4. 賜物の訓練の実際: ・・・ 知恵・知識と預言の訓練の実例
まず、預言を受ける側から、預言の実態がどうかを考えます。預言は、神の語りかけの一部であり、完全に客観性のある示しであり、信仰の土台となるものであり、聖書の預言の通り、終わりの時代の重要な賜物です。
しかし、世界中に預言者と呼ばれる(あるいは自称する)器や団体がすでに大勢現れていますが、それが神からのものであるという信憑性はどうかと言うと、かなりの人達が”人間的な言葉”や単なるスローガンを公然と”預言”と称して語っているように思われます。たとえば、アメリカのある牧師の証言によると、その宣教チームの牧師たちが、その比較的名の知れた教団が主催する預言の集会にほとんど強制的に出席させられ、そこで語られる預言を受けさせられます。そこでは教会に対する大きな預言をし、必ず良いことを言い、そしてそれに具体的に従って、ほとんど実を見ていない、むしろ悪くなるという結果でした。(例えば、教会を引っ越しなさいという言葉に従って、経済的に苦しくなり教会員は減った)
アメリカで唯一の公的な預言者の群れである、リック・ジョイナーのモーニングスターは、個人預言でさえも2人の預言者が慎重に、御霊の一致を確認しつつ預言をします。ある姉妹はアメリカのIHOPの集会に行って、13人の預言者に預言を受け御霊の一致を確認しました。筆者も預言の吟味の困難さから、信用おけると判断している器はほんのわずかです。
一方、聖書には「預言を”語る事”を熱心に求めなさい」(Tコリ14:1)とあります。それは、結果的に、@御霊の与える剣としての賜物の威力が現わされることもさる事ながら、啓示の賜物を求める過程にあって、A主を求める心が涵養され、主の御性質(敬虔)に近づく重要な方法となるからです。
むしろ、それほど苦労せずに、急に賜物が開かれた場合は要注意です。
解き明かしについても同様です。簡単にわかる言葉や幻であれば主に熱心に聞くこともないでしょう。
また、預言は、神の三位一体の中心点にあります(*)。預言の訓練を通して、B時間を超越されたことばの神である主をより深く知ることになるでしょう。
したがって、まず吟味が容易にできる(個人レベルの)”知恵・知識”の訓練から始め、順次グループの預言の訓練に切り替えて、御霊の一致を確認しながら一つ一つ進めていきたいと考えます。もちろんこの訓練による預言の内容はグループ内でおさめることです。それは、人は示しや預言として何かを語られると、意識するしないに関わらず、どうしても少なからずの影響を受けるものだからです。また、知恵の言葉・知識の言葉は、働き人が預言系でもいやし系でも、補助的な導入の賜物として非常に有効なので、求めておく事は後々有益です。
また、予備知識無しにとらえる訓練により、いかに神に心を向けて聞いていないかをへりくだって自分で良く確認し、より神を求めていく姿勢が養われていくでしょう。それゆえ、聖霊のバプテスマを受けたばかりの初心者の段階から行なって行くべき訓練だと思います。
また、預言と知恵・知識は同じ”啓示の賜物”のカテゴリーに属しますが、もちろん各人に与えられている賜物は異なるでしょう。さらに、召しに関わる各人の特定の分野(牧会、説教、とりなし、奉仕、宣教地、特定のミニストリーなど)においては、このような訓練におけるとらえる能力とは、かなり差があることを考慮すべきです。
それぞれに著しい得意の分野があり、これは御体全体として、互いに助け、建て上げられるためです。弱いと思われるところが尊重されるべきです。
以下、当方で行なっているインターネットを用いての方法について、実例を挙げます。
(※ 参加ご希望の方はご連絡下さい)
実際にすることは、一日30分くらい主を礼拝して、名前だけを連絡し、その人について、まず初めに、神からのものかを確認しやすいように、知恵・知識的に、一週間くらいの納期でとらえて、それを問題無い形で連絡し、吟味をするものです。情報については、私が、他言無用、秘密厳守で行ないます。100%外れても気にせず、1%当たればなぜ当たったのか本人が自分で考えます。(もちろん、忙しい方や不安定な方、また、レベルが高い方は除かせていただきます。)預言は次のステップです。
このグループは、初めに問い合わせがありました6人の内の4人(男2、女2)のグループです。
初めに、下記の名前だけをご連絡し、1:1でその人についての知恵・知識(その人の過去・現在)のとらえをします。これは、知性が働く前の、第一印象で語られる事をとらえるものです。
次に、ご自分の祈りの課題を挙げていただいて、その人の課題のとりなしをしつつ示される知恵・知識的な事をとらえます。
次に、相手を変えて、同じようにとらえの訓練をします。
(なぜ知恵・知識に限定するかと言いますと、何よりも吟味がしやすいからです)
その次に様子を見て、グループで預言的とらえにチャレンジします。これは御霊の一致を確認したいと思っています。
* 三位一体と預言との関係:
神は、ことばの神であり、神のことばにより、創造・再創造のわざをなされ(創1:3、ヨハ1:3)、神のことばがすべてのわざを成し遂げる(イザ55:11)。これは人間の理性を超え、抽象名詞に対しても命ぜられる事である。
また、神が時間を超越した存在(ヨハ17:5、ヨハ1:1)であるので、神が語ったことばは、すでに成就(完了、贖いについては完済(直訳)の意)(ヨハ19:30)しているのである。これは時制を問題にしないヘブライ語の文法に適合している。 知識(過去)、知恵(現在)、預言(未来)は、啓示の賜物のカテゴリーに属する。
また、三位一体とは、神の愛の性質そのものを表す。御父は御子にすべてを与え、御子は御父にすべてを与え(ヨハ17:10)、聖霊様を通して三位一体の交わりに人類も入れられた。このように、神の本質が”与える者”であるゆえ、神の国は永遠に続くのである。(サタンの国は、与える事を知らない自己中心であり、そのような国は分裂して長続きしない。世の終わりの反キリストの国も一時的なものである。異端はこの三位一体を理解できない。)
クリスチャンがいのちを持ちつづける秘訣は、単に救いを受け取るだけでなく、弟子となって、与えられた恵みを流し出す事である。(ヨルダン川と死海のたとえ、また太陽のたとえ) イエス様は神の管として、御父からのあらゆる恵みを流し続けられた。預言者は、神のことばを受け取って流し出す事について、管に徹する職務である。
預言は、父、子、聖霊なる三位一体の中心ポイントに位置している。すなわち、御父から教会に与えられた7つの奉仕( ロマ12:6−8)、イエス様が与える5役者の任命(エペ4:11、12)、聖霊様が与える9つの賜物(Tコリ12:7−11)の、いずれにも共通しているのは預言だけである。
預言者は、神の戦略的レベルで、神の三位一体を余すところ無くあかしする職務である。
預言者に必須の賜物は、啓示の賜物(預言、知恵、知識)と霊の見分けである。