6. 兄弟愛について; ・・・ 主としてヨハネの手紙第一・4章より


  「なぜなら神は愛だからです。」(Tヨハ4−8)


 この(4−8)の”神”には冠詞がある(ホ・セオス)が”愛”(アガペー)には冠詞がない。 それは愛が神の一特性であるのではなく、その存在の根底から愛であることを主張している。 神が愛するのは、その対象が主の愛にふさわしいからではなく、神の本質が愛だからであり、それ以外の理由はない。

 神は唯一であるが、聖霊の3つの現れがあって、それらが相互に激しく愛し仕え合っている存在である。
 (⇔ サタンはいかに能力があったにしても、動物のように単なる自己中心。 それゆえ、異端の霊は、この3位一体を悟ることができない。癌細胞は他の組織を養わず、それ自体の中心部は壊死する。)
 それゆえ、兄弟愛は、神の霊が与えられている、クリスチャンの本質的特性なのである。(単なる属性ではない)
 キリスト者が互いにアガペーの愛で愛し合うことのできる唯一の理由は、神が愛だからである。

 私たちの内におられる聖霊様によって、イエス様と御父は共にいてくださる。 だから、聖霊様に濃厚に満たされるほど、それに比例して、見せ掛けではない本当の兄弟愛も増し加わっていくはずである。(Tヨハ4−20) (注)同じ聖霊充満でも、濃い薄いがあり、わざが起こるかどうかでその目安がわかる。
 アガペーの愛は、世的な方法によってではなく、御父の御名の栄光を御子イエス様にとどまって知り続けること、すなわち、賜物によって互いに仕え合う事によって全うされる。(ヨハ17−26) ここに、具体的にわざが続けて起こされる事の重要性がある。

 互いに愛し合うことは、キリストの命令である。(ヨハ15−12) この兄弟愛のレベルは、偽り無く、はっきりと書かれていて、行ない真実によって愛さなければならない。(世の富を持っていながら貧しい兄弟を見て施さないならば、神の愛はとどまらない!。それほど本質的で重要なことである。(Tヨハ3−18、ヤコ2−5)) そして、それは重荷とはならない。(Tヨハ5−3)

 また、兄弟を心の内で憎む者はみな、人殺しであると言われている。(Tヨハ3−15) イエス様は、捧げ物(礼拝)をそこに置いてでも、まず兄弟と和解をしなさいと言われた。(優先順序(*)) わざが起こり始めると、カインとアベルのように、”ねたみの霊”が働く事に注意。(霊はずるずる引きずる力がある。) そのためにこそ、兄弟愛に堅く立ち、神の愛を十分受け取っておく必要がある。 兄弟愛が弱いと、そこからサタンにつけ込まれる危険がある。 ローマ時代の迫害は互いに訴え合う所から始まった。アウシュビッツの真の悲惨さは、ユダヤ人たちが互いにさばき合い殺し合う事にあった。

 逆に、兄弟愛の強い教会終末の大艱難期に守られる。 フィラデルフィア教会(黙3−10、フィラデルフィアとは”兄弟愛”の意)はスミルナ教会を助け、また共に殉教した人たちがいた。 テサロニケ教会は、「あなたがたこそ、互いに愛し合うことを神から教えられた人たちだからです。」と言われ、生き残って空中携挙にあずかる。Tテサ4−9、17)) 兄弟愛についての勧めが中心的に書いてあるヨハネの手紙は、ドミティアヌス帝の大迫害の時書かれた。 兄弟愛に満たされているとは、3位一体の聖霊様に強く満たされているリバイバル状態と同じである。

 愛は賜物にまさる。 憎しみや苦々しい思いや傷は放置しておいてはならない。それらがありながら、賜物を求めていくと、逆の霊が働くようになる。 賜物の成長は、品性の成長が伴わなければ危険である。
 にせ預言の霊の特徴は、悪霊特有の聞く耳を持たない自己中心により、兄弟を愛することができないことである。(Tヨハ4−6) なぜならサタンのうちには真理がないからである。(ヨハ8−44)

 真理とは神の愛である。 それは、主イエス様の愛と憐れみの目で見ること、釘で刺し通されたイエス様の手・足で行動することである。 そしてこれは、イエス様の御生涯の行動を学ぶ事によってのみ知ることができる。((ex) レビの大ぶるまい、断食よりももてなしの心(**)、サマリヤの女、姦淫の場で捕らえられた女、シモンをペテロと呼んだこと、裏切ったイスカリオテ・ユダに対する対応、・・・、そして、十字架上で敵のためにとりなしの祈り)
 教会形成はアポロやパウロではなく、キリストが土台である。だから、人間的なものではない事はもちろん、聖書という点においても、パウロ書簡や他の手紙よりも、福音書を土台としなければならない。

 私たちは地上におられた時のイエス様のようになるまで成長するべきである。


 *  優先順序について; 聖書的な心の優先順序は、(時と場合にもよるが、)次の通りである。(by. マーク・フィサー師)

 1.、 2.配偶者3.子供4.仕事、5.教会、6.お金を稼ぐ事

 ・・・ つまり、教会よりも、家庭、仕事のほうが心を占めていることが健全な状態である。


 ** ユーモアや品の良いジョークは、もてなしの心の一つの現れである。(by. リック・ジョイナー師)


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