5. カリスマ信仰 〜 神が与えた霊的能力
(1) 信じる者に伴う基本的なしるし;
「・・・ 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたし(イエス)の名によって悪霊を追い出し、新しいことば(異言・預言)を語り、・・・、また、病人に手を置けば病人はいやされます。・・・ 」 ・・・ マコ16−17〜18
私たちカリスマ派の信者たちにとって、これは重要なみことばであって、個人的にもよく体験するものである。この箇所は、伝道・あかしに伴って、イエス様の復活を証明するために、これらのしるしが伴う事に注意。
キリストを宣べ伝え、一人でも多くの人々が信じて救われる事は、神様の至上命令だからであり、神様は喜んでこれらのしるしを与えるのである。
また、多少心に不義があり、取り扱いが不充分であっても、けっこう実を結ぶことができるのである。(ピリ1−17、18) だから、祈って、思い切ってこの”力の伝道”をしてみることをお勧めする。
イエス様による使徒たちの3年間の訓練の時も、まず、このしるしを伴う宣教の実践教育がなされた。(ヨハ4−31〜38)
(ただし、霊的能力の事であるから、聖霊のバプテスマを受けてから現れるのが普通である。知性が邪魔して信仰の一歩が踏み出せないからである。)
ここで重要なのは、聖霊の語りかけやうながしによって、導かれる事である。また、病気や悪霊については、その症状そのものや現象の名前の霊に対し直接イエスの名の権威を行使する(おしとつんぼの霊)など、神の思考パターン(聖書的思考 − イエス様がどのようにして癒しや悪霊追い出しなどのわざを行なったか)が必要である。聖霊がその名を示されたならばその名で呼んで対処する。(悪霊には黙らせてから事を行なう。) そして、かならず、福音を語ること。(信じるかどうかは、その人の決断によるが。)
「この種のものは、祈り(と断食)によらなければ、(何によっても追い出せるものではありません。)」 ・・・ マコ9−29
前後関係から、人々による”不信仰な場”において神のわざが起こされる為には、祈りこみと、時には、断食祈祷が必要である事を言っている。死人のよみがえりの奇跡のときも、イエス様は人々を家から出した。(ルカ8−51) ただ、ほんとうに心から奇跡を望む両親と側近中の側近のペテロとヤコブとヨハネだけがその場にいる事が許されたのである。
【筆者のあかし1】
1991年、ある地方都市で工場に勤めていた時、この”力の伝道”を主から導かれた事があった。(あるカリスマ系の教会で紹介された、ハンター夫妻の本(*)から、癒しの霊が私に流れてきた。) 夜、賛美と祈りをして、昼間会社で癒しの必要な人を見つけ、お祈りをするのである。たいていの人は、けっこう喜んで祈りを受けた。祈りの時間はいずれも5分くらい。(脳卒中の人のときは20分で癒された。)
初めは、腰の悪い人で、結婚したばかりなのに気の毒だなあという心が起こり、手を置いて、イエスの名前によって腰痛の霊を追い出し、腰の部分に直接イエスの名前によって癒されるように命令語の祈りをした。すると、私は軽く手を置いていただけなのに、神様が働いてぼこんという音がして治ってしまった。そして、その人に、”治った”という言葉を連呼するように言って、その人も実に素直にそれを行ない、継続的に完全に治ってしまった。その後、福音を語り、伝道したら、その人はあっさりとイエス様を受け入れた。
また、風邪をひき高熱で、しかも仕事を続けなければならない人も、イエスの名により風邪の霊を縛り、体そのものに癒さされるよう命じ、風邪のウイルスが完全に死に絶えるように命じた。そして、深呼吸をするように言った。すると、彼は、’このような気持ちの良い呼吸は2週間ぶりだ’と言って、一瞬にして癒されてしまった。肺の中の痰も一瞬で無くなったからである。それでも彼はなかなか信じなかったが、4日間会社の中を追い回し、ある会議の席で隣に座っていたので、イエスを信じる事を迫った所、彼は信じた。
また、ある便秘の若い女性は、更衣室で癒された。祈る前、彼女は非常に緊張していたのであるが、祈り始めると聖霊が流れてきて急に平安になるのがよくわかった。彼女もまた、救い主を受け入れた。
このようにして、約4ヶ月の間に、その工場内で30人、会社関係の人で2人が癒され、13人の人が信じたのである。癒しの確率は大体8割であった。(それまで、私は救われていたから多少なりとも福音を語っていたのであるが、一人も救われなかったのである。) そして、不思議な事に、癒された人よりも、それを見ていたり、うわさを聞いて信じる方が多かった。主は、この期間、私の仕事を配慮してくださり、極めて楽なものにしてくださった。パソコンの前でほとんど腕を組んで座っていれば良いような、長い非能率的な技術計算をしていたからである。
また、当時、福音系の教団にいたが、そこでは一件もいやしは起こらなかった。ただ、自分が奉仕していた小さい集会ではわざが起こり、また、彼女らもいやしができるようになった。彼女らは家族と職場(保育園)で癒しの力を用いて良きあかし人になっている。
主に栄光をお返し致します。
* → 参考文献