7/20 PM1:00  メル・ボンド師    ・・・・・   クリスチャンの最大の問題点について


 1984年11月24日に天国へ行き、人生を作りかえられた事のあかしをします。

 1984年までの10年間は、毎日、みことばを読んで憶え、断食し、時として一晩中祈っていました。しかし、成就しませんでした。それは、神様のために偉大な事をしたかったからでした。私は3000人の小さな町、ウェンツビレに大きな教会を立てたいと願っていました。当時の教会は、町の目抜き通りにありましたが、日曜日40人来ると、たくさん来たと言えました。雨が降ると20人になりました。アメリカでは、雨が降ると、人々は教会には来ません。

 私はついに痺れを切らし、とにかく建てよう、と決心し、お金が無かったので、銀行で借りようとしました。
 教会の壁に、これから建てようとする1200人入る会堂の絵を貼って、人々に見せ、アピールしました。すると、次の週は人々は20人に減り、メル牧師は狂ったと言われました。なぜ1200人の会堂が必要なのか?80人くらいで充分ではないか?と。
 しかし、私は建て始めました。当時の教会の賃貸料は一ヶ月1200ドルかかり、それが2ヶ月分たまっていました。それに加え、大きな建物を建てる借金がありました。そして、毎日雨が降り、天気予報ではそれが2〜3ヶ月続くと言っていました。このままでは、私はお金が払えなくて刑務所行きでした。
 そこで、私は祈り始め、一生懸命祈りましたが、雨はますますひどくなりました。

 そして、1984年11月25日土曜日の夜、眠るとすぐに、天国へ行きました。
 天国では、天使が来て、次のように言いました。
 あなたがここにいる理由は、全世界にあって、クリスチャンの一番大きな問題について、地上に戻されたら地上の全世界のクリスチャンに伝えなさい、というものでした。
 しかし私は心配で、3度も雨の事を御使いに言ったので、彼は、雨の事は心配しなくても良い、明日、雨は止みます、と言いました。
 次の日は日曜日で、この事を会衆に伝え、雨は今日止みますと言いました。その会堂は外の景色は良く見えるガラス張りで、雨が降っているのがよく見えました。礼拝が終わり、3人残っていた内の一人は、私のどんな説教に対しても批判する人でした。彼は何も言わず、外の雨を指差していましたが、彼がドアを開けると、急に雨が止みました。皆、あっけに取られて見ていましたが、その時から、大きな会堂の建物が完成するまでの期間、雨は全く降りませんでした。これは、天使が伝えた事のしるしとなりました。

 夜の幻で示された、最も重要な事とは、次の事です。
 クリスチャンの最大の問題とは、”クリスチャンが、神様を知ったり、神様に何かをしてもらうために、律法主義的な観点から考えている事です。
 律法主義的な考え方とは、
 一生懸命祈るならば、神様の答えがあり、もっと神を知る事になる、
 ただ良い事をするならば、神様は祝福してくださる、といったものです。

 しかし、神様は、どんなことをしたからといって、私たちに何事かをなさるのではありません。それらは、すでに与えてくださっているものです。すべてのものも、いのちも。

 Uペテ1:3、4より、”敬虔”とは、神に似ている事です。だから、私たちは、神様が真理、すなわち、みことばで語っている事に基づいて行動するのです。神様は、偽りを言えない、盗めない、罪を犯せない方であり、そして、みことばをむなしくご自分のみもとに帰らせることが出来ないお方です。(筆者注イザ55) だから、私たちも、神様がすでに与えてくださっているものを、祈って、断食して求める事は出来ないのです。

 ガラ5:4より、「律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです。」
 律法とは、ギリシャ語で、律法主義のことです。 旧約時代は、神様に何かをしてもらいたい時は、牛を殺してささげるなど、いろいろな種類の犠牲がありました。
 しかし、今日、私たちが努力して勝ち取る必要がない事を学ばなくてはならないのです。
 もし私たちがとされているならば、何かを神様にしてもらいたいならば、それを持っているように振舞うのです。
 ロマ4:14より、「もし律法によるものが相続人であるなら、信仰はむなしくなり、約束は無効になる。」 律法主義に入るならば、救いを失います。 私は、神の力を持つために、何年も断食して祈ってきました。しかし得たものは、1.痩せた事、2.おなかがすいた事でした。
 唯一の、断食する理由は、あまりにもイエス様と共にいるのがうれしくて、食べる事を忘れてしまっている事です。(筆者注イザ58:6−) これが本当の、聖書の言っている断食です。聖書の基準によると、もし何かを神様にしてもらおうと、勝ち得るために断食するならば、何も得ないのです。

 私は聖書が本当だとして行動していきましたすると奇跡の力が何百倍にもなったのです。
 たとえば、車が欲しいならば、まず、神の遺言状を取り出して、ピリ4:19を見ます。財布にはお金が無い。しかし最高の服を着て車を見に行きます。車に手を置いて、神様、この車を与えてくださって感謝します、と言います。(インディアン語で) そして聖霊様に、書類を作ってもらって、その車を持って帰って行くのです。
 私の父はお金持ちです。私たちは、王である神の子です。「イエス様は王の王」と書いてあるのを読んだことがありますか?最初の”王たち”とは、皆さんの事です。
 私は全世界を旅行する時、よく財布を忘れます。前回、日本に来た時も、財布を忘れました。しかし、神様はすべてを与えてくださいました。

 祈る事は大切です。しかし、聖書の言っている本当の祈りとは、”ものすごく愛している人に語りかけること”です。
 私はハイウエイを運転する時、ほとんど音楽を聴きません。(時々インディアンの音楽を聴くくらいです。今晩この音楽の踊りをします。) なぜなら、イエス様が隣にいて、腕を組んでいるからです。良い友人は良い事しか言いません。”今日あなたがもっと幸せになるために何をしてあげましょうか?”。人生がもっと良くなるように語っているのです。
 かつて、どうかお願いします、という祈りをして、乞い求めていました。しかし今は、読んでみことばが真実だとして行動しています。

 Uペテ1:2より、神と主イエスを知る事によって、恵みと平安がますます豊かにされますように。この”恵み”とは、無条件の行為で、自分で努力して稼ぎ出すものではありません。
 同:3より、主イエスにあっての神の知識によって、栄光と徳、いのちと敬虔のすべてを与える。
 ロマ1:16より、みことばは神の力です。私たちはすでに、神のような者とされているのです。
 神を知る知識とは、神のことばの事です。栄光とは、ギリシャ語で、神の御性質、神の誉れです。
 イエス様が祈られた祈りは、100%答えられました。ヨハ17:18−22のとりなしの祈りで、同じことは、与えてくださった栄光をこの人々にも与えてください、とあります。
 コロ1:26の、世代を通じての奥義とは、長年にわたって隠されてきた秘密、すなわち、内におられるキリストが、神の栄光が現われる望みです。イエス様の代わりの人がいるのです。奥義とは、秘密、秘訣という意味です。

 時間がありませんので、みことばの個所を言います。
 ルカ15:31、 マタ13:35、 ヘブ2:10、 ロマ16:25、 エペ3:9、 Uテサ1:10、 Uコリ1:20

 クリスチャンの最大の問題とは、ずっと祈り、断食し、懇願し、すでに神様がなさってくださった事に対して、そうしてきたことです。しなければならないことは、みことばにのっとって、行動していくだけです。そうすれば、あらゆる領域に変化が起こってくるのです。


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