1. たましいの建て上げについて
(1) 神と人の霊的構造;
ヨハネの福音書の冒頭から、もう一度、神と人の霊的構造を確認してみよう。
創造のわざが開始された時、”ことば”(ロゴス)がすでにあった。
−1、すでにあった・(ギ):エーン・未完了 = ことばの永続的存在を表す)
ロゴス(*)・・・・ストア派の哲学で、宇宙に内在する神的原理
ただし、ロゴスに”人格性”と”先在性”そして”受肉”が加えられ表現されている。
神(主=御父)とともに((ギ):プロス=共存する)住んでいた。この”神”という原文には定冠詞が無い。 すなわち、神である事が”ことば”の本質だった事を示す。(三位一体の”子なる神”、(−2、−18))
”ことば”は、神(御父)の御心に従って、天地創造のわざをもたらした”神の執行官”であり、万物はキリストによって造られた。(天地創造、コロ1−16)
いのち(=人の光)は、人間の人格的・霊的機能の源泉。(肉体的・動物的以上のもの) (−3)
・・・・本来、人間は神に似た形(霊的構造)に造られた。(創1−26)(**)
(やみは光に)打ち勝たなかった(−5、(ギ)カタラムバノー・心で把握する(悟る)+力で把握する(打ち勝つ)の両意)
したがって、 神の御心 → 御子のことば → 天地創造 のように、
私たちも聖霊様にあって、 心 → ことば → 力(再創造)
バプテスマのヨハネ:光についてあかし(−6〜8)し、人々を受肉したことばであるイエス様に向けさせる召命。(これが、旧約の律法の中で人ができる最高の使命(マタ11−11)である。)
−17で初めて明確に、”ことば”がイエス・キリストと同一視されている。御子イエス様は、御父と同一の本質であり、御父の語られる絶対的な言葉をすべてストレートに語るお方だからである。
したがって、信じる私たちも、ただ御子イエス・キリストの十字架によって、御父と永続的に共存する者とされ、また、イエス様と心が同じようになるようにされ、そして、私たちも共に神の創造のわざにあずかるのである。
* ”ことば”という語のギリシャ語には、”ロゴス”と”レーマ”の二つが用いられているが、原文では、それらが”聖書のみことば”を指すか、”神が今語っていることば”を指すかは、必ずしも明確ではなく、文脈から解釈するしかない。(チョー・ヨンギ師の著書では、ロゴスを前者、レーマを後者とあえて定義しているが、彼の言わんとしている事は十分理解できると思う。)
** アダムとエバの生活: 自分を見ず、主だけを見て、礼拝(夕拝(創3−8))という方法で主と親しく交わっていた。