2. ノアの箱舟の遺跡:


   「箱舟は、第七の月の十七日に、アララテの山々(=複数)の上方(水の上)(碇を下ろして)とどまった。」(創世記8:4)

    


  (1) ノアの洪水が本当にあったことの証拠と 各地の伝承:

  「ノアの洪水」の出来事は、(将来の1000年王国時代も含めた)約7000年の全歴史における、神による最初の「さばき」としての位置づけとなります。 このとき、急速に堆積した土砂により 「化石」が形成されました。 生物の遺骸は長い時間大気や水にさらされると完全に腐敗・風化して消滅してしまうので、瞬間的に土砂に閉じ込められない限り化石とはなり得ません。 もし現在までその形をとどめている化石があるとすれば、ノアの洪水のときに、ほぼ同時に、全地球レベルで、瞬間的に土砂に閉じ込められて形成されたものであると考えられます。

  また、大洪水に伴って、上空の厚い水蒸気層が無くなったことによって、宇宙からの有害な高エネルギー中性子線が地上に届くようになり、900歳代などであった人の寿命は大幅に短くなりました。
  炭素14(14C、半減期5730年)は、この高エネルギーの中性子と 既存の炭素12によって作られます。そのため、化石のC14法による年代測定は、生物死亡時の大気中の炭素14の割合が 時代によらず常に一定という暗黙の仮定での話なので、ノアの洪水直前に閉じ込められたものは炭素14をほとんど含まず、何万年・何億年と、著しく古い時代であるかのように観測されます。 実際は、約4000年前です。  →  (1) 炭素14法の修正:


  大洪水があったことの聖書以外の伝承については、次のようなものが挙げられます。

   イラク・ニップールの大洪水物語の石板、BC2000年:(楔形文字BC2000、cf.シュメール象形文字BC2600)
  ・・・・・ ”7日7夜、洪水が陸地を荒れつのり、大船が大水の上を弄ばれた後、(太陽神)ウトウが現れ、天と地に光を注ぐ。”

   「ノア」という人物・名にかかわる大規模な洪水と箱舟の伝説は、環太平洋諸国の各地にも存在します。

   ハワイ: 「ヌー」という人が救われるためにを作った
   メキシコ: トルティック・インディアンは、天地創造から1716年目に洪水が起こった(聖書の記述に近い)
   中国: 中国文明の建設者の一人「フーヒ」が、彼の妻と3人の息子夫婦と共に舟に乗って、救われた (8人: 「船」 という漢字は、 「舟」 に 八+口(人))

  カルディアのウルの地、シュメールには、アブラハムの時代であり大洪水の後。 しかし、(↓)

   (他の人の参考意見) ほとんどの古代近東の学者は、他のメソポタミアの洪水の物語との否定できない直接的なつながりを見つけており、さらに具体的には、キシュとシュルッパクの考古学的証拠は、かなり広範囲にわたる壊滅的な洪水イベントの紀元前2900年から2800年頃の年代を裏付けているようです。おそらく、ギルガメッシュ叙事詩で言及されているものと同じで、それが聖書の洪水の物語の起源である可能性が高いです。ノアとウトナピシュティムは非常に強い類似点があり、物語の具体的な言語表現でさえ、ギルガメッシュの以前の物語から借用されたことを強く示唆しています。これには、それぞれの物語の船の平方フィート数も含まれており、丸めたり、わずかな測定の違い(誰が変換しているかによって約4〜5%の範囲)の範囲内にあります。


  (2) ノアの箱舟発見の経緯:

  創世記に書かれている「ノアの箱舟」の記事により、トルコのアララト山(標高5137m)の近くに箱舟の残骸があると考えられてきました。
  ある説によると、アララト山腹に 火山灰と雪に覆われた、木でできた遺構物があって それがノアの箱舟であると主張する人もいますが、アララト山は 火山性の山で、1948年に山の東北側が大噴火し、また木の構造物の中に藁(わら)がありますが、藁や木が4000年も経ってこのような状態で残るはずがなく、この説は明らかに間違いです。

  みことばによると、ノアの箱舟は アララト地方の「山々」の地の 水の上にとどまった、とあります。 (ヘブル語で「ハーレイ山々、丘丘)」は 「ハル(山、丘)」の複数形)

  1959年に撮られた航空写真から、アララト山から南へ30km、標高約2000mの所に、船の形をした地形の盛り上がりらしいものが発見され、この写真が 1960年9月5日号のライフ誌に載りました。 これを受けて、アメリカから調査団が派遣され、箱舟の構造材などがあるかどうかを1日半調べたが、特に何も見つからなかったので、間違いだとして引き上げました。

  1978年に この地域で大地震が起こり、周囲が沈下して 箱舟の側面が現れました。 それから、テネシー州のナッシュビル出身のロン・ワイアット氏(Ronald E. Wyatt、アマチュアの考古学者を自称していた 看護麻酔科医セブンスデー(異端)の教会員)をはじめとする調査員たちが、約10年間、24回も現地に来て調査しました。

  2010年には、カメラを取り付けたドローンを飛ばし、上からの写真を撮りました。(↓) それは はっきりと舟の形に盛り上がった 特徴のある姿でした。

 


  (3) 各種調査結果:

  @ 構造物跡の位置と寸法:

   「箱舟の長さは三百キュビト、その幅は五十キュビト。 その高さは三十キュビト。」 (創世記6:15)


  遺構物の位置は 長い間に泥流によって流された跡があり、実際にあった位置は もう少し上のほうと考えられています。

  聖書には、ノアの箱舟は 長さが300キュビト と書かれています。 創世記を書いたモーセは、エジプトのあらゆる学問に精通していた(使徒7:22)ので、用いたキュビトの単位は エジプト王室のキュビト(=52.4cm、最古のキュビト)であり、バビロン捕囚後の短くなったキュビトではないと考えられます。 (cf. 第2神殿再建のとき、無に等しい(あまりにも小さい)(エズラ3:12、ハガイ2:3)、エゼキエルの神殿の幻、長いほうのキュビト=短い1キュビト + 手の幅 (エゼキエル43:13))

  実際に測定したその遺構物の 長手方向の位置は、先頭部: N39゜26.475、E44゜14.108、 最後部: N39゜26.395、E44゜14.071 であり、その長さは 157.1mでした。 それは、聖書の 300キュビト × 0.524m = 157.2m と、完全に一致しています。

  幅のほうは、側面が崩れて広がっており、 元々 50キュビト × 0.524 = 26.2m あったものが、 42.06m になっています。

  これ以降、柱と梁の構造やリベットなどの金属部品、横穴を開けた所からの木片や猫科の動物の毛などの、ノアの箱舟を特徴付けるものが次々と明らかになっていきました。


  A 金属の測定、分析調査:

  鉄を含む金属類は、金属探知機によって調べられ、箱舟の梁と板の構造に沿って、全体に規則的に並べられていきました。(下のテープを張った写真) また、腐食した鉄材が作る磁場分布についても測定され、ちょうど舟の周りを取り囲むように観測されました。 また、地中レーダーによって、地層の構造や 何が埋め込まれているかを調査して、珪化木などを発見しました。

  露出している金属部品は比較的容易に採取され、一枚の板に6本埋め込まれたリベット(可塑性のある大きな釘)の成分が分析され、驚くべきことに、電解精錬でなければ決して作ることのできない軽金属(アルミニウム、チタン、マグネシウム)が検出され(=アルミ青銅の一種)、高度な精錬技術がすでにこの時代にあったことが証明されました。


   「ツィラもまた、トバル・カインを生んだ。彼は青銅と鉄のあらゆる用具の鍛冶屋であった。」(創世記4:22)

   「「これを見よ。 これは新しい。」と 言われるものがあっても、それは、私たちより はるか先の時代に、すでにあったものだ。」(伝道者の書1:10)


  しかし、どんなに文明が発達しても、「人の心に思い計ることが悪」(創世記6:5)ならば、ついに神のさばきによって滅ぼされるのです。

   「その時の世界は、みことばによって、水に覆われて滅びました。 しかし、今の天と地とは、同じみことばによって火に焼かれるために取っておかれ、神を畏れない人々がさばかれ滅ぼされる日まで、保たれているのです。」(Uペテロ3:6、7)

 
  B 木材、錨石の分析調査:

  地層レーダーによって発見され、掘り出された デッキ用と見られる化石化した木材(0.6%の有機炭素を含む)は、分厚い合板のように3層に貼り合わせた構造になっていました。木材の加工技術も、金属精錬と同様に、かなり高度だったことがうかがえます。木材の周りはピッチで覆われ防水構造になっています。


   「箱舟は、第七の月の十七日に、アララテの山々の上方にとどまった。水は第十の月まで、ますます減り続け、第十の月の一日に、山々の頂が現れた。」(創世記8:4、5)

  この「とどまった(ヌワク(ヘ))」という表現は、山々を覆う水の上にある時、ロープにつなげた複数個の 石の錨(いかり)を下ろしてその場所に係留することを意味しています。 ロープを通すための穴があけられた 大きな石が、少し離れたところにいくつも転がっています。 その石には、5個、または8個(=ノアとその家族の数を表す)の 十字架が刻まれています。(これは後世に刻まれた可能性があります。)
  そこにも、化石化した 明らかに人工物の大きな木材があります。木は、腐って無くなるか、炭化するか、地中に埋もれて「珪化木」・・・珪酸(シリカ、SiO2)コロイドを含む水が木の細胞内に浸透して石化する・・・になるか、のどちらかです。

 



  (4) ビジター・センターと最近の様子:   ・・・・ 正式名: ノアの箱舟 公園  ドゥルプナーサイト ビジターセンター

  さて、ロンワイアット氏について検証しなければなりません。 地質学者のイアン・プライマー教授は、ワイアット氏が箱舟が含まれていると主張した場所を訪れ、彼が主張したさまざまなレーダー、地震、磁気、電磁気テストを繰り返すことは不可能だと述べています。 ロンワイアット氏は、彼の所属する異端の母教会であるセブンスデーを持ち上げているのでしょう。 米国福音派を中心とする創造論の団体も、彼が異端だからということで、懐疑的に扱っています。 ノアたちが箱舟から出た後、家を作るために舟を取り壊したはずだと 言っています。
  探検家ロンワイアット氏が主管して調査を行なったような話の割には、彼の名前が出て来ません。 ロンワイアット氏が詐欺師である可能性もありますが、アマチュアの自称考古学者に過ぎないことは間違いありません。 しかし、このノアの箱舟の件そのものについては、トルコ政府も認めていることで、これだけは 彼が初期に一部参加したことだけは事実のように思えます。

  現在では、この船形遺構は、トルコ政府公認の国宝となっていて、箱舟遺跡のすぐ近くにビジターセンター(1989−)が作られ、貴重な資料などが展示・保管されています。 これは、発掘調査の記録を展示する小規模なビジターセンターです。 地政学的に危険な地域(イラン、アルメニア国境、クルド人の町もある)であるにもかかわらず、毎日日帰りツアーが企画され、観光案内所を兼ねて5名が常駐して管理しているそうです。観光客は結構訪れているようです。




  この、トルコ東部のアララト山南方にある、船の形をした自然の地質形成は、1959年にパイロットのイルハン・ドゥルピナールにより発見されたので、ドゥルピナール遺跡とも呼ばれています。聖書に記されたノアの箱舟の痕跡ではないかと長年議論されてきましたが、近年、地中レーダー調査により人工的な構造物や洪水を示唆する証拠が示唆され、再び注目を集めています。 現在は、非破壊検査以外はできないようになっています。

  「ノアの箱舟スキャン」と呼ばれるプロジェクトに関わる考古学者らは、2021年9月、トルコ東部のテンデュレック山近くにあるこの船の形をした地形を地中貫通レーダーで3Dスキャンしたところ、異常な形が確認されたことを報告し、旧約聖書に記載されているノアの箱舟の「正確な長さ」と一致するとしています。
  「ノアの箱舟スキャン」の研究者らは、2014年19年に実施された民間の地球物理学的調査により、「地面の下にある層と興味深い角状の構造」が示されたとし、「新しい地中レーダー調査(GPR)のデータでは、8〜20フィート(約2.4〜6メートル)下に平行線や角張った構造物が見られます。」と説明しています。
  さらに、「地面の下のこれらの平行線と角は、自然の地層では見られないものです。興味深いことに、この船の形は、聖書(創世記6:15)に記されている箱舟の正確な長さであることも確認されています。」と報告しています。 また、イスタンブール工科大学のチームも、2021年からこの調査に加わり、さらに調査が進められています。


        トルコ政府のビデオ: 3D images of Noah's Ark to be shown in documentary

       観光開発があまり進んでいませんが、近々この辺りに「ノアの方舟ミュージアム」ができる予定です。 近くの町、ドウバヤジット市は ほぼクルド人の町ですが、それほど治安は悪くなく、ホテルもあります。

 





 * (注意) ロンワイアットの別のテーマである、エルサレムの”契約の箱の発見”については、全くの悪霊的な幻です。(↓) 考古学者の イスラエル考古庁 (IAA) のジョー・ジアスは、「ロン・ワイアットは考古学者ではなく、イスラエルまたはエルサレムで法的に許可された発掘を行ったこともありません。発掘するには、少なくとも考古学の学士号が必要ですが、彼はそうではありません。彼の主張とは異なります。」と述べています。 非合法の発掘で、しかも何も出てきていない、ということです。
  現在、エルサレム城壁の北にある「ゴルドンのカルバリ」前の その場所は、観光バスの停留所になっていて、フェンスがあり、誰も入れないようになっています。

  エルサレムの地下の石切り場、エレミヤの洞窟の奥で彼が見たという 「契約の箱」(の幻)は、セブンスデー・アドベンチスト(異端)の創始者エレン・G・ホワイト(見分け××)が見たというにせの”契約の箱の幻”と全く同じで、ケルビムが両端に離れていて 「蓋と一体」にならず、箱を「足台」として、「反キリストの偶像」を据えるのに都合の良いように、上部が広く空いていました。
  ゴグ・マゴグの後、エルサレムに 「第3神殿」が建てられて、それから反キリストが台頭してくる時、にせ預言者が、神殿の至聖所にある契約の箱のケルビムの間に、「反キリストの像」を据えます。 この「悪霊の幻」は、終末の にせ預言者に直結するものです

  


   「そして、天にある神の聖所が開かれ、聖所の中に契約の箱が見えた。また、多くのいなずまと、声々と、雷鳴と、一つの地震とが起り、大きな雹が降った。」(黙示録11:19)

   「それゆえ、預言者ダニエルによって語られた、おぞましい憎むべき者(=反キリストの偶像)が、聖なる場所(=至聖所のケルビムの所)に立つのを見た時には(読者よ、悟りなさい)、そのとき、ユダヤにいる人々は山々へ逃げなさい。」(マタイ24:15、16)

  ・・・・・ 契約の箱は、U歴35:3(ヨシヤ王)を最後に、ネブカデネザルによる神殿破壊の時から失われています。 エゼキエル書にも契約の箱は出てきません。 (※ 第2マカベア書(外典)には、エレミヤが契約の箱と香壇を地下の洞穴(石切り場)に隠したとあり、それゆえ「エレミヤの洞窟」と呼ばれている。)





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