4. 十字架を負うという教理



  (1) 人としてのイエス・キリストの姿の描写


  ローマに寝返ったユダヤの歴史家 ヨセフス(37−100頃)は、かつての ローマのユダヤ代官ポンティオ・ピラトによる”尋ね人布告”に基づいて、地上におられたときの神の子イエス・キリストを次のように記述している。

  ”彼は、魔術的力をもつ一人の人間。彼のことを、一部のギリシャ人は”神の子”と呼び、彼の弟子は”真の預言者”と呼ぶ。彼は、死人をよみがえらせ、すべての疾病を癒すと言われた。 性格と形は人間。背は低く、3キュビト(約153cm)。せむしで、顔長く、鼻長く、両まゆはつながっていた。髪の毛は真中から分け、あごひげは無い。・・・”

  ヨセフスは、正直にこのようにローマに報告し、特にイエス様を特徴付けるものとして、”魔術的力”、すなわち、著しい癒しの能力を真っ先に挙げている。イエス様の奇跡としるしのうわさは広く伝わっていた。しかし、イエス様は、外見上は特に麗しい姿をしていたわけではなく、イザヤ書53章の予告の通りである。
  ( cf. 後のキリスト教徒による言い伝えは、かなり自分たちに都合の良いように理想化され、たとえば、
  ”赤っぽい皮膚、中背で6フィート(183cm)、体格は立派で顔は神々しい。形の良い鼻、黒い美しい眉、おだやかな青く美しい目、髪の毛はカール、あごひげはふさふさしている。・・・”となっている。)


  人として来られた神の子イエス様は、外見上はどうみても見栄えのしない普通のユダヤ人であり、彼が神の子であることを人々に証明するのは、具体的に現れた著しい奇跡としるしだけであった。

  * ”神が善であれば、なにゆえ神はかくも多くの災厄を人間にもたらすのか?”という問いは昔からあり、その答えとして、ユダヤ教によると、”アダムは罪を犯した。だからエデンの園から追放された”になる。しかし、パウロが述べ伝えたキリスト教では、これに加えて、”イエスは人類の罪を身代わりで贖った。イエスは復活し、終末のハルマゲドンの後、イエスの信者は永遠に生きる”という教えで広く知られた。



  (2) 信仰の歩みに伴う十字架


  神様は語った言葉を必ず成し遂げる。試練に遭っても、神の言葉にしっかりと立ち、信仰に踏みとどまっているならば、神様はその人が倒れてしまうことを決してお許しにならないのである。

  ・ チョー・ヨンギ師の教会堂建設:

  韓国のダビデ・チョー・ヨンギ師は、1969年に、神様が明確に彼の心に語りかけ、1万人収容の教会堂(当時12億円)を建築するよう示された。当時、韓国政府はヨイド島の再開発計画を持っており、国会議事堂の前に一つだけ教会が建てることになっていて、いろいろな教派や他の宗教からの申し込みが殺到した。経済的にも、(品位の無いとみなされていた)ペンテコステ教派ということでも、全く不可能に見えたが、聖霊様に語られ、ソウルの副市長の家族の人が救われ、副市長が許可を与え書類作成もやってくれた。
  ところが、建築が始まると、ドル暴落が起こり、建築費は値上がりし、さらに石油ショックで銀行は一時的に閉鎖し、教会員たちの多くが失業した。建設会社は値上げ分の支払い不履行で彼を告訴し、請求書は山のようになった。教会の働き人は給料がもらえないので次々と教会を去っていった。すでに家を売り払っていたので、彼の家族は建設中の電気も水道もガスもない付属アパートに飢えて寒い思いで暮らした。そのときチョー・ヨンギ師は初めの神の言葉を疑った。自殺しようとすると、再び主の言葉があり、耐え忍ぶべきことを語られた。死ぬことも許されず、彼は 建設中のまま放置されていたコンクリート剥き出しの牧師室に行き 一人もだえ苦しんだ。
  そこに奇跡が起こった。その”奇跡”は天からお金が降ってくるという類のものではなく、神様が 去っていった信徒たちの心に牧師を救う思いを与えられ、実に犠牲的な方法で彼らが自発的にささげたのである。ある女性は髪の毛を売ってささげ、80歳になる老婆は持っていたわずかの家財道具を売ってささげた。これが”牧師救済運動”の火付け役になり、信徒たちは、一年分の給料をささげ、持ち家を売ってささげた。そして、ついにローンの支払いができるようになり、一年後には教会の運営がすべて回復した。
  12月31日を支払日とした約束手形を振り出した時、銀行(当時12月31日まで開いていた)に1500万円の小切手を切るように支店長に談判した。銀行は非常に込んでいたが、彼はいにしえの信仰の勇士たちと同様に 聖霊様に満たされて大胆不敵な者とされ、多くの客がいたにもかかわらず最優先で支店長と交渉し、支店長にも聖霊様が働き自ら彼の首をかけて、全く不可能と思われた小切手を銀行の閉店ぎりぎりの午後6時に切らせた。  ( ・・・・ チョー・ヨンギ著 『第四次元』・5.アンデレ学校 より)

  * メル・ボンド師も、信仰によって、たったの1ドルで、人口3000人のウェンツビレの町に、1200人入る会堂を建てた。(当時40人程度の礼拝出席数だった。) 雨が降り続き、献金額が減り、苦境に立たされたことがある。( → あかし



  (3) 終末に守られる教会


  黙示録の異邦の7つの教会は、終末におけるすべての異邦人教会を表わし、それぞれが代表してその類型を表わしている。
  その中で、唯一、フィラデルフィア教会だけが、教会単位として、「全世界に来る 終末の試練(誘惑)から守られる」約束が書かれている。その理由は、「(信仰の試練を通しての)忍耐について語られていたことばを守った」から、すなわち、信仰の歩みにおいて 神様の前に”合格点”を取ったからであり、大艱難期における苦しみは必要ないからである。(黙3:10)
  その他の教会、たとえば、世の終りの全体的な教会の代表と言われる ラオデキヤ教会にもその約束は特に書かれていないので、終末の反キリストによりほとんどが殉教する運命にあると考えられる。 もちろん、福音書によれば、ユダヤ人クリスチャン、異邦人クリスチャンを問わず、個人レベルで、主のみことばに従って行動すれば守られる約束が与えられている。リバイバル状態は”守りの箱舟”である。(マタ24:16−18)

  ここで、通説によると、大艱難期の直前に、多くのクリスチャンが艱難に遭わないように空中携挙されることになっている(いわゆる艱難期前携挙説)が、聖書的に見ると甚だ論拠が弱い。
  ”携挙”という言葉は聖書には出てこないが、キリストの再臨に伴って起こるさまざまな出来事を表わす一つの”現代用語”である。この教理は、1830年以前には存在しなかった教理で、ある婦人(スコットランド出身のマーガレット・マクドナルド)が見た幻を何人かの神学者が宣伝したものであり、有名な説教者においても賛成反対が分かれた。(賛成:スポルジョン、ジョージ・ミュラー、チャールズ・フィニーなど、反対:ジョン・ウェスレー、ジョナサン・エドワーズ、マシュー・ヘンリー、など)
  福音書や黙示録の全体的な構成から、艱難期前や中の携挙はあり得ないと考えられる。Tコリ15:51−54、Tテサ4:15−17の一部のみによって艱難期前携挙説を裏付けることはできない。



  (4) 天国における地位


  主のさばきの御座の前に立たされた時、生前、どのような働きをし、どのような実績を上げたかは問題ではなく、いかに与えられたものに忠実であったかのみが問われ、天国における地位が永遠に確定する。それは、イエス様が「忠実」また「真実」であられる(聞き従いと十字架)のと同じである。(黙19:11)
  リック・ジョイナーが天国で見た、極端に違う2人のあかしを見ることにする。

  ・ 歴史上著名な宗教改革者の夫妻は、天国で最下位の「雲のような証人」の中にいて、立ったままで座ることが許されていなかった。(それでも、彼らは神々しく麗しかった。) 歴史を通じて語り継がれるほどの彼がなぜ天国で最下位だったのだろうか? それは、神様によって始められた働きを、人間的・政治的な方法で行ない、教会を”強制収容所”のようにしてしまい多くの悪い影響を後世に残したからであった。歴史の記述と実際とはかなりかけ離れていた。
  ・ 一方、浮浪者だったアンジェロは、最高の地位である「天国の玉座」に座っていた。彼は、与えられたわずか3つの賜物を最大限活用し、猫を傷つけないように脚で遠ざけ、今までしていた盗みをやめた。そのため食料が乏しくなったが、空き瓶などを拾い集める仕事をしてわずかなお金を作り、自分よりも仲間を助け、(彼は生まれつき おしだったが読み書きができたので)トラクトを購入して人々に配った。彼が生涯に伝道して救われた人はたったの一人(浮浪者の老人)であったが、彼はダンボールで祭壇を作り主を礼拝していた。天国で彼を受け入れる決定がなされ、彼は餓死して召された。主は、彼の死を”殉教”とみなされたのである。


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