4. 沖縄におけるイスラエル性



  沖縄知事選や安保体制強化、石油資源問題、フランクリン・グラハム大会など最近何かと話題の多い沖縄です。 沖縄は本土のように仏教の影響をあまり受けなかったので、日本古来の因習や言い伝えが残っている貴重な土地になっています。それらは、AD世紀最初の、はるばる海のシルクロードを通して渡来してきた、ユダ、エドムからのユダヤ性をあかしするものが多く、日本のリバイバルに対する一つの引き金になると考えられます。




  1. 沖縄の歴史:


  太平洋戦争のとき、サタンが沖縄決戦で沖縄の文化を抹消しようとしたのは、このあかしが日本のリバイバルにおいて重要な意味を持つからであった。現在、北朝鮮核開発問題、中国の軍事大国化、尖閣諸島沖油田開発問題などで、アメリカとの軍事協力関係が強化され、米軍基地の移転・撤退問題は進展しないと予想される。

  (琉球王朝の成立)
  714 奄美・信覚・球美等の南島人来朝(続日本紀)    753 唐僧鑑真、阿児奈波島に漂着する
  1187 舜天即位?    1260 英祖即位?
  1291 元、6000の兵で瑠求を討つが失敗(1296も)

  (外国との通好時代)
  1372 明の太祖、楊載を遣わし招諭する。中山の察度王これに応えて進貢する    1392 察度、朝鮮と通好
  1404 冊封使初めて来琉、シャム船来航
  1406 尚巴志、中山王武寧を滅ぼし父思紹を王とする
  1420 中山王、シャムと通好  1429 尚巴志、山南を滅ぼして三山を統一する 1430 尚巴志、ジャワと通好    1453 志魯・布里の乱で首里城焼失    1456 マラッカと通好

  (琉球王朝の全盛期)
  1466 尚徳、喜界島に遠征して凱旋。琉球使節、足利義政に謁見    1470 金丸、王位につき尚円と称し、
第二尚氏王統開く
  1480 中国伝来の技法で首里花織が織られる    1481 初めて薩摩へ紋船(慶賀船)を遣わす    1492 円覚寺建立し、芥隠を住寺とする
  1543 ポルトガル人、種子島に漂着し、鉄砲伝える    1571 奄美大島を支配下におく  1583 宮古上布織られる
  1591 秀吉、朝鮮侵攻を決定し、琉球にも島津を介して軍役・夫役を命じる    1592 謝名親方ら朝鮮侵攻拒否を決定


  (島津藩の支配下)
  1609年島津侵略による、琉球支配は奄美諸島を島津直轄領とし、沖縄本島以南を「琉球王国」として間接統治という形態をとった。琉球弧は分断され、さらに先島(宮古、八重山)への人頭税など、過酷な支配収奪の近世を沖縄は迎えた。また島津は「対明貿易」を独占するための「日中両属」を強いることで、沖縄はことさらな「異国・異族」化を強制された。
  1749 このころの人口20万人と伝わる  1786 『琉球科律』制定される
  1816 イギリス船、ライラ号・アルセスト号来航  1821 オランダ船来航  
1853 ペリー来航。首里城訪問

  (明治維新)
 明治維新によって近代国民国家の道を歩み始めた日本政府は、島津侵略と同様、武力をもって沖縄を併合した。いわゆる「琉球処分」である。これ以降、沖縄は後発帝国主義日本の対外膨張政策の道具として、「旧慣温存」策から「皇民化」政策に至る国内植民地としての苦難の道を強いられた。この琉球処分の悲惨な終着点が、かの「沖縄戦」であった
  1872 琉球藩設置、尚泰を藩王に、琉球の外交権を停止し、外務省管轄とする。王府、清国に進貢船派遣  1874 琉球藩、内務省管轄に
  1875 日本政府、内務大丞松田道之を琉球に派遣、清国との進貢の清算、藩制改革、明治元号使用、日本刑法施行、鎮台分営設置などを伝達
  1878 清国、「琉球処分」について日本政府に抗議  1879 日本政府、「琉球処分」を敢行、沖縄県の設置    1892 宮古で人頭税廃止運動おこる
  1899 海外移民はじまる。謝花昇、沖縄倶楽部などで参政権運動  1907 沖縄県及び島嶼町村制発布  1909 府県制(特例)施行、初の県会議員選挙実施

  1944 南西諸島に大本営直轄の第32軍新設  1944 大空襲うける(10・10空襲)
  1945 3.23米軍、慶良間上陸。4.1沖縄本島に上陸。4.5米海軍軍政府布告(ニミッツ布告)公布。6.23、日本の沖縄地上部隊壊滅する。9.7日本軍降伏文書に調印

  (戦後)

  1946 1 GHQ覚書、北緯30度以南の南西諸島、日本から分離  4 米軍政府発足
  1949 7 本格的な米軍基地建設はじまる  10 米軍政府による任命制沖縄民政議会が設置される  1950 12 軍政府を琉球列島米国民政府(民政府・長官は米極東軍司令官)に改称  1951 3 沖縄群島議会、日本復帰要請決議。
  1954 1 アイゼンハワー米大統領、一般教書で「沖縄を無期限に管理する」と言明3 米民政府、地代一括払いの方針発表。
  10 米民政府、人民党を弾圧  11 沖縄刑務所で暴動
  1957 7 米太平洋統合軍設立  8 在日米海兵隊、沖縄に移駐開始  12 第一回アジア・アフリカ人民連帯会議で、「沖縄の日本返還」を決議
  1961 9 コザで米兵がひき逃げ、少女4人死傷  12 具志川村で米軍ジェット機墜落、6人死傷。 1962 12 嘉手納村に米軍輸送機墜落、15人死傷
  1963 2 国場君事件(米兵による中学生れき殺事件 加害者は米軍法廷無罪に)
  1965 ベトナム戦争の激化にともない米軍人、軍属の事件・事故相次ぐ  8 佐藤首相、沖縄訪問(「祖国復帰が実現しない限り、戦後は終わらない。」)
  1967 10 嘉手納基地から廃油流出、井戸水が燃え上がるほど汚染
  1969 11 佐藤・ニクソン共同声明(72返還決まる)
  1971 4 返還協定粉砕・春闘勝利・全軍労第三波スト支援協統一スト  5.19 返還協定粉砕全県ゼネスト  6 沖縄返還協定調印。米兵による凶悪犯罪続発
  1972 
4 日本軍(自衛隊)沖縄移駐反対総決起大会  5 琉球政府、CTS(石油備畜基地)用地として宮城島と平安座島間の埋め立て認可。
  5.15 
日本による沖縄併合  7 自衛隊移駐開始
  1974 3 戦時中の不発弾が爆発、幼稚園児ら4名即死20名負傷  7 伊江島射撃場で米兵の地元青年狙撃事件発生
  1976 10 具志堅用高、世界ジュニア・フライ級チャピオンに
  1985 8 文部省、「日の丸」「君が代」促進通知  11 米太平洋空軍、那覇空港の民間機の離着陸を規制して、大規模な航空機戦闘訓練を実施
  1988 米軍演習による被害続出    1991 1 湾岸戦争に在沖海兵隊1万人が出動  1992 11 首里城復元、一般公開  1993 4 沖縄で全国植樹祭。天皇・皇后初の沖縄訪問
  1995 米国防総省「東アジア戦略報告」、「日米安保関係報告」  5 村山首相米軍用地強制使用認定告示  9.4米海兵隊員による少女性暴力事件  10 県民総決大会85.000人
  1996 4 橋本−モンデール会談で
普天間基地の返還合意  6 県議会選挙で16年ぶりに、「革新」優位に  9 全国初の県民投票(投票率57.53%、日米地位協定見直し・米軍基地整理縮小賛成に89.09%)  久間防衛庁長官、ヘリ基地はキャンプシュワブ沖が有力と発言  12 SACO最終報告(普天間基地返還、本島東海岸海上へリポート基地建設)  12 県内移設に反対する県民集会。
  1997 12 名護市民投票、投票率85.45%、基地建設反対が過半数(52.45%)を占める  12 比嘉名護市長、基地受け入れを表明して市長辞任
  1999 8 沖縄から基地をなくし世界の平和を求める市民連絡会結成総会。  12 沖縄タイムス・朝日新聞、普天間基地の名護移設県民世論調査では反対45%、賛成32%
  2000 7・21−23 沖縄サミット



  
2. 沖縄におけるユダヤ教とキリスト教の伝承:


  沖縄における興味深い数々の言い伝え、風習には、古代ユダヤ人の宗教(旧約聖書)とキリスト教の教え(新約聖書)と全く共通するものが多い。それは、日本においては”古神道”(祭壇はあっても”偶像”が存在しない神道の原初形態)が仏教・儒教の影響をかなり受けて変遷してしまったのに対し、沖縄ではそれらが入ったのは歴史的に遅く、仏教はそれほど浸透しなかった。尚真王時代(1477最盛期)に人々に先祖崇拝のための位牌(トートーメ)を作らせたが、それを役人が検分して回ったとき互いに貸して役人の目をごまかしたという。そのため、古神道がそれほど影響を受けずに原初形態のまま民衆の間に根強く残っているのである。
  現在も、神社・仏閣は非常に少なく、沖縄には”檀家制度”が無く、人々もめったに寺へは行かない。そのかわり、”御嶽(うたき)”と呼ばれる天然のシンプルな礼拝所が各所に存在する。死者の墓は寺にはなく、同族単位で大きな墓(亀甲墓)を持っている。戦後は規模を下げて家族単位の墓を所有する人が増えた。


  以下、ユダヤ教、キリスト教との関連を列挙する。

  (1) 旧約関係:

  ・ アダムとエバの名: 古宇利島には”アダ(安田)”、”イブ(伊部)”という地名があり、本島の恩納村にも”いんぶビーチ”があり、年配の人は”いんぶ”を”イブ”と発音する。沖縄では、”人は死んで土に還る”(=創3:19)という言葉がある。亡くなった人が土(アダム=”土”の意)に還るとき、(「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と同様に)”アダマーの神よ”と呼びかけ、天の国の親加那志(ウヤ ガナシ=宇宙の創造者なる絶対神、加那志(ガナシ)は”〜様”の意)がその人の霊を浄めて下さるように祈る。

  ・ 女の創造: ”イキガヤ・ソーキブニーヌ・ティーチタラーン”は那覇地方の人がよく使う言葉で、”男は肋骨が一本足りない”ので、”男は女に夢中になると愚になる”という意味である。(創2:22)

  ・ 堕罪: 琉球地方には蛇と女にまつわる話が多く、それらは決まって”蛇が女を惑わした”物語である。(創3:1−)
   また、古宇利島には、「エデンの園」、「堕罪」の物語と「荒野で降ったマナが止んだ」(ヨシュ5:12)話が合体した伝説がある。”昔、男の子と女の子がいて、素裸で園を遊びまわっていた。空腹になると天から餅が降ってきた。しかしある時、餅を蓄えようとすると、天から餅が降らなくなって、二人は苦労して働かなければならなくなった。そうこうしているうちに、二人は裸であることが急に恥ずかしくなり、木の葉をつずり合わせて腰に巻いた。”

  ・ 洪水: 波照間(はてるま)島の神話では、世界の始めに二人の兄弟がミシクの洞窟に隠れ、油雨の大洪水をやり過ごし生き延びた。

  ・ ロトの妻: 戦後数年まであった沖縄の結婚式の風習として、エスコート役の男性が花嫁に、”後ろを振り返るな”と呼びかける慣わしがあった。

  ・ 過越し: 沖縄全体に、”島クサラシ”、”カンカー(看過)”、”看過牛(かんかうし)”と呼ばれる古来からの風習が伝わっている。これは、屠った牛の血を、植物(ガーガー、ススキ、桑の葉など)に浸して、家の入り口の柱や鴨居に塗るもので、家や町の”厄除け”の風習である。これは、エジプトにいたイスラエル人に、エジプトのパロに対する主のさばきとして、死の天使がその家の長子を殺さないよう、天使への目印として屠った羊の血をヒソプの枝葉に浸して入り口の柱や鴨居に塗ったのとほぼ同じである。”看過”は”見過ごす=災いが過ぎ越していく”の意。(出12:13、14、新約ではイエス様の十字架の血のことを言っている)

  ・ 偶像: 県内のいたるところにある”御嶽(うたき)”とよばれる礼拝所には、お香の壇はあるが”偶像”がない。(古神道も同様に偶像をもたない)

  ・ 豚肉: 沖縄の人はよく豚を食べるが、昔のユタやノロ(神職)は、豚は”汚れた動物”であり”罪人の食べもの”であるという理由で、一年中 豚を食べなかった。久高(くだか)島では、民間人も正月の3日間は豚肉を食べない。イスラエル人にとって反芻しない豚は汚れた動物で、食べることを禁じられていたのと全く同じ。(レビ1:17、新約時代は、「反芻」しない人=貪欲で、神様の前に罪を告白して悔い改めない人は 受け入れてはならない、の意と考えられる)

  ・ 禊(みそぎ): 沖縄で3月3日(天神祭の日)に行なわれる”浜下り(ハマウイ)”の行事では、特に女性が浜に下って沐浴して身を清め、安泰を祈願する。この禊は蛇の子を宿さないためとされる。イスラエルでは、「第3の月の新月の日に、(太陰暦では)1日と2日の2日間着物を洗って聖別し、3日目(3月3日)に主がシナイ山に降りて来られ、モーセに『十戒』を授けられた。(出29:1−11)

  ・ 血の汚れ: 沖縄では出産や月経を不浄であると考えられ、久高島では”血不浄(チーブジョウ)”といい産屋にこもった。

  ・ 父称: 沖縄の位牌には戒名はなく、ユダヤの慣習と同じく”〜の子、〜”(たとえば、ダサンの子イザヤ=イザヤ・ベン・ダサン)と書く。


  2) 新約関係:

  ・ 三位一体: 偶像はないが、神の臨在の象徴として”柱”がある。(旧約の荒野を放浪する民を導いた「雲の柱(昼)」、「火の柱(夜)」は神の臨在である事と同じ) 沖縄の神礼拝では、まず”四隅拝み”をし、12の御使いのために”12本香”を使い、次に、”中神(ナカジン)拝み”のために”3本香(3本が1束になった香)”を使う。この”中神”は、”宇宙の真中の神”あるいは”家の中心の神”という意味であり、「三位一体神」であり、”三柱一体の神”、”三天の神(ミティンヌカミ)”ともよばれる。
  この三神のそれぞれの呼び名は、拝みをするユタやノロ(*)によって若干異なるが、
  @絶対神、A女から生まれた神、B天降りの神、 あるいは、 @先祖の神、A天降りの神、B地の神霊、などを意味し、
  これはキリスト教における、主なる神の3つの現れ、@父なる神、A天から地上に来られたキリスト、B地上に臨在する聖霊、と解する事ができる。

  ・ 十字架: 人が死ぬと、その遺体の枕元に”ムイバン”という、山盛りのご飯の上に箸を十字に固定、あるいは、一本を横に置き十字形を作る。これは、山盛りご飯を”山”に見立てて、”故人を天国に導いてもらいたい”という気持ちでこのようにする。また、葉で十字形に編んだもの(”サン”という)を垂らして魔よけとする。

  ・ 羊: ユタや年配者は、羊を”神の動物”と言い、干支の羊は祈りの通り門だと言う。(ヨハ10:9)

  ・ 豚と悪霊: 沖縄の田舎ではどこでも”豚と悪霊”に関する風習がある。夜帰宅するとき家に入る前に豚小屋に行き、豚を起こして、ついてきた悪霊を豚に移す。摩文仁地方(本島南端)では、悪疫が流行した時、豚を海に追い落として厄払いをした。(マタ8:28−34)

  ・ 十字架と復活: 沖縄では伝統的な年中行事はすべて旧暦で行なう。(昔の本土でもそのようにしていた)
  旧暦の1月14日は”トゥシヌユルー(年の夜)”(=大晦日)であり、その日にあらかじめ正月用にとっておいた豚を屠り、大掃除をし、”血”を象徴する赤い花をつけた門松を立てる。翌日の1月15日が新年である。古代イスラエルでは「過越し」以来の慣習として、毎年ユダヤ暦の1月14日に正月用の小羊を屠り、また、イエス・キリストが十字架の死を遂げた日も同じ1月14日だった。その夜は、夜通し起きて肉料理を食べるのはユダヤ人の風習でもある。
  また、1月15日は沖縄の”小正月”で餅と苦菜を食べることも、イスラエルで種なしパン(=マツァ)と苦菜を食べることと同様である。イスラエルの正月の祭り(=過越しの祭)は1週間続いたが、沖縄の正月祭りも本来約1週間続く。
  さらに、1月16日は、沖縄で”16日祭(ジュウルクニチー)”は”グソー(=あの世)の正月”とよばれ、重箱入りのご馳走を持って墓参りに行き、宮古島、その他の島では、この日に最も盛大に祝う。那覇の神社の宮司や元ユタの話によると、この日は、沖縄に古くからあった最も重要な祭りであり、1月16日は”死者の甦り”の日であると同時に”初穂の日”でもあったという。1713年の”琉球国由来記”によると、16歳の娘が急死して3日目に墓に行くと甦っていたことから、1月16日のこのような先祖供養が始まった、とある。聖書では、その日は「初穂の祭りの日」、「キリストが初穂として復活した日」である。



  ・ ノロやツカサは血縁などで継承される祝い女で村落の祭祀をつかさどる。一方、ユタは死者儀礼や先祖供養などの家庭内の祭祀を行い、占いもする。ユタは、”性高生(サーダカウ)”といわれる霊的能力を備えた女性が、人生上の不幸に遭遇して”神ダーリ”という幻視幻聴を伴う状態に陥り、神のシラシとして巫女修行を行うことによって克服した後に成巫と認められる。男ユタもいる。

  ・ 沖縄におけるアフリカ・中東系のDNAを持つ人は約5%で、日本人の平均13%よりも低いのは、歴史の途中で近くの中国からの移民(豚肉食、祖先崇拝)が入ったためであるが、それでもこれほどの文化的影響が存続しているのは驚くべきことである。尚の事、日本の古神道古代イスラエル人からのもの(天皇家)と、ユダ系の秦氏一族の景教(東方キリスト教)からのものの2つにより形成されていたことが強く言えるのである。

  * 06 11月22−24日 ウェルサンピア沖縄(沖縄厚生年金休暇センター)にて第13回聖書と日本フォーラム沖縄大会 「聖書に書かれている記事が日常の生活風習、習慣になっている沖縄」のタイトルで研修会・見学会・シンポジウムが開催された。研修会には手束正昭師・ジム・ピーコック師・久保有政師・知念金徳師、見学会には、世界遺産 斎場御獄・久高島 シンポジウム:小石師他も参加された。

  ** 11月3−5日のグラハム大会(フランクリン・グラハム師、参加延べ3万人以上、約2000人が救われた)の場所が北谷に選ばれたのは、昔、北谷の海岸にイギリスの船が難破した時 北谷の漁師達が助け、イギリスの人々は島の人々の温さにふれ無事本国へ帰って 沖縄の為に祈ったためである。その後ベッテルハイム師がイギリスから遣わされた。去る11月22日の沖縄タイムス朝刊に、ベッテルハイム師の日記と書簡の一部が新しく発見された記事が載った。(沖縄の姉妹の報告より)



  (参考文献) ・ ムー・2006 10月号(久保有政師の記事)、学研     ・ 『琉球エデンの園物語』・与那城勇著、沖縄春秋社(1974)


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