6. まとめと今後の方向性




  (1) DNA系統分析のまとめ:


  日本人にY染色体DNAのD系統が多く、世界的にもチベット人だけがこのDNAをもっているが、他には世界のどこにもほとんど存在しない。日本人には、F、G、H、I、J のセム系のDNAは無く、ハム系のEも無い。ただし、エジプト、地中海沿岸にも多いE系統は、D系統と根元近くで分岐しているので、その分岐した民が、ある時完全に分離して、ある程度まとまった数のグループとしてチベットや日本にやって来た可能性が言える。
  ( * 通説では、縄文人としてのD2先住民説が言われているが、C14法の修正年代によれば縄文時代はかなり新しい。そこで、あえて逆説をとってみたい。)

  古代人のミトコンドリアDNAの分析(残念ながら検体数はそれほど多くなく、Y染色体DNAも分からない)では、日本の先住民(縄文人)と後の渡来人(弥生人)の大部分は(Dが無いと思われる)どちらも東アジア系である。ミトコンドリアDNAは変異しやすく配列の変化が激しいので、日本でも中国などでも多様化が進んでいる。したがって、縄文人と弥生人との区別がつかないのである。彼らは少なくともBC2000年以降、ノアの洪水後バベル(バビロン)から中国などに拡散してきた民の一部であるから異常な分布はしていない。
  しかし、現代日本人のミトコンドリアDNA系統分析では、アジア系とは全く異なるアフリカ・中東系のような別のグループが10数%もいることが明らかである。このことは、同じく現代日本人の、より変異の確率が小さいY染色体DNA系統分析において、より明確に現れている。そのため、現在日本に40%もいるD系統の民は、次の2つの段階で大陸から渡来してきたと考えられる。


  @ 縄文時代の中期以降〜弥生時代にやって来て、東アジア系先住民とは別のグループとして共存していた可能性がある。(これが、いわゆる神武天皇(BC660年)からの天皇家一族となるが、実際は、10代・崇神(すじん)天皇(BC97−BC68)が最初であり、C14法の年代修正によりこの渡来時代は縄文時代晩期〜弥生時代初期である。) その後、このD系統が支配階級になると、一夫多妻制(卑弥呼の時代は一夫多妻制だった)によってD2のDNAは急速にその割合が増していったと考えられる。このD2系統の民は漁労・狩猟の民だったので琉球から北海道南部にまでの沿岸沿いに広く住み着いた。(cf. すぐ後の中国・朝鮮系のO系統の移民は農耕民族だったので寒冷な北海道や東北にはあまり入らなかった。)

  A 古墳が巨大化し始めた時代には、秦氏一族が4〜5世紀に渡って、朝鮮半島から日本に渡来して、治水・土木・建築、養蚕・機織などの多くの大陸の技術を日本に伝えた。彼らは殖産豪族であり、経済力があり、大和朝廷(天皇家)に協力し、平安京の建設にも大いに協力した。(秦(はた)という日本の呼び名は”機織(はたおり)”から来ている)
  ここで、チベット系の(タングート、蔵人)が384年後秦を建国し、秦が陥落(417)した後の、その末裔が秦氏一族であるという説がある。この説によれば、秦氏は、マナセ族の末裔であり、ここからさらに日本でD2系統が増えていったと思われる。(すでに、BC231年に現在の中国の開封(河南省)にユダヤ人の居留区があった。)
  秦氏一族は渡来人のうちで最大の豪族であり、記録によると、応神天皇(15代)のとき120県(あがた)で数千人規模から、欽明天皇(29代)の時の戸籍によれば7053戸、家族も含めると3〜4万人にも増え、当時の人口の10%前後にはなっていたと思われる。平安時代以降は、あまり表立った動きをすることなく先住の人々の中に溶け込んでいった。


  一方、D系統がどのように発生したかについて、古代シュメール人が日本にやって来た可能性については、文化的考察(5000の神々をもつ宗教、楔形文字、乳製品を摂る食生活)や人種的な考察(目・鼻が大きい)から考えにくい。また、人種が混じってイスラエルからD系統の民に変ったことも、他のイスラエル支族にD系統がないことから考えにくい。そこで、次の可能性が考えられる。

  DNAの系統が分岐するということは、必ず何らかの突然変異が伴っているはずである。D系統とE系統の分岐の時を考えると、それは歴史のかなり初期の段階であり、ヨセフの子マナセとエフライムには特別な経緯がある。もし、隠れたYAPなどの配列がX染色体からY染色体へ移動する可能性があるならば、エジプト滞留中のヨセフの子であるエフライムとマナセには、その変異したアセナテ(DE*祖型)からのDNAがD系統として分岐ができ上がったことが考えられる。Y染色体遺伝子のX染色体と結合しない自由な部分は、ミトコンドリアのがらくたDNAほど変化しないが、ある程度の履歴が時間と共に蓄積されていく。
  これは、ノアの子孫がハム、セム、ヤペテから分かれ出た場合と同じである。


  日本の伝統文化、古神道天皇家の伝承などを見るかぎりにおいては、日本はきわめてエフライムとしてのイスラエル性が高い。日本人の本来のアイデンティティーは、仏教ではなく、日本古神道からのイスラエル性にある。同様に、チベットから出た少数民族の中にマナセ族の末裔を自称するユダヤ教徒が存在している。(日本の古神道のイスラエル性が秦氏に由来する可能性も否定できない。北海道アイヌには、弥生文化の影響はあるが、秦氏の影響は無い。) 日本とチベット、及び、それらに共通するY染色体DNAのD系統は、イスラエル10支族のうちのヨセフの子をあかしする可能性が大であると言えるのである。
  特に、沖縄では、仏教の影響が少なかったため、イスラエル性(旧約、新約とも)が色濃く残っている。( → 沖縄におけるイスラエル性 )

  また、アミシャブの調査によっても、(ごく一部アフガニスタンのアフィリディー(=エフライム)族などを除いて)D系統でないマナセ族、エフライム族の大きな集団は、現在まで世界のどこにも確認されていない



  以上を簡単にまとめると、次のようになる。

  1) 先住民はアジア系: 現在の日本人のミトコンドリアDNA調査の結果と異なり、古代人のミトコンドリアDNA調査ではアフリカ・中東系は観測されず、縄文人・弥生人ともほとんど皆アジア系であった。この先住民は、Y染色体DNAのアジア系のO系統(+C系統)に相当する。したがって、現在の日本人には、C、D、O系統しかないから、歴史上のどこかの時点で残りのD系統が入っていなければならない。

  2) 秦氏はチベット系マナセ族: 日本にユダヤ系(セム系)らしきDNAは0%であり、E系統も全く無いので、日本にイスラエル性をもたらしたのは、離散後のユダヤ人ではない。4−5世紀にD系統が入った唯一の可能性は、チベット系の羌族が作った後秦からの民のみであり、アミシャブの調査により羌族は代表的なマナセ族の末裔である。

  3) D系統の分岐(仮説): マナセとエフライムにしかないDNAの特徴であるD系統は、ヨセフ-アセナテの時の”突然変異”によって作られ、この古い時代にE系統と分岐した。

  4) 天皇家はエフライム族: イスラエル性を持ち、なおかつ、秦氏以外に日本へ渡来した民族は、秦氏以前に日本に来た崇神天皇一族しかない。マナセ族がD系統であれば、D系統は世界でチベットと日本以外に無いから、日本人のうち特に伝統的にイスラエル性を保っている天皇家は、その片割れのエフライムであり、D系統である。秦氏は北海道に行っていないから、アイヌ人にD系統が多いことは、天皇家が前もって渡来していたことによる。
     



  (2) 今後のDNA調査の方向性:


  まだまだDNA調査のデータが不足している。今後の調査の方向性として、伊勢神宮や天皇家の墳墓などの証拠品(三種の神器など)の調査はもとより、

   1. 天皇家、及び、そこから分かれ出た(男系)家系の人々の Y染色体遺伝子のDNA調査
   2. 秦氏の末裔の人々、アイヌ人のDNA調査
   3. マナセ族の伝承をもつチベット近辺の民族のDNA調査
   4. 同一個人におけるミトコンドリアDNAとY染色体DNAの系統の相関関係、 などの詳細なDNA調査結果が期待される。


  天皇は、途中で男系が切れているが、同族のD系統をもつ男性と結婚した、あるいは、その男性からつながっているならば、それはほとんど問題なく継続しているはずである。ただし、Y染色体遺伝子は、時々伝わらないことがあることも考慮に入れる必要がある。(女系天皇は、(奈良以前) 33代・推古天皇(592−628)、35代・皇極天皇、37代・斉明天皇、41代・持統天皇(690−697)、43代・元明天皇、44代・元正天皇、46代・孝謙天皇、48代・称徳天皇、(江戸時代)109代・明正天皇(1629−1643)、117代・後桜町天皇(1762−1770)の10回入っている。)
  宮内庁は、天皇家のDNA調査を今のところ拒絶しているが、これは伊勢神宮や天皇家の墓などの証拠品調査を止めているのと同じ理由、すなわち、天皇家がイスラエル性を公言することが国際問題になるから(イスラム圏からの石油供給の問題)であろう。しかし、時が来れば天皇家のイスラエル性が明らかになり、日本のリバイバルにつながっていくと思われる。

  秦氏の支族は、主に苗字によって見分けられるので、DNAを調べてみる価値がある。(読み替え系: 秦、畑、端、畠、波田、波多、波蛇、羽田、八田、半田、矢田、・・・ ; +野・山など: 秦野、畠山、畑川、波多野、畑中、廣幡、八幡、・・・ ; 全く違う姓になったもの: 服部(はっとり<ふくとりべ=機織)、林、神保、宗、惟宗(これむね)、田村、島津、長田、長蔵、辛嶋、小松、大蔵、依智(えち)、三林、小宅、高尾、高橋、原、常、井出、赤染、・・・。歴史上の有名人は、長 宗我部(ちょうそかべ・戦国時代の土佐のの武将)氏、薩摩藩の島津氏など。元総理大臣の羽田 攻(つとむ)氏は実家に系図が残っているそうである。)
  * 雅楽に代々従事する人たちは自分から秦氏の末裔と言っている。

  また、イスラエルの調査機関アミシャブによる、失われたイスラエルの末裔に対する今後のDNA調査には大いに期待される。(07年3月から日本人を調査する予定 ・・・ by. 06 12/6放送テレビ東京”日本のミステリーコード”みのもんた氏主演; 久保有政師、ラビ・アビハイル氏出演


     「ヨセフについて言った。「主の祝福が、彼の地にあるように。
     天の賜物の露、下に横たわる大いなる水の賜物、太陽がもたらす賜物、月が生み出す賜物、
     昔の山々からの最上のもの、太古の丘からの賜物、地とそれを満たすものの賜物、柴の中におられた方の恵み、
     これらがヨセフの頭の上にあり、その兄弟たちから選び出された者の頭の頂の上にあるように。
     彼の牛の初子には威厳があり、その角は野牛の角。これをもって地の果て果てまで、国々の民をことごとく突き倒して行く。
     このような者がエフライムに幾万、このような者がマナセに幾千もいる。」」
                                                   (申命記33章13−17節)



     「わたしは彼らの背信をいやし、喜んで(=自発的に)これを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからだ。
     わたしはイスラエルには露のようになる。(・・・海からの西風に乗った湿気による露、リニューアル)
     彼はゆりのように花咲き、ポプラ(=レバノン杉・大木)のように根を張る。
     その若枝は伸び、その美しさはオリーブの木のように、そのかおりはレバノン(杉)のようになる。
     彼らは帰って来て、その陰に住み、穀物のように生き返り、ぶどうの木のように芽をふき、
     その名声はレバノンのぶどう酒のようになる。

      (神とエフライムが交互に対話)
     『エフライムよ』
     『もう、わたしは偶像と何のかかわりもありません。』
     『わたしが答え、わたしが世話をする。』
     『わたしは緑のもみの木のようです。』
     『あなたはわたしから実を得るのだ。』」               (ホセア書14章4−8節)


                       戻る                 トップへ戻る