ヨーロッパ合理主義の流れ


 ・ ガリレオ・ガリレイ;(イタリア・天文学者・物理学者・1564−1642)

 観察と推理によって、惑星が太陽の回りを運行している、と主張した。彼はコペルニクスの『太陽系の理論』(地動説)を支持した。しかし、コペルニクス説に立って著作した為、宗教裁判にかけられ、それ以降自宅に監禁されたまま余生を過ごした。

 ・ ルネ・デカルト;(フランス・哲学者・数学者・ローマカトリック・1596−1650)

 疑っている事実そのものが疑うことの出来ない唯一のもの・・・『私は考える。ゆえに、私はある。(Cogito ergo sum)』 という有名な結論を引き出した。彼の思考の基準は、彼の個人的良心であった。 すなわち、彼を源流とする”合理主義”とは、すべてのことが理性で判断されるとする立場である。ただし、彼は一応、神の存在を認めている。
 (Cf. ルター; 神のことばが彼の権威)

 ・ バルク・スピノザ;(フランス・哲学者・ユダヤ人・1623−77)

 彼は世界の上にある神の存在をはっきりと否定した。そして、唯一の実体として、神即ち自然(汎神論)を信じていた。この基本的思想は、後代のロマン主義詩人たちやニューエイジ・ムーブメントのそれと同じものである。

 ・ ブレーズ・パスカル;(フランス・数学者・物理学者・宗教的思想家・カトリック・1623−62)

 パスカルは幾何学や計算法、計算機、水力利用装置(「パスカルの原理」)などを発明・発見した。
 彼は1654年に神秘的体験を通してキリスト者になった。彼の宗教的著作『パンセ(キリスト教弁証論)』は、文学および弁証論の古典となった。そのなかで、彼は「神は、イエスキリストを通して、しかも、神から与えられる信仰を通して知られ得る」と書いた。「人間が神を必要とすることは、神から離れた人間の悲惨さを見れば明らかである。神を知るのは信仰によってのみである。もっとも、信仰を支える多くの証拠がある。・・・成就した預言、奇跡、歴史の証言、聖書の自証など。・・・」

 ・ G・W・ライプニッツ;(ドイツ・数学者・プロテスタント・1646−1716)

 微積分学の祖である彼は、宇宙は永遠に活動する小粒子実体から成るとした。彼の神観は本来のキリスト教のそれとは異なるものである。


 ・ イギリス経験論; 知識において経験が果たす役割の重要性を主張した。
             (⇔ 大陸の合理主義に対峙した)
   ・ ジョン・ロック(1632−1704): 感覚の経験があるのみ。理性は感覚によって与えられたものを解釈する役割を演じる。したがって、奇跡は、イエスキリストの権威の証明である。
 理性に合致する事・・・神の存在、理性に反すること・・・父・子・聖霊の三位一体(3=1)、理性を超えること・・・イエス・キリストの復活などの、テーマについて弁証できるとした。

   ・ アイザック・ニュートン(: 『プリンキピア』(1687)の著者アイザック・ニュートンは、宇宙が神によって秩序づけられている事を明らかにする諸法則(万有引力の法則、光学の諸法則)を詳述した。彼は、自然探求によって創造主の力と知恵を論証できると主張した。


 ・ 理神論; 合理的にキリスト教を解釈しようという思想。したがって、奇跡やイエスの復活や旧約聖書の預言の成就などは皆除かれ無理やり曲解される。

   ・ ジャン・ジャック・ルソー(フランス・1712−78); 人間の尊厳を強調。彼の著書である『社会契約論』によると、法も政府も神に立てられたものではなく、それらは統治される人民の意志に基づくものである、と主張し、1776年のアメリカ独立宣言、1789年のフランス革命の道を備えた。
 また、彼の教育論は子供達を社会の腐敗的影響を受けないようにし、彼らが学びたいことを自然に学べるようにすることであった。
 しかしながら、彼の対人関係は卑劣・貪欲で、現代の進歩的教育に影響を残しながら、5人の私生児を孤児院に預けるほどに偽善者であった。
 ルソーは、あらゆる存在の背後に合理的思想を超えている神秘を感じることが出来るとしたが、すべてを『良心と理性の法廷』に持ち出す事を主張し、教会の教義を否定した。

   ・ ヴォルテール(フランス・1696−1778); 神は崇敬され、礼拝されるものであるが、論じられたり、制度的宗教の対象とされたりするものではないとして、教会を痛烈に批判した。


              戻る