ガラテヤ人への手紙



  第1章


 1 人間から出たことではなく、人間を媒介してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者たちの中からよみがえらせた父なる神を通して、立てられた使徒パウロ、
 2 そして私と共にいるすべての兄弟たちから、ガラテヤの諸教会へ。
 3 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、大いなる恵みと平安とが、あなたがたにありますように
 4 キリストは、私たちの父なる神のみこころに従って、今のこの悪の世界から私たちを選び出すために、私たちの罪のためにご自身をお与えになりました。
 5 この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。

 6 さて、私は不思議でなりません。それは、あなたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの大いなる恵みの中に召された方から、異なる福音に置き換えられているからです。
 7 それは、もう一つの福音などというものではなく、あなたがたをかき乱す者たちがいて、キリストの福音を方向転換しようとするものです。
 8 しかし、たとい私たちであろうと、天からの御使いであろうと、私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわれよ
 9 私たちが前回に言っておいたように、今私はもう一度言います。 もしある人が、あなたがたの受け入れたことに反することを宣べ伝えているなら、その人はのろわれよ
10 今私は、人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神にでしょうか。あるいは、人を喜ばせようとしているのでしょうか。もし、今もなお人の歓心を買おうとしているとすれば、私はキリストのしもべではありません。

11 兄弟たち。あなたがたに、はっきり知らせます。私が宣べ伝えた福音は、人間に従ったものではありません。
12 私は、それを人間から受けたのでも、教えられたのでもなく、ただイエス・キリストの啓示を通して受けたのです。
13 ユダヤ教であった頃の私の行動については、あなたがたはすでによく聞いています。すなわち、私は激しく神の教会を迫害し、また滅ぼそうとしていました。
14 そして、私と同族で同年輩の多くの者に比べ、はるかにユダヤ教に進んでいき、先祖たちの言い伝えに対して、誰よりもはるかに熱心でした。
15 ところが、母の胎内にいる時から私を聖別し、大いなる恵みを通して私を召された方が、
16 異邦人の間に御子を宣べ伝えるようにと、御子を私の内に啓示して下さいました。その時、私は血肉なる人間に相談せず、
17 またエルサレムに上って私より前の使徒たちに会うこともせず、ただちに、アラビヤに出て行きました。 それから再びダマスコに戻ってきました。

18 その後三年経ってから、私はペテロを尋ねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間、滞在しました。
19 しかし、主の兄弟ヤコブ以外には、他のどの使徒にも会いませんでした。
20 ここに書いていることは、神の御前で言いますが、決してうそを言ってはいません。
21 その後、私はシリヤとキリキヤとの地方に行きました。
22 しかし、キリストにあるユダヤの諸教会には、顔を知られていませんでした。
23 彼らは、「かつて自分たちを迫害した者が、その時滅ぼそうとしていたその信仰を、今は宣べ伝えている。」と聞いていただけだったので、
24 私のことで、ずっと神をほめたたえていました


   *  ガラテヤの諸教会が、どこのガラテヤを指すかで、北ガラテヤ説(小アジヤ中・北部の本来のガラテヤ、民族的にはBC3世紀に移住してきたケルト人(+ユダヤ人+ギリシャ人)、使徒16:6、18:23)と、南ガラテヤ説(ローマ属州のガラテヤ州、(ピシデヤの)アンテオケ、イコニオム、ルステラ、デルベなど)とに分かれるが、後者は、第一回伝道旅行時のルカオニア人等は民族的誇りが強くガラテヤ人と呼ばれることを拒否していたので、北ガラテヤ説の方が可能性が高い。
    § 北ガラテヤ説より、最初にこの地に伝道して教会ができたのは第2回伝道旅行のとき(使徒16:6)で、2:1−10のエルサレム訪問は、エルサレム会議(使徒15章、「割礼問題」)と等しい。第3回伝道旅行(使徒18:23)の2回目のガラテヤ訪問のすぐ後(「こんなにも早く」(1:6))に、エペソに3年間滞在した初期(AD53年頃)に、この手紙が書かれたとされる。 テサロニケ第1・第2の次に、3番目に書かれた。 また、この手紙にある、キリスト者の自由(Tコリ8−10章、Uコリ3:17−4:2)、古い契約の一時性(ガラ3:15−22と、Uコリ3:7−16)、エルサレムへの献金、等、 ガラテヤ人への手紙の内容が、コリント人への手紙・T、Uに展開されているので、コリント人への手紙はガラテヤ人への手紙の後に書かれたとみなされている
    § 内容は、1、2章が、パウロの使徒権の主張と弁明を、 3、4章部分がこの手紙の主要部分で、「福音の真理」 ・・・ 律法の行いではなく、キリストを信じる信仰による義 ・・・ の教理的弁明を、 5、6章では、実践的側面、反対者たちへの”無律法主義の危険”の疑問や非難に対する答え ・・・ 御霊によって導かれる歩みによる御霊の実は、真に律法を全うする ・・・ ことを、それぞれ明確に述べている。 この書簡はガラテヤ教会の要請を受けて簡潔に書かれたが、後のローマ人への手紙は、これをもとに体系的に書き起こされたとみることができる。(どちらも、律法から恵みへ)
    § この手紙はルターも(この手紙と結婚したと言って、)絶賛している通り、キリスト者の自由を明確に宣言している点で新約聖書の他のどの部分よりも福音的であり、16世紀の宗教改革の原動力となった。

   *1  ディ(ギ) through、を通して、  § 使徒(アポストロス) = キリストの全権大使、 であることを、1、2章でまず述べる (ガラテヤと、T・Uコリで、パウロの使徒性を認めない反対分子に弁明するため。 cf.初めて行くローマでは自分の立場を明らかにするため)、 パウロの反対者たちは、パウロが説く福音が自由過ぎて、パウロ自身が考え出したものだと非難していた。 また、エルサレムの権威(ペテロ、ヤコブ、ヨハネ)によってパウロが立てられたと思っていた。
   *3  § 「(大いなる)恵みと平安があるように」、はパウロの手紙の冒頭にいつもある (パウロの著作であることのしるしの一つ)
   *4  エクサイレーオ(ギ) pluck out、choose out、rescue、抜き取る、選び出す、救う
   *6  メタティーセミ(ギ) transpose、(2つのものが)置き換わる、入れ替わる
   *8  § 律法は(モーセを仲介して)御使いが定めた(3:19、使徒7:53)。 もちろん御使いは裏切らず、その人々を遠回しに言っている
   *8、9  アナセマ(ギ、名詞、単・中) 
curse、man accursed、(直訳) 聖絶されよ、 ヘレム(ヘ)、聖絶、聖絶のもの○ 、(のろい、呪われた者(70人訳△))(レビ27:28、29、マコ14:71、使徒23:14)
   *9  § おそらく一回目のガラテヤ訪問の時(使徒16:6)
   *14  パラドセオーン(ギ、複) ハラカー(ヘ) 言い伝え (律法とは別で、この口伝律法に権威を持たせた)、伝承、伝統 (マタ5:21−、15:2、23:2−)
   *16  律法に関係なく、御子(キリスト)が直接現れ、律法への熱心がキリストへの熱心へと、回心した、  (直訳) 肉(単数)と血(単数)
   *18、19  異本では、ケパ(ケファ): アラム語で大石、ペテロのこと、  § 主からの直接の召命であり、エルサレムの承認とは無関係なこと、をここで言う。 この1回目のエルサレム訪問において、史的イエス(受肉のイエス)の知識については、15日間かけてペテロと主の兄弟ヤコブから聞いた。 主の兄弟ヤコブは、受肉のイエスについて当然詳しかった
   *19  § この節から、パウロは、長老ヤコブを使徒の一人として見ている、という説がある (イエスの兄弟ヤコブは「使徒」?)

   *20  § 神を引き合いに出して真実性を強調: ロマ9:1、Uコリ1:23、11:31
   *21  第1回伝道旅行
   *24  エン エモイ(ギ) in me、私にあって、 § 神がパウロになされたこと(回心と召命)を知って、彼らもその証人である の意、  エドクサゾン(未完了過去、3・複) <ドクサゾー think、praise、magnify、honour、make glorious、あがめ続けた、ほめたたえ続けた



  第2章


 1 それから十四年経って、私はバルナバと一緒に、テトスも連れて、再びエルサレムに上りました。
 2 それは、啓示に従って、上って行ったのです。そして、私が異邦人の間に宣べ伝えている福音を人々に示し、おもだった人たちには個人的に示しました。それは、私が今走っていることや、またすでに走ってきたことが、虚しいものにならないためです。
 3 しかし、私が連れていたテトスでさえ、ギリシヤ人であったのに、エルサレムで割礼を強いられませんでした。
 4 それは、忍び込んできたにせ兄弟たちがいたからです。 ・・・ 彼らが忍び込んできたのは、キリスト・イエスにあって持っている私たちの自由をねらって、私たちを奴隷にするためでした。
 5 しかし私たちは、福音の真理があなたがたと共に常に保たれるために、一時も彼らの強要に屈服しませんでした。
 6 そして、そのおもだった人たちからは、 ・・・ 彼らがどんな人々であったにしても、それは、私には全く問題ではありません。神は人間の顔を受け入れないからです。 ・・・ 事実、彼ら、おもだった人たちは、私に何も付け加えることをしませんでした。
 7 それどころか、彼らは、ペテロが割礼の者への福音をゆだねられているように、私には無割礼の者への福音がゆだねられていることを理解してくれました。
 8 それは、ペテロに働きかけて割礼の者への使徒職につかせた方は、私にも働きかけて異邦人の使徒としてくださったからです。
 9 さらに、私に与えられた大いなる恵みを知って、柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネとは、私とバルナバとに、交わりの右手を差し伸べました。そのようにして、私たちは異邦人のところに行き、彼らは割礼の者のところに行くことになったのです。
10 もう一つ、私たちが貧しい人々をかえりみるようにとのことでしたが、私は以前からこの事のためにも大いに努めてきました。

11 ところが、ペテロがアンテオケに来たとき、彼に非難すべきことがあったので、私は面と向かって抗議しました。
12 というのは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、彼は異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らが来てからは、割礼の者たちを恐れ、だんだんと身を引いて離れて行ったからです。
13 そして、他のユダヤ人たちも彼と共に偽善の行為をし、バルナバまでがそのような偽善に引きずり込まれました。
14 彼らが福音の真理のほうに向かって、まっすぐな道を歩んでいないのを見て、私は皆の面前でペテロにこう言いました。「あなたは、ユダヤ人であるのに、自分自身はユダヤ人のように生活しないで、異邦人のように生活していたのに、なぜ異邦人にユダヤ人の生活を強いるのですか。

15 私たちは生れながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません。
16 人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただイエス・キリストの信仰を通してであることを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。 それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためです。 なぜなら、律法の行いによっては、誰一人、義とされることがないからです。
17 しかし、キリストにあって義と認められようとして、私たちが罪人であることを確認するなら、キリストは罪に仕える者なのでしょうか。断じてそうではありません。
18 もし私が、以前に取り壊したものを、再び建て上げるとすれば、それこそ、自分が違反者であることを表明することになるからです。

19 私は、神に生きるために、律法を通して、律法に対して死んだからです
20 私はキリストと共に、すでに十字架につけられています。 もはや、生きているのは私ではなく、キリストが、私のうちに生きておられるのです。しかし、私が今、肉にあって生きているのは、私を愛し、私のためにご自身をささげられた、神の御子を信じる信仰によって、生きているのです。
21 私は、神の大いなる恵み退けるようなことはしません。もし、義が律法によって得られるとすれば、キリストの死は価値のないものになるからです。


   *1  § 一回目のエルサレム訪問(1:18)から14年後に、エルサレムの使徒会議へ = 使徒15:2 「バルナバと幾人かの仲間と、」、 使徒バルナバはパウロを紹介するのに最適であり、異邦人テトスはこの会議の内容に関して重要な役割を果たした
   *2  啓示に従って: パウロの個人的考えやエルサレム教会からの要請ではなく、割礼問題が起こったアンテオケ教会の決議によって、教会から遣わされたと、考えられる
   *3  エルサレムで は補足
   *6  ホポイオイ ポテ エーサン(ギ、未完了過去、3・複) whatsoever they were、  過去形: 彼らが地上のイエスと直接かかわりを持っていたにしても、 そのようなことは顔、すなわち、うわべのことだ、 の意
   *8  § ペテロがユダヤ人使徒であること、と並べて、パウロが異邦人使徒であることを確認した
   *9  ストゥロイ(ギ、複数・男) (複数の)柱、  § エルサレム側がパウロたちに交わりの手を差し伸べた = それぞれの教会が対等の立場であることの確認
   *12  割礼を受けていて、それから信仰に入った、「割礼派」の人々 (ヤコブ本人は関係ない)
   *13  § ペテロが引いたので、バルナバを含む他のユダヤ人信者たちも引いた  エルサレム会議で決まっていたことは、「偶像に供えたもの、血、絞め殺したもの、不品行 を避ける」のみだった (使徒15:29)

   *14  § ユダヤ教の慣習によって異邦人に重荷を負わせ、あるいは教会の交わりから締め出すこと、  一方、「福音の真理」は、ユダヤ人も異邦人もキリストへの信仰によって一つであり、差別なく交わるべきもの
   *15  § 15〜21節は「あなた」が一つも無いので、「 」は14節後半のみ、  神を知らない罪人 の意
   *16  ディア ピステオース(?属格(Gen)) イエスー(属格) クリストゥー(属格) through faith of Jesus Christ、イエス・キリストの(持つ)信仰を通して  = イエスだけが十字架と復活を全うされた、「信仰の創始者であり、完成者」(ヘブ12:12)、 イエス・キリストを(対格)信じる信仰(×)、 (属格と対格は同じ形)
   *18  § 以前に取り壊した「律法」を、再び自分の支えとして取り入れること ・・・ アンテオケにおけるペテロの行動
   *19  エゴー(ギ) 私は  (パウロ自身を強調している)、  ディア ノムー ノモー through law to law、   キリストによって、律法に死んだので、律法の束縛を再び建て上げることはできない
   *20  シュネスタウローマイ(ギ、受、完了、1・単) (すでに)十字架に付けられている、  すでに は補足



  第3章


 1 ああ、愚かなガラテヤ人。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前にはっきり示されたのに、一体、誰があなたがたを惑わしたのですか。
 2 私は、ただ一つの事を、あなたがたに聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったですか。それとも、聞いて信じたからですか。
 3 あなたがたは、そんなに物分かりが悪いのですか。御霊で始まったあなたがたが、今、肉で完成されるのですか。
 4 あれほどの経験をしたことは、無益なことだったのですか。まさか、無益ではないでしょう。
 5 すると、あなたがたに御霊を与え、力あるわざをあなたがたの間でなされたのは、律法を行ったからですか、それとも、聞いて信じたからですか。

 6 このように、「アブラハムは、神を信じた。それが彼の義と認められた。」のです。
 7 だから、信仰による者こそアブラハムの子であると、知りなさい。
 8 聖書には、神が異邦人を信仰によって義とされることが予見されていて、神はアブラハムに、「あなたによって、すべての国民は祝福される。」という福音を予告されたのです。
 9 このように、信仰による人々は、信仰の人アブラハムと共に、祝福を受けるのです。

10 律法の行いによる人々は、皆のろいの下にあります。「律法の書に書いてある、すべてのことに堅く立ってこれを行なわない者は、皆のろわれる。」と書いてあるからです。
11 そこで、律法によって神の御前に義とされる者は、一人もいないことが明らかです。なぜなら、「義人は信仰によって生きる。」からです。
12 律法は信仰によるものではありません。かえって、「律法を行う者は、この律法によって生きる。」のです。
13 キリストは、私たちの身代わりにのろいとなって、私たちを律法ののろいから贖い(あがない)出して下さいました。それは、聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。
14 それは、アブラハムの祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及ぶためであり、また、御霊の約束を、私たちが信仰を通して受けるためです。

15 兄弟たち。人間の場合について言ってみます。人間の契約でも、それが一旦成立したなら、これを無効にしたり、付け加えたりする者はいません。
16 さて、約束は、アブラハムと彼の一人の子孫に告げられました。それは、多数をさして、「子孫たちに。」とは言わず、一人をさして、「あなたの子孫に。」と言っています。これは、キリストのことです。
17 私の言おうとする意味はこうです。神によって先に設けられた契約が、四百三十年の後にできた律法によって破棄されたり、その約束が無効にされたりすることはありません。
18 もし相続が律法によるならば、もはや約束によるものではないからです。ところが事実、神は約束を通して、相続の恵みをアブラハムに与えられたのです。
19 それでは、律法とは何でしょうか。それは違反を示すため、後から付け加えられたものであり、約束されていた子孫が来るまで存続するだけのものであり、かつ、御使いたちを通し、仲介者の手によって制定されたものにすぎません。
20 仲介者というものは、一方だけに属する者ではありません。しかし、神はお一人です。

21 では、律法は神の約束と相いれないものでしょうか。断じてそうではありません。もし人を生かす力のある律法が与えられていたとすれば、義はたしかに律法によって実現されたでしょう。
22 しかし、聖書はすべての人々を、罪の下に閉じ込めたのです。それは、約束が、イエス・キリストの信仰から出て、信じる人々に与えられるためです。
23 信仰がやって来る前には、私たちは律法の監督のもとにありましたが、それは、やがて啓示される信仰の時までのことでした。
24 このように、律法は、信仰によって義とされるために、私たちをキリストへ導く、養育係となりました。
25 しかし、信仰が現われて来た以上は、私たちは、もはや養育係のもとにはいません。

26 あなたがたは皆、キリスト・イエスにある信仰を通して、神の子供なのです。
27 それは、キリストに至るバプテスマを受けて、あなたがたは皆キリストを着たからです。
28 もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もありません。 あなたがたは皆、キリスト・イエスの内にあって、一つだからです。
29 もしあなたがたが、キリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。


   *1、3  アノエートス(ギ) 思慮に欠ける、物分かりの悪い、無知な、愚かな、(ルカ24:25、ロマ1:14、Tテモ6:9) (cf.マタ5:22の「ばか者」(モーレ(ギ))とは異なる = 信仰を失った者、神に逆らう者(エレ5:23、詩78:8))、  § パウロはガラテヤ人の「福音の真理」への無理解を憤っているが、それ以上に、惑わした者たちに憤っている
   *2、5  エクス アコエース(属格、単・女) ピステオース(属格、単・女) out of hearing of faith、(直訳)信仰聞くこと、 信仰について聞いた、聞いて信じた (信仰をもって聞いた ×)、  (「聞く」(アコエー): ex) エク アコエース(属格) out of hearing、 ディア レーマトス(属格) セウー(属格) through declaration of God、 「信仰は聞くことから、聞くことは、神の語りかけの言葉を通して来るのです。」(ローマ10:17) など)
   *6  創世15:6  § アブラハムの直系のある子孫(種(単数)・キリストのこと)から、(信仰の子孫が)星の数ほど増えること、を信じた (イスラエルの民が増えることではない)
   *8  創世12:3
   *9  信仰による人々: 異邦人信者のこと
   *10  申命27:26、  § 律法ののろいについて: 律法そのものは悪ではないが、律法を守ることによって義と認められると考えると、律法はのろいとなる
   *11  ハバクク2:4 (ロマ1:17)  (マソラ・直訳)「正しい人(義人)は、(信仰に*)堅く立つことによって、生き続ける(未完了)」 (* 信仰に は補足)
   *12  レビ18:5、  § 律法によって生きることと、信仰によって生きることは、決して両立しない。 前者は、律法の支配下に、律法ののろいの下に生きる の意 (永遠のいのちで生きることと異なる)
   *13  ヒューペル(ギ) 
in behalf of、for the sake of、over、〜の身代わりに、〜のために、  エクサゴラゾー redeem; buy up、(人を奴隷の身分から、抵当に入れた財産などを)買い戻す、(ローンを)完済する; 買い占める、  申命21:23 「(その死体をそのまま木に残しておいてはならない。・・・) 木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。」  § のろいの下: 生まれながらの奴隷の身分から、自力では脱出できない状態、 → 十字架の死の意義(木 =十字架)をもう一度問う:  「神は、罪を知らない方を、私たちの身代わりに 罪とされました。」(Uコリ:5:21)
   *14  ヨハ14:16、17、使徒2:33
   *16  子孫: (直訳) 種、   創世13:15、15:5、17:8

   *17  出12:40  「イスラエルの民がエジプトに滞在していた期間が430年」
   *18  クレーロノミア(ギ) (元々)約束の地の取得、相続  →  柔和な者が相続地を得る(マタ5:5)、 永遠のいのちの相続(マコ10:30)、  § 反対者たちは、アブラハムは律法を守ることによって約束を相続したと主張していた ( ・・・ そもそもアブラハムは律法を知らなかった)
   *19  ロマ5:20、  子孫: (直訳) 種、   使徒7:53 § 律法は、御使いたちが定め、モーセの手によって制定された。 律法は、神が定めた「旧約(アブラハムとの契約)」よりも格の低いもの
   *20  (意訳) 仲介者は、神だけに属する者ではない、  (約束を与える)神はお一人です = 律法の場合と異なり、神からの一方的な恵みであることを強調
   *22  エク ピステオース(属格、単・女) イエスー(属格、単・男) クリストゥー(属格、単・男) out of faith of Jesus Christ、 (2:16 と同様に 属格)
   *24  パイダゴゴス(ギ) tutor、schoolmaster、instructor、家庭教師、(幼い子供に生活や道徳を教える、学校の行き帰りに伴う)  § 律法は罪を認めさせるという点で、教育的意義があるが、それもあくまで暫定的なものだった。 今の新約の時代は、救われている者にとって、律法は、日々の罪を悔い改めるための鏡となる



  第4章


 1 また、こうも言えます。 相続人が未成年である間は、全財産の持ち主でありながら、奴隷と少しも差が無く、
 2 父親の定めた時期までは、管理人や後見人の監督の下に置かれているのです。
 3 それと同じく、私たちも未成年であった時には、この世の初歩の教えの下に縛られていた者でした。
 4 しかし、時が満ちて、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて遣わされました。

 5 それは、律法の下にある者たちを贖い(あがない)出すためであり、また、子たる身分を私たちが受け取るためでした。
 6 このように、あなたがたは子であるので、神は私たちの心の中に、「アバ、父よ」と呼ぶ、御子の霊を送って下さったのです。
 7 したがって、あなたがたはもはや奴隷ではなく、子です。子であるならば、また神による相続人です。

 8 神を知らなかった当時、あなたがたは、本来、神ではない神々の奴隷になっていました。
 9 しかし、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうして、あの無力で虚しい初歩の教えに再び転向して、もう一度新たにその奴隷になろうとするのですか。
10 あなたがたは、日や月や季節や年などを守っています。
11 私は、あなたがたのために労苦したことが、無駄になったのではないかと、あなたがたのことを心配しています。
12 兄弟たち。お願いですから、どうか私のようになってください。私も、あなたがたのようになったのですから。あなたがたは、一度も私に対して悪いことをしませんでした。

13 ご承知の通り、最初に私があなたがたに福音を伝えたのは、私の肉体が弱っていたためでした。
14 そして、私の肉体にはあなたがたを試みるものがあったのに、軽蔑したり、つばきをかけたりせず、かえって私を、神の御使いやキリスト・イエスに対するように迎えてくれました。
15 その時のあなたがたの感激は、今どこにあるのですか。私はあなたがたに、今、あかしします。あなたがたは、できるならば自分の目をえぐり出して、私に与えようと思っていたのです。
16 それなのに、真理を語ったゆえに、私はあなたがたの敵になったのでしょうか。
17 彼らがあなたがたに対して熱心なのは、善意からではありません。むしろ、自分たちに熱心にならせるために、あなたがたをキリストから追放しようとしているのです。
18 ただし、良いことについては、熱心に慕われるのは、いつであっても良いことです。それは、私があなたがたの所にいる時だけではありません。
19 私の子供たちよ。あなたがたの中にキリストの形造られるまでは、私は再び、あなたがたのために産みの苦しみをしているのです。
20 私は、たった今あなたがたの所にいることができたら、また、こんな語調でなく話すことができたら、と願っています。 私は、あなたがたのことで困惑しています。

21 律法の下にとどまっていたいと思う人たちは、私に答えなさい。あなたがたは律法の言うことを聞かないのですか。
22 次のように書いてあります。 アブラハムには二人の息子がいましたが、一人は女奴隷から、もう一人は自由の女から生れました。
23 すなわち、一人は女奴隷から肉に従って生れ、もう一人は、自由の女から約束を通して生れました。
24 さて、このことには比喩があります。すなわち、この女たちは二つの契約であり、一人はシナイ山から出て、奴隷となる者を産みます。ハガルがそれです。
25 ハガルとは、アラビヤにあるシナイ山のことで、今のエルサレムに対応します。なぜなら、彼女はその子供たちと共に奴隷だからです。
26 しかし、上にあるエルサレムは、自由であり、私たちすべての母です。
27 すなわち、こう書いてあります。「喜べ。子を産まない不妊の女よ。声をあげて喜べ。産みの苦しみを知らない女よ。夫に捨てられた女の産む子供は、夫のある女が産む子供よりも多い。」
28 兄弟たち。あなたがたは、イサクのように、約束の子供です。
29 しかし、その当時、肉によって生れた者が、霊によって生れた者を迫害したように、今でも同様です。
30 しかし、聖書では何と言っていますか。「女奴隷とその子とを追い出せ。女奴隷の子は、自由の女の子と共に相続をしてはならない。」とあります。
31 だから、兄弟たち。私たちは女奴隷の子供ではなく、自由の女の子供なのです。


   *1、2  ネーピオス(ギ) infant、little child; minornot of age、幼児; 未成年、  当時のローマ法では、14歳になるまでは父の定めた後見人の下に置かれ、25歳になるまでは財産管理は管財人の下に置かれた
   *3、9  ストイケイオン(ギ) elements、rudiments、元素・分子、要素(Uペテ3:10)、基本原理; (元々)アルファベットの文字 → 初歩の教え  § これには、「この世の諸霊力」という意味がある ・・・ 特に天体に宿るこの霊力はヘレニズム世界で畏敬され、ユダヤ教では天使礼拝に位置づけられた。 パウロが、これを「律法」と呼ばずに「ストイケイア(複数)」と呼んだのは、異邦人の立場を考慮して。 (ニューエイジ・汎神論に近いユダヤ教)
   *5  フィオセシア(ギ、単・女) adoption、(直訳) 養子、養子縁組
   *10  § ユダヤ教の祭儀律法: 安息日、断食日、新月、過越し、7年ごとの安息年など
   *12  § ストイケアや律法から自由になってほしいこと。  ユダヤ人のパウロが、救いの条件に割礼や律法順守を入れないで、異邦人のようになったこと。  最初のガラテヤ訪問の時、パウロの使徒権を否定しなかったこと
   *13  使徒16:6  § 第2回伝道旅行でフルギヤ・ガラテヤ地方へ予定外で導かれたこと  弱さ: Uコリ12:7
   *14  § 古代は、病気は悪霊によると考えられていた
   *15  § これは、ダマスコ途上での回心の時から、パウロが目の病気を患っていた、とする説の根拠になっている (6:11 「こんな大きな字で」 → 以降の各書簡の筆記者は別(70人訳の引用を見落とした?))
   *16  真理: 福音の真理
   *17  キリストから は補足、  エクレイオー(ギ) (共同体の交わりから)追放する、締め出す
   *18  (前節による誤解を防ぐために挿入。 熱心さは良いと言っている)
   *19  テクニオン(ギ) 小さい子供; (師弟関係の)子供
   *20  § 牧師として、すぐにでも行って面と向かって話し、もっと打ち解けて話せたら、と思う の意
   *22  創世17:16−、21:1−
   *25  § シナイ半島もアラビヤの一部で、イシュマエルの地とみなされていた、  今のエルサレム: ユダヤ教・律法主義の本拠地 の意 (今の(ヌン) ⇔ 来たるべき、新しい)、  シュストイケーオ(ギ) be parallel with、resemble、be to the antitype、並行的存在、予型になっている
   *27  イザ54:1  § 荒廃したエルサレムが復興して、以前よりも繁栄する様子、 ここでは不妊の女とはサラのこと
   *28  = ロマ9:8
   *29  創世21:9
   *30  創世21:10、12



  第5章


 1 キリストは、自由を得させるために、私たちを自由にして下さいました。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。
 2 さあ。このパウロがあなたがたに言います。 もし割礼を受けるなら、キリストはあなたがたに全く無益なものとなるのです。
 3 割礼を受けようとするすべての人たちに、もう一度あかしします。そのような人たちは、律法の全体を行なう義務があります。
 4 律法にあって義とされようとするあなたがたは、キリストから離れて、その恵みから落ちてしまったのです。
 5 私たちは、御霊を通して信仰によって義とされる望みを、熱心に待ち望んでいます。
 6 それは、キリスト・イエスの内にあっては、割礼のある、無しは大切ではなく、愛を通して働く信仰だけが大切だからです。

 7 あなたがたはよく走り続けてきたのに、だれが道を妨害して、真理に信頼しないようにさせたのですか。
 8 そのような勧めは、あなたがたを召してくださった方から出たものではありません。
 9 わずかのパン種が、粉のかたまり全体を発酵させるのです。
10 あなたがたは少しも私と違った考え持っていないと、主にあって信頼しています。 しかし、あなたがたをかく乱する者は、誰であろうと、さばきを受けるでしょう。
11 兄弟たち。私がもし今でも割礼を宣べ伝えていたら、どうして、今なお迫害されるはずがあろうか。そうしていたら、十字架のつまずきは取り除かれているはずです
12 あなたがたをかく乱する者たちは、自らを去勢してしまったほうが良いのです。

13 兄弟たちよ。実にあなたがたは、自由が与えられるために召されたからです。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛を通して互に仕え合いなさい。
14 律法の全体は、「自分へのように、あなたの隣人を愛しなさい。」という、この一語の中に完結しているからです。
15 もし、互いにかみ合い、食い合っているなら、あなたがたは互いの間で滅ぼされてしまいます。気をつけなさい。

16 私はこう言います。 御霊によって歩きなさい。 そうすれば、決して肉の欲を満たすことはありません。

17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、また御霊は肉に逆らうからです。こうして、二つのものは互いに対抗し、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないのです。
18 もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいません。
19 肉の働きは明白です。 すなわち、不倫*、不品行、汚れ、好色
20 偶像礼拝、魔術、 敵意、争い激しやすさ、怒り、党派心、分裂、分派
21 ねたみ殺人 泥酔、遊興、 そのようなたぐいのものです。 私は以前にも前もって言ったように、今もあらかじめ言っておきます。このようなことを行なっている者たちは、神の御国を相続することはありません。

22 しかし、御霊の実は、 愛、喜び、平安、忍耐して待つこと、親切、善良であること忠実
23 柔和、自制 であって、これらを禁止する律法はありません。

24 キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、様々な色情や願望と共に十字架につけてしまったのです。
25 もし私たちが御霊によって生きるならば、御霊によって進もうではありませんか。
26 互いに挑発し合い、互いに羨ましがって、虚栄に走ってはいけません。


   *6  イスクーオ(ギ、動詞) (直訳) 強い、力を持っている、重要、有効
   *7  (直訳) 切り込む、道を切って邪魔する
   *9  律法主義(=人間中心主義)のパン種
   *10  § まだ完全に恵みから落ちていない の意、 cf. 5:4
   *11  § パウロが救われる前のこと。 今、ユダヤ主義者から迫害されているのは、割礼を宣べ伝えていない証拠。 割礼を宣べ伝えているなら、十字架の福音を説く必要もなくなる の意
   *12  (直訳) 切り取る、去勢する、  § そんなに割礼のことを言うなら、いっそのこと全部切ってしまえ の意
   *13  ヒュメイス(複数) you、(実に)あなたがたは、(あなたがたを強調)、  愛を通して、互いに奴隷として仕えるための自由 (Tコリ9:19)
   *14  レビ19:18、 ロマ13:9、  アガペーセイス(ギ、未来、2・単) you shall love、(直訳)愛するようになるはずだ、愛するはずだ (アーアッヴター(ヘ、2単尾) あなたは愛する(はずだ))、  プレロー fill up、completefulfil、でいっぱいに満ちる、完結する、成就する
   *16  プニューマティ(ギ、単・中) ペリパテイテ(命令、2・複) to Spirit you walk、御霊に対して歩きなさい、  § 御霊 = 御子の御霊 (4:6)、 御霊は御子のものを受けて知らせる (ヨハ16:4)
   *18  プニューマティ アゲスセー(受、2・複) to Spirit you are led、御霊に導かれる、  § キリストの十字架によって律法から自由とされたキリスト者が、御霊に導かれる(= 御霊の語りかけに聞き従う)なら、ご自身のいのちにあずからせてくださり、御霊の実を結ぶことになる(5:22、23)。 この御霊の実はすべて、律法の要求を満たす
   *19  モイケイア(ギ) (狭義の姦淫)不倫(不貞)、  ポルネイア (広義の姦淫)不品行、結婚でない性交全般(売春、婚前交渉など)、  アカサルシア (性的な)汚れ(?)、汚職など(広い意味での汚れ)  アセルゲイア 好色、(公然と、自由奔放な)不品行
   *20  ゼーロス(ギ) 情熱、興奮、ねたみ、  エリス 争い、 → エリセイア 野心、党派心(Uコリ12:20)、  ハイレシス 分派、異端
   *21  フソーノス(ギ) envy、嫉妬、ねたみ、  フォノス murder、殺人
   *22  マクロシュミーア(ギ) patience、bear long、忍耐する、忍耐して待つ、(赦免の意味で)寛容 (マタ18:26、Tコリ13:4、Uコリ6:6、Uテモ4:2、ヘブ6:15、等)、  アガソーシュネー moral goodness、integrity、善良であること、正直、  ピスティス(名詞) fidelity、faithfulness、忠実、約束を守ること (cf.ピストス(形容詞) faithfulbelieve、誠実な、語ったことを成し遂げる)
   *22、23  § これらの 9つの御霊の実は、「愛」という一番目の実にまとめられる。 キリスト者の第一の目標は、キリストに似た者となって、「御霊の実(品性の実)」を結ぶこと
   *26  プロカレーオマイ(ギ) provoke、挑発する、  フソーネオー ねたむ、羨ましがる



  第6章


 1 兄弟たち。もし、ある人が罪過に陥っていることを見つけたなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和の霊の中でその人を正しなさい。それと同時に、あなた自身も誘惑に陥らないように気を付けなさい。
 2 互いに重荷を負い合いなさい。そのようにして、あなたがたはキリストの律法を全うしなさい。
 3 もしある人が、そうではないのに、自分が何者かであるかのように思っているとすれば、その人は自分を欺いているのです。
 4 一人一人、自分の行ないをよく調べてみなさい。そうすれば、自分だけには誇ることができても、他の人には誇れるようなものではないでしょう。
 5 人はそれぞれ、自分自身の荷物を負うべきです。
 6 また、みことばを教えてもらう人は、教える人と、すべて良いものを分け合いなさい。

 7 惑わされてはいけません。神は鼻であしらうような方ではありません。人は自分の蒔いたものを、刈り取ることになります。
 8 すなわち、自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠のいのちを刈り取ります。
 9 私たちは、善を行うことに飽きてしまってはいけません。落胆しないでいるならば、時期が来て、刈り取ることになります。
10 だから、機会のあるたびに、誰に対しても、特に信仰の仲間に対して、善を行おうではありませんか。


11 見よ。私は自分の手で、何と大きな字で、あなたがたに書いていることでしょう。

12 あなたがたに割礼を強いて受けさせようとする人たちは、肉において見栄えを良くしようとする者たちであり、キリスト・イエスの十字架のために迫害を受けたくないだけです。
13 それは、割礼のある人々は律法を守っていないだけではなく、あなたがたの肉について誇りたいために、あなたがたに割礼を受けさせようとしているからです。
14 しかし、私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇りとなるものが決して無いのですこの方を通して、この世は私に対して十字架につけられ、私もこの世に対して十字架につけられました。
15 それは、キリスト・イエスにあっては、割礼があっても、無割礼でも全く問題ではなく、ただ、新しい創造だけが大切なのだからです。
16 この基準に従って歩み行く人々、すなわち、神のイスラエルの上に、平和とあわれみとがありますように。

17 今後は、誰も、私を煩わさないでください。私は、イエスの焼き印を身に帯びているのですから。
18 私たちの主イエス・キリストの大いなる恵みが、あなたがたの霊と共にありますように。兄弟たちよ。アーメン。

   (ガラテヤの人々へ。ローマで記す)


   *1  パラプトーマ(ギ) (故意ではない、知らずに犯した、)あやまち、罪過、  カタルティゾー 修繕して元の正しい状態に戻す、正す
   *4  § 自分で誇れると思ったことは、自分の内に秘めて置く の意 (マタ6:1−4)
   *5  フォルティーオン(ギ) burden、load、荷、荷物、負荷、個人が当然負うべき義務  cf.6:2 「重荷を負い合いなさい」は、バロス heaviness、weighttrouble、重さ、問題
   *6  § ガラテヤの人たちは教師や伝道者に十分な援助をしていなかった。 教師に対し、経済的支援は義務と言っている (Tテサ5:12)
   *7  (6節を受けて、)神が立てた権威に、物質的なものをもって支援するべきことを言っている (マタ10:42)
   *9  カイロス(ギ) measure of time、definite time、seasonable time、limited period、特定の時、季節、時期
   *11  ペリーコス(ギ) how great、how large、何と大きな、いかに大きな、(大文字(ペリコイス・グランマシン)ではない。ゴシック体のような太文字の可能性はある)  § ここから先は、結びの言葉をパウロ自身が大きな字で書いた。 → ただ単に注目させるだけでなく、パウロ身の目が悪くなっていることをも表している、とする説が多い (4:13−15)
   *14  ディー フー(ギ、単・男) through whichwhom)、この方を通して、あるいは、十字架を通して (どちらも単・男)、  § キリストの十字架の下に、パウロは人間の真の哀れな姿を見た (ロマ7:24)、 「世に対して死んだ」 = 2:20 の告白 「キリストが私の内に生きておられる」と、同じ
   *15  カイネー クティシス(ギ) 新しい創造、(あるいは、新しい被造物)、 § = 「十字架によって、古い秩序は過ぎ去り、新しい秩序が始まった」 (Uコリ5:17)
   *16  カノーン(ギ) まっすぐな基準棒、基準、規則、ルール
   *17  タ スティグマタ(ギ、複数) (奴隷の)焼き印: イエスの奴隷であること。 しかし複数より、パウロが遭った数々の迫害の傷跡でもある(Uコリ11:23−25)  → キリストの「使徒」であることをもう一度言って、福音の真理を曲げないでいてほしいことをガラテヤの人々に願った
   *18  厳しい叱責の手紙の最後の最後に、「兄弟たちよ」と呼びかけている
   ( )  (ローマで書いていない?)






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