3. 大戦の時代から戦後の経済進出まで:


 20世紀は日本にとってまさに激動の世紀であった。日本人の民族的な特徴、すなわち、非常に侵略的、かつ、協同的な性格は、”第二次大戦時の侵略戦争”、および、”戦後の経済進出”において、2度に渡って著しく現わされた。ほとんど無から、これらがなされたのである。 その中には、ヨセフ族への預言を思わせる、非常に幸運な導きがいくつかの場面で見られた事は否めない事実である。
 そして、みことばが語る主の御心の中心的祝福は、戦争や経済ではなく、キリスト教の宣教を担って海外に著しく進出する事である。三度目の海外進出は、実に聖霊様によってなされるのである。



 征韓論はすでに明治の初期に西郷隆盛らによって唱えられていたが、欧米視察の外遊から帰ってきた岩倉、大久保らによって一旦は否定された。ここに、荘園・鎌倉時代からの古くからの”武士の霊”が引き続き、初めから日本政府に暗躍していたのである。これは、後の軍国主義へ発展していった。世界は、欧米諸国による帝国主義の時代で、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、ロシアなどの強国がアジアに進出していた。日本もこれに倣って、富国強兵、帝国主義の旗印の元に、朝鮮、中国へと進出していったのである。
 ”靖国神社”は、戊辰戦争の時の官軍(薩長土肥)の戦死者を祭ったのが始まりで、その後、日清・日露戦争の戦死者を加え、さらに太平洋戦争の戦死者(7人のA級戦犯含み、この事がアジアを怒らせている)が祭られた。(”戦争の霊”が働いている。 死者崇拝の起源は中国の仏教以前のペルシャの慣習にさかのぼる。(1.の下注*6参照))
 内村鑑三らが庶民に伝道し、あまりに人が集まり影響が大きかったので、恐れた政府が天皇を崇拝するように、教育勅語などを作った。

 1877(明10)イギリス領インド帝国、 1890(23)第一回帝国会議
 1894(27)−98 日清戦争、黄海の海戦(最初の対外戦争) ・・ 朝鮮入手
 1900(33) 義和団事件 ・・ 中国の農民、舟夫、苦力らによって起こされた反英、排日の反乱で、この時ハドソン・テーラーらによって作られていた中国国内の教会は焼き討ちされ、鉄道なども破壊された。イギリスはボーア戦争(南アフリカ)、アメリカは米西(スペイン)戦争(占領地の取り合い)で兵を送る事が出来なかったので、鎮圧軍の兵力2万の80%は日本軍だった。この義和団事件によって日本はイギリスの信頼を得(日英同盟)、帝国主義国家の仲間入りをした。

 1905 中国分割 ・・ 日・台湾、大韓、福建、露・中国北部、独・山東、英・中部、仏・南部
 1904−5(37−38) 日露戦争 ・・ 満州へ進出してきたロシアに宣戦、旅順激戦、日本海海戦で奇跡的にバルチック艦隊を破った。(辛勝)
 1911 中国に辛亥革命、1912 中華民国、 1917 ロシア革命(*後の時代も再び共産主義が復活する)
 1919(大8) インド反英運動(ガンジー)、中国・反日運動
 1920(9) 国際連盟加入
 1923(12) 関東大震災 ・・ この時デマが流れ多くの在日朝鮮人が虐殺された
 大正7年から昭和初期まで民衆の力が強まり、サラリーマンが増え、大衆娯楽が盛んになった。昭和初期まで、退廃的文化(エロ・グロ・ナンセンス)の時期
 この時期、平民への伝道活動もなされた ・・ 救世軍(山室軍平ら) 1899平民の福音・ベストセラー、1900排娼運動、1918救世軍社会事業、1923関東大震災に救済運動

 1929(昭和4) 経済大恐慌、世界中に失業者溢れる、軍部の台頭(大東亜共栄圏の野望
 1931(6) 満州事変 ・・ 日本軍が引き起こした事件で、満州国をでっち上げ、軍が満州を支配した。
 1933(8) 連盟脱退、 ヒトラー・ドイツ首相   1936(11)2・26事件
 1937(12)日中戦争・日本軍南京を占領、このためアメリカ、イギリス、フランス、オランダは、石油・他の物資を日本に輸出禁止した。 日・独・伊三国同盟
 1939(14) ドイツ・ポーランドへ侵入・第二次世界大戦開始

 1941(16)12月 ハワイ真珠湾奇襲・太平洋戦争となる。(これは全くの軍部の独走(東条英機)で、昭和天皇は無理やり承認の判を押させられた) ・・ 多くの人々や軍人たちが日曜日に教会で礼拝中に奇襲されたので、アメリカ人を怒らせた。この事は、生産力の高いアメリカの反撃を招き、ドイツもアメリカを敵に回すことになり、連合軍による第三帝国の殲滅へつながっていった。
 日本軍は同じ日に、イギリス、アメリカの植民地の香港、フィリピン、マレー半島を取った。
 1942(17) ユダヤ人大虐殺始まる、ミッドウエイ、ガダルカナル敗戦、日本軍が勝利しているという嘘の放送
 1944(19) サイパン全滅、本土空襲、特攻隊、  (最後まで戦って全滅する事を”玉砕”と言った)
 1945(20) 東京大空襲3/10(10万死)(* 京都などの古い文化財のある所は焼夷弾攻撃をまぬかれた。(後のあかしの為))、 5/7全ドイツ軍降伏、原爆投下・8/6広島、8/9長崎(計30万死)、8/15 連合国に無条件降伏

 大戦時の日本のキリスト教界は、聖霊様の力に頼る事を知らないゆえに、まことに情けない状態で、天皇を礼拝する事、および、全教派が日本キリスト教団に統一された事を神のみ心と妥協し、韓国では日本の牧師が行かされ天皇崇拝(すなわち偶像崇拝)を民に強要する大きな罪を犯した。しかし妥協しないで獄に入れられた一部のグループ(ホーリネス)もあった。(戦後は日本キリスト教団から多くの教派に分かれていった)



 戦争は終わり、マッカーサー連合軍が進駐し、戦犯は処刑され、財閥は解体されたが、1946(21)新憲法が発布され、天皇制は存続し、日本の象徴とされた。そして、戦争の放棄が憲法でうたわれるなど、他の国に真似のできない平和主義に一転した。日本が他国の侵略を受けにくい世界の端に位置するというのも幸運な要素であった。
 1948年に、イスラエル国が約1900年ぶりに再建された事は、日本や世界の平和と関連があるようにも思われる。アメリカの経済を支配するユダヤ人も、日本が唯一ユダヤ人を迫害した事の無い国であり、また、真珠湾によりアメリカが戦うようにさせ、ドイツからの解放を間接的に導いたと考え、さらには、一部の日ユ同祖論的な見方により、日本人に対し好感を持ったようであった。
 戦後、ドイツが多くの賠償金を支払わなければならなかったのに比べ、豊かなプロテスタントの国アメリカの指導の元、日本が植民地にもならず、食料や物資の供給などの寛大な処置を受けたことは、幸運としか言いようが無い。一つには、ソ連との冷戦の水際に置かれ保護されていたからである。(このラインは後に朝鮮半島に移り、朝鮮は南北に分裂した) もう一つには、アメリカ政府が真珠湾攻撃を無線傍受で知っていながらアメリカ国民に知らせなかった事が発覚するのを恐れたからであろう。
 また、日本がアジアに出て行った事は、結果的にはアジアを独立に導いた。

 さて、戦後、欧米のキリスト教の宣教師たちが日本に教会を建て、精力的に伝道していったが、現在に至るまで低迷を続けているのは周知の通りである。(1990年の統計で、カトリックや異端も含めて約0.88%、実質0.5%。現在でもあまり変わらない。一方、隣の韓国では35%、中国では未公認の約10%のクリスチャンがいる) 日本は宣教師の墓場と言われ、迫害は無いが人々は救われない。このパーセンテージの少なさは、イスラム圏などを除き、イスラエル、フランスに匹敵する。

 1960年(昭和35)からの10年間は、高度成長時代。資源を持たない日本であるが、政府は高度成長策を採り、原料を輸入、製品を輸出し、国内生産は順調に増大し、機械工業6倍、鉄鋼4.2倍、化学3.6倍、他の産業も2倍以上、GNP4.6倍であった。
 日本人は欧米に追いつけ追い越せの勢いでよく働き、生活水準は急速に向上して行った。新しい発案力は弱いが、外国から入って来た物を真似てさらに良いものに作り上げる力がすべての分野で発揮され、世界有数の技術立国となっていった。

 1960(35)日米安保、 1970(45)大阪で万博、 1972(47)日中国交回復、 (48)オイルショック
 1995(平成7)阪神淡路大震災

 さて、経済の分野でも日本は積極果敢に海外に進出して行った。中でも自動車販売は世界中のシェアを独占しそうな勢いだったので、アメリカ、ヨーロッパからさまざまな政治的圧力(ジャパンバッシング)を受けた。
 そこで、行過ぎた企業間での競争に打ち勝ち、価格攻勢を計るため、部品や原料の一部を賃金の安いアジア各国で作らせるために、生産ラインを外国に出していった
 その結果、技術は流出し、国内は生産の空洞化が起こってきた。バブルから平成不況への落ち込みは、このような構造不況による。また、一般消費の低迷で不況に追い討ちをかけている。さらに、近年、自然災害が頻繁に起こり国家の財政を圧迫している。今、我々は人間的な手法ではどうしようもない状況に置かれているのである。


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