(3) みことばによる心の建て上げ;


 「愛する者よ。あなたがたましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」  (Vヨハ−2)

 私たちは、まず自分自身のたましいが幸いでなければ、あらゆる成功や繁栄を、また健康を望み得ないのである。病気の90%は、”赦さない心”によって起こると言われている。


 「・・・・ あなたがたは、多くの種を蒔いたが少ししか取りいれず、食べたが飽き足らず、飲んだが酔えず、着物を着たが暖まらない。かせぐ者がかせいでも、穴のあいた袋に入れるだけだ。 万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。 ・・・ それは、廃墟となったわたしの宮のためだ。 ・・・・」 (ハガイ1−4〜11)

 私たちは自分自身の内側にある潜在意識によって、行動が大きく影響される
 これは、主に語られて従うことができるかどうかの重要なポイントである。
 だから、悪い考え方・否定的思索を変えなければならないのである。
 そのために、私たちのたましいに来る情報源を、毎日一歩づつ神のことばみことば)、また、イエス様に切り替える必要がある。このようにして、聖書のみことばによって、主の宮である私たちの潜在意識を建て上げていかなければならない。


 「(成長の段階が)若い者たちよ。神のみことばがあなたがたのうちにとどまり、そして、あなたがたが悪い者に打ち勝ったからです。」 (Tヨハ2−14後半)
 特に、霊の攻撃があった場合、すぐに、神のことばを告白する。これは、世界的な器も皆していることである。敵を喜ばせてはいけない。


   情報源が変わる → 心が変わる → 環境が変わる


 サタンは真理の無いものであり、自己中心であり、自分自身を土台としている。私たちは、すでに据えられているキリストを土台とし、みことばによってたましいを建て上げてゆくのである。(Tコリ3−10、11)
 この建物は、火や洪水の試練によってその真価が試される時、はっきりと差が現されてくるのである。 (マタ7−24、25)


 みことばに対する態度についても、みことばを恐れる(畏怖する)者が主に目を留められるのである。(イザ66−2)
 (聖書読みの聖書知らずや、主に祈っても主を知らない者にならないように注意!)


 「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。 あなたがたのが、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたのが御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」 (イザ59−1、2)

 や悪習慣は神との間の障壁となり、祈りが(十分に)聞かれない主な原因である。たましいが変わると、罪や悪習慣からの解放を切に願うようになる。これは主の導きの中にいて、一歩一歩主に従って行くならば、主の時に解放される。 (*)


 (*) ロマ7−21〜8−1: 信じて霊が救われた者は、心では犯したくないのに弱さのゆえに犯してしまう罪によっては、ただ恵みによって、決して罪(によるさばき)に定められる事はない
    主の正しい判断 ・・・「これは火(バビロン捕囚)から取り出した燃えさしではないか。」(ゼカ3−2))
    Tヨハ1−7、8: 初めから持っていた古い命令(律法)を、まことの光なる御霊によって守れるようになったから、(今、神の時に)新しい命令として書き送る。
    ガラ5−16: 旧約時代の律法 → 新約時代は、聖霊が律法である。聖霊様に従う時、(自動的に)律法の要求を満たす。
   (注1) Tヨハ3−6:罪を犯しません・・・1.(その人がきよめられる事の主の予知に基づく)信仰告白、 2.この書では特に、不信者の反キリスト的な特定の罪(主の命令である兄弟愛を否定する事)を言っている。
   (注2) ルカ3−10〜14:主の道備えをしたバプテスマのヨハネは、少なくとも自分の力で罪を悔い改めようとした人々は受け入れたが、全く悔い改める意志のない当時の宗教指導者たちにはバプテスマを授ける事を拒否した。
   (注3) 詩19−13: 大きな罪 = 傲慢の罪、 器に立たされてから、高慢になって聖霊に聞き従わなくなったならば、主の目に汚れた者として落とされる。(「聞き従わないことは偶像礼拝の罪」(Tサム15−23)、人間的な熱心が後になって国全体に影響(Uサム21−1、2)など)


   (参考のみことば)

 「私の口のことばと、私の心の思いとが、御前に受け入れられますように。我が贖い主、主よ。」(詩19−14)
 「神へのいけにえは砕かれたたましい」 (詩51−17)
 「心の貧しい人たち = (心から)神を尋ね求める人たち」 (詩69−32)
 「あなたの行く所どこにおいても主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」 (箴3−6)
     ・・・・ 状況ではなく主の深い計画を見よ。人を見る時も主の目で見よ。
 「あなたがたの従順が完全になるとき、あらゆる不従順を罰する用意ができているのです。」 (Uコリ10−6)
 「罪に従って私たちを扱うことをせず、」 (詩103−10)
 「預言者たちのたましいの神」 (黙22−6)


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