04’7/19・20 新宿ペアーレ メル・ボンド師聖会報告 JRM主催
今回のメル師を通しての癒しと奇跡の聖会は、有料(1000円)であったにもかかわらずほぼ全席満席(400席)、19日(祭日)は空き席待ちの行列ができ、補助椅子が持ちこまれ、大盛況の内に行なわれ、クリスチャン向けの癒しの実践的な講義とミニストリーがなされました。それと同時に、会場で行なわれた神様のしるしを見た多くの人たちが前に出てきて救いを受け取るという、来たるべき大いなる刈り取り、”大衆伝道”のデモンストレーション的な集会になりました。
次回は1000人規模の集会で行なう予定です。
→ 7/20の聖会分 クリスチャンの最大の問題点について
7/19 PM1:00〜:
(メッセージ)
瞬間的ないやしの油注ぎを解き放つ目的の一つは、イエス様が行なわれたような働きができるように、またそれ以上の働きができるようにして、イエス様に似る者となる事です。明日1:00から、日本でまだ語っていないメッセージを語ります。それは、天使によって天国へ連れて行かれた時、クリスチャンの一番大きな問題を語るため、再び地上に戻された、その時語られたメッセージです。また、明日の6:00からは、ダコタ・インディアンの感謝のダンスの方法をお教えします。それは、ダンスによって、もっと奇跡が起こり、もっと喜びが満ち溢れてくるからです。
(メッセージ本題)
私は主に、今回の謝礼を受け取ってはいけない、と語られました。妻のドナも同じ御声が聞こえました。そこで、飛行機、宿泊代など以外は、すべてカンファランス委員会にささげます。本(神の油注ぎ)からも受け取っていません。
マタ17:27より、ペテロは捕った魚の口にあったコインがささげるお金になりました。魚の口にコインがあるとすれば、まして人間を獲る漁師になるならば、支払わなければならないお金はすべて与えられます。この集会には200万かかりますが、将来の4万人、5万人のスタジアムでの集会のために余剰金が用いられていきます。経済の祝福の祈りをいたします。
どのようにして、いやしと奇跡を行なうか、これを日本に分かち合いたいのです。皆さんが誰でもいやしができるようになるためです。そのことによって、日本に、世界に、偉大な働きが進められていきます。
昨年9月のFGBでお分かちした時の事です。私は会場を見回して、一番癒しの働きが出来なさそうな人を探して、一番後ろにいた9歳の女の子に、あなたはクリスチャンですか?と質問しました。いいえ、と言ったので、信じるように導き、それから、他の人を助けてあげたいですか?と聞きました。はい、と言ったので、そこに居た病気の人に対するいやしの祈り方を彼女に教え、祈られた男性はは即座に腰が癒されました。信じたばかりの9歳の女の子が癒しをしたのです!。
マコ16:17、18より、しるしとは、イエス様が主であることを示す、(一般の)感覚の世界で知る事ができる超自然的現象。
ヨハ8:32より、真理を知る事が、自由にするのです。
1984年9月28日、イエス様は幻に現れ教えてくれました。いやしは練習で熟達するものです。その時イエス様は私の肩に手を置いて、たった一言、「全き心で祈りなさい」と言われました。神の国は幼子のものです。それは、天国のみならず、この地上にある、天の原則です。天国には病や貧困はありません。それはこの地上にあってもそうなのです。
ここにいる全員が地上でイエス様に会うことでしょう。イエス様に会ったら、わずかな言葉が語られても、同時におびただしい量の情報が伝えられるのです。
受ける人々も、全き心をもって受け取る事を学ばなければなりません。
1、2、3、キ、セ、キ。 3つのステップとは何だったでしょう?
1. イエスの名によって、問題を取り除く
2. その領域に、リラックスするように命じる
3. アクション・行動する
ピリ2:9より、イエス様の名前はすべてに勝る名前で、すべての者がひざをかがめるものです。すべての病気に名前が付けられますが、それらよりも強いのです。痛みは去らなければならない。なぜなら聖書に書いてあるからです。
ヤコ1:7、8より、2心ではいけません。子供のように単純に。他の事を何も考えない。話もしない。ただ受け取る事だけを考えなさい。
マタ16:22より、体の明かりは目。目は霊的にも、肉体的にも、何に注目すべきか注意するべき所です。明かりは、光、すなわち、神の力です。
ハバ3:4より、神の手から光線、輝きが出て、その輝きの中に神の力が隠されている。
ヨハ1:1、ロマ1:16より、神の言葉は、力です。ヘブ11より、神の言葉が世を創ったのです。言葉を受け取る時、、他の事は何も考えないで下さい。問題が去るように命じるならば、問題の根は無くなります。
ロマ6:19より、神の聖なる御手の中にささげなさい。これは、神ご自身の力の中に、明け渡す、リラックスするという意味です。罪を犯す事は簡単です。私は7歳で罪を犯す専門家になっていました。罪とサタンとは同義語です。しかし、悪魔よりも神に明け渡す方がもっと簡単です。リラックスして神様に明け渡してください。
ガラスが手に刺さっているなら、痛いので手を握った状態です。手を差し出し、手を開く必要があります。全能なる神は問題を取り除く専門家です。
Tヨハ4:17より、この世にあって神と同じような者。祈り方には7つの基本的な祈りがあります。最も力強い方法は、イエス様のみことばを人に送る事です。
手は拡大鏡のようで、人々は温かみを感じます。それはここちよいものです。
ヤコ2:19、20より、行ないの無い信仰は死んだもの。
サタンすら神を信じ震えおののいている。また神のみことばを真実と信じています。しかし決して愛したり、与えたりしません。行動しないなら、1.悪魔の信仰を持っている、2.死んだ信仰、のどちらかです。
だから、今まで出来なかった事をする、何かをしないといけないのです。
(ミニストリー)
腰、ひざ、足の悪い人は前に出てきてください。(10数人ステージへ) 神による方法は非常に簡単です。車椅子、松葉杖の人を連れてきてください。死んだ人も連れてきてください。死んだ人をリラックスさせるのは非常に簡単です!
・ (1、2、3ステップで、屈伸、ステージを走り回る)(会衆に)手をかざしてください。癒しを受け取る人は祈りの最中何もしない・語らない。良くなったところを探す。何%ぐらい良くなったか?
・ リラックスして、くるぶしのみに集中してください。
・ (手を引かれて歩くのがやっとだった年配のおばあさんがステージを走り回った)
・ (長年腰が曲げられない女性が屈伸で手が床についた)
・ (補聴器をつけている男性の)耳から耳が聞こえない状況が去っていくように。耳がリラックスするように。行動を起こすとだんだんと聞こえるようになります。(後ろから呼びかけ、それを復唱してもらう)始めは聞こえなかったが、10分ぐらい経って聞こえるようになった。リラックスするのに時間がかかったため。)
・ (残りのステージの人)行動を起こせば起こすほど神の力が臨んできます。ずーっと行動しつづけてください。
(救いのミニストリー)
ヨハ10:10より、御子が来られたのは、いのちを持つため、豊かに持つため。
今死んだとして、天国へ行く確信の無い方、前へ出てきてください。(大勢ステージの前へ)
→ (みことばに基づく祈りで)救いの祈り、一人一人手を置いて祝福の祈り
→ 名前と住所を控えさせ、各教会へ ・・・・ 収穫
・ さらに、少年の足の変形が去るように。(親に)正常になる事を期待しつづけ、歩く事を助けてください。
PM6:00〜
(献金の勧め)
ピリ4:19より、私の神は、キリスト・イエスにある栄光の富をもって満たしてくださる。”必要”とは、ギリシャ語で、欲しいもの、願いも含めた意味です。 :15 教会で物のやりとり、:16 テサロニケでパウロが必要な時に与えてくれた、:17 欲しいのは霊的祝福。マタ24:35 天地は過ぎ行く。しかし私の言葉は変わらない。
(経済の祝福の祈り)
(メッセージ)
人のために仕える霊的原則をお話します。
詩38より、神はすべてのものにまさって、ご自身のことばを高く上げる。
エレ1:12より、ご自身のみことば(命あるみことば)を見守って成就する。
Uコリ3より、文字は殺し、御霊は生かす。聖書を信じても、行動しない場合、殺すことになります。
みことばの上に立って行動することは、それほど重要な事です。
これはアメリカでの実話ですが、ある人が金持ちの家に仕えていましたが、その金持ちが急死してしまいました。遺言状には何百万ドルとその人にあげると書いてあったのですが、その人は文字が読めなかったので餓死してしまいました。これは、まさしく聖書について言える事です。
神が天地をお造りになった同じ力がこの場にあります。
Uペテ1:3、4より、御力はすでに与えられています。そして、神様はご自身のことばを見守っています。
マタ9:20− 12年間の長血の女は、衣のすそにさわる力のみ持っていました。だから、這って行きました。彼女はただ一つ、病気でありたくないとの決意を持っていました。信仰と信念は同じ言葉です。本当に信じれば、行動が伴うのです。イエス様は彼女のために触れたり、祈ったりしませんでした。そして、みことば通りに行動する信念が癒したのです。
マタ14の、水上歩行の時も、ペテロに触れたり、祈ったりせず、たった一言、来なさい、でペテロは歩きました。それは、ペテロのみが舟から出てきたからです。
私は若い時、血液の病気でしたが、癒されたように行動したので、本当に癒されました。
また、30歳の時、心臓の不調で苦しみましたが、カンフォート・ゾーンから出てきたので癒されました。
この前の福島での聖会では、足の悪い人の杖を取り上げ、歩くように言い、その人は歩き始めましたが、速やかに足が太くなり、足の裏の厚さも厚くなりました。車椅子の人も20年ぶりに歩きました。
私たちは”幼子”にならなければならないのです!。考えながら神様と議論しない事です。日本人はあまりにも頭が良すぎるのが欠点です。聖霊様は、トヨタ、スズキ、セイコー・・・よりも頭が良いのです。神様を、小さな子供がするように信じてください。
コスタリカの人々は、車を作っていない国ですが、非常に単純な考えの人々です。
子供は何でも信じます。神様は引っ掛けて落とすような方ではありません。私が子供の時、幼い妹に、石を取って遠くへ投げるしぐさをしました。石は後ろに落としたのです。しかし、石はあっという間に見えなくなり世界一周している、そして戻ってきて、ほらそこにあるよ、と言うと、妹はそのまま信じ、お兄さんすごいと言いました。
父は大金持ちです。また、大金持ちの友人、イエス様がいます。
強い願いは主からのものです。
ピリ4:19が来た時、私は、みことばに立って、全くお金がありませんでしたが、行動しました。
TV番組を申し込む時、最上のスーツを着て行き、数字を一桁直してサインしました。これを見た担当者は大笑いしました。しかし私はプライドに死に、他の人に笑わせておきました。そして冗談ではなく、25分かけて上司に持って行ってくださいと説得し、契約を結びました。
教会堂を建てるとき、当時40人の教会員の時、1200人入る会堂を作ると言ったら、20人に減りました。お金を借りるため、6人に断られましたが、その時までに、行動が板についてきました。
ロマ8:32より、御子をさえ与えるほどの方が、どうしてすべてを与えないだろうか。この、”すべて”とは、ギリシャ語で”すべて(all)”と言う意味です! 王の子供として行動し、しなくてはならない事をしてください。たくさんの奇跡が起こります。
メキシコに初めてクルセードで奉仕した時、チラシや垂れ幕に、奇跡と癒しの他に、インパクトを持たせるために死人のよみがえり、と書きました。それまで死人をよみがえらせたことは一度もありませんでした。ところが、集会が始まると、突然、人々が女性の死体を運んできました。最初に連れて来られた人は、頭痛の人ではなく、死人だったのです!!!
私は、ダコタ・インディアンなので表情に恐れを見せたくはありませんでした。そして、いかにもよみがえるように祈りました。しかし、内側は恐れていました。そして、会衆の中に入りもっと大きな声で説教し、自分に注意を向け、人々が死人を忘れるように努めました。10分後、全員総立ちで叫んでいました。振り向くと、その女性がしゃべっていました。 感情は去って行くものです。しかし、神は変わらないお方です。
マコ2より、中風の男が担架で運ばれました。麻痺した人はぶつけられる事を恐れ他人に運ばれることをいやがります。イエス様は触れも、祈りもせず、あなたの信仰があなたを癒した、と言いました。
信仰とは、人の目にも、見えるものです。信仰は他人から見られる必要があります。
詩篇には、神ご自身の名前、人格よりも、みことばを高く上げたとあります。ロマ9:10には、神の子供とあります。
(筆者後書き)
今回は、事前に行なわれたランチョン(4/28)で多くの牧師先生方の協力がありました。感謝します。
大衆伝道といえば、日本では、福音派の故本田弘慈師、また、チョーヨンギ師などが挙げられますが、力の伝道、しかも、死人のよみがえりや盲人の目が開き、ろうあ者の耳が聞こえ、車椅子の人が歩くなどの、イエス様がなされたような質の高い奇跡といやしのミニストリー、そして何よりも、大きな集会の奉仕を誰でも出来るようにする働きは、メル・ボンド師特有のミニストリーであると感じました。
別途、政治家が救われてくる働きの中で、多くの会場の場所取りや経済的支援、宣伝、日本各地の教会設立に対しての便宜がなされることとリンクしていると思われます。また、医師や大学教授が救われてくる働きにより、いやしと奇跡の本格的なあかし(権威付け)がなされ、メディア、特に、ビデオ伝道(ドキュメンタリー・ビデオ)、TV伝道の素材の重要な一部になり(他は芸術的ビデオ)、日本のみならず、海外へも大きな影響を及ぼして行くと思われます。
このように、一貫して、本格的な日本のリバイバルの、主の計画が見えてきたと思いました。