと」、 ルカ3:2「神聖なことば」、 Ⅰペテロ1:25「主のことば、福音のことば」、など。 ただし、厳密に 「レーマ」(神が今語っている言葉)と 「ロゴス」(神が語った言葉、λογος、 ヨハネ1:1など) の区別は、聖書の用法としてはそれほどはっきりしていない。


  ・ 5:30  「For we are members of his body, of his flesh, and of his bones.」(エペソ5:30)
    「わたしたちは、キリストの体であり、キリストの肉と、キリストの骨である。」  ・・・・・ この 「夫婦論」の箇所から、エバが アダムの肉と骨から作られたことに言及し、新しいアダムであるイエス様が、私たちと一層 親密であり一体であることを語っています。
  地上の結婚生活については、 ・(キリストがわたしたちを愛して(アガペー)くださったように、)夫は妻を愛しなさいアガペー(エロス、フィロスではない))(5:25、コロサイ3:19、「(いのちの恵みを共に受け継ぐ者として)尊敬しなさい」Ⅰペテ3:7)、 ・妻は夫に従いなさい(5:22、コロサイ3:18、Ⅰペテ3:1)、 と同じことを語っています。



   6:10  「10Finally×In conclusion(○), my brethren, be strong in the Lord, and in the power of his might.
   「(教会論を語り終わって、)結論として、私の兄弟たちよ、主にあって、主の全能の力にあって、強くありなさい。」

  ・・・ アレキサンドリア型写本(A:アレキサンドリア、 B:バチカン、 アレフ*:シナイ)では του λοιπου トゥー・ロイプー = ”その後に”(λοιπος 最後、残り) ×、  しかし ビザンチン型写本(アレフ3、D、G、K、L、P)では το λοιπον ト・ロイポン = 「結論として」 ○、 という意味合いになります。

  この、個人的な霊的武装(「格闘 = ヘー・パレー、(ヘー=誰もが良く知っている)レスリングの格闘」(6:12)=個人技)、また教会の全体的な霊の戦い の箇所に、今までの「教会論」(+「夫婦論・親子論」)の議論の総まとめがあります。
  「邪悪な日」(エペソ6:13)とは、終末、それぞれ時代の迫害の時、また個別の危機のとき、というすべての意味。 因みに このエペソ書は、”ローマの平和”の時期に書かれました(BC61、2頃)が、数年後にネロによる大迫害が始まろうとしていました。パウロ(ネロによる殉教AD67、64?)が獄中、あるいは 軟禁状態で書いた手紙です。(『獄中書簡: エペソ、ピリピ、コロサイ、 ピレモン(獄中にいた逃亡奴隷オネシモを 主人のピレモンに送り返す時)
  パウロは「エペソで獣(=アルテミス神殿の女神を語る悪霊)と戦った。」(Ⅰコリント15:32、使徒行伝19:23-41、マタイ12:29) また、黙示録の直前の時代には、霊の戦いが功を奏してエペソ教会は一番大きな教会となりました。(cf.コリント教会は、賜物の現れは揃っていたが、不一致、不品行、愛が無い などのため、ついには消滅。) エペソ教会は、にせ使徒の見分け、忍耐、ただし初めの愛から離れた。ニコライ派(制度的教会)を嫌う。(黙示録2:1-7)


  ・ 6:14、15  「では、しっかりと立ちなさい。」 武具を着けるために「立つ」姿勢をとること。  1.「真理の帯」 帯は、重装備に先駆けて付ける基本的な武具、敏速な行動を可能にする。  2.「正義の胸当て」 キリストの義を着る。  3.「足には平和の福音」 兵士の足元の堅固さ + 福音を宣べ伝える足。(ローマ10:15、イザヤ52:7) 福音のくつを履く=福音を宣べ伝えるなら 足は怪我をしない。  4.「信仰の大盾」 大盾 スュレオス、扉、扉のように全身を覆う大きな盾 = 救いの信仰、 悪い者が放つ批判・非難中傷・作り話うわさ話・ねたみ、などの火矢をみな消す。(火矢は鉄のやじりと火のついた麻縄の1mもある矢で、鎧を突き通し非常に危険なもの。守るものは 全身をすっぽり覆う大盾が必須。  5.「救いのかぶと」 かぶと=ペリケファライア(ペリ・周り、ケファレー・頭 の合成語)で、深くかぶるタイプのかぶと(ここと、Ⅰテサ5:8 「信仰と 愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、」のみ)で、緒を締めて「救い」がぐらつかないようにする。  6.最後は「御霊の与える剣」 剣 マカイラ は、ここでは唯一の攻撃用の武器で、ローマ兵が通常持つ、白兵戦用の短剣。これを「神から受け取る。」(* 6:18 ↓)


  ・ 6:18  「18 Praying always  with all prayer and supplication in the Spirit,  and watching thereunto(尚その上に) with all perseverance and supplication for all saints;
   「18 δια(ディア、by、through) πασης(<パス、all) προσευχης(プロシューケー、prayer、祈り)  και δεησεως(デエーシス、supplication, request、願い、哀願) προσευχομενοι(プロセウコマイ、pray、祈りなさい) εν(エン、in) παντι(all) καιρω(カイロス、time) εν(エン、by、with) πνευματι(プニューマティー、霊、聖霊)、  και εις(エイス、toward、for、into) αυτο(them) τουτο  αγρυπνουντες((動詞)アグループネオ、watch、keep awake) εν(with、by) παση(パス、all things) προσκαρτερησει((名詞)プロスカルテレシス、perseverance、忍耐、根気 ≠ patience) και δεησει((名詞)願い) περι(ペリ、about、of、for) παντων(< パス、all) των(the、which、this) αγιων((形容詞・名詞)ハギオス、holy、holy ones、saints、聖徒たち) 」

   ∴ 「(そのために、)すべての祈りと願いを通して、何時も 聖霊とともに祈りなさい。 尚その上に、あらゆる忍耐を働かせ(=すべてに根気良くあって)、また、すべての聖徒たちの切なる願いのために、(神のことば(聖霊の油注がれた みことば =いわゆるレーマ or 預言)を受け取るために *)目を覚ましていなさい。」   ・・・  後半の文章で、「目を覚ましていなさい」 が唯一の動詞

   ・・・・  * 6:18は、「御霊の与える剣(=唯一の攻撃用の武器)である 神のことば受け取りなさい。」(6:17後半) がメインの文章であり、これに続けてPraying ~、 and watching ~ の形で書かれています。(パウロの文章は長い!)
  結局、聖霊様によって祈ることが、「霊の戦い」の中心的な働きとなります。その際、神の言葉聞きながら祈るよう語られています。 神の言葉が与えられたら、それが勝利です。 イエス様も、試練の時、申命記のみことばによって サタンを撃退されました。(マタイ4:4、7、10) そして、神の言葉が すべてのことを成し遂げます。(イザヤ55:11)
  主はことばによって天地を創造されました。(創世記1章) 世の終わりの時の 再臨のイエス様によるさばきも、口から出る剣なる神の言葉によってなされます。(黙示録19:15)

  聖句のパロットではいけませんが、タイムリーな聖霊様の油注がれたみことば(いわゆるレーマ)や イエスの御名の権威の行使は、まるでマンガのように霊の世界に作用し、敵の霊にこの上ないダメージを与えます。



  ** すべてにおいて、主の言葉を 「聞く」 ということに、ポイントがあります。(「聞き従う」(×)、 「聞く」(○)、 「従う」(×)、 「信じる」(○))

   「あなたが わたしの声に 聞いた(シャマータ < シャマア、聞く)ゆえに、地のすべての人々は あなたの種(単数・キリストのこと)によって 祝福される。」(創世記22:18)、
   「 ・・・ 預言者(単数・キリストのこと)を立てる。私(モーセ)へのように 彼に聞きなさい(ティ シェマーオン、聞く)。」(申命記18:15)

   「もし、あなたがたがを恐れ、主に仕え、主の御声に(ベ コーロー < クール、声) 聞き(ウ シェマアテム、聞く)、の命令(ペー、直:口)に逆らわ(マラー)ず(ロー)、また、あなたがたも あなたがたを治める王も、あなたがたの神、の後ろに(アカル)ある(アル、on ついて、above 上に)なら、」(Ⅰサムエル12:14)
   「の御声(クール、voice)に聞く(シャマア、hear)ことほどに、全焼のいけにえ(→ 献身)や その他のいけにえ(→ 奉仕)を喜ばれるだろうか。 見よ。 聞くことは、いけにえにまさり、心に留める(カーシャヴ、heed、hear)ことは、雄羊の脂肪にまさる。」(Ⅰサムエル15:22)

   「そして彼らに言われた。 あなたがたが聞くことに心に留めなさい。 あなたがたが 与える量りによって、あなたがたも量られる。 そして 聞くあなたがたに、さらに与えられる。」 (マルコ4:24)   (日本語、アレ型では、「聞く」が脱落)

   「聞く耳のある者は聞きなさい。」 が福音書でかなり削除されている。 黙示録の7つの教会ではすべて書かれています。

   「御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に(従わない者は(×))信じない者は(○)、命にあずかることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」(ヨハネ3:36)

      ・・・・  信じる とは、御子の語られる神の言葉を 「聞いて」、「信じる」ことです。(ローマ10:17) 人の言葉に盲従するなら、それはカルトです。 信仰の土台は、神のことばです。そして、神のことばが、すべてのことを成し遂げます。(イザヤ55:11)





  13) ピリピ2:6-8  ピリピ4:6


   「6 Who, being in the form of God, thought it not seizingrobbery×) to be equal with God:
  7 But made himself of voidno reputation △), and took upon him the form of a servant, and was made in the likeness of men:
  8 And being found in fashion as a man, he humbled himself, and became obedient unto death, even the death of the cross. 」 (ピリピ2:6-8、 KJV)

  ・ ピリピ2:6 「αρπαγμον ハルパグモン < ハルパグモス」 = 1. seize 手でつかむ → 固執する(○)、 2. robbery 強盗する(×) ・・・ 珍しく、KJVが新約で誤訳。 NKJVもだめ。


   神の御姿(新改訳、△) → 「神が有する 形(form)」、  神のあり方(新改訳、×) → 「(θεω < セオス、the God)と 等しい(ισα < イソス、equal存在(ειναι <ειμι エイミexist)であることに固執(ハルパグモン、seize)しないで、」

  ・ 2:7 ご自分を無にして(△) → 「自己を (ご自分の持つ 神としての権利を無効にして(εκενωσεν エケノーセン < κενοω ケノー、make void、empty)、」

   「しもべの 形(form)を受け取り(λαβων < ランバノウ、take、receive)、 人間と同じようなもの(likeness)となられ(became)、そして、生活様式(σχηματι、fashion)は人間をもって現れた。」

  ・ 2:8 「ご自身が卑しく(εταπεινωσεν < タペイノー、make low、humble)なられ(became)、死(θανατου < サナトス))にまで従われた。 十字架(σταυρου < スタウロス)の死にまでである。」

    ・・・・・ 日本語訳は、御子イエス様が 完全な神であり、完全に人として来られたことを、きわめて弱くしています。



   「6 Be careful(×))anxious((NKJV)心配、○) for nothing; but in every thing by prayer and supplication with thanksgiving let your requests be made known unto God. 」 (ピリピ4:6、 KJV)
     ・・・ これも珍しく、KJVが新約で誤訳。 NKJVは正しい。




  14) コロサイ1:16 NEW 2017 1/25


   「16 οτι(ホチ、that) εν(in、by αυτω(アウトー、Him) εκτισθη(エクティスセ、created、κτιζω クティゾー の単過去・3単) τα(the、複中) παντα(all、πας の複中)、
  τα(the) εν(in) τοις(the) ουρανοις(オウラノイス、heavens、受・男、第1、第2の天の事) και(and) τα(the) επι(on) της(the) γης(ゲース、land、earth、所有・女)、
  τα(the) ορατα(ホラタ、visible、seen) και(and) τα(the) αορατα(アオラタ、invisible、un seen)、
  ειτε(whether) θρονοι(スロノイ、thrones、王座男)) ειτε(or) κυριοτητες(キュリオテーテス、lordships、統治権、支配(複女)) ειτε(or) αρχαι(アルカイ、originals 創始、sovereignties 権威者(複女)、<αρχη アルケー) ειτε(or) εξουσιαι(エクソーシアイ、power、authorities 力量、能力、権威(複女))、
  τα(the) παντα(all) δι(through <δια αυτου(アウトウ、Him) και(and) εις(into、unto、towards、for αυτον(アウトン、Him) εκτισται(エクティスタイ、has been created、完・受・3単) 」

   「なぜなら、(イエス)にあって、すべてのものが創造されたからです。 (それぞれの)天の中にあるもの、地の上にあるもの、 目に見えるもの、見えないもの、 また、さまざまな 王座、あるいは支配権、あるいは権威者たち、あるいはその能力。 それらのすべては、主を通して、また 主に対して 創造されました。」(コロサイ1:16)




  15) Ⅱテサロニケ2:3、 2:7


   「まず 背教が起こり、不法の人(×)、すなわち 滅びの子(破滅に定められた者(△)、=反キリスト)が現れなければ、主の日(御子イエス様の再臨の時)は来ないからです。」(2:3、新改訳)
  ワードプラネットの ビザンチン型ギリシャ語訳より、
   「ο ανθρωπος της  αμαρτιας,  ο υιος της απωλειας (ホ アンスローポス テース アマルティアス、 ホ ニオス テース アポーレイアス)」  = 「the man of sin,  the son of loss (perdition)

     = 「罪の人、 損失(損害、消耗)の子」(○)  という意味。

      ・・・ 原罪そのままで 浪費癖の”ネロ”・666(→ ネロ・カエサルの数字ゲマトリア)という感じの人物。 ここでは 「アマルティアス、罪の」であって、「ανομιας(アノミアス)、不法の」ではない(↓)
  ここで注目すべきことは、 「背教」とは、(初めはそこにいたが、)キリスト教界から出て行って、反キリスト的な働きをする人々が まず現れることを意味しています。(いわゆる”制度的教会”、”大いなる異端”と呼ばれるもの、にせ預言者ら「地から」(黙13:11)) 次に、それに関連する形で 終末の「反キリスト」が「異邦から」(黙示録13:1「海」)現れます。




  「不法秘密はすでに働いています。 一人の御使いだけが 今 とどめており、彼がその時の真中で出されるまでそのようにしています。」(Ⅱテサロニケ2:7) NEW 2016 5/26


  「7  το(the、中) γαρ(for) μυστηριον(<ミュステリオ、mystery、単・中) ηδη(エデ、already) ενεργειται(エネルゲイタイ、work) της(of)  ανομιας(アノミアス、iniquity、lawlessness、不法、単・女)、
  μονον(<モノス、only、 or 形・単・中) ο(ホ、the、冠詞・単・)  κατεχων(<カテコー、hold、keep、動詞・主・単・) αρτι(now、副)、
  εως(untill) εκ(out) μεσου(of midst) γενηται(maybe becoming)」 (by. Textus Receptus、1894、 リンク

  ルカ2:49 と同様に、この2行目の ~ が元々抜けていて、予測しなければならない。 にかかる冠詞 ο と 動詞が 単・より、 πνευμα(プニューマ、単・中):聖霊 ではなく、 αγγελος(アゲロス、単・男:一人の御使い と解釈される。 また、κυριος(キュリオス、Lord、主、単・男)では、意味的におかしい。(冠詞: 男 ο(ホ)、中 το(ト)、女 η(ヘ))


  *  別のギリシャ語原文では、
   「το μυστηριο(ミステリオ)  τησ(of) ανομιας(アノミアス) ηδη(already) ενεργειται(エネルゲイタイ、work)、   μοναχα μεχρις οτου βγει απο τη μεση αυτος(アフトス、he που τωρα εμποδιζει」
  英語訳では、
   「7  For the mystery of iniquity doth already work:  only he who now letteth will let, until he be taken out of the way.(KJV)
  この he を、大文字にとって He として、「聖霊」ととると、  ”聖霊なしではこの世では居られない” という理由から、艱難携挙説(×) の根拠とされているが、間違い
  「αυτοσ(アフトス)」 は、上記の考察から、特別な任務の「御使い」を表しています。




  16) Ⅱテモテ1:7


  ・ 「7 ου γαρ εδωκεν ημιν ο θεος πνευμα δειλιας αλλα δυναμεως(デュナミス >ダイナマイトの語源、力、奇跡) και αγαπης(アガペー) και σωφρονισμου(ソフロニスモス、自制、節制) 」

    「7 For God hath not given us the spirit of fear; but of power, and of love, and of a sound mind.(正気、健全な心)

    「というのは、神は 私たちに 恐れの霊ではなく、 力(デュナミス)と 愛(アガペー)と 節制の霊(健全さの霊)を お与えになったからです。」 (Ⅱテモテ1:7)   ・・・ 日本語訳の「慎み」は 謙遜傲慢の誤解を招く




  17) ヘブル1~4章


  ・ 1:8  「まっすぐな(○)杖(○)」(新改訳)  → 「 a sceptre of righteousness(△) is the sceptre of thy kingdom.」(KJV) = 「義の王笏(△)」
       ・・・・・ 詩篇45:6の引用で、 「あなたの王国の杖は、公正の(まっすぐな)杖」 杖: ShBT(シェベット)、羊飼いの杖 = 詩篇23:4と同じ言葉で、「羊飼いの(敵に対する)むちと杖」の意味。 王笏(△)  王国: MLKWT(マルクース)、王位、統治、王国  公正:MYShWR(ミーショール)、平坦な、まっすぐな、正義の

  ・ 2:12  「教会(△)の中で、わたしはあなたを賛美しよう。」(新改訳) 「in the midst of the church(△) will I sing praise unto thee. 」(KJV、 NKJVでは assembly(○))
       ・・・・・ 詩篇22:22の引用で、 「会衆の中であなたを賛美しよう。」 QHL(カハル):assembly, company, congregation、集会

  ・ 3:6  「もし私たちが、確信と、希望による誇り(×)とを、終わりまでしっかりと持ち続けるなら、」 → 「 if we hold fast the confidence and the rejoicing(○) of the hope(希望の喜び) firm unto the end. 」  ・・・・・    ヘブル書の日本語訳は、”教会”という言葉を入れ、”喜び”という言葉を取り去る傾向にある。


   3:15  「きょう、もし御声を聞くならば、御怒り(×)主への反抗(○)を引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。」 → 「15 While it is said, To day if ye will hear his voice, harden not your hearts, as in the provocation(△、挑発、怒らすこと). 」(KJV)
       ・・・・・  詩篇95:7、8 「きょう、もし御声をきくなら、メリバでのときのように、荒野のマサでの日のように、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」 の引用。  メリバ:MRYBH(メリーバー、争い)、 マサ:MSH(マサー、試み、誘惑) →  ”怒り”ではなく 「反抗」と訳すべき

   4:2  「みことば(○)が、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられ(×)混ぜられ(○)なかったからです。」 → 「2 For unto us was the gospel(△、ロゴス) preached, as well as unto them: but the word preached did not profit them, not being mixed(○) with faith in them that heard it. 」
       ・・・・・  συγκεκραμενος(< スグケランヌミ、受格・複・男、 (← (語源)συν、スン、with)): mix together混ぜる組成
       ・・・ Ⅰコリント12:24 のσυνεκερασεν と同じ言葉。 「劣ったところをことさらに尊んで、体をこのように調和させて(△)(このような)組成にして(○)くださったのです。」




  18) ヘブル5:13、14、 6:1-

   「13 For every one that useth milk is unskilful in the word of righteousness(義の教え(新改訳、×)、義の(δικαιοσυνης、ディカイオスネ、公正、公義) 言葉λογου、ロゴス、○)): for he is a babe.
14 But strong meat belongeth to them that are of full age, even those who by reason(△) of use(△) have their senses exercised to discern(διακρισιν(名詞)、ディアクリシス、見分ける力、=Ⅰコリント12:10と同じ言葉) both good(καλου、カロス) and evil(κακου、カコス). 」(ヘブル5:13、14)

    ・・・・・ ユダヤ人にとって、 「乳」 = 「律法」、  「堅い食物」 = 「義の言葉」 = 「御子イエス様(の言葉)」、 直前に メルキ・ゼデク = 「MLKY TsDQ、義の王」(創世記14:18) への言及から、「律法」の行いではなく、信仰による「義」ということを強調しています。


   「14  τελειων δε εστιν η στερεα τροφη、
  των(which) δια(by、through) την εξιν(ヘクシス、use(△)、成熟) τα αισθητηρια(受・複・中、アイスセテリオン、理解力、判断力) γεγυμνασμενα(受・複・中、グムナゾー、訓練された、→ ギムナジウム、ジム)、
  εχοντων(・複・男< εχω、エコー、have) προς(to、against) διακρισιν(名詞、受・単・女、discerning、見分け、見分ける力) καλου(good) τε και κακου(evil、bad nature) 」

   ∴  →  「堅い食物は大人の食物に属し、 それは 訓練された判断力成熟することを通して、 良いものと悪いものとを見分け(る力)持つ人たちのものです。」(5:14)  cf.”経験によって(新改訳、△)”

   この「見分け」 は、”経験”ではなく、「訓練による見分け」(5:14)であり、もうひとつの見分けの御霊の賜物の「 διακρισεις  πνευματων、霊を 見分け(る力)」(Ⅰコリント12:10)と同じ言葉が使われています。

   ・ 6:1-  「初歩の教え」の中の、  6:2 「手を置く儀式」 = 「聖霊のバプテスマを祈ること」。  ⇔ (使徒行伝19:3の按手礼ではない。)、 他の 「水のバプテスマ」、「(再臨のときの)死者の復活」、「永遠のさばき」はわかりやすい。 御子についてではなく、信徒に関する教え。




  19) ヘブル11:1、11:6、11:31

   ここは、マルコ11:22-、ローマ10:17 などと並んで、有名な「信仰」の箇所です。 律法の「行い」に行きがちなユダヤ人の弱点は、「信仰」です。 この書の著者(伝統的にはパウロといわれる、ヘブ10:34)はこの点を全体で強調しています。

   「1 Now faith is the substance(実体) of things hoped for,  the evidence of things not seen.
   「1 εστιν< エイミ、is、である) δε πιστις(・単・女、ピスティス、faith、assurance、信仰)、
     ελπιζομενων(所有・複・中、エルピゾー、trust、hope) υποστασις(・単・女、フュポスタシス、confidence、substance、実体)、
     πραγματων(所有・複・中、プラグマthing、matter、bussiness) ελεγχος(・単・男、エレグコス、proof、evidence、証明、conviction、確信) ου(オウ、not) βλεπομενων(現在・被・所有・複・中、ブレポー、see)」

   ∴ →  「信仰とは、  望んでいることの 実体であり、 今見ていない事柄証明である。」

   マルコ11:22 「神の信仰を持ちなさい。」、 マルコ11:24 「すでに受けたと信じるならば、そのとおりになる。」、 創世記1:2、3 「神の霊は水の上を舞いかけていた。そのとき、神が、「光よ。あれ。」と仰せられた。すると 光があった。」、  ローマ10:17 「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリスト すなわち みことばによるのです。」、 イザヤ55:11 「わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰ってはこない。必ず、わたしの望むことを成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」
   ・・・・・ 神のことばを「聞いて」受けたならば、それで勝利です。信仰の土台は、神のことばです。 → 「聞く」ことについて: エペソ全体 の下のほう参照


   ・ 「信仰が無くては主に喜んでいただくことはできません。神に近づく者は、神がおられることと、一生懸命に(diligently、勤勉に)主を求める者には報いてくださることを、信じなければならないのです。」(11:6)
       ・・・・・ 「信仰」によって、実に、神様は喜んでくださいます。 イエス様の十字架以前の旧約時代の聖徒たちは、この「信仰」によって、「義」とされ救われました。ただし、十字架の示しは 随所にありました。

   ・ 「遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順(×)不信仰(○)な人たちといっしょに滅びることを免れました。」(11:31) ・・・ ヨハネ3:36 「従わない者は」(×)、「信じない者は」(○)





  20) ヤコブ4:5 NEW 2017 4/2


   「5 η(エ、or) δοκειτε(ドケイテ、suppose) οτι(ホチ、that) κενως(ケノース、empty) η(ヘ、the) γραφη(グラフェー、scripture) λεγει(レゲイ、is saying) προς(プロス、toward) φθονον(フソノン、envy) επιποθει(エピポセイ、is longing) το(*主格・単・中、ト、the) πνευμα(*主格・単・中、プニューマ、Spirit) ο(ホ、which) κατωκησεν(カトーケセン、dwells) εν(エン、in) ημιν(ヘーミン、us) 」

   「5 Do ye think that the scripture saith in vain, The spirit that dwelleth in us lusteth to envy? 」(KJV)

  これは、それぞれの底本のギリシャ語は同じであっても、 το πνευμα を 主格・単・中 にとる(ビザンチン型、textus receptus)か、受格・単・中 にとる(アレキサンドリア型、nestle aland)かで、訳が分かれる箇所です。(主格と受格が全く同じ) しかし、前後関係の 「世を愛することは、神に敵対すること」(4:4)等より、 内なる聖霊様が主語になっていることは明らかです。 また、日本語訳の「神は」(主語)という言葉(Θεος)は存在しません。
  アレキサンドリア型の翻訳は、 御子イエス様と同じように、聖霊様を 父なる神よりも低くさせる グノーシス的な意図を感じさせます。 聖霊様は、内におられると同時に 外部から降臨され、なおかつ、「the Spirit」で 単数の「一人の神」です。 イエス様が昇天され、再臨されるまでの間は、聖霊様が地上で「共におられる主」です。 聖霊 = 主(ヤハウェ)と同等。
  (「神は ねたみの神」であることの旧約聖書からの引用箇所は、 出エジプト34:14、20:5、 申命記32:16、ゼカリヤ8:2)

   ∴ 「それとも、私たちの内に住まわれる 聖霊が「ねたむほどに愛している」、と聖書が語っていることを 意味の無いものと思うのでしょうか?」(ヤコブ4:5)




  21) Ⅰペテロ1:7、 2:3、4、 2:6    (* Ⅰペテロは 子羊のクリスチャン向け、 Ⅱペテロは 成長した羊のクリスチャン向けのメッセージ、 といわれる)


   「7 That the trial(試練(×)) of your faith, being much more precious than of gold that perisheth, though it be tried with fire,  might be found unto praise and honour and glory at the appearing of JesusChrist: 」(KJV)
   「 7  that the genuineness(δοκιμιον、ドキミオン、(試験・テストの結果)純粋・本物であることが分かること) of your faith, being much more precious than gold that perishes, though it is tested by fire,  may be found to praise, honor, and glory at the revelation of Jesus Christ,」(NKJV)

   「7 信仰が純粋であることは、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高貴であり、 イエス・キリストが啓示されるときに、称賛と 名誉と 栄光に至るものであることが分かります。」(Ⅰペテロ1:7)


   「 3 if indeed you have tasted that the Lord is gracious. 4 Coming to Him as to a living stone, rejected indeed by men, but chosen by God and precious,」(NKJV)

   「3 もしあなたが本当に 主が 優しく恵み深いことを味わったならば、
    4 生ける石である 主のところに来なさい。 人々には拒絶されたが、神に選ばれた、高貴な石です。」(Ⅰペテロ2:3、4)


   「6 Therefore it is also contained in the Scripture, “Behold, I lay in Zion A chief cornerstone, elect, precious, And he who believes on Him will  by no means(決して) be put to shame.(恥をこうむることはない)」

   「6 なぜなら聖書にこのように書かれています。 「見よ。 わたしは シオンに、隅(すみ)の礎石、選び抜かれた、高貴な石を置く。 彼に信頼をおく者は、決して 恥をこうむることはない。」」(Ⅰペテロ2:6)

   ・・・・ ex) precious metal: (金、銀などの)貴金属、  precious stone: 宝石




  22) Ⅰペテロ1:16、 4:7


   「16  Because it is written, Be ye holy(○); for I am holy. 」 (KJV、Ⅰペテロ1:16)

   「16  聖書に、「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべき(△)である」と書いてあるからである。」 (口語訳)

   ・・・・・・ 日本語訳はすべて、「聖でなければならない」(×)(新改訳) のように、旧約聖書の戒律を、”律法的”に記述しています。(* これが、日本になかなか福音が浸透しない原因の一つでしょう。) しかし、本来の十戒、律法の意味は、「(あなたがたは 私の民であるから、) ・・・ を守るはずだ」 程度のニュアンスを表し、ネヘミヤ、ゼルバベルらによって、バビロン帰還後に成立した”ユダヤ教”の、絶対命令調の解釈は間違っています。 したがって、「(あなたがたは主の民であるから、)聖であるはずですよ」というような訳になります。

  「律法」は、当時の出エジプトのイスラエル人たちが あまりにもかたくなであり、心と耳とに割礼を受けていない人たちだったので、主は、あえて、御使いたちとモーセの手によって明文化されました。
  一方、律法は、異邦人である私たちを、キリストに導くための「養育係」になりました。(ガラテヤ3:24) 律法は、人間的な方法では、誰一人 完全に守ることはできません。「義人はいない。一人もいない。」と書かれてあるとおりです。
  (* ただし、ユダヤ人は 主からみことばを託された民であり、このように厳しく戒律を守ろうとする民なので、死海写本が現在のマソラ本文とほとんど変わっていないように、旧約聖書と伝承が非常に正確に伝わっています。)

  律法を守ることは、「信仰」によって、「聖霊様の中を歩むこと(= Walk in the Spirit (KJV))(ガラテヤ5:16)によって自動的に全うしている、という性質のものです。
  「十戒」の言葉の中にさえも、本来は、主の愛と慈しみがあふれています。律法の全体は、律法自身に含まれている 「あなたの隣人を あなた自身のように愛しなさい。」の一語をもって集約されます。(ガラテヤ5:14、 レビ19:18)
  そして、救われた私たちにとっては、「律法」とは、日々の罪を悔い改めるための”鏡”です。


   「7  But the end of all things is at hand: be ye therefore sober, and watch unto prayer. 」 (KJV、 Ⅰペテロ4:7)

   ・・・・・・ 「in your prayer」(NKJV) のように、「祈りの中で注意深くありなさい」、という訳が正しく、日本語訳の「祈りのために」(新改訳)とはならず、これは本末転倒です。 まず初めに 聖霊様との交わり(祈り)があって、その方の「啓示」によって注意深くあれるのです。




  23) Ⅰペテロ3:21、 3:18、19


   「21 The like figure whereunto even baptism doth also now save us (not the putting away of the filth of the flesh, but the answer of a good conscience toward God,) by the resurrection of JesusChrist: 」(KJV)
   「21  There is also an antitype which now saves us—baptism (not the removal of the filth of the flesh, but the answer of a good conscience toward God), through the resurrection of Jesus Christ,」(NKJV)

   「21 ω(to which) και(also) ημας(受・2・複、us) αντιτυπον単・中、antitype) νυν(now) σωζει(現・主・3・単、save)、 βαπτισμα(単・中、baptism)、 ου σαρκος αποθεσις ρυπου αλλα συνειδησεως αγαθης επερωτημα εις θεον、  διthrough) αναστασεως ιησου χριστου 」(Textus Receptus)

   「また それは、今、私たちを(主が)救う聖霊のバプテスマを示す (一つの)対型(*)でもあり、イエス・キリストの復活を通してのものです。」(Ⅰペテロ3:21)

   ・・・・・ KJV、NKJV では、水のバプテスマの記述が括弧に入れられ、水のバプテスマ(儀式)は「救い」と直接関係がないので、ここにあると不自然です。この挿入箇所は、かなり初期の時代に付け加えられたものと考えられます。(残念ながら、Textus Receptus(1516年印刷)にも この括弧書きがない。)
  「信じて (聖霊の)バプテスマを受ける者は救われます。」(マルコ16:16)  ・・・ ペテロ → 筆記者 ヨハネ・マルコ
  この括弧は、Ⅰヨハネ5:7と同様に、ビザンチン型聖書では入っています。 ワードプラネットでは、英語(KJV)の他、ポーランド語、チェコ語、タイ語、タミル語、ルーマニア語、アイスランド語、オランダ語、アラビア語、ハンガリー語、アフリカーンス語、ウクライナ語等。


   *  type(τυπος、トゥポス): 予型(よけい、旧約の型) に対し、 antitype( αντιτυπος、アンティ トゥポス): 対型(ついけい、=相像)  ⇔ cf. ヘブル9:24(「模型、影像」 ・・・ 天に対する(地上の)聖所のこと)

   ** 「18 οτι και χριστος απαξ περι αμαρτιων επαθεν δικαιος υπερ αδικων ινα ημας προσαγαγη τω θεω  θανατωθεις(被・単・男、死なれ) μεν(indeed) σαρκι受格・単・女、肉体にあって)  ζωοποιηθεις(被・単・男、made alive、生かされた) δε(then) τω(the) πνευματι(受格・単・中、 霊にあって**)
    19 εν(in、(by、with)) ω(whom、受格・単・中、また(同じ)霊にあって、) και(also)  τοις(to-the) εν(in) φυλακη(jail) πνευμασιν(spirits)  πορευθεις(go and) εκηρυξεν(He preached)」(Ⅰペテロ3:18、19)

    ・・・・  μεν ~ δε ~ : (対句表現) ~、一方、~、     ** 御子イエス様の霊は 神の第2位格で 神ご自身だから、彼ご自身の霊で十分であり、「聖霊によって」 とはならないと考えられる。  cf. イエス様が受肉されていた時には、(模範のために)全面的に聖霊様に頼って すべてのわざを行われました。(ヨハネ5:19)
   εκηρυξεν < κηρυσσω(ケルッソー): 1. preach(宣教、説教)、herald(布告) ((異邦の)国々の間に)宣べ伝えられ(Ⅰテモテ3:16)、 2. proclaim、ふれ広める(黙示5:2)

   *** 「18 そして キリストは、一度 罪のため 苦難を受けられ(死なれ(×))ました。正しい方が 正しくない者たちのためにです。 それは私たちを 神のみもとに導くためでした。 肉体にあって死なれ、一方、霊にあっては生かされました
   19 また 同じように 霊にあって、牢獄にいる霊たちのところに 宣教に行かれました。」(Ⅰペテロ3:18、19)

   ・・・・  注) このハデスにいる霊とは、 :20 の、ノアの洪水の時の霊のことで、この中の 原罪が入っていない人々(おそらくネアンデルタール人・エデンの園にいたアダムとエバとは別に創造された人々)の霊たちに イエス様は福音を宣べ伝えられたと考えられます。

  Ⅰペテロ4:6の 「死んだ人々にも福音が宣べ伝えられていた」は、しばしば”セカンドチャンス論”の根拠とされますが、 これは前節(4:4、:5)との関係から、 (今生きている人々の中で)霊的に死んだような人々さえも、罪の肉体は滅びても (恵みによって)霊だけは救われる、ということを言っています。(=Ⅰコリント3:15、「霊は火の中をくぐるようにして助かる」)

  この類の救いはこの時代だけの特別に限定されたものであり、ノアの洪水以降は、すべての人に原罪が入っているので、今生きているうちに御子の十字架を信じることを通してしか贖われず、”セカンドチャンス論”は根本的に間違いです。 「義人はいない。一人もいない。」 (・・・ 原罪が発現していない 胎児や3歳以下の子供は別  ex) → コルトン君の姉




  24) Ⅰペテロ4:10、11、 14、 18、 5:12、 14


   「10  As each one has received a gift, minister it to one another, as good stewards of the manifold grace of God.
   11  If anyone speaks, let him speak as the oracles of God. If anyone ministers, let him do it as with the ability which God supplies, that in all things God may be glorified through Jesus Christ, to whom belong the glory and the dominion forever and ever. Amen.」(NKJV)

   「10 それぞれの人が賜物を受け取っているのだから、神の 多岐にわたるさまざまな恵みの 良い管理者として、互いに奉仕し合いなさい。
    11 もし誰かが語るのであれば、神の語りかけ(oracle、託宣、預言)を話させなさい。 もし誰かがミニストリー(教会の働き)をするのであれば、神が与える能力に応じてそれをしなさい。 そして、イエス・キリストを通して、すべてにおいて 神が崇められるようにしなさい。 このキリストに、栄光と 支配が 世々限りなくありますように。 アーメン。」(Ⅰペテロ4:10、11)


   「14  If you are reproached for the name of Christ, blessed are you, for the Spirit of glory and of God rests upon you.  On their part He is blasphemed, but on your part He is glorified.」(NKJV)
   「もしあなたがキリストの名によって非難されるなら、あなたは祝福されています。 なぜなら、栄光の、また 神の 聖霊が、あなたの上にとどまってくださるからです。 (主(=He)を分かっていない)他の人々にあっては主は悪口の対象であり、一方、あなたがたにあっては 主は 栄誉を受けます。」(Ⅰペテロ4:14)


   「18 Now “If the righteous one is scarcely saved, Where will the ungodly and the sinner appear?”(NKJV)
   「では、もし 義人が かろうじて救われるならば、 不信者や 罪人は 一体どこへ出ればよいのでしょうか?」(Ⅰペテロ4:18)


   「12 By Silvanus, our faithful brother as I consider him, I have written to you briefly, exhorting and testifying that this is the true grace of God in which you stand.」(NKJV)
   「わたしが信頼している兄弟 シルワノによって、あなたがたに簡潔に書き送ります。 これが、あなたがたが立っている 神の、真実な、この上ない恵みであることを、熱心に勧め、また あかしします。」(Ⅰペテロ5:12)


   「14 Peace to you all who are in Christ Jesus. Amen.」(NKJV)
   「キリスト・イエスにある すべての人たちに 平安がありますように。 アーメン。」(Ⅰペテロ5:14)





  25) Ⅱペテロ1:3、 1:4-7、1:17、1:20


   「3 ως(ホス、as) παντα(パンタ、all、everything) ημιν(ヘミン、to-us) της(テース、of-the) θειας(セイアス、divine) δυναμεως(デュナメオス、御力) αυτου(オウトウ、of-him)  τα(the、複・中) προς(プロス、toward) ζωην(ゾーエン、単・女、life、いのち) και(and) ευσεβειαν(エウセーベイアン、単・女、devoutness、敬虔、熱心に信じること) δεδωρημενης(デドーレメネス、完・単・女、have been given gratuitously無償で与えられた)、  δια(through) της(単・女、the) επιγνωσεως(エピ グノーセオス、単・女、recognition) του(of-the) καλεσαντος(カレーサントス、calling、召し(単・男)) ημας(ヘマス、us) δια(through) δοξης(ドクセース、単・女、glory、栄光) και αρετης(アレテース、単・女、virtue、美徳)」

   「3 According as his divine power hath given unto us all things that pertain(属する) unto life and godliness神の信仰を持つこと(○、→ マルコ11:22 ・・・ 神の言葉を聞いて歩む信仰)・神のように奇跡の内を歩むこと(○)、信仰深いこと(△)、信心深いこと(×)),  through the knowledge of him that hath called us to glory and virtue: 」(KJV)

   「(主は、)主の持つ 神の偉大な御力に従って、 私たちに いのち神の信仰に属するすべてのものを無償で与えてくださいました。 それは栄光美徳(栄光あるわざ(主の臨在・神の御国) と、 きよい行い(きよめ、良い品性、愛の品性))に 私たちを召してくださった、主の知識(グノーシス=「主イエスを知る知識」(Ⅱペテ1:2))を通してなされたのです。」

   ・・・・・ 日本語訳では、訳の文法の問題で、本末転倒  「 ・・・ 私たちが知ったことによって、 ・・・ 与えるからです」(×)


  ・ (続き):
   「4 Wherebyδι(through) ων(ホン、複・中which)、それらを通して) are given unto us exceeding great(μεγιστα、最も大きな;過度の) and precious promises(επαγγελματα、複・中約束):  that by these(ινα(ヒナ) δια τουτων(所有格・複・中)、that through these) ye might be partakers(受け取り人) of the divine nature,  having escaped the corruption(堕落、腐敗) that is in the world through lust(肉欲).」

   :4 (「その栄光と徳によって、」(新改訳) ・・・ 栄光も徳も 単数・女性なので、×)

   「それらのこと(:3の複・中の冠詞(τα)しかない!)を通して、 最も大きい また高価な 約束が 私たちに与えられました。 これらの約束によって、あなたがたは 神の性質の受取人であり、肉欲を通しての世にある堕落から逃れていることができます。」(1:4)   ・・・・ 「それら」、「これら」は どちらも 複数・中性



   「5 And beside this, giving all diligence(勤勉),  add to your faith virtue; and to virtue knowledge;   そしてこれと共に、 あらゆる努力をして、 信仰(救いの信仰 ・・・ スタート地点)には美徳(品性のきよめ、「愛は人の徳を建てる」(Ⅰコリ8:1))を、 美徳には知識(キリストを知る知識 Ⅱペテ1:2)を、
   6 And to knowledge temperance; and to temperance patience; and to patience godliness;   知識には節制(「知識は人を高ぶらせる」(Ⅰコリ8:1) → 理性の考えを抑え 神に聞くことを第一とする(マルコ9:2-7))を、 節制には忍耐(=神の言葉が成就する時を待つこと)を、 忍耐には神の信仰成就の時まで 日々神の臨在・奇跡・しるしを体験し続けること * 注↓)(敬虔(×))(マルコ11:22)を、
   7 And to godliness brotherly kindness; and to brotherly kindness charity. 」(KJV)     神の信仰には(信仰の歩みをしていく中で)兄弟愛(φιλαδελφιαν、フィラデルフィア)を、 兄弟愛には(αγαπην、 アガペー  ・・・ 最終ゴール)を、 それぞれ加えなさい。


  * 注) ”敬虔(godliness、holiness、or devoutness)”と訳されている ευσεβεια(エウセーベイア) という言葉は、このⅡペテロの他に Ⅰ・Ⅱテモテに多く出てくる。(σεβωは使徒13:43、50、16:14、17:4、17、18:7、13、19:27など 「神を敬う」改宗者・貴婦人・ルデヤ・テテオユストなど)  これは、節制(神よりも自分を出すことを抑える。=自制、 他に 使徒24:25、ガラ5:23 に出てくるのみ) および、忍耐(=待つこと。信仰の歩みの”神の納期”を待つ訓練)という土台ができた上で、 神の語りかけに 聞いて神とともに歩む信仰の歩みであり、神の人として日々奇跡を体験し続けるという、成長したクリスチャン向けの用語。 単に”信仰に熱心”ということではない。
  最後の「兄弟愛」(ヨハネ13:34)はイスカリオテ・ユダが抜けた直後にイエス様が語られた新しい戒めであり、「愛」は十字架の愛である。「愛は結び(の帯(△))(tie of the maturity、これらのすべての成熟した徳を結び合わせるもの)」(コロサイ3:14)。


   ・・・・ シモン(シメオン)・ペテロは、「使徒」、「牧師」(ヨハネ21:15-17)です。 cf. パウロ:「使徒、伝道者、教師」(Ⅱテモテ1:11)
   ヨハネの福音書21章の 「アガパオー」、「フィレオー」は、ヘブライ語(≒アラム語)では どちらも AHB(אָהִב アーハヴ; ペテロが、You know that- אֲהַבְתִּיךְ AHBTYK アハヴェティーフ I love you、 イエス様が、 You- הִתְאַהֵב HTAHB ヒセアヘヴ fell in love -me?)で区別がつかず、ギリシャ語で執筆したときに意訳でこのようにしたと思われます。(当時のヘブライ語の”韻”の踏み方は、AB、AB、BBで、これをもとに翻訳。(by.フルテンバウム(メシヤニック))
  ペテロが3度主を否んだ結果生まれた のろいは、ここで、3回 主を「愛する」と告白することにより 解消されました。(→ 家系の呪いを壊す




   「17  λαβων(ラボーン、get) γαρ(ガル、for) παρα(パラ、beside) θεου(セオウ、God) πατρος(パトゥロス、Father)  τιμην(ティメーン、Honor) και δοξαν(ドクサン、Glory)、
 φωνης(フォーネス、of-voice) ενεχθεισης(エネクセイセース、be-carried) αυτω(アウトー、to-him) τοιασδε(トイアスデ、to-such-a-way) υπο(ヒュポ、by) της(the) μεγαλοπρεπους(メガロプレポウス、magnifical、壮麗な、 full of majesty、威厳に満ちた) δοξης(ドクセース、Glory)、
 ουτος(ホウトス、this) εστιν(エスティン、is) ο(ホ、the) υιος(フイオス、Son) μου(モウ、of-me) ο(the) αγαπητος(アガペートス、beloved) εις(エイス、into) ον(ホン、whom) εγω(エゴー、I ) ευδοκησα(エウドケーサ、delight) 」

   「キリストが 父なる神から 誉れと 栄光をお受けになったとき、 壮麗な 栄光に満ちた所から、 御声が彼に届けられました。 「これは わたしの愛する 息子。 わたしの喜ぶ者である。」」(Ⅱペテロ1:17)
     ・・・・・ この手紙の数年後に殉教した(1:15)ペテロは、この変貌山の目撃者(他にヤコブとヨハネ)でした。 (モーセ(律法)とエリヤ(預言者)もこの時 出現)


   「20 τουτο(トウト、this) πρωτον(プロートン、first) γινωσκοντες(ギノースコンテス、know)、 οτι(ホティ、that) πασα(パサ、every) προφητεια(プロフェテイーア、単・女、prophecy) γραφης(グラフェース、of-scripture)、  ιδιας(イディアス、own) επιλυσεως(エピルセオース、解き明かし(マルコ4:34)、(議会で)説明(使徒19:39)) ου(オウ、not) γινεται(ギネタイ、become、be made、生成した)」

   「第一にこのことを知りなさい。 聖書のすべての預言は、(人や預言者の)独自の解釈から生成したものではない ということです。」(Ⅱペテロ1:20)

    ・・・ 預言=神の言葉、という前後関係から、またギネタイ(生じた)という語から こうなる。 (1章では、福音のまとめ。 2章の、にせ教師・異端対応は、これとは別テーマ)





  26) Ⅰヨハネ4:12、13、 4:19、20


   「12 No man hath seen God at any time.  If we love one another, God dwelleth in us, and his love is perfected in us.
   
13 Herebyεν(in) τουτω(this)) know we that we dwell in him, and he in us, because(οτι(that) εκ(from、out)) he hath given us of his Spirit. 」(KJV)

   ・・・・ 日本語訳文法の問題(・・・ エペソ書等と同じ)。 13節前半は 12節にかかり、13節後半は 13節前半の理由となっています。(he = 主 と訳)


   「12 誰も、いつ何時も、神を見た者はいません。 もし、わたしたちが互いに(アガペーの愛で)愛し合うならば、神はわたしたちのただ中に住んでくださり、主の御愛がわたしたちの内に全うされるのです。
   13 これによって、私たちが 主の内に住み、主が 私たちの内に住まわれることを、私たちは知ります。 なぜなら、主は、私たちに神の聖霊をお与えになったからです。」



   「19 私たちは 主を(αυτον、アウトン、Him、彼を) 愛しています。 神がまず 私たちを愛してくださったからです。」(Ⅰヨハネ4:19)

  ・・・・ 「全き愛は(神のさばきに対する)恐れを締め出す」(4:18)、「さばきの日にも大胆さを保つ」(4:17)ことの理由が、(人ではなく、まず)主を愛することによります。 そして、神を愛するならば、兄弟に対する愛も生み出されることになります。(Ⅰヨハ3:14)

   「20 If a man say, I love God, and hateth his brother, he is a liar: for he that loveth not his brother whom he hath seen, how can he love God whom he hath not seen?

   「20 もしある人が、私は神を愛するが 兄弟を憎む、と言ったならば、その人は うそつきです。 その人が、目に見える兄弟を愛していないのに、目に見えない神をどのようにして愛することができるでしょう?」(Ⅰヨハネ4:20)
   ・・・・・ 日本語訳は、律法的で裁き的な訳です。





  27) ユダ :23


   「23  And others save with fear, pulling them out of the fire; hating even the garment spotted by the flesh. 」(KJV)

   ・・・・・・ これも、日本語訳ではポイントがずれた、非常に さばき的な表現になっています。 正しくは、「~ing」となっていて、「 ~ しつつも あわれみなさい。」という意味であり、あくまでも、「save = 救い出しなさい」に中心点があります。

  * ユダの手紙には、モーセの死体について ミカエルと悪魔との論争が書かれてありますが( :9)、これは御使いの長ミカエルの模範的な態度を表していると同時に、黙示録11:3-13 にある「二人の証人」が、その わざの特徴から、このモーセと エリヤ(エリヤも生きたまま 竜巻に乗り 天に昇った)であると考えられています。モーセの体は、終末の時のあかしのために モーセ本人が再度 地上に現れるために、天に保存されていると思われます。(黙示録11:5、6 ・・「3年半 雨を降らせず、水を血に変える」、 ルカ9:30、31 ・・「変貌山で、モーセとエリヤがイエス様と共にイエス様の十字架の死について話していた」、 申命記34:6 ・・「モーセの墓は当時から知られていなかった」


  ・ 伝統的な、書簡の書かれた時期:(* 厳密には、「ユダの手紙」のように 2世紀に付け加えられたと見られる書簡もあります。)







  28) 黙示録1:8


   「8 I am Alpha and Omega, the beginning and the ending(新改訳では抜け), saith the Lord, which is, and which was, and which is to come, the Almighty. 」(KJV、△)

   αρχη(アルケー) = beginning(△)   original根源、永遠の初め ・・・ ヨハネ1:1)、  τελος(テロス) = ending → finish(終わりの完成、仕上げ)

   「「わたしは アルファであり オメガであり、 (万物の根源であり、 終わりの完成である。」 常におられ、昔おられ、また 後に来られる方(= すなわち、ヤハウェ)、 全能の主は こう言われる。」


  ・・・・・ cf.  黙示録1:17、 22:13 では、 「εγω(I) ειμι(am) ο(the) πρωτος(プロートス、First )και(and) ο(the) εσχατος(エスカトス、Last)」
     「わたしは、(時間的に、永遠の)最初であり、最後である。」




  29) 黙示録2:6、 9、 14、15、 23、24、 3:9、 12


  黙示録の7つの異邦人教会で分かりにくい(誤訳、未訳)箇所について:
  7つの異邦人教会は、終末直前の異邦人教会が、普遍的(一般的)教会(それぞれ御使いがいる)として 7つに分類されることを表しています。

  ・ 「ニコライ派」(黙示2:6、15) ・・・・・ 「Νικολαιτων(ニコライトン)」 = Νικαν(ニカン、win) + λαωνς(ラオンス、people) ・・・ 「民に勝つ、あるいは、民を勝ち取る」 → 極端な教派主義、 宗教による支配、 政治的教会  ・・・ 制度的教会、 カトリック、○○正教会 の一部

  ・ 「バラムの教え」(黙示2:14) ・・・・・ 「バラム」(民数記22:5、アモン出身の占い師・ 主の特別なあわれみによって、主の預言も語った) = 「BiLeAM、ビレアム(ヘ)、Balaam(英)」 = 「Be(on、at) + LE(not、do not) + AM(people) 、not of the people民でない者」、となって、 「異邦人(あるいは にせ預言者)が主の民を支配する」 という意味

  ・ 「ユダヤ人と自称し、サタンの会堂に属する人々」(黙示2:9、3:9) ・・・・・ 当時は、発展するキリスト教に常に対抗していたユダヤ教を建前とするグループ。会堂(シナゴーグ)は当時 あらゆるところにあった。 しかし現在では、いわゆる ”にせユダヤ”資本グループ(ロックフェラー、ロスチャイルド)、およびその反キリ スト的下部組織全般を指すと考えられます。(聖書改ざん、異端宗教の働き、イスラエルを支配、コーポレートクラシー・多国籍企業・世界の経済支配など。 (「この世の支配者」)  ただし、終末の「反キリスト」ではない。)

  ・ 「こうして全教会は、わたしが人の腎臓(ネフロース、νεφρους)と心臓(カルディアス、καρδιας)を探る 『在りて在る者』であることを知るようになる。」(黙2:23) ・・・・・当時、腎臓= 「感情」の座、 心臓= 「知性」の座、と考えられていた。 霊とたましい(ヘブル4:12Ⅰテサロニケ5:23) ではなくどちらも たましいの部分。(たましい = 知性 + 情操 + 意志)  霊が救われている人でも、聖霊のバプテスマに関わる「意志」以外の たましいの領域全般も、(慣習的に間違ったものから)きよめられなければならない。
  また、 「在りて在る者」 = 「I am that I am」(出エジ3:14) ・・・ 黙示録でここだけに用いられている特別な主の表現で、旧約のイスラエルの神、主でもあることを強調。すべてをご存知の全能の神です。
  → イスラエルが生んだ「男の子」(黙12:5)、「神のことば」であるイエス様ご自身(黙19:15)と同じ表現で、テアテラの勝利者は「鉄の杖をもって牧する」ことになる。
  → 「造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちは この神に対して弁明をするのです。」(ヘブル4:13) ・・・ 神であり、いやし主でおられるイエス様に、私たちの内側(たましい)のすべてを探って、癒してくださるように祈りましょう。

  ・ :23  間違った教えの熱心な信奉者を 「死」(直訳)をもって殺す。(70人訳で(エゼ33:27)「死病」は誤訳。病気だけではない。) キリシタンのうちのマリア崇拝者への迫害?
  「サタンの深いところ」(黙2:24)とは”グノーシス”の慣用句。 ⇔ cf.パウロが用いた「神の深み」(Ⅰコリ2:10)に対応
  24節: 「ほかの重荷、バロス(ギ)」 = 救われていないノンクリスチャンが受ける「律法の重荷」(つまり、救いを失う事)

  ・ 3:12  「(フィラデルフィアの)勝利を得る者を、わたしの聖所の柱としよう。彼はもはや決して 外に出て行くことはない。」 フィラデルフィアには、AD17年に 町が倒壊するほどの大きな地震があったが、皇帝テベリオの援助により復興したことに 対応。 町はBC150年頃ペルガモの王(フィラデルフォス)によって建設され、周囲にヘレニズム文化(ギリシャ文化、ギリシャ語)を伝播させる機能を有する町なので、「開かれた門」(:7)と呼ばれた。 ・・・・ フィラデルフィア教会には、先の「(積極的な)にせユダヤ対応」や 「聖所の柱(みことば・・・ボアズ(わきまえる、識別、英知)、ヤキン(確立する、能力))」の召しと共に、この 「科学技術から信仰へ」の召しもあります。





  30) 黙示録7:13、14、 ローマ11:26


   「長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。」と言った。 そこで、私は、「主よ(×)。あなたこそ、ご存知です。」と言った。 すると彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出てきた者たちで、その衣を 子羊の血で洗って、白くしたのです。」(新改訳)

   「13  And one of the elders answered, saying unto me, What are these which are arrayed in white robes? and whence came they?
    14  And I said unto him, Sir(○), thou knowest. And he said to me, These are they which came out of great tribulation, and have washed their robes, and made them white in the blood of the Lamb.」(KJV)

  24人の長老(黙示録5:8)とは、(いくつか説がありますが、) イスラエル12部族の長たちと、子羊の12使徒 ・・・ 「12人の使徒たちは12の玉座に座り、(霊的)イスラエルの12部族を裁く」(マタイ19:28)であると考えられます。 そして、ヨハネがこの時話をした相手は 12使徒であるヨハネ自身であり、未来の自分に幻で会って話をしたと考えられます。(神様と 神の啓示は 時間を超越した存在です)
  だから、神に対してではないので、「Κυριε < κυριος(キュリオス)= lord, master, sir」は、「lord=主」ではなく、「sir、 Mr (一般的敬称)」程度の呼びかけになっています。


  * 「預言者は時間を超越(無視)して、示された順に記述しているだけなので、預言書である黙示録はもともと時間順ではありません。 (cf. 「使徒」は、時間順に螺旋の横から見ることができ、また与えられた啓示をある程度変えていく力を備えています。) さらに、改ざんによって、順番が入れ替わっている可能性があります。 それゆえ解釈は混乱し、間違った解釈は ほとんどがタイミングの捉えのミスによります。 ・・・ 艱難期 前 携挙説(元々女占い師の幻による 伝統的な間違った教理)、 携挙が何月何日に(よくある にせ預言)、 千年王国はすでに来ている(ヒトラーのドイツ千年王国、エホバの証人)、 過去に起こったことである(リベラル)、など。
  また、預言の成就は、人間的解釈ではなく神の霊感のみによるので、人間的には考えられないような成就の仕方もあります。(イザヤ書によるイエス様の事についての成就など。福音書で、使徒たちによって解き明かされるまでは誰も分からなかった。 また、イザヤ書も 時間順はばらばら。)
  黙示録7章という挿入箇所は、大艱難期である13章の前に記述されていますが、内容から明らかに 時間的にその後のことです。 また、小さい巻物の部分(11~14章)は、大きい巻物の記述への挿入部(7つのラッパと 7つの鉢 の間)です。

  ** 「男の子」(12:5)(=イザ66:7 「子らを産んだ」、cf.「女」=イスラエル) = 「2人の証人・2人の預言者、2本のオリーブの木・2つの燭台(=ゼカ4:3)」(11:3、4) = 「モーセとエリヤ」(ルカ9:30、31) = 「初穂、14万4千人」(14:1、4、 「口に偽りが無い」(=ヨハ1:47))  ととると、時間的には最も単純となってすっきりとする。 小艱難期(3年半・イスラエル)と 大艱難期(3年半・異邦) の中間という時間で合わせると、このように すべて = で結ばれる。( → イスラエルと終末の流れの図 )
    ・ 2人の証人(再来のモーセ、エリヤ)は、彼らと 彼らににつくイスラエル(旧約聖書:律法と預言者)の2つの教会(メシヤニック)であり、このとき最も聖霊様が働かれる時。殉教が、彼らのミニストリーに含まれている。

  *** 「男の子を産んだ女」は荒野へ逃げ、3年半の間養われて主の再臨を待ちます。(黙12:6) 14万4千人とは殉教したメシヤニックの数で、その他に殉教しなかったイスラエルの民 (+ 在イスラエル異邦人クリスチャン)がいます。イスラエルに生みの苦しみとリバイバルが起こるとき、全体的なリバイバルとなって 民の多くがが救われるということが成就します。

  ワードプラネットの ビザンチン型ギリシャ語訳より、
   「και(and) ετσι(so),  ολοκληρος(whole, entire, total) ο(the) Ισραηλ(Israel) θα(will) σωθει(saved),  οπως(as) ειναι(it is) γραμμενο(written)」 (Romans、ローマ11:26)
  = 「そしてそのようにして、 イスラエル全体的に救われるだろう、 書かれているとおりに。」 (ローマ11:26)
   cf. ολα = all、全ての   ・・・・ イスラエルの民の全部が全部救われるのではなく、全体的にリバイバルの時となって、救われるべき人々が救われるという意味。




  31) 黙示録11:3


   「3 και δωσω(ドーソー、I shall give < διδωμι、ディドウミ、 give) τοις(to the) δυσιν(two) μαρτυσιν(witnesses・証人、martyr・殉教者) μου(of me)、  και προφητευσουσιν(they shall prophesy) ημερας(days) χιλιας(thousand) διακοσιας(two hundred) εξηκοντα(sixty)  περιβεβλημενοι(having been clothed) σακκους(in sackcloth、 喪服、粗布の着物)」

   「3 And I will give (power) unto my two witnesses,  and they shall prophesy a thousand two hundred and threescore days, clothed in sackcloth.」(KJV)

   「3 そしてわたしが わたしの2人の証人に(力を)与えると(○)(許すと(×))、彼らは 粗布(あらぬの)の喪服を着て、千二百六十日(=3年半弱)の間 預言をする。」 (黙示録11:3)

    ・・・・ 主の預言者たち(モーセとエリヤの再来、または、彼らの霊性を引き継ぐ者たち)は、自分らが”裁きたい”からという意志によってではなく、主の意志により、主が力を与えるので、3年半(=前3年半の小艱難期)の期間、わざわいの奇跡によるあかしを全世界に行います。 この3年半の期間は、イスラエルのリバイバルの期間でもあります。(イスラエルでは、リバイバルと艱難が、この前3年半に同時に起こる。) この3年半の後、底知れぬ所から上ってくる獣(=反キリスト)によって彼らが殉教すると、(彼らの復活・昇天の後、)「荒らす憎むべき者」が にせ預言者の手によってエルサレムの第3神殿に据えられ、後3年半の大艱難期(異邦の大艱難期)になります。




  32) 黙示録19:8


   「8 And to her was granted that she should be arrayed in fine linen, clean and white: for the fine linen is the righteousness of saints.

   「花嫁は、光り輝く、きよいリネンの衣を着ることが許された。 その きよいリネンとは、聖徒たちの (正しい行い(×))(〇)である。」(黙示録19:8)


  「行い」では全く義とされないにもかかわらず、黙示録のこの場所に及んでも、律法的記述に書き替えられています。 これは創世記の 「皮の衣」(創世記3:21)と同じであり、 裸の恥を覆うための、人間が作った すぐに破れる「いちじくの葉をつづりあわせたもの」ではなく、神様ご自身が、犠牲を伴う「皮」をわざわざ作って、着せてくださいました。 「キリストを着る」という表現は、ローマ13:14、 ガラテヤ3:27 にあり、イエス様の十字架の犠牲によって 約束の聖霊様が下って来られ、キリストの義を着る、すなわち 聖霊様を着る、ということです。




  33) 黙示録19:11、 Ⅰコリント10:13、Ⅰテサロニケ5:24


  「πιστος、 ピストス」 = 「faithful、believe」 = 「真実な(×)、 語ったことを成し遂げる(○)」 より、  ・・・・ 日本語訳の”真実な”では意味不明 → 神が語った言葉に基づく”信仰”のことを言っています。

  「 πιστος  και αληθινος」 = 「忠実 また 真実」(×)、  αληθινος は、「私は、道であり、真理であり、いのちです」(ヨハネ14:6)の 「真理」
                 →  「語ったことを成し遂げる方、また、真理なる方」(黙示録19:11)

  同様に、
  「神は真実な(×)方ですから、」 → 「神は 語られたことを成し遂げる方ですから、あなたがたを耐えられない試練に会わせることはしません。」 (Ⅰコリント10:13)

  「あなたがたを召された方は 真実(×)ですから、」 → 「語られたことを成し遂げる方があなた方を召しました。 その方がそれを実現します。」(Ⅰテサロニケ5:24)





  34) 新約聖書(福音書以外)の削除箇所のいくつか:


  下記のみことば(KJV)の 太字の部分が、日本語聖書(文語、口語、新改訳、新共同、ニューバイブル ← 現代訳英語聖書)から削除・改ざんされている部分です。 みことばの中でも 重要なところ(主のご愛と 主権について、 聖霊様に従うこと、 行いと恵みの比較・強調、 罪の悔い改め、 罪・不従順をはっきりさせること、 サタンに対する毅然とした態度、)が、意図的にあいまいにされ、弱くされ、削除されています。
  日本語に正しく訳してみると、ずいぶんイメージが違って見えるほどです。


   ・ 「1  There is therefore now no condemnation to them which are in Christ Jesus, who walk not after the flesh, but after the Spirit.」(ローマ8:1)
   ・・・・・ 「1  こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。肉に従って歩むことをせず、聖霊に従って歩むならば。

   ・ 「6  And if by grace, then is it no more of works: otherwise grace is no more grace. But if it be of works, then is it no more grace: otherwise work is no more work.」(ローマ11:6)
   ・・・・・ 「そしてもし恵みによるのであれば、もはや行ないによるのではありません。もしそうでなかったら、恵みが恵みでなくなります。 しかしもし行ないによるのであれば、もはや恵みによるのではありません。もしそうでなかったら、行ないが行ないでなくなります。」

   ・ 「30  For we are members of his body, of his flesh, and of his bones.」(エペソ5:30)
   ・・・・・ 「30  わたしたちは、キリストの体であり、キリストの肉と、キリストの骨である。」

   ・ 「11  In whom also ye are circumcised with the circumcision made without hands, in putting off the body of the sins of the flesh by the circumcision of Christ: 」(コロサイ2:11)
   ・・・・・ 「11  あなたがたはまた、彼にあって、手によらない割礼、すなわち、キリストの割礼を受けることによって、肉の罪のからだを脱ぎ捨てたのである。

   ・ 「6  For which things' sake the wrath of God cometh on the children of disobedience: 」(コロサイ3:6)
   ・・・・・ 「6  これらのことのために、不従順な子らの上に、神の怒りが下るのである。」

   ・ 「14  And the four beasts said, Amen. And the four and twenty elders fell down and worshipped him that liveth for ever and ever.」(黙示録5:14)
   ・・・・・ 「14  四つの生き物はアァメンと唱え、24人の長老たちはひれ伏して、永遠に生きておられる方を礼拝した。

   ・ 「10  Then saith Jesus unto him, Get thee hence(堅い言葉で”この場所から立ち去れ”), Satan: for it is written, Thou shalt worship the Lord thy God, and him only shalt thou serve.」(マタイ4:10)
   ・・・・・ 「10  するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある。」」
   ・・・・・ 「Then Jesus said to him, "Get behind me(”下がれ”程度の意味), Satan! For it is written, 'You shall worship the Lord your God, and you shall serve him only.」(World English Bible)

   ・ 「また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてある いのちの書と 聖なる都から、この書に書いてある事がらから、その人の部分を取り除く。」(黙示録22:19)
       ・・・・・  by. Textus Receptus: βιβλου(ビブリオン、書物) της  ζωης(ゾーエ、生命) (○)、   cf. ξυλου(クシュロン、木(単・中)) της  ζωης (×)




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