1. 使徒行伝における5職の働きから学ぶ事;


 (1) アンテオケ教会;

 バルナバとパウロは、完全に使徒としての働きに召されるまでは、アンテオケ教会に10年以上もいて、教師・預言者の奉仕などの正しい位置にいた。(使13)
 アンテオケ教会は、異邦人宣教・教会形成の出発点になる、聖書に書かれたモデル教会と考えられる。(書かれてある事は書かれていない事よりも重要度が高い)
 そして、現在は、1950年代以降の教師の時代であり、さらに、預言者が現れ始めている時である。
 (リック・ジョイナー師も、マーク・フィサー師も、どちらも、預言者+教師である。)

 聖霊の示しにより、パウロとバルナバが第1次伝道に遣わされた時、ローマ帝国内の異邦人社会に使徒的な教会形成の働きがなされた。この働きは、主の知恵によって教会が建てられ神の栄光が現される為に、全く人間的なものにより頼まず、主が備え、主が導いた、強いしるしと不思議が伴うダイナミックな宣教であった。
 この時、彼らはまず、どの町にもあったユダヤ教の会堂で説教あるいは議論し、ほとんどの場合、ユダヤ人たちによるひどい妨害を受けた。そのため、会堂から出て異邦人に福音を宣べ伝え、町ごとに次々と異邦人教会が建てられていった。教会の指導者や牧師に相当する人たちは、使徒たちによって長老として教会ごとに任命され、また、按手によって油注ぎが与えられた。
 このように、教会は、使徒的権威(マタ16−19)と使徒的油注ぎによって、全ての事を教え導いてくれる聖霊を受けたのである。

 私たちは、どのように建てるか注意しなければならない。 最終的な教会形成の働きは、既存の教会の仕事から発達したものではなく、キリストのみを土台として、主から直接召命を受けた使徒を中心とする、5職のチーム・ミニストリーによって行なわれなければならない。 ドミティアヌスがしたような全世界的な迫害の火がその真価をためす。
 (もちろん、私たちは現在の既存の教会にいて、正しく主に仕え、また、主からの訓練を受けていかなければならない。しかし、主の時に、既存の教会は主の御手によって、良くも、悪くも、その役割を果たし、また、黙示録の7つの教会の形で再配列する事になる。)


 (2) 教会の建て上げ;

 現代は5職の回復の時であり、もし教会が5職のチームによって導かれるならば、教会はイエス様に関する信仰・知識について一致し、試練に打ち勝ち、愛のうちに建てられ、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達する。(エペ4−11〜16、 これは、エペソのようなアルテミス神殿のある霊の縛りの厳しいところでもできることである。(日本の強い者:アマテラス))

 それぞれの教会員は、互いに自分や他人に与えられた霊的な賜物や奉仕を知っていなければならない。私たちの自然な体は、別々の各器官が組み合わされて機能するからである。(今日、多くの教会を見る時、伝道者は伝道者、教師は教師、預言者は預言者どおしが集まってグループを形成する傾向にある。)

 キリストにおける賜物の現れは完全である。個々の会衆は、地上におられた時のイエス様のようになるまで成長すべきである

 ex)  いやしの賜物を持つ者: 彼らのところに来る全ての人がいやされた。
     奇跡の賜物を持つ者: 食物を大いに増加させる。嵐や自然災害を止める。水上を歩く、など。

 神は、私たちのすべてに、お互いがお互いを必要であるように、イエス様の体を構成しているのである。


 (3) 5職の組合せ(チーム・ミニストリー);

 第1次伝道の時、パウロとバルナバはどちらも、なったばかりの使徒であった。これは、イエス様が12使徒を2人づつペアにして宣教訓練に送り出したことを思い起こさせるが、訓練ではなく本番であり、使徒としての権威と油注ぎが与えられているところが異なる。この場合、使徒たちは、正式な職ではないが他の4つの職の現れを兼務した。
 にせ預言者との戦い(13−6〜)、聖書によるユダヤ人との論争(13−14〜)、著しいしるしと不思議、聖書の土台の無い異邦人に対するあかし(自然啓示から特別啓示をあかし)(14−8〜)などが特徴的である。

 第2次伝道の時は、使徒パウロと預言者シラスの組合せであった。(テモテは伝道者ではない) この場合、聖霊様による語りかけや預言、幻に一つ一つ聞き従って宣教地に行ったり(使16−6〜)、預言的な奇跡(16−31、35)のような、摂理的奇跡がよく起こった。 
 使徒パウロが単独でアレオパゴスで演説した時は、自然啓示からのあかしをした。 コリントで再び合流した後、1年半以上滞在した時、霊的分業が行なわれ、パウロは教える事に専念した。(18−5) (パウロは後に、自分は「使徒、伝道者、教師として、主から任命された」とテモテに語っている。(Uテモ1−11))

 第3次伝道では、使徒パウロはチームを形成し、メンバーが同行したり、教会のフォローアップのために彼らを送り出したりしていた。(19−22、20−4)  この場合、教会形成というよりも教会成長の為だった。
 そして今回はアンテオケ教会に二度と戻る事はなく、特別に、使徒として単独でのエルサレムとローマでのあかしが導かれ、召命の時の主のことば(異邦人、王たちにあかしをする事)が成就してきた。  この導きは、パウロへの、 1.直接的な聖霊の示し、 2.宣教中の環境からの示し備え(@ アポロの伝道: 旧約聖書によりユダヤ人を論破しうることの示しと備え、 A アルテミス神殿の騒動: エルサレムでの騒動、また、ローマの強い者、 B ユテコの死と生き返り: パウロのローマでの殉教(と主の日に復活すること))、 3.エルサレム教会の預言者アガボの預言、 4.エルサレムでの主の直接の語りかけ、5.イタリア移動中、御使いが励ます、のように幾重にもなされた。


 (4) 各職の働きの説明; 
              (主としてリック・ジョイナー師のウィークリーメッセージ 02’8 による)


 使徒: 使徒のミニストリーは、機能ではなく権威である。パウロやペテロやヨハネは他の職の機能を兼ねる時もあった。 ((注) 天国における序列は、職によらず、与えられた賜物や状況の中でどれだけ主を愛したかによる) 
 使徒は、イエス様に会って直接任命を受ける必要がある 教会のモデルはイエス様御自身(ガラ4−19)であり、イエス様を近くで見て、教会設立にかかわる明確なビジョンを持たなくてはならない。それゆえ、他の人々を引っ張っての教会の中心的な設立者となるのである。 (制度的教会は、5職の召しの一つを持たなくても運営しうる。今日の教会における多くの混乱は、真実の使徒権限の不足による。)
 そして、人が考えも及ばない、神の知恵によって、教会が建てられる。(箴24−3、4、Tコリ2−9) 使徒は大胆なパイオニアであることが根本的な特徴である。
 使徒は成長するのに時間がかかる。(バプテスマのヨハネによる訓練、イエス様による3年半の訓練と悔い改めとペンテコステの油注ぎ、 パウロやバルナバもアンテオケで10年以上: 現在、イエス様から直接召しを受けてはいるが、教会にとってははみ出し者で、ひどいしばりの中にいるものも多い)


 預言者: 預言は誰もが語る事ができる御霊の現れである。(Tコリ14−31) しかし、預言者は主に任命された召しである。預言者とは、戦略的レベルで神のことばを受けるように召されている人である。 預言者の召しとその実際の働きとの間には、準備期間として数年の御霊の賜物の成長期間があった。
 聖書には預言者が預言を受け取る方法が多様な形で書かれてあり(印象、夢、幻、神の訪問・御使いの訪問の伴う言葉など)、通常は言葉とか幻などその預言者の固有の方法がある。
 また、預言者は、働きにあって、”知恵を持つ人”や”記者(律法学者)”と併記されているが(マタ23−34)が、知恵を持つ人(主からの良いアドバイスを持ってくる人、教会形成に影響する人、使徒も含む)などは、預言者の権限を持つ人と区別されなければならない。
 パウロは預言者ではなかったが、預言の賜物を熱心に求めていたので、預言的な示しが多くあった。


 伝道者: 聖書に、使徒が20人以上、預言者が数名いるが、伝道者は、ピリポ一人だけである。(テモテは、伝道者の仕事をするように言われたが、これは使徒たちも皆やっていることだった)
 ピリポは単独で動いていたが、著しいしるしと不思議が伴う伝道で、サマリヤの町全体を引っかき回した。(一つの都市のリバイバル) しかし、彼の働きは人々を救いに導く事に限定されている。教会に人々がつながり、建て上げられるためには、使徒たちのバックアップが必要だった。(聖霊のバプテスマ、使8) ピリポは教会を所有するつもりは全くなく、彼に与えられた使命の限度をよく知っていた。
 伝道者には、聖霊様に対する特別な敏感さと従順が必要である。(御使いと聖霊によって瞬間移動)


 牧師: 牧師と書かれている個所は、エペソ4−11以外に無い。
 ギリシャ語の原語では、牧師は”羊飼い”であり、単に羊を良い牧草地に導くだけではなく、羊を健康にし、また保護する仕事である。パウロがエペソの長老たちにした説教の中に、強暴な狼からの”保護”の仕事が含まれる。 教会には長老と使徒たちとのチームが存在した。
 良い羊飼いは、雇い人ではなく、羊を愛し羊の為にはいのちを捨てる。
 健康な群れの為の最も基本的な要素の一つは、ラバンの群れに比べてヤコブの群れが強くなったように、イエス様の十字架にあって水や飼料を与えるならば群れは次々と強くなり、十字架無しでは次の世代は弱くなる。(創30−31〜)
 もう一つの要素は、羊を愛するよりも、むしろ、主イエス様を愛する事である。(ヨハ21−15〜)そうすれば、真の牧会者であるイエス様が直接牧会してくれるのである。


 教師: アンテオケ教会には預言者たちと教師たちがいた。 今、教師の回復に加え、預言者が回復しているところである。 預言者の影響の無い教師は、ただ現実的で先のビジョンに欠く。教師の影響の無い預言者は具体的に何をすべきかを知らない。
 教師の基本的な態度として、他の誰よりも心に敏感(*)でなければならない。(御霊は神の深みにまで及ぶ(Tコリ2−10) 他のシステムやガイドラインを心の代わりにするならば欺かれる) 
 また、教師は知識(真実の愛)を分与し、彼ら自身を深く掘り下げさせる為に、人々をみことばに注目させる。


 それぞれの職の人々は、教会内の人々をそれぞれの職にあって強めていく。
 ex)  預言者は、預言を語るだけでなく、教会の人々が主の御声を聞けるように備えていく。
     伝道者は、自分で福音を宣べ伝えるだけではなく、教会に福音を宣べ伝えるよう備えを与え、失われた人々に重荷を持つようにさせる。
     牧師は、主の羊飼いの心を分け与え、どのように人々を助けるかを知るようにさせる。

 


 *  聖霊様の示しの霊的捉えの4段階; 
                  (リックジョイナー「ファイナルクェスト」p6〜10より) 

 1. 預言的な印象: 立派な主の語りかけであるが、感情、先入観、教義により左右されやすいので、この段階では、主はこう仰せられるというような事は言わない事。

 2. 清い良心に与えられる啓示: 執筆、説教 (これでもまだ、先入観や教義の影響を受ける)

 3. 開かれた幻: はっきり見えるので他の影響を受けにくい

 4. 恍惚体験(さらに高次元の預言体験として): 聖書の中の預言する者たちに共通(使10−9〜、使22−17〜)


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