B 使徒・預言者による教会形成について:

            *  主として、02 9/23、24 マーク・フィサー師 預言者油注ぎコンベンションより


 1.御声の聞き方について;


 「わたしの民は知識がないので滅ぼされる。」(ホセ4−5) 
 この”知識”とは、ギリシャ語の原語では、”今、神が語っていることば”のことで、聖書知識の事ではない。

 「幻がなければ、民はほしいままにふるまう。・・・しもべをことばだけで戒めることはできない。」(箴29−18、19)
 聖霊様がことばに伴う必要有り。


 私たちはいろいろな方法で主からの御声を受け取っている。
 主のことを思い巡らしている時心の中にふっとくる言葉、礼拝や祈りをしている時に平安と喜びが伴う主のことば、みことばを通して確信が来る、夢や幻、あるいは、他の人を通しての預言のことば、環境を通しての主の語りかけ、などである。

 初めはぼんやりとした形で、しかし、主と共に歩むほど、神の御声に慣れてくる
 私たちは、神と一緒にいる時間を充分に取り、頭で考えず、心で静まって神のことばを待つ。そのために、静まることができる所に行くべきである。この時、主を愛し、礼拝するならば、神が語って下さる。
 私たちは、私たちの方から積極的に主の手をつかむべきである。
 主の臨在の中に押し入って、必死に求めてください。


 私たちに来る情報源は4つある。・・・1.神、2.自分、3.外側、4.サタン
 では、どのようにして聞き分けるか?。

 「私の羊は私の声を聞き分ける。」 (ヨハ10−27)

 主の御声を聞くことについては、識別能力は必要無いのである。ただ、羊飼いの近くに座るだけである。(多くの羊は崖っぷちにいる。)

 cf.  霊を見分ける力: 町や家の中の強い者を見分ける賜物
     あらゆるものを識別しなさい(Tテサ5−21): 預言に限らず、教理もすべての事について。


 預言の吟味は、心の中にキリストの平安イエス様そのもの)があるかどうかによる。イエス様は王の王、主の主であり、誰によっても立場が脅かされる事がないからである。
 神からその人に来る時は100%正しいが、その人から出る時は(思索、拒絶などにより)100%正確ではなくなる。神のことばは、子供やロバが語っても、神のことばである。教理ではなく、真理が自由にする。(*)


 *  すべての異端は真理のまちがった解釈から来る。今までの歴史において、預言者が教会を誤りに導いた事は無く、常に、にせ教師(時にはにせ牧師)から来た。
 ex1)  ただ聖書知識を握って御心が実現すると教えるならば、そのことでは何も起こらず、人々のみことばに対する権威は失墜し、人々は不信仰やなまぬるさに陥る。これは、サタンの高等戦術である。逆に、預言のことばや啓示のみことばによってわざが起こるのを見たならば、人々はみことばを尊敬するだろう。
 ex2)  迫害者は、ほとんどの場合宗教的偽善者たちだった。彼らは強度にサタンに束縛され、異邦人や政治家を扇動した。むしろ、占い師や手下の悪霊どもの方が正確に主をあかししたのは興味深い(実を結ぶものではないが)。


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