3. ヨハネの福音書中の主のわざについて


 (1) ヨハネの福音書と使徒ヨハネについて

 イエス様の弟子化の方法は、ユダヤでは旧約聖書の土台があったとはいえ、初めから一貫して、わざによる伝道の実践教育だった。

 主のわざについては前節で説明したが、現在主の臨在がそれほど強くなく、私たちの近辺に著しいわざが起こっていないとしても、意識的に聖書にある主に目を留め続け、信仰を強めていかなければならない。もし、示されている神のことばや霊的預言があるならばそれに目を留めていけば良い。信仰が成長するにはある程度の時間がかかるからである。(Uペテ1-19)

 人はアダムとエバからの原罪の性質上、自分自身や否定的な状況に目を留めやすい。チョー・ヨンギ師も教会堂建設の時、目を開けているよりも目をつぶっているほうが多かったそうである。
 信仰の初心者から霊的奉仕者レベルまで、聖書にある主のわざの箇所を熟読する事は信仰の成長・成熟の為に有益である。特に、ヨハネの福音書には、イエス様がなされたわざの事が詳しく書かれてあるので、私たちの心が整えられ、いざ聖霊が臨まれた時、私たちが何をなすべきかがわかるのである。


 ヨハネの福音書は他の3福音書と全く様相を異にして、わざを通してイエス様が”神の子”である事をあかしし、人々を復活信仰に導き、また弟子化する事を意図している。さらにイエス様の神性を霊的に描写している。(単純で短い文章だが深遠。(cf.ルカ))
 (イエス様はあまりにも偉大なので、一枚の肖像画に収まらなかった!。 マタイ(使徒マタイ本人が記述)・・・イエス様をほぼ教師として記述、ユダヤ教との関係(旧約の成就)、 マルコ(ペテロがヨハネ・マルコに口述)・・・御父を愛し仕えるしもべとしての行動、 ルカ(パウロが医者ルカに口述)・・・救いの祝福(最もふさわしくない者に最高の恵み)、病気の描写)

 この福音書は、AD1cの終わり頃書かれ、キリスト教はこの時まですでに50〜60年経っており、ローマ帝国全体に広がっていた。時折起こる迫害の中、他の使徒たちの殉教後、ただ一人イエス様の生き証人として生き残っていた使徒ヨハネが、ヨハネの黙示録よりも後に、エペソでヨハネの手紙と共に書いたと言われている。AD2c頃は4福音書のみが公的な聖書として用いられた。ヨハネの福音書中にはたとえの記述がなく、具体的なわざのみが続けて書かれており、私たちはそれらのわざの中に、イエス様の神性神の愛を感じる事ができるのである。

 聖書66巻の一番最後を飾るにふさわしく、”人として来られた神の子イエス様”を、わざ、品性、信仰についてありのまま、生き生きと描写している
 ヨハネ自身は自らを”愛された弟子”とだけ書いて自分の名前を出さず、イエス様だけが見えて、ヨハネは決してこの書の中に見えないと言われている。
 私たちはこの書によってイエス様の生き様を純粋に知りこの上もない信仰の励ましを受けるのである。


 使徒ヨハネ(*)は12使徒(**)の中で一番若く、召された時はペテロと共にガリラヤ湖で漁師として働いており、日焼けした素朴で元気な(兄ヤコブと共にちょっと激しやすい(***))青年であったと思われる。ヨハネほど、人として来られた神の子イエス様を身近に知る事を許された者はいなかった。(3人の側近(ペテロとヤコブとヨハネ)、12使徒、70人の弟子たち)
 ・ ヨハネの母サロメはイエス様の母マリヤと姉妹(マタ27-56、マコ15-40)
 ・ 変ぼう山(ルカ9-28)
 ・ ヤイロの娘の生き返り(マコ5-37)
 ・ イエス様の胸に寄りかかっていた者
 ・ (食事の時)イエス様の右側で横になっていた者(ヨハ13-23)
 ・ ゲッセマネの園(マタ26-37、マコ14-33)
 ・ 十字架のそばに立っていた
 ・ 母をゆだねられた(ヨハ19-26、27)
 ・ 「完了した」を聞き取った(ヨハ19-30)

 また、ヨハネは老年、パトモス島の石切り場で重労働させられたが、晩年エペソに返され、使徒たちの中で唯一殉教せずに長寿を全うしたと言われている(****)。


    (参考) 

 (*) ”ヨハネ”とは”神は恵み深い”の意味。(欧米では男の子に付ける名前として、”John(ヨハネ)”が最も多く、ついで、Peter(岩)、Paul(小さい、へりくだった)等となっている。素直で、健康で、そして、神に愛されてほしいという願いを込めてと思われる。ちなみに、ドイツではヨハン、フランスではジャン、ロシアではイワンになる。)

 (**) 使徒の働き1-13によると、ペテロ(”岩”(旧シモン=”葦”))、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、ピリポ、トマス、バルトロマイ(=ナタナエル(ヨハ2-45))、マタイ(旧、取税人レビ)、アルパヨの子ヤコブ(小ヤコブ)、熱心党員シモン、ヤコブの子ユダ(タダイ(”乳房”の意(マコ3-18)))の11人。マッテヤは伝統的なくじ引きで選ばれたが、本当の12番目の使徒はパウロ(旧サウロ)であると思われる。パウロは、ユダヤ人でギリシャとローマの市民権を同時に持つタルソ生まれの国際人の超エリートで、人種的、文化的障害を乗り越えて福音を伝達できる、特に備えられた人物だった。しかし、それらの能力や立場をも少しは用いたが、むしろ、基本的に彼の宣教はしるしと不思議のわざによるものであり(Tコリ2-4、5)、また、主により徹底的に砕かれへりくだらされた(Uコリ12-5→エペ3-8→Tテモ1-15)。

 (***) ボアネルゲ(雷の子)(マコ3-17)、(エリヤのように)天から火を降らせ焼き滅ぼしましょうか(ルカ9-54)。信仰の宿敵であるグノーシス派のケリントスが共に公衆浴場に入っている事を知ったヨハネは、「ケリントスが浴場にいる。浴場が崩れ落ちるから逃げろ!。」と言って、裸で外に飛び出したという逸話がある。 しかし、ヨハネは長い時間をかけて、愛の使徒に変えられていった。

 (****) 他の使徒たちの殉教;
  ヤコブ(ヨハネの兄弟) ・・・ 剣で殺された(使12-2)、ヤコブが早い時期に殉教しヨハネが最後まで生き残ったのは興味深い。
  ペテロ ・・・ 逆さ十字架。 伝承によると、迫害を避け弟子たちと街道を歩いていた途中で、向こうから歩いて来るイエス様と会った。ペテロはイエス様だとすぐにわかり、「主よ、どちらへ行かれるのですか。」と聞いた。するとイエス様は答えた。「私はもう一度、おまえの代わりに十字架にかかりに行くのだ。」 そこでペテロは恥じ入り、すぐに引き返して十字架刑を受けた。そのとき執行人に、「私はイエス様と同じような十字架にかかる資格はないから、逆さにつけてくれ。」と言って、逆さ十字架で殉教した。
  アンデレ ・・・ X字形の十字架
  マタイ ・・・ エチオピアで剣で刺し殺された
  パウロ ・・・ 身分が高かったので斬首と言われているが、一説によると、競技場(コロシアム)でライオンに食われたとも言われている。

   (使徒ではないが) イザヤ ・・・ 木ののこぎりで首を切られた
                ポリュカルポス(ヨハネの直弟子でスミルナ教会の老監督)・・・AD155火刑。迫害当時、火刑は一般的なクリスチャンの殺害方法で、その火がローマの夜の街を照らしていた。伝承によると、彼は前日自分の枕が燃えている夢を見て、自分が明日、火刑になる事を弟子たちに言った。刑の執行人に対し、火刑柱に鎖でつながなくても大丈夫と言い、そのまま直立の姿勢で平然と火刑を受け天国に凱旋した。
                凍死刑 ・・・ ロシアでの迫害の事。キリスト者たちが真冬に裸で放置され凍死刑を受けていた。そのうちの一人が耐えられずそこから逃げ出してきた。それを見ていた兵士の一人は、彼らの上に天使が降りてきていたのを見ていたので、「おまえが天国に行くのを止めるなら、代わりにおれが行く。」と言って、服を脱いでそこに走って行って凍死刑を受けた。


 § 手紙の書かれた時期;
   


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