1. イエス・キリストの復活

 イエス・キリストは十字架の死のあと、3日目に復活した。これは、仮死ではなく、完全に死んで、また、完全に生き返ったということである。(安息日の3時頃死に、夕方死体を取り下ろした。このとき、兵士がイエスのわき腹をつき刺した所、すでに血清と血餅が分離していた。(ヨハ19−34))

 十字架という事は比較的理解しやすいし、信じやすい。
 しかし、もしここで、復活というものが無ければどういうことになるだろうか?。

 イエス・キリストは2000年前に実在した、歴史に名が残るユダヤの宗教家であって、良い人であり、良い教えを説き、良いことをして、時には、気功のようなしるしを行い、民衆の人気を集めたが、当時の宗教家たちのねたみによって、十字架につけられ殺されてしまった、で終わってしまうのである。

 そうすると、イエス・キリストの弟子や信者たちは、なにゆえ、みことばに従って困難さに甘んじ、悩み、苦しみ、不法や誘惑にがまんしているのだろうか。
 もし、私たちがイエスの人間性に単に希望を置いているだけならば、私たちはすべての人々の中で最も偏屈で、最も哀れな存在になってしまうのである。

 ところが、イエス・キリストは復活したのである
 私たちは、このイエスの復活の力にあずかる事に常に望みをおいているのである。
 そして、この復活という事に関しては、しるし(証拠としての奇跡)が伴うと書かれてある。
 それは、イエス・キリストが復活し、今も生きて働いていることのしるしである。


 「使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。」  ・・・ 使4−33

 「悪い姦淫の時代はしるしを求めます。しかし、ヨナのしるし(= イエス・キリストの復活に伴うしるし)のほかには、しるしは与えられません。」  ・・・ マタ16−4

 「(・・・ 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたし(イエスの名によって悪霊を追い出し、・・・、また、病人に手を置けば病人はいやされます。・・・ )」  ・・・ マコ16−17〜18(*)


 私たちは、このしるしによって、神が”いのちなる神”であり、イエス・キリストが今も生きて働いていることをますます強く知るのである。この”復活信仰”こそ、霊の救いを受けると共に、たましい、体、環境、人間関係、家庭、経済などのすべての分野において、生けるまことの神の力と恵みを味わう為の重要なポイントなのである。

 十字架も、復活も、どちらも私たちにとって恵みなのである


 ( * 300以上ある聖書の写本のうち、マルコ16−9〜20の括弧書きの部分を欠くものは3つしかなく、ほとんどこの括弧はいらないとして良い。)


 【霊の救い(基本的信仰)における復活信仰】;

 「『われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。』 そして言った。『イエスさま。あなたの御国の位にお着きになる時には、私を思い出してください。』 イエスは、彼に言われた。『まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。』」 ・・・ ルカ23−41〜43

 イエスと共に十字架につけられた罪人のうち悔い改めたほうの罪人も、”復活信仰”によって彼の霊が救われた。


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