2. 預言者職 と 牧師職


  (1) 預言者職:


  旧契約のもとでは、人々は預言者のところに行って導きを求めた。それは、ただ王と祭司と預言者だけが、神様の霊によって油注がれ、それぞれ自分の職務に就いていたからである。それ以外の人々は、生活の中で神様の臨在として形あるものは何も持っていなかった。神様の臨在は、ただ幕屋・神殿の至聖所の中に閉じ込められていたからである。

  ところが、新契約のもとでは、イエス様の十字架の死によって律法が完了し、至聖所への垂れ幕が上から下まで裂け、至聖所の中に閉じ込められていたのと同じ神様の臨在が 信じる私たち一人一人に臨み、私たちは内側に聖霊様を持つようになったのである。新契約のもとでは、私たちのからだが「神の神殿」となっている。(Tコリ3:16、6:19、Uコリ6:16)
  すなわち、私たちを導く神様は、私たちの内に住んでおられ、「だれでも、神の御霊に導かれている人は、神の子ども」(ロマ8:14)である。したがって、クリスチャンはだれでも、自分で神の御霊に従うことを学ぶ必要があり、旧約時代のように 預言者の奉仕を通していちいち導きを尋ね求める必要はないのである。もし、預言によって導きが語られるならば、それはすでに内側にあることの”確認”であり、その確認によって人を「励まし、慰め、建て上げるもの」((Tコリ14:3、4)として機能する。個人預言は、その人が主にあってどのような立場にいるのか、どのような役割りを持ち、どの部分を受け持っていくのかを明らかにする。
  (* もちろん、神様との新契約が成立していない”未信者”に対してはそうではない。)


  私たちの人生に超自然的な現れがあったとしても、自分の奉仕(ミニストリー)を、超自然的な現れの上に建て上げてはならない。預言者であってもなくても、それは、みことばの上に建て上げなければならない
  1947年から1958年までのアメリカにおける”いやしのリバイバル”の時、みことばではなく 霊的賜物の上にミニストリーを建て上げようとした人々が大勢現れたが、そのすべては曲がりくねった道を行き、結局 霊的ごみの山の上に行き着いたのである。このような器たちの多くは 現れては消えていった。

  肉によるパフォーマンスは絶対してはいけない。ミニストリーの時、何かのわざや演出をする義務がある と考える人々は、危険な崖淵にいることを知らなければならない。もしそう考えると、聖霊様の現れがないとき、自分で何かをなそうとすることになり、そこは踏み込んだら危険な領域なのである。肉で何かをなそうとするならば、みことばから離れるので、オカルトの力による惑わしに自らさらけ出すことになる。私たちは、聖霊様と ファミリアー・スピリット(=人に関することをよく知っている悪霊、占いの霊など、(cf.その人の人生で”慣れ親しんだ霊”とは異なる))との違いを見分けなければならない。悪魔は、神様のように全知ではないが、神を知らない人々(未信者、不信仰なクリスチャン)がそのまま歩み続ければ何が起こるかを正確に知っている。
  「聖霊様によらなければ、イエスを主と言える者は一人もいない」(Tコリ12:1−3)とは、聖霊様の現れがあるときは いつでもイエスを主とされる、すなわち、聖霊様は、注意を 人間ではなく、イエス様に向けさせる という意味である。注意をその器に向けさせ 人間を高めるか、それとも、人々を神様のほうに近づけるものであるか、で見分けることができる。
  したがって、主の臨在がそれほど強くない時は、無理にミニストリーをせず、みことばから説教を語るほうが良いのである。

  もちろん預言者は、鋭い預言や幻を語り、賜物(預言、知恵、知識、霊の見分けの啓示の賜物)を用いてのミニストリーを行なう。しかし、何よりも、預言者の第一の奉仕は、みことばを宣べ伝えること、あるいは、教えることである。
  バプテスマのヨハネは、預言をするというよりも、聖霊様のインスピレーションのもとで「神の国」を語り宣べ伝えた。また、アガボは、大ききんが来ると「御霊を通して知らせた」(使11:28)。預言者ヨナの預言的説教の賜物は、悪の権化の町ニネベを悔い改めさせたほど強力だった。
  また、油注ぎのために手を置くこと、および、いやしのミニストリーが、預言者の職務に伴う。旧約聖書の預言者たちやイエス様はこのような働きを行なった。


  アメリカでは、カバリング(霊的覆い)を受けていない預言者は信用されない。何の監督も受けず、全く単独で動く預言者というのはあり得ないのである。預言者・教師として立たされた後のケネス・ヘーゲン師は、息子さんが牧会する教会(レーマ聖書教会)で、牧会スタッフでもなく、その教会を治める助けもしないで、他の人々と共に集会を楽しんでいたそうである。ソン・ファニン師は、シェロ・ピスコポ師の監督のもとにあり、また、いろいろな理由で 預言者は牧会経験が必要である とも言っている。

  もし、預言者や使徒といわれる人が、人々の個人生活や地域教会のあらゆる面を支配しようとするならば、それは完全に間違っている。
  パウロが信仰によって建て上げてきた人々に対し、パウロは霊的父親であった。また、パウロは多くの教会を創設し、確立していった。しかし、彼はそれらの人々を支配するようなことはしなかった。(Tコリ4:15) パウロが使徒であるからといって、人々や教会に命じる権威が与えられていたのではなかったのである。地域教会の人々に対しては「牧師」が、牧師たちに対しては「監督」が、結局のところその機能を果たす。(それでも、牧師は「羊の世話をする」働きであり、イエス様が教会の頭である。)
  また、特別な聖会で奉仕した預言者、伝道者、使徒などは、ミニストリー終了後すぐにその場を離れ、人々をその地域教会の牧師にゆだねなければならない。人々に対して霊的権限と責任を持っているのはその地域教会の牧師だからである。
  預言者、伝道者などの巡回説教者は、奉仕者としての知恵とエチケットを持つ必要がある。ミニストリーにおいて、集会などの公の場で対処してよいか、プライベートに扱うかを判断する良識が必要であり、デリケートな問題にはいちいちそこの牧師の許可を得るべきである。牧師だけがそこの羊をよく知っているからである。




  (2) 牧師職:


  「もし、だれかが監督職を追い求めているなら、その人はよい働きを求めています。」(Tテモ3:1)

  牧師とは、神のことばで羊たちの世話をし、ケアをし、養う責任を負っている者である。
  牧師職ほど新約聖書で数多く言及され、教えられている奉仕はない。(cf. 使徒、伝道者に対する教えの個所は皆無、他もほとんど無い) 「牧師」という言葉は エペソ4:11に ただ1箇所だけ出てくるが、その同義語の「監督」、「羊飼い」、「長老」という形で数多く見出される、それほど重要な職である。 初代教会の初めでは、年齢・成熟・立場に関連して「長老」(年長者)として立てられていたが、奉仕の賜物が発展していくにつれ、「監督」(あるいは”司教”)という職務的な名前が用いられるようになった。(ギリシャ語の”エピスコポス”は”エペソ教会の「長老」たちに対しては「監督」と訳され、これは”司教”とも訳すことができる。) その後長い間、”制度的教会”が支配したが、ルターの頃からこの「牧師職」が回復した。(その後、順次、「伝道者」、「教師」、「預言者」、「使徒」の順に回復する)

  ・ 初代教会が”赤ちゃん教会”から成長・成熟していくには時間がかかる。20世紀初めのペンテコステ運動の頃、ある伝道者が夏季一ヶ所で説教し、約300人が救われ90人が聖霊のバプテスマを受けた。彼は「牧師」ではなかったが、その人たちと共に3ヶ月とどまり、教会を発足させた。彼がその教会を去った時、数年後に神様によって牧師がその教会に置かれるまで、その群れを監督するために数人の”年長者”が任命された。

  「「・・あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」・・・・「わたしの小羊を飼いなさい。」」(ヨハ21:15)

  牧師として、何よりも必要な資質は、羊飼いの心である。赤ちゃんのクリスチャンたちの世話をし、彼らをみことばによって養い、霊的に初めて歩き始める時に支えてあげ、群れに忠実で、羊たちに仕えるために人生の悦びのいくつかを犠牲にする、などのためには、この”羊飼いの心”が必要である。霊的成長という分野で、牧師は見るところによってではなく、信仰によって歩み神様の目で人々を見ていかなければならない。赤ちゃん段階の羊たちは、牧師が @ 適切な食事を与え、A 愛をもって彼らを扱うことによって、成熟していく。
  (ケネス・ヘーゲン師は、この”羊飼いの心”を持たない牧師が多いことを嘆いている。)


   地域教会の代用となるものは存在しない。牧師職は、教会の頭であるイエス・キリストが、地域教会に置かれたものである。地域教会は一つの教会家族である。テレビ伝道、インターネット、テープ、書籍などでは、人々はいくらか成長するが、それは偏りのある霊的成長となる。このような教師や伝道者が教会の代用となることはできないのである。牧師は礼拝の場に最後まで残り、カウンセリングや話しかけるなどの人々への対応をし、平日は信徒の家を訪問したり、あらゆる面でフォローアップしなければならない。それゆえ、この牧会の働きにより、当然のこととして報酬を受け取ることができるのである。このように、牧師こそ、地域教会の霊的な頭であり、霊的な監督権を持っている。

  一方、牧師は教会運営という日常生活面も扱わなければならない。(Tコリ12:28の「治めること」には、この両面がある。) 教会が大きくなると、霊的面をないがしろにしないために、この日常生活面の監督の仕事を他の人々に委任する知恵が必要になる。(使6:1−) ただし、間違いを避けるため、少なくとも牧師は経済面についてどんなことでも知り、いつでもチェックできるようにしなければならない。その上で、多く祈り、たえずみことばに浸って、最上の霊的食物を作り上げていかなければならない。

  牧師は”独裁者”になってはいけない。もし、牧師が人々の生活をコントロールしたり、自分が人々にさせたいことを強制的にさせようとするならば、おそらく会衆の半分以上失うだろう。
  たとえ役員会が日常生活面でも、霊的な面でも教会を運営したがっていても、彼らの教会政治を変えるべきではない。教会の政治形態を変革するのは、それが間違ったものであると感じられても、非常に慎重でなければならない。開拓教会は別として(それでも「主の教会」である)、牧師がどこの教会に赴任したとしても、一つでも矯正しようとしてはいけない。人はいつも他の人から教えを受ける態度で、奉仕の中で多くの経験をしてきた年配の奉仕者たちの言うことに耳を傾けるほどの良識を持っているべきである。牧師は彼らの構造を変えようとするのではなく、それにとどまる必要がある。
  神様が、一つの教会で何をなさるか、どのようにご自身を現されるかは、教会政治のあり方に依存しない。神様は、学術的に正しいとみなされる教会構造を持つことよりも、お互いに愛し合って一致して歩むことに関心を持っておられるからである。
  (* とりなしの祈りにあっても、人数ではなく、まさにこの”霊的一致”が 神様に聞かれる第一のポイントである。)

  ・ ”組織はよくない”と考えていたある単立の教会は、時が経つとどうしても何らかの組織や教会政治形態が必要であるとわかってきた。そのことを牧師が明言したので、教会は、組織を必要とする、しない で分裂した。しかし、分裂後のその両方の教会は、両方とも 人々が増え、聖霊のバプテスマを受ける人が大勢起こされ、いやしが起こり、神様は同じように祝福された。
  ・ 会衆が投票して牧師を選出する教団でも、神様のさまざまな祝福を体験している。
  ・ 基本的には健全な教えではあったが いくつかのみことばに一致しないことをも教えているテント集会が教会の近くで開かれていた。そこでその教会の牧師は、日曜礼拝の講壇から(独断的に)人々にその集会に行くことを禁じた。すると、その牧師は自分の教会を失い、奉仕からも退くことになった。(ケネスヘーゲン師は、何も言わず、その集会についても話題にもしなかった。信徒にその集会について聞かれた時にも知恵をもって答えた。その結果、だれも失わなかった。)

  「にせ預言者たちに気をつけなさい」(マタ7:15)
  にせ預言者とは、一つには、預言者と呼ばれる者で、教会を分裂させたり、牧師を困らせるようなやり方で公の場で預言する、成熟していない人たちのことである。公の場で牧師に講壇から降りるように預言したり、教会を傷つけ分裂させる預言をするなら、それは神からの預言ではない。巡回奉仕者が教会に対してよくない影響をもたらしたかなどの情報から見分けなければならなず、そのような者を受け入れてはならない。(ただし、個人的に敵対しているわけではない)


  さて、人々を牧会・監督するのは 人間ではなく 聖霊様である。(主の主任牧会とは、聖霊様による”超自然的な牧会”の意味: これは祈りだけの”放任”とは異なる。何らかのコミュニケーションの中でそれらは行なわれなければならない。)
  神様は、牧師のために、超自然的な備えを用意しておられるので、牧師は超自然的備え、すなわち、御霊の賜物(知恵のことば、知識のことば、異言、異言の解き明かし)をもって準備されるべきである。もし、与えられていなければ、牧師は求めれば与えられる。ただし、この賜物は、牧会に必要な賜物ということで、預言者職のそれのように鋭く働くことはない。

  ・ あまり教育を受けていない青年が、ケネス師の伝道集会で救われた。その後、聖霊のバプテスマを受け、さらに後に、宣べ伝えるために召されていると感じ、仕事をしながら週末に出かけていって説教した。彼は、自分の教会で受けた訓練以外は何も受けていなかった。まもなく、彼は奉仕への招きを多く受けるようになったので、仕事を辞め、フルタイムの奉仕者となった。その頃彼が出身した教会は無牧になり、3ヶ月間そこで牧師をするよう求められ、その後 そのまま正式な牧師となった。
  その奉仕を始めて4年くらいで、彼のカウンセリングは、非常に的を得ていて、彼がほとんど教育を受けておらず、正式な訓練を何も受けていないにもかかわらず、彼の口から出る奇跡的な知恵のことばなどは、明らかに神様が彼にお与えになったものであることに、ケネス師は驚かされた。彼は、その後同じ教会で引退するまでの40年間牧会を続けることができた。彼が、ある地域教会で質問された時次のように答えた。”牧会の最大の秘訣は、人々が助けを求めて来るとき、彼らにぴったりの答えをしてあげることです。”


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