4.教会分裂の背景
最近ハーザーなどで、SJ教団の分裂騒動の事が取り沙汰されている。(実は筆者もこの教会に1年間所属したことがあるので、これを記述したい。)
初期の頃のメッセージテープを聞いたところ、主の御声に聞き従う内容ですばらしい主の臨在が在った。この頃は皆良く祈り、変な上下関係も無く、また、日本ではまだカリスマが珍しく迫害もある程度あったので、必ずしも御声に聞き従っていなかったが(例えば、PA師と同じ神学校で学んだ牧師の証言によると、国分寺に教会を作ったのは人間的なプランであって、神の御声に聞き従っての事ではないとのこと)、主はこの教会を助け、聖霊様のわざも起こっていた。私もある程度勉強になったと思う。
しかし、1つには、霊的に偏っている信仰の元MO牧師の影響が大きかった。彼は良く祈り、霊の見分けに優れていたのであるが、「捜せ、そうすれば見出す」のみことばの通り、悪い霊ばかり捜すのでその霊が来てしまうのである。(悪霊は、戦うために出くわす事があっても、探してはいけないものである。神の霊や主の栄光のわざ、すなわち御国は熱心に探し求めるべきであるが。) また、あまりにも霊が良く見える事による、恐れの為引いてしまい、霊に立ち向かう信仰が弱いので、霊が当たって痛いという異様な信仰(アタック信仰)になっていたのである。彼は途中でおかしくなり行方不明になった。この教会で預言の訓練をしすぎて精神的におかしくなる人が多いのは、この”逆の信仰”の流れが未だあるからではないかと思う。
もう一つは、PA牧師の権威・秩序の乱用で、民を支配するものである。これは、「上に立つ者は仕える者のようであれ」に反する。基本的に牧師が、聞き従いを語るが、実際の所、自らは聞き従っていないで、他の人に、神様からの言葉であるとうそをついて、人間的な事を命令しているのである。このような制度的な環境下では、宗教の霊、にせ預言の霊、イゼベルの霊などの逆の霊も働きやすいし、真の器を迫害して殺すものである。(これは韓国から来た一部の間違った教会制度のパターンと共通するものがあるように思われる。) 預言の賜物は熱心に求めるべきではあるが、キリストの愛に基づいて正しく運用するべきものである。人々を洗脳する目的で、人間的なことばを預言、あるいは権威あることばとするならば、それはカルトであり、大きな罪(傲慢の罪)である。(傲慢と聞き従いとは紙一重である(リック・ジョイナー)) 人々を牧師として遣わす時も、品性や賜物が充分成長していないで遣わされている場合も多い。PA牧師の夫人も、初期は正しい預言をしていたが、最近はカトリック時代に元々あった精神病が戻ってきたそうである。したがって、現在は聖霊様が去り、わざが起こらず、後遺症も残っている状態といえる。
これはSJ教会に限らないが、制度的な教会では、精神病の人も余計悪くなる傾向にある。牧師信仰や組織・教団・教理を主よりも重んじるような信仰は、偶像崇拝である。ポイントの所で、主の御声に聞き従わない事は、偶像礼拝(悪霊が背後にいる)や占い(悪霊に聞く)の罪である。主に聞き従う事は、全焼のいけにえ(献身)やその他のいけにえ(奉仕)にまさる。(Tサム15:22、23) 人間的な意見を言う場合は、主のあわれみによっているのであって、その範囲でするべきである。(Tコリ7:25) パウロはそれらを区別して語っている。
ユダヤの祭司長の7人の息子は巡回魔よけ祈祷師であり、当時、魔術がはやっていた。(使19:13〜20) 律法的クリスチャンの霊的子孫の行く先はどうなるのだろうか?
また、みことばの解釈が間違っている教理を強調して、”みことば”が敵に押さえられている場合、その人やその霊的子孫から、その分野のにせ預言や逆の霊的な働きが出て来やすい。(例えば、確定されていない終末論や終末預言の分野で、これが絶対正しいと主張する類のもの) みことばを曲解するならば速やかな滅びを招く。
これらはすべて、マタ7:7の品性で見分けられる。敵はこの品性という点でしっぽを出すのである。サタンは力や賜物を真似することができるが、神の愛という品性は真似することができない。
リック・ジョイナーは、”敬虔の奥義”と”不法の秘密”については、極端な教義を生み出す危険性があるので、語らない、と言っている。(パッションにも注意が必要、むしろイエス様が偉大な神の子であることをもっと体験的に知った方が良いと思われる。単に残酷な事件は歴史上枚挙に暇がない。)