3. シオニズム運動と現在の動き
(1) シオニズム運動:
差別から解放されたユダヤ人が、社会のいろいろな分野で活躍していくのを恐れたキリスト教市民の反ユダヤ感情に、さらにユダヤ人を劣等人種と見るエセ科学的な偏見が加わり、反ユダヤ主義が生まれてきた。特に、19世紀末のロシアで起こったポグロム(集団略奪・虐殺)は、多くのユダヤ人たちをパレスチナへ移住させた。しかし、かつての「約束の地」はオスマントルコが支配し、アラブ人が住みついていた。
1914年第一次大戦が始まると、イギリスは、オスマントルコ および その同盟国のドイツと戦った。イギリスはこの地を自陣に引き入れるため、シオニストたちの働きかけを受け、パレスチナにユダヤ人のナショナル・ホーム建設の支持を約束する(バルフォア宣言・1917)。 一方、1915年にアラブの指導者フサインに対しアラブ国家建設を支持し(フサイン・マクマホン協定)、また、フランス、ロシアとパレスチナの分割領有を約束していた(サイクス・ピコ秘密協定)。(イギリスの”三枚舌外交” これが、後の紛争を長引かせることになった。) 結局、1920年にパレスチナはイギリスの委任統治下に入り、1922年国連もこれを認めた。
1930年代ドイツでナチスが政権を取り、ユダヤ人への排斥政策が推進されると、パレスチナへの移民は急速に増してきた。しかし、本格的に移民が行なわれたのは、第二次大戦のホロコーストの後だった。 イギリスはパレスチナ問題の解決を国連に委ね、1947年国連はパレスチナを、ユダヤ人国家、アラブ人国家、エルサレム国際管理地区の3つに分割する決議を採択した。ユダヤ側は受け入れ、イスラエルの独立を宣言したが、アラブ側はこれを拒否し、第1次中東戦争となった。1967年の第3次中東戦争では、イスラエルはガザ地区とシナイ半島(エジプトへ返還・1982)、シリアのゴラン高原までの広大な土地を占領した。
近代的なシオニズムはヘルツルが創始した。1897年「第一回世界シオニスト会議」を召集したが、当時のフランスやドイツのラビたちは消極的だった。
外交的な手段によってユダヤ人国家を実現しようとする 1) 政治的シオニズム は、イギリス政界に入り込んだ大学教授らによって始められ、イギリス政府による1917年のバルフォア宣言、パレスチナの委任統治が実現した。
一方、すでにパレスチナに入植し、キブツ(ユダヤ人集団農場)等を作っていた 2) 労働シオニスト たちも委任統治下でユダヤ人の自治組織に加わった。政治的シオニストと労働シオニストは当初争っていたが、1930年代になると労働シオニズムの覇権が確定した(マパイ党1930−、労働党1968−)。
3) 修正主義シオニスト は、国連の分割決議を不満とし、第4次中東戦争の初戦で敗北(エジプト、サダト大統領)を喫したことから危機感を募らせ結成された、熱狂的な宗教的政治集団で、ヨルダン川東側の”トランスヨルダン”も軍事力で奪取する「大イスラエル主義」を唱え、地下組織を作り闘争的であった。(ヘルート1949−、ガハール1965−) リクード党(1973−)はこの流れ。
ユダヤ教とシオニズムとを結びつける 4) 宗教シオニスト は、シオニズムに邁進すれば、メシヤ再臨が早まると考えた。(統一宗教戦線1949−)
しかし、 5) 超正統派ユダヤ教徒 (スファラディー・アラブ系)は、人為的な努力によるメシヤ待望論を否定して、宗教シオニズムに強く反対した。シャス党(1984−)、統一トーラー・ユダヤ教(1992−)はこの流れ。超正統派ユダヤ教徒を代表する宗教政党”アグダト”は、”統一トーラー・ユダヤ教党”という名で国会の議席を確保している。このアグダトは、初代イスラエル首相ベングリオンに、イスラエル国家の建設においてユダヤ教的性格を強めることを約束させた。(ユダヤ教暦の休日設定、安息日(シャバット)における交通機関の完全停止、ユダヤ教にのっとった食物規定(コーシェル)、ユダヤ教教育制度・組織への国家の不干渉、など) また、現在のイスラエルの宗教生活全般についての判断(出生、婚姻、埋葬、相続など)は、この超正統派が牛耳っている”主席ラビ庁”が決定権を持っている。これは、アメリカ・ユダヤ人が帰還しにくい原因になっている。
(2) 現イスラエルの政治制度:
修正主義シオニストはある程度まで軍事力でイスラエル領土を広げ、その役割を果たしてきた。(さらに、他のイスラエル部族や、アメリカなどの残りのユダヤ人を受け入れるために、さらに領土を広げる可能性がある。) そして、議席を伸ばしつつある超正統派は、今後、ユダヤ教としての預言書(旧約聖書)が実現するために、「中東和平」を容認する方向で進めていくだろう。すべては、神様の計画のとおりである。
1948年5月14日ダビッド・ベングリオン首相は、独立宣言を読み上げイスラエル国家が誕生した。しかし、イスラエル建国後、国家理念について一致を見ることができなかったので、憲法の制定ができず、代わりに「基本法」が逐次制定された。
基本法として特別な地位にあるのが、「独立宣言」、「世界シオニスト機構・ユダヤ機関法」、「帰還法1950−」である。他の11の基本法は、「国会(クネセト)1958−」、「土地1960−」、「大統領1964−」、「政府1968−」、「国家経済1975−」、「軍1976−」、「首都エルサレム1980−」、「司法1984−」、「国家監督官1988−」、「人間の尊厳と自由1992−」、「職業の自由1992−」などと、成立が遅い。(大統領は国家元首であるが政治的な実権を持たない。)
すべてのイスラエル国民は「兵役」の義務を負っている。(男子18歳以上3年間、51歳まで予備役・毎年最高39日間、女子18歳以上21ヶ月間、24歳まで予備役・毎年最高39日間) ただし、超正統派(ハレディーム)やアラブ系市民は兵役免除。
現在、労働党(東欧アシュケナジー系)とリクード党(スファラディー系・反エリート政党)が二大政党であったが、パレスチナ国家成立や中東和平の路線を踏まえて、シャロンの率いるリクード党から分離して、新たに「カディマ(中道)党」が結成された(2005年11月)が、06年1月にシャロンが脳卒中で倒れたばかりである。
歴代の首相は、
ダヴィッド・ベングリオン(マパイ党、1948−54)、・・・、イツハク・ラビン(労働党、69−74、92−95(暗殺))、メナヘム・ベギン(リクード党、77−83)、イツハク・シャミール(リクード党、83−84、86−92)、シモン・ペレス(労働党、95−96)、ビンヤミーン・ネタニヤフ(リクード党、96−99)、エフード・バラク(労働党、99−2001)、アリエル・シャロン(リクード党、2001−06)
1977年右派のリクード党が政権を握ると、ガザ地区、ヨルダン川西岸、ゴラン高原でのユダヤ人入植運動が加速されていった。ベギン(リクード)は1982年までにシナイ半島をエジプトに返還し、代わりに1981年ゴラン高原を正式にイスラエルに併合した。ラビンは、1993年にPLOとパレスチナ暫定自治協定に調印(オスロ合意)し、ガザ地区、ヨルダン川西岸から軍隊を撤退させたが、95年に正統派ユダヤ教徒により暗殺された。
(3) 帰還法とアメリカユダヤ人:
さて、「帰還法」は、”ユダヤ人であればだれでもイスラエルに移民して国籍を取得する権利がある”ことをうたっているが、1948年制定時の「ユダヤ人の母から生まれ、あるいはユダヤ教徒に改宗した者」が、正統派党の要求やカトリック神父の最高裁判決(ホロコーストに際してユダヤ人救出の実績を持っていた、ユダヤ教からカトリックに改宗した神父が、”自分は宗教はカトリックであり、人種はユダヤ人である”と主張した件)の理由により、
1970年に、「他の宗教の成員ではない者」の条件が追加された。(既存のキリスト教徒(ギリシャ正教、ギリシャ・カトリック)やアラブ人にはそれぞれの宗教コミュニティーの自治が認められている)
さらに現在、シャス党は、旧ソ連からのユダヤ人ではない新移民の増加を危惧して、帰還法にさらに「ユダヤ人であることを明示する」よう要求しているが、「ユダヤ人」とは一体誰であるかのアイデンティティーの問題が提示されている。
* 全世界のユダヤ人口: 1300万人、その内、 イスラエル: 523万5千人(全体の40%)、 アメリカ: 528万人、 イギリス: 30万人、 フランス: 49万4千人、 ロシア: 約100万人、など
イスラエルは、1980−2005年まで191万5207人(内、旧共産圏から101万3956人)を受け入れた。
これでも、まだユダの半分以下であり、これにさらに残りの十部族が加わるはずである。
アメリカ経済の多くを握っていると言われるアメリカのユダヤ人は、ヨーロッパにおけるドイツ・ユダヤの分裂などの歴史的経緯から、そのユダヤ教の宗派が「保守派ユダヤ教」、「改革派ユダヤ教(**)」、「レコンストラクショニスト(再建派)」など、律法の解釈が”世俗的”(異教徒との結婚を認める、コーシェル(食物規定)、安息日などについて必ずしも遵守しない)であり、イスラエルではユダヤ教の一派として認められていない。
アメリカのユダヤ人は、法的には簡単にイスラエル国民の権利を取得できるが、移民後、超正統派が支配する「主席ラビ庁」のもとで”再改宗”しなければならず、自分らこそは”正統派”だと思っている彼らには受け入れられないことである。
(同様な問題は、エチオピアからの移民(ファラーシャ)についても言える。ファラーシャは、タルムードが成立する前に分離された歴史から、タルムードの伝統をその信仰の中に持ち合わせていないのが理由である。移民当初は結婚すら制限された。)
少数派意識の強いアメリカのユダヤ人は、1960年代の黒人の市民権運動や日系やアジア系の人権擁護に熱心であり、マルチン・ルーサー・キング牧師と共に市民権運動の先頭を歩いていた。しかし、ユダヤ人がアメリカの各分野で成功していくにつれ、黒人やヒスパニックはユダヤ人を白人の一部とみなし、支配階級と考えるようになった。
** ドイツの「正統派」と「改革派」の分裂(分裂法・1876)。改革派のガイガーは1844年に婚姻とコーシェルの禁止事項を廃止。(ドイツ国民に溶け込もうとしていたので、礼拝もドイツ語、さらにプロテスタントに合わせて、オルガン伴奏、日曜礼拝の宗派もあった。) その理由として、ラビがさまざまな法規を(旧約)聖書から演繹しても、それらは歴史的な状況に左右された恣意的(しいてき)な聖書解釈の産物であって、永遠性を持つものではないとした。
アメリカ経済におけるユダヤ人の力は、いわゆる”反ユダヤ本”のなかで”ユダヤ資本によるアメリカ経済支配”が言われているが、はたしてそうであろうか?
佐藤唯行氏(獨協大学・外国語学部教授)によると、次のとおりである。
・ 全米富豪上位400人番付では、84人(21%)がユダヤ人で、その2割強は不動産業であり(by ”フォーブス(実業雑誌・2000年特集)”、 19世紀末に東欧からニューヨーク・ロワー・イーストサイド地区へ移民したユダヤ人の不動産投資ブームに由来する。
・ ウォール街の所得長者番付では、最上位25名中11名がユダヤ人で、その多くは、企業買収ビジネスとヘッジファンドに集中している(”ファイナンシャル・ワールド(金融専門誌)・1997”)
・ メディア産業では、8大映画会社の所有・経営権の約半分、3大テレビ放送系列の、ABCとCBSの創業社主としての所有・経営を支配してきて、今も健在である。
・ 情報・通信産業では、パソコン・ソフトのオラクル社のラリー・エリソンは全米第2位の大富豪、マイクロソフト社のCEO(最高経営責任者)スチーブン・バルマーは7位(ビル・ゲイツは非ユダヤ人)、デル・コンピューター社のマイケル・デルは13位など。
・ 小売業では、ユダヤ人は19世紀以来多くの百貨店を創設してきたが、20世紀中ごろから、郊外型巨大ディスカウント・ストアの業態を世に送り出した。(ホーム・デポ) その他、婦人服のギャップ・ザ・リミッテド、蒸留酒のシーグラム、化粧品のエスティー・ローダー、玩具のマテル、ハスブロ(全米シェア31%)、など。
一方、北西欧系白人プロテスタント(ワスプ)の強い商業銀行、保険、公益事業、自動車などの古い製造業にはほとんど進出できなかった。特に、アラブ産油国との友好を必要とする国際石油資本は、現在でもユダヤ人を排除している。
したがって、アメリカ経済におけるユダヤ人の力は、反ユダヤ主義者たちが吹聴してきたような絶大なものではなく、しかしながら、ユダヤ団体が公表してきたよりはかなり強力で、実像は両者の中間にあるといえる。
彼らが小さい国イスラエルに移住し、そこでの経営が可能ならば、イスラエルに相当の富が移動することになる。
* イギリス在住のロスチャイルド家(親日家と言われる)直系の娘 シャーロット・ド・ロスチャイルドは、大金持ちでありながらソプラノ歌手としてオラトリオ公演で世界中を回っている。しかし日本の歌謡曲・童謡にある、日本人が失いかけた感性に共感するものがあるようで、日本人の指導のもとにCD(『日本歌曲のアルバム』・・’遠くへ行きたい’、’赤とんぼ’など、音楽之友社)を出している。
(4) 現在のイスラエルなどの動き:
2005年9月にガザ撤退を敢行し、穏健路線に転じたシャロン首相が2006年1月に倒れ、3月28日に首相選挙が行なわれる。候補者は、中道カディマ(”前進”の意)のオルメルト首相代行(元リクード)(中東和平に前向き、西岸の主用入植地は維持)、右派リクード党のネタニヤフ元首相(中東和平に消極的、入植地撤退に反対、大イスラエル主義)、労働党のペレツ党首(中東和平を積極推進)など。3月の世論調査では、定数120議席の国会で、カディマが39−40、労働党19−21、リクード14−16議席と見こまれている。カディマのオルメルト代表は、シャロン氏のパレスチナ分離政策をさらに推進し、西岸地区からも数千〜万人のイスラエル人を4年間で撤退させ国境のある2国に分離する予定。
超正統派のシャス党は1984年選挙から着実に議席数を伸ばし1999年には17議席(国会全体で120議席中)を占め、議会第三党(今は第四党)になった。シャス党は、さらに条件を厳しくする帰還法改定や世俗的教育機関のユダヤ教徹底などを主張し、一方、中東和平については(来るべきメシヤが行なうから)占領地放棄の柔軟な姿勢を打ち出している。これは、イスラエル国民の意識が平和を望むように変化し、イスラエルが宗教的に固くなってきていることを表わしている。
ネタニヤフ首相の時、超正統派を支持し、アメリカのユダヤ人との亀裂が進行しイスラエルへの経済的支持が減少してきたといわれている。
今回の選挙で、ロシア移民系・右派政党”我が家イスラエル”が急に議席を伸ばす勢いである。(前回3議席、今回11議席) 1991年ソ連崩壊後のロシアなどからの約100万人の移民(有権者の1/6)は、アシュケナジー(建国時の東欧系)やスファラディー(中東・北アフリカ系)よりも社会的にかなり出遅れ、社会の下層に位置している。当初は”平等”、”社会主義”をめざしたイスラエルも、最近ではではこのように所得格差が広がっており、そのため、同じ下層のアラブ系住民(イスラム教徒・国民の2割)との争いが絶えない。
この、第3勢力として台頭する”我が家イスラエル”党は、”アラブ人排斥”を主張しており、政権で連立するようになれば、今後のイスラエル政治や中東和平の路線を大きく踏み外すことになる。それだけではなく、世界中に反ユダヤ感情を引き起こす可能性が大きい。
ただし、エルサレム中心部のロシア系移民街では、豚肉がスーパーで売られるなど、律法の観念はゆるく、ロシア語放送も行なわれている。
一方、2006年1月28日のパレスチナ評議会選挙で、30年以上の汚職政治の旧与党のファタハ(故アラファト議長、アッバス前議長)に対するパレスチナ民衆の不信と怒りから、イスラム原理主義組織ハマスの指導者が選ばれ、ファタハと連立せず、また、イスラエルもこれを交渉相手としない模様。(故アラファト議長のアラブ諸国からの資金を横領して得た個人資産は3億ドルで、世界の国王、元首としての個人資産番付は、エリザベス女王に次いで6位にもなる。)
ハマスはユダヤ人に対し、政策的には、抑圧者イスラエルを倒して、パレスチナ全土でのイスラム国家建設を目指す。また、人種的な反ユダヤ主義を吹聴し、『シオン長老の議定書』(帝政ロシアが作成した偽書)によって、『フリーメイソン』、『ロータリークラブ』もユダヤ人のスパイ機関であるとしている。ただし、ハマス指導者にも柔軟姿勢が目立ち、今後は現実路線に近づくと言われている。
イランの反ユダヤの姿勢が強まっている。アフメディネジャード大統領は”ホロコーストによるユダヤ人犠牲者600万人は、イスラエルを建国するためのでっちあげ”、”イスラエルはパレスチナの民衆に対してホロコーストを行なっている”、”イスラエルは地図上から消し去るべきである”などと発言した。
ロシアのプーチン大統領(元KGB幹部)は、このハマスの幹部を呼び会談を申し入れたが、イスラエルや欧米の反対により、3月初めにロシア正教の総主教と対談したのみだった。(プーチンは、ロシア民衆に深く浸透しているロシア正教との関係を強めることにより、国民の支持を得ようとしている。ロシア正教は国内の福音派、カリスマ派の教会を迫害している。) ソ連が共産主義時代からイスラム国に武器を輸出し、ハマスとも水面下で深い交流を持ってきたように、ロシアの親ハマス、親イラン外交について、ロシアの専門家らは、欧米主導の中東和平が行き詰まる中、プーチン政権は、欧米とはあえて一線を画した姿勢を示すことで、世界のエネルギー貯蔵庫である中東における大国のプレーヤーとして復権しようと狙っているとの見方を発表している。
しかし、真相は、最終的にイスラエルの富を狙うゴグ・マゴグ連合体を形成するように、神様によって導かれていると考えられる。
ロシアは昨年12月、ガスの価格を5倍近く上げる要求をし、ウクライナ向けのガス輸出を停止した問題で、エネルギー供給を第三国への政治圧力に用いる”現代型エネルギー帝国主義”などと、内外から批判されている。
ロシアの極端な”中央集権制”の伝統は、タタール人(ダッタン人)の支配(1223−)から始まったと言われ、支配者の”猜疑心”はイワン雷帝(イワンW、1565−)からスターリンの恐怖政治、KGBへと引き継がれた。(第2次大戦時の戦死者は国別として最大の2500万人、スターリンによる大粛清1000万人逮捕、300万人処刑、クラーク(農民)600万人処刑、戦後もスターリンの批判者やドイツからの帰還兵を強制収容所へ、・・・アウシュビッツの比ではない)
超正統派ユダヤ人は、歴史的に最も迫害されてきたので、キリスト教徒を最も忌み嫌っている。それで、これまでの怒りや憎しみを「メシアニック・ジュー(イエスをメシヤと信じるユダヤ人)」の兄弟姉妹たちに向け、時には危害を加えることさえある。
・・・・・・ 「義のために迫害を受けている者は幸い。神の国はその人のものです。」 メシヤニック・ジューには聖霊様の賜物に満たされている人が多い。世の終わりのイスラエルでは、イエス様の時と同じことが繰り返される。
(参考)
<人と世界> ある日本人の選択 モシェ・ハットリさん
たびたび話題になる割に、日本人になじみのない宗教がユダヤ教だ。キリスト教やイスラム教など他宗教と比べ改宗が極めて難しく、日本に教徒が少ないのも理由だろう。
名古屋市出身のモシェ・ハットリさん(40)は、松山市出身の妻チッポラさん(46)と一緒に、ユダヤ教に改宗しエルサレムでユダヤ人としての生活を送っている。厳しい戒律を守る正統派ユダヤ教徒の日々について聞いた。
――どうして、ユダヤ教に改宗したのですか。
◆神学部生としてキリスト教の勉強をしていたとき、聖書のヘブライ語を学び、ユダヤ教に興味を持った。その後、牧師になったが、キリスト教では「イエスを信じれば救われる」と教えるだけ。牧師だから、信徒が家庭内の問題などいろんな悩みを持ってくるが、「イエスを信じないさい」としか言えない自分に失望した。そこにあったのが、「してはいけないこと」と「しなければならないこと」が戒律で厳しく決まっているユダヤ教だった。
――キリスト教に興味を持ったきっかけは何ですか。
◆ミッション系の中・高校に通った。聖書に、「世界は無目的にあるのではない」と書かれてあったのに感動して、教会などに出入りするようになった。
――ユダヤ教の戒律とは。
◆トーラというユダヤ教の書物にある規範で、生活のあらゆることが決まっている。例えば、食べてはいけないものとして海の動物では「ヒレやうろこのないもの」となっている。つまり、好物だったアナゴは食べられない。また、ミルクと肉を一緒に調理することも許されない。トイレから出るときも祈りが必要だ。
――トイレを出る時はどう祈るのですか。
◆神への感謝だ。具体的には、「知恵を持って人間を作り、体の中に管を作り下さってありがとうございます。管が閉じられたら我々は生きられず、神の前に立つこともできません」と祈る。基本的には、ユダヤ人は戒律を守ることで、自分の生活を向上させ、世界をより良い社会にすることができると考えている。
――戒律の理由とは。
◆理由があるものと、わからないものがある。例えば、食事前に手を洗うことは戒律で決まっているが、これは衛生観念からきたものだろう。でも、なぜヒレやうろこのないものを食べてはいけないのか、ミルクと肉を一緒に調理してはいけないのかはわかっていない。でも、ユダヤ教では「理解するために行う」ということがある。つまり、まず実行することが大切で、このあたりは日本の茶道や華道に通じるかもしれない。
――改宗の手続きは。
◆イスラエルでユダヤ人と認定するための「帰還法」では、ユダヤ人とはユダヤ人の母から生まれた者と、正式な手続きを経てユダヤ教に改宗した者をいう。イスラエルで正式に改宗するには、正統派のラビ(導師)による試験に合格しなければならない。最初、「改宗したい」と言ったときは、ラビから本気で反対された。ユダヤ人は厳しい戒律を守らねばならず、大変だから止めろということだ。ユダヤ人は非ユダヤ人に厳しい戒律を求めない。「お前は変わっている」と言われた。
――どんな試験ですか。
◆ヘブライ語ができてユダヤの戒律を守っていくことができるかが試される。夫婦一緒の改宗しか許可されないので、妻と一緒に面接試験を受けた。改宗後、生計の立て方やユダヤ社会に溶け込んでいく覚悟などを聞かれる。試験に受かったら、男性は割礼しなければならない。赤ん坊は痛くないらしいが、大人の割礼は大変で、手術後3、4日目に激痛が襲った。結婚式もユダヤ式でやり直した。
――そうまでしてユダヤ人になりたかったのですか。
◆私たちの場合、ユダヤ人にならなければ、イスラエル永住が許されなかった。ユダヤ教の戒律を守りながら、日本で暮らすのは大変だ。ユダヤ教は偶像崇拝を強く拒否するが、日本は偶像崇拝だらけの社会だ。葬式や結婚式にはまず出席できない。また、ユダヤ教の戒律による方法で料理されたものしか食べられないので、日本ではほとんど食べるものがない。だから、帰国するとき、缶詰をいっぱい持っていく。帰国した当初、両親はイスラエルでも缶詰ばかり食べているのかと心配した。
――ユダヤ人になることは大変ですね。
◆戒律を守ることで、生活態度が良くなった。ユダヤ教では親を大切にすることが重要で、親にとるべき態度が決まっている。当初、改宗について父は心配して怒りもしたが、父への態度がガラッと変わったので分かってくれたと思う。
――エルサレムは特別な存在ですか。
◆何ものにも替えられない。ユダヤ人は何千年もエルサレム、それも旧市街の「神殿の丘」に向かって祈り続けてきた。これを手放すという考えはユダヤ人から絶対出てこない。
――ユダヤ人は選ばれた民という思想があります。
◆それは自分たちが戒律を受けた者、学びつづける義務を受けた者という意味だ。ユダヤ人だけが選ばれて幸せになり、天国に行けるという思想ではない。ユダヤ教では毎日3回の祈りの際、いつも世界の人々の幸せを祈っている。
――でも、ユダヤ教徒とイスラム教徒の紛争は絶えません。
◆ユダヤ教では、あらゆる人たちと平和に暮らすべきだと考えている。しかし、人命を最も大切に考えるため、身の危険に直面すれば、あらゆる戒律よりも自分の命が優先される。ユダヤ教には「敵をも愛せ」というキリスト教的な考えはない。自分を殺そうとする者とは戦わねばならない。
――最後までイスラエルで暮らすつもりですか。
◆ユダヤ人に葬儀をしてもらい、ユダヤ人の墓地に眠りたいと願っている。
1960年、名古屋市生まれ。東京神学大でキリスト教を学び、高知県で3年間牧師としての生活を送る。この間、キリスト教関係者の紹介でチッポラさんと結婚。91年3月から93年4月まで、名古屋市で牧師をする。キリスト教を通してユダヤ教への興味が膨らみ、スーツケース二つを持って夫婦でイスラエルへ。
93年6月から、エルサレム・ヘブライ大でユダヤ教を学ぶ。94年8月、夫婦でユダヤ教に改宗し現在、イスラエルの永住権を取得。宗教学校で学びながら、近所のシナゴーグの財産管理・会計を担当している。モシェさんは未熟児網膜症で左眼を失明し、右眼も強度の弱視。チッポラさんは生まれながら強度の弱視で、日本の盲学校で学んだ。
【エルサレム・小倉孝保】
[毎日新聞ニュース速報 2001年2月25日]
「『主よ、あなたの民を救ってください。イスラエルの残りの者を。』 見よ。わたしは彼らを北の国から連れ出し、地の果てから彼らを集める。その中にはめしいも足なえも、妊婦も産婦も共にいる。彼らは大集団をなして、ここに帰る。」(エレ31:7、8)
・・・・ イスラエルのリバイバルの時、いやしのしるしと不思議が起こるため