新約聖書・日本語訳 (TR(Textus Receptus)・ビザンチン型底本より翻訳)
2020年3月18日 掲載開始
§ ・ TR(Textus Receptus)底本は、Greek Interlinear Bible (NT) を基本的に翻訳、 各ギリシャ語の英訳は Strong's number より検索 (ただし、旧約聖書の引用等で著しく異なる部分は、文学的解釈により挿入)
§ ・ 太字部は、Nestle Aland ・(アレキサンドリア型)改ざん底本との、相違、欠落に対する訂正部につき記入、 (ただし、「主」は 旧約聖書の引用部の「ヤハウェ」の意)
§ ・ また、従来の日本語訳がふさわしくないと思われた箇所も、修正して太字で記入
§ ・ 脚注は、各章の下に付録として付けました
マタイの福音書 マルコの福音書 ルカの福音書 2020 4/13
ヨハネの福音書 2020 5/18
使徒の働き 2020 7/1 ローマ人への手紙 2020 7/22
コリント人への手紙・第一 コリント人への手紙・第二 2020 8/26
ガラテヤ人への手紙 エペソ人への手紙 ピリピ人への手紙 2020 9/17
コロサイ人への手紙 テサロニケ人への手紙・第一 テサロニケ人への手紙・第二 2020 10/1
テモテへの手紙・第一 テモテへの手紙・第二 テトスへの手紙 ピレモンへの手紙 2020 10/22
ヘブル人への手紙 ヤコブの手紙 2020 11/12
ペテロの手紙・第一 ペテロの手紙・第二
ヨハネの手紙・第一 ヨハネの手紙・第二 ヨハネの手紙・第三
ユダの手紙 2020 12/7
ヨハネの黙示録 2020 12/30
§ 図表
§ 旧約聖書の抜粋 2021 1/20
・・・・・ All rights reserved 2021
(追加と訂正)
1. 2021年8月12日:
筆者の希望的観測 や 個人的願望によって、翻訳が曲がったところについて、訂正致します。 これら箇所が下記に書かれている聖書箇所は、すでに聖書本文を改定した文に差し替えています。 聖書をここから取ってご利用している方々は、どうぞ御面倒でも改定文に差し替えてご利用くださいますように。
・ 「 39* 自分のいのちを見出す者は それを失い、 わたしのために自分のいのちを失う者は、神のいのち*を見出します。」 (マタイ10:39)
(同様に、マタイ16:25、 ルカ9:24、17:33、 マルコ8:35、ヨハネ12:25
は そのまま )
・・・・・ プシュケー(ギ)とは、ここでは、生活や人間的計画等ではなく、「(肉的)いのち」のことであり、「殉教」のことを言っている。 イサクは「(一度死んでからの)よみがえりを信じていた」とあるように、確かに死ぬつもりでいた。
他の使徒たちは全員殉教したが、ヨハネは殉教しなかった。(出エジ20:12
の成就) しかし、いち早く回復して、主と共に殺される覚悟で十字架の下に来た。(ヨハ19:26) 「救い」とは、「死ぬ覚悟」、「殉教の覚悟」を伴うもの。
・ 「 22* イエスは答えて言われた。「あなたがたは、自分が何を求めているのか、分かっていないのです。わたしの飲もうとしている杯を飲み、わたしが受けるバプテスマ*を共に受けることができますか。」 彼らは「できます。」と答えた。
23* イエスは彼らに言われた。「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲み、わたしの受けるバプテスマ*を受けることになるでしょう。しかし、わたしの右、左に座らせることは、わたしのすることではなく、わたしの父によって備えられている*人々がいるのです。」」 (マタイ20:22、23) (= マルコ10:38、39)
・・・・・ 杯は明らかに「苦き杯」、 この「バプテスマ」も ここでは、ルカ12:50 より、「十字架の苦難」(弟子たちにとっては「殉教」)を表す。 (聖霊のバプテスマは、また別の事。 ただし聖霊によって十字架を通ることができる。
2. 2022年8月20日:
黙示録の改ざんについて。 本訳の元訳底本となった、Greek Interlinear Bible (NT) でさえも、「ヨハネの黙示録」の一巻に限っては、他の底本同様、すでに改ざんされている可能性が大きい。その理由として、次の3つが挙げられる。
(1) 霊の見分けの賜物を持つ器が、まだ御使いが見える時に、その器の守護の御使いが語った言葉: 「黙示録は、付け加えと削除によって改ざんされている。」
(2) 主の臨在があるかないかはっきり分かる器による証言: 黙示録は、部分的に臨在がギザギザして極端に振れるので、 大きく順番が入れ替わった可能性がある。ただし、千年王国はある。
(3) また、これは訳者自身の感想: 黙示録の基本思想は、「主イエスの再臨」に希望の最重点が置かれているはずにもかかわらず、「再臨に伴う携挙」は14:14−16のみ、「地上再臨」に至っては、間接的に
16:15 のただ一か所のみであり、再臨の部分が削除されたように、あまりにも少ない。(地上再臨はゼカリヤ14章に詳述)
以上より、黙示録だけを読むのではなく、必ず他の並行箇所を優先させて読む、くらいの注意が必要と思われる。(マタイ24章、 マルコ13章、 ルカ21章、 ダニエル書7章、11、12章、 ゼカリヤ書14章、 レビ23:23−28、 Tコリント15:51、52、 Tテサロニケ4:13−18、 Uテサロニケ2章、 他。)
3. 2023年8月28日:
新改訳聖書は、第1版(1970年)、第2版(1993年)では、ダニエル書9:27
の記述 「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえと
ささげ物とをやめさせる。 荒らす忌むべき者が 翼に現われる。 ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」 のようになっているが、
新改訳の第3版(2017年出版)では、この太字部が 「忌まわしい者の 翼」(×)
のように 変更されている。 「翼」とは、至聖所の ケルビムの事を意味するので、”天使が忌まわしい”という意味になってしまい、これは間違い。 因みに、「荒らす」のプアル態で書かれているので、「おぞましい(恐れさせる、ぞっとさせる)、憎むべき者(偶像)」などと訳すべきである。
新改訳聖書の旧約は、他の聖書に比べ、比較的原文に忠実に訳されていると思われたが、第3版ではかなり意図的な誤訳がみられるので注意が必要。