【 参 考 】;  カトリックについて

 ・ ローマ国教化の時代;

 312年、コンスタンチヌス大帝は、戦争の勝利が、自分の祈りにキリスト教の神が答えられたものと考え、教会の擁護者となった。
 しかし、彼本人は”太陽神”を”御父”とした。
 321年、日曜日を”太陽を敬うべき日”と呼んだ。
 太陽の誕生日(12月25日)をキリストの誕生祝日に置き換えた。(実際のイエス様の誕生日は5月頃である。)
 また、すでに民衆の中にあった、エジプトの女神イシスと息子ホルスの崇拝を禁止したが、かわりにマリヤ崇拝が容認された。
 コンスタンチヌス自身は、臨終の時に個人的に救われた。


 ・ カトリックとプロテスタントとの違い;

              カトリック           プロテスタント     
 信仰の権威  聖書のほかに、聖伝(伝承)、
ローマ教皇の言葉(ex cathedra,
”教皇の座から”(*1))
    聖書のみ
   聖書  旧約聖書に外典を含む    聖書は66巻のみ
   組織  ローマ教皇(神の代理人) ― 枢機卿(各国)
― 司教(各教区) ― 司祭(神父)
・ 懺悔は神父を通して
・ 組織そのものが信仰の対象に近い
    万民祭司
 (イエスを介して
  神との直接的関係、
  牧師は群れの監督)
   典礼    ミサ、秘蹟(洗礼、堅信、聖体、告解、
終油、叙階、婚姻)
 礼拝、(洗礼と聖餐のみ)
 信仰の取次ぎ   聖人(マリヤなど)に祈りを取り次ぐ
   (*2)
  個人的に神と直接
  死後観  天国と地獄のほかに煉獄    天国と地獄のみ


  *1 ・・・ 1870 第一回バチカン総会議、”教皇無謬説”、ピウス\
  *2 ・・・ 1854 ”処女マリヤの無原罪懐胎説”の布告、(同)
        1904 処女マリヤ崇拝を勧めた、ピウス]

 ・ 最近の動向

 @ エキュメニカル運動; 他の宗教を積極的にカトリックに取りこもうとする動き。
 A カトリック・マリア派などにおける霊的しるし
 G バチカンへのフリー・メーソン(トップはユダヤ人のロスチャイルド家)の侵入。


 * 異邦の母子神崇拝の流れについて;

 ・ 猟師ニムロデとその母 〜 母子神崇拝の始まり(創10−9)
 ・ アシュタロテとバアル 〜 天の女王(アシュタロテ、イスターともいう)(エレ7−18、44−17)
   ・ イゼベル(シドン人、アハブの妻) 〜 アハブ王をそそのかし(T列21−25)、偶像崇拝(バアル、アシェラ)と呪術と姦淫を行ない、主の預言者を殺した。エリヤはイゼベルから逃走した。
 (イゼベルの死は、エリシャの時代にエフーによって)
 ・ エペソのアルテミス 〜 騒乱の事件(使19−24、28、34)
 ・ エジプトのイシスとホルス 〜 ローマの大殉教時代の民衆信仰
 ・ マリアを語る悪霊 〜 像が示すとおり、霊的にイエス・キリストを小さくし、覆い隠そうとしている。(日本などにおいても、マリヤ観音、秋田のマリア像など、地域の悪霊が偽っているもの。)
 ・ ”大淫婦の霊” 〜 終末時に、にせ預言者とともにエルサレムを覆う霊。主の民の顔をして、あらゆる宗教と交わり(霊的姦淫を犯し)、また、イゼベルのように徹底して主の民を迫害し殺す。


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