2. 聖霊の満たし(聖霊のバプテスマ)

 罪を悔い改め(認め)、イエス・キリストの十字架と復活を信じたならば、その瞬間、聖霊(神の霊)が信じたその人の霊の部分に入り、共に住む。それは、その人が神のものであるという事の保証である。(霊の救い) ・・・ エペ1−14

 しかし、神のことばに従うとか、積極的に伝道、あかし、神の働きをするとか、カリスマ(聖霊の賜物)が現れるなどのためには、さらに、その人のたましいの分野(特に、意志の分野)が聖霊に満たされる必要がある。
 なぜなら、霊が救われていても、神に逆らう罪の性質を含む古い人間のたましいでは、とても神に従う事が出来ないからである。 ・・・ ロマ7−21〜25

 イエス様は、聖霊によってお生まれになった。(マタ1−18) そして、12歳の頃、御自身の(聖霊の)知恵を発揮された(ルカ2−42〜47)が、その後、預言者ヨハネによる水のバプテスマを受けた時、聖霊が下ってイエス様にとどまられたのである。(マコ1−10)
 聖霊によって生まれたイエス様が、なぜ、さらに聖霊の満たしを受けなければならなかったのだろうか?。 それは、試みに打ち勝ち、主の働きを全うするために、さらに聖霊の力を受ける必要があったからである。そして、イエス様を模範として、私たちもその歩みをするよう示されたのである。

   

 すべての、神に召された人々は、聖霊のバプテスマを受け、神に従う力が与えられる。


 ・ 聖霊が信じるすべての人々に与えられる事は、十字架にかかられる直前にイエス様が弟子たちに語った言葉によって約束され(ヨハ14−16〜17)、それは、イエス様の復活・昇天の後、ペンテコステ(五旬節)の時、激しく聖霊が下ってから、成就しはじめた。(使2−1〜4)
 20世紀の初めからの、いわゆるペンテコステ運動から続いている聖霊運動は、”後の雨”についての予告の成就である。(使2−16〜21、ヨエ2−28〜32)
 最終的には、イスラエルの預言者からの聖霊の流れによる、全世界レベルのリバイバルとなる。(ゼカ4−11〜14)

   

 ・ 聖霊のバプテスマは、たましいの分野、特に、意志や言語の分野を主に明け渡すもので、主の主権によってなされる。それは、主の召しの働きとのかかわりが深い。すなわち、神に従う力が与えられる事が目的だから、本当に神のビジョンが導かれている人は聖霊のバプテスマを受けやすい。

 ・ 異言(Tコリ14−2)は、神がことばの神であって、その人の口のことばが神の主権のもとに置かれ聖められる事を表わし、通常、聖霊のバプテスマに伴って現れ、聖霊のバプテスマを受けた事のしるしとなる。(大脳の意志の中枢と言語中枢とは非常に近い。ただし、異言が出てこなければ聖霊のバプテスマを受けていない、というわけではない。) もちろん、その人の意志で、語ったり、語るのをやめたりする事ができる。

 ・ 聖霊のバプテスマは、個人的にオリジナルな霊の注ぎかけを受ける場合もあるが、多くは、主の器による按手(頭に手を置いて祈る)によって受けるのが普通である。
 聖霊によって倒される人は、内側のいやしや解放などの取り扱いが必要な人が多い。
 (倒れた後、通常、寝たままの姿勢をとらせる。倒れる時、頭を打たないように注意。)


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