4. 終末のリバイバルの教会のあり方;


 AD300年頃までに、迫害の為教会は隠れるようになり多くの聖徒たちが殉教した。かわりに、にせの教会(ローマカトリック)が立ち、にせの組織(法皇−枢機卿−司教−司祭−・・・)が実施された。
 暗黒時代には本当の教会は隠され、真理が脅かされてきた。(ex)魔女裁判・・・ジャンヌダルクは神の預言者だった)
 ルターの時代になって、真理が来たので、考え方が自由にされ、社会全体が解放され、そして、国際的なリバイバルが来た。
 したがって、終わりの時のリバイバルの教会は、制度の上に建てられるのではなく、 真理の回復 → 考え方の変革 → 正しい生活 → 世界的な霊的覚醒 の図式になる。 (*)


 リバイバルの教会の持つ特性は、みことばから次の2つのようになる。

  (1) 礼拝と祈りの教会;

 「24人の長老は御座に着いておられる方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言った。・・・」 (黙4−10〜)

 24人の長老(= クリスチャンの代表、 cf. 4つの生き物は、御使いであると同時に、全被造物の代表)は、イエス様が封印を開ける時、その王冠が落ちたが、その時2つのものだけを持っていた。
   〜  1.竪琴 ・・・ 礼拝を表す、 2.香 ・・・ 祈りを表す(黙5−8)

 したがって、教会のあるべき姿は、全国民の祈りの家、また、礼拝する家である。


  (2) 戦う教会;

 「わたしに求めよ。わたしは国々をあなたのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。」 (詩2−8、 詩2 ・・・ 再び”きょう”、すなわち、終わりのリバイバルの予告を表す)

 「バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。」 (マタ11−12)

 今この時代、私たちは戦う為に召されている。(エペ6−12) ( ⇔ カウンセリングは聖霊様がする。)
 それは、兄姉のために、修復のために、見張り人として、失われた人のために、戦う戦いである。(ネヘ4−14、エス4−14) 私たちは、攻撃的に激しくなる必要がある。


 以上のような姿に教会がなるために、適切な土台を築き上げる必要がある。その土台とは、教理の事ではなく、私たちの心の動機である。


  *  預言によると、”日本のリバイバル”は世界的に重要である。これらは、一人一人のビジョンの大きさによって受けとめることができる。(人は、考えるそのとおりの人になっていく
 日本にたくさんの預言が来るが、上下関係や階級制度、文化や伝統の上に建てるならば、リバイバルしない。
 (イギリス、韓国にも、制度のゆえ、さばきが来る。)


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