(3) 神との交わり方 〜 祈り
祈りのことばは、聖霊のバプテスマを受けた人は、異言の祈りと知性の祈りを半々ずつおりまぜて祈るのがバランスがとれている。(異言の祈りは、どう祈って良いかわからない時や疲れた時、また、自分の霊性を主に近づけるための、聖霊に頼って霊で祈る祈りである。)
@ 求める祈り(基本的祈り);
「求めなさい。そうすれば与えられます。」
私たちは、イエス様の十字架を信じる事によって罪が赦され、神の子供とされた。それゆえ、神を親しく”父”と呼ぶ事ができ、そして、御こころにかなう事ならばなんでも、求めることができる。
私たちは、イエス様によって義(正しい)とされたのだから、”イエスの名前”によって祈り求めるのである。
このとき、実は私たちの心が問題なのである。
信じたばかりの初心者の祈りは、けっこう聞かれるものである。恵みが先行するからである。だから、ありのままを思いきって祈る事をおすすめする。(別のかたちで答えられるかもしれないが。)
しかし、信仰歴が比較的長い人は、もう一工夫が必要である。
神はあらゆる事を通して、私たち一人一人にコミュニケーションを求めている。ただ熱烈な方である御父が、どんなに私たちを愛しているかは次のみことばで良くわかるだろう。
「神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる。」 ・・・ ヤコ4−5(*)
聖霊が共におられなければ救いはあり得ないから、これは論理を超えた御父の激しい愛を表わすみことばである。
だから、聖書には幾通りかの祈り方の注意について書かれてあるが、いずれもこころの底から湧き上がるような祈り、神と格闘するような祈り、でなければならない。(別に、繰り返して祈っても良い。) ・・・ マタ6−7の意味
神は、心の底からわき上がるものを祈りと見なしている。(**)
すなわち、 ・ 心から天に湧き上がっている祈り、
・ 内側が神と格闘しているような祈り
・ (奉仕者ならば)主の臨在がなければ何一つ集会をしない覚悟
・ 主が来なければ死んだも同然
と、いったような決死の祈りである。
したがって、祈る時は、罪を悔い改めてから、まず、主の臨在を自分の心にもたらす事に充分時間を費やし(その為に、賛美や感謝や幕屋の祈り(***)などを用いる。)、その後で、短く求める祈りをするのがポイントである。 (たとえば、全体で2時間の祈りならば、初めの1時間半は、この導入の祈りをし、残りの30分で求める祈りをする。)
・ (知っているのに)「私に何をしてほしいのか。」(ルカ18−41)
具体的にはっきりと祈る事。具体的な祈りとは、主への信頼と(知的な)熱意を表す。
(逆に、うわべのことば、宗教的ことば、霊的見せかけの専門家などは、神様が最も嫌われるものである。)
・ 「祈って求めるものは何でも、(心の中で疑わないで)すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」 ・・・ マコ11−24、25
祈りが聞かれた事の確信の感覚は、人を赦した時に来る平安と同じである。(マコ11−22〜25も、Tヨハ5−14、15も、その後に共通した祈りのテーマとして”赦し”について書いてあることに注意。)
そして、確信が来るまで祈りつづける事である。確信が来たら、(先取りの)感謝の祈りに切り換える。
A 聞く祈り(最善の祈り);
「耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。」 ・・・ イザ55−3
「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。」 ・・・ マタ6−33
祈りの半分は聞くことである。求める祈りも、主が良しと認めたものもみこころとなるが、主が初めからの計画のとおりに語ったことばは、もっともきれいに成就するからである。
神の国の義とは、神のことばによる信仰による義のことである。
聞くだけですでに問題が解決されている場合も多い。
いろいろと人間的な想いが出てくるうちは、まだ語られていないのである。
リバイバルの時など主の臨在が強い時は、短い祈りでいきなりわざが起こるようになる。
導入として求める祈りを用いて、聞く祈りに持っていく(導かれる)ことも勧められている。 ・・・ エペ6−18
主のみこころはきわめて人間離れしているので、聞き従いの土台的な祈りとして次のような祈りをお勧めする。
”主のみこころを成し遂げたいという願いを(私の心に)起こしてください。” (動機付けと主からのものの見分け(ヨハ7−17)の両方に有益)
”主に正確に謙遜に完全に聞き従えますように。”
”たとえ間違っていても、主に従っていますように。” (聞き従う力がまだ不充分であっても主からの恵みを受け取る為)
また、主の恵みの摂理の中にいるための祈りとしては、
”主の主任牧会(主の直接牧会)がなされるように。” 、など。
* (前後の文脈からこの訳で良い)
** 4年間継続的にリバイバルしている(ペンサコーラから飛び火して現在リバイバルしている)、米・スミストンの器(スチーブ・グレイ師)のメッセージによる。(2000年10月来日)
彼らは、リバイバル前の2年半の間、長く強く祈ったが、一度も自分たちの必要の為に祈った事はなかったそうである。
*** 【幕屋の祈り】;
神殿の幕屋の型どおりの祈りで、新約時代にあって神に近づく最もみこころに近い祈り方。
洗盤・・・罪の悔い改めの祈り、祭壇・血・・・イエス様の十字架と血潮をあがめる、備えのパン・・・みことばをあがめる、燭台・・・聖霊をあがめる、契約の箱・・・イエス様をあがめる(律法の書かれた石の板・・・神のことば、アロンの芽を出した杖・・・いのち・復活・永遠のいのち、マナの入った壷・・・完全な牧会)、以上の手続きを経て、本題の祈り(香)を御父にささげる。(出40)