3. オーパーツの再発見:
オーパーツとは、「場違いな工芸品」(OOPARTS:Out-of-Place Artifacts)という意味で、その形成された時代や環境にふさわしくない出土品(骨董品、珍品)について、そう呼ばれます。 狭義には、(今までそう呼ばれてきた)ある古い地層年代に対して、あリ得ないような 人工物、人の形跡等が、その時代のものと 同時に化石化したものも含みますが、その年代決定法が大きな問題であり、オーパーツは一般的に否定的に評価されています。 もっとも 最近では、過去にオーパーツと呼ばれた多くのものが、贋作、あるいは調査ミスであることが判明していますが、中には本物もあります。
1. 年代決定法の検証:
「「主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めから、何も変っていないではないか。」と言うでしょう。
それは、彼らが次のことを故意に隠そうとしているからです。
すなわち、天は古い昔から存在し続け、地は神のみことばによって、水がもとになり、また、一所に集まった水を通してできたのですが、 その時の世界は、みことばによって、水に覆われて滅びました。
しかし、今の天と地とは、同じみことばによって火に焼かれるために取っておかれ、神を畏れない人々がさばかれ滅ぼされる日まで、保たれているのです。」(Uペテロ3:2−7)
まず、よく地層や岩石の年代推定に用いられる、C14法以外の核種(K−Ar法(カリウム‐アルゴン法)、U−Pb法、Rb−Sr法など)では、半減期がすべて10億年以上であり、原理的に無理であり、これでは 時計の短針をもって秒を測るようなものです。 何億年、何十億年などと決定された年代は、すべて有効数字が0桁です。 その進化論者の”哲学”に応じて、好き勝手にもっともらしい年代を語っているのに過ぎないのです。
たとえば、1803年に噴火したハワイのファラライ火山の溶岩を、1963年に、この出所を隠して、数か所の測定機関に K−Ar法で年代測定してもらった所、カリウムが凝固して閉じ込められてから160年しか経っていないのに、1.6億〜29.6億年というとんでもなく長い、また、バラツキの大きい測定結果が出されました。
動物や人類などに関する数千年〜数万年レベルの年代を決定するためには、唯一、半減期が適当な核種である
炭素14法(14C法)が用いられます。
(1) C14法: ・・・・ (参考)東大で行われている方法
炭素14(半減期: 5730±40年)は大気圏上層で宇宙からの放射線に由来する高エネルギー中性子と空気の主成分である窒素14との反応により常に生成されています。これが地上に到達し、植物や動物体内に代謝・蓄積され、それらの死によって
あとはβ線を出して時間とともに減少していく、という原理です。 (12C(陽子6、中性子6):98.93%、13C(陽子6、中性子7):1.07%、 14C(放射性、低エネルギーβ線(156keV)、陽子6、中性子8):微量
上空における合成: n(高エネルギー中性子) + 14N → 14C(炭素14) + p+
自然壊変: 14C → 14C + e−(β線)
@ 崩壊するときに出る電子を数える「β線計測法」:
これは従来からの方法ですが、最も多い現代の炭素でさえも その1g中の炭素14の壊変は 約14個/1分 しかないので、自然放射線を防ぐために 厚さ25cmの鉄板(計6トン)で覆った試料から出る低エネルギーβ線を、反同時計数法(=試料の周りに束ねた複数の検出器を置き、2つ以上同時に貫く 外部からの宇宙放射線があれば、非カウントにする)で測定します。(最大3〜4万年前まで可能) ある程度の試料の量が必要で、誤差も大きく、測定には古いものほど時間がかかります。
A 残っている炭素14原子を加速器で加速し 直接カウントする「加速器質量分析(AMS)法」:(1977年〜)
たとえば 3万年前と見積もられるものの炭素1g中には 炭素14原子が16億個あって、試料原子をタンデム加速器(500万V)で加速して、電荷は同じで質量数がわずかに異なる原子核を電磁的に軌道を曲げて、炭素12などと分離してカウントする方法です。
試料作製は あらゆる汚染を取り除くためのデリケートな前処理を施し、加速器を使う大掛かりなものですが、1mg程度のごくわずかな試料を、しかも30分〜1時間という短時間に測定でき、6万年前と見積もられる時代まで測定できる、という大きなメリットがあります。 このAMS法は、死海写本の断片の測定にも大いに用いられました。

これらの炭素14法は、前提として、14C の割合が どの時代においても一定であることが、暗黙の了解で仮定されてきましが、近年では、地磁気が変動することによる地球に降り注ぐ宇宙線の変動の影響が考慮され、北米とヨーロッパの古い樹木の年輪によって
校正曲線が作られています。
それによると、樹木が残っている年代(=縄文時代程度までの比較的新しい年代)までは、過去の炭素14の濃度が
現在よりも少し大きかったことが分かり、炭素14法の測定値は見かけ上若い年代を示している、という結果でした。
したがって、たとえば 死海文書のイザヤ書の巻物等は、AIの言う通り、BC100年よりも古い、BC200年ほどになり、預言書としての真実性は完全に確立されました。
しかし、もっと古い、3000年〜4000年前に近づくと、4000年前頃に本当にあった あの「ノアの洪水」のために、数万年前など、急に年代が 見かけ上非常に古いものになってきます。 反キリスト的な人々は、この ノアの大洪水の出来事を、故意に隠そうとしているのです。
前節で述べたように、2021年から「ノアの箱舟」の再調査が進んで、その信ぴょう性が飛躍的に上がり、聖書や 各国の伝承の記事のとおりに、上空に分厚い水蒸気層があって、ノアの時代に大雨となって地上に降り注いだ時が存在したことが、ますます確かなものとなりました。
上空にあった水蒸気の水素 すなわち プロトン(p+)は、宇宙線起源の高エネルギー中性子と質量がほぼ同じなので、最も効率的に(1衝突で速度1/2ずつ)減速させ、窒素14から陽子を叩き出せなくなるほどにエネルギーが下がり、そのため炭素14の生成量は非常にわずかなものとなります。
したがって、数万年と見積もられている あらゆる試料の実際の年代は、せいぜい4000年前と、かなり新しいはずなのです。
これが、今ある化石の多くが、約4000年前に閉じ込められたものであるにもかかわらず、非常に古いものとして扱われている理由です。(三葉虫は3億年前など) そして、代謝が止まった生物の死骸等は、この大変動によって瞬間的に土砂に封じ込められない限り、決して化石にはなりません。
(cf.1 石灰分と水が豊富にある環境は例外で、テディーベアや自動車のカギなども石灰分で砂に固着されて、数十年で”化石のようなもの”となったものがあります。)
(cf.2 洪水前の木の化石(石炭)には年輪が無い、というのは、石炭紀のリンボク、フウインボクなどがシダの仲間で、年輪を持たない植物だったからです。
洪水前の気候変動が全くなかったため、ということではありません。)
→ 1. C14法年代決定法の修正
(2) 熱ルミネッセンス法(TL法、Thermo-luminescence、熱蛍光): (参考) 年代測定の会社
熱ルミネッセンス年代測定は、累積放射線量を測定することにより、結晶性鉱物(石英、長石、蛍石など)を含む材料が 窯(かま)などによって500℃以上に加熱され(被熱年代)、あるいは 日光に十分さらされてから(最終露光年代)、空中、あるいは土中などに放置されると、その陶磁器自身や埋まった土からのカリウム、トリウム、ウランなどからの放射線エネルギーを蓄積し始めます。(結晶内の欠陥部分に電子がトラップされる)
この試料の結晶性材料が再び約500℃に加熱されると、熱ルミネッセンスのプロセス ・・・ 電子が解放されて、吸収された放射線量に比例する弱い光信号を放出 ・・・ が起こり、その光量を測定することによって 経過時間を割り出します。 年代決定には、それぞれの場合の計算式があります。
年代 = (蓄積線量)/(年間線量)、 測定範囲は、100年〜数10万年。 必要な試料の量: 0.5〜1kg
(誤差は1〜5%という ? ・・・ 誤差はもっと大きいだろうと思われます)
熱ルミネッセンス(TL)法は被熱年代、また、光ルミネッセンス(OSL)法では最終露光年代が得られます。 熱ルミネッセンス(TL)法の場合、埋没していた周辺の土もあったほうが望ましい。
2. 激変期の地層の形成:
カンブリア紀(5.4〜4.9億年?、カンブリア ・・・ 初期に調査されたウェールズ地方のラテン名、三葉虫、藻類などの化石)とその後の時代とみられる地層からは化石が出土しますが、カンブリア紀の下にあるそれ以前の時代の
先カンブリア紀からは、化石が出ません。洪水以前の大地で死んだ遺骸は、すぐ腐敗して無くなってしまうためです。
また、先カンブリア紀とカンブリア紀の地層間には、整合性が取れていません。
グランド・キャニオンでは、先カンブリア紀 から ペルム紀(3〜2.5億年?)までの 地層の重なりが露出して、よく見ることができます。
巨大な浸食地形は、大地が持ち上がり、大水が引いたときにできたものと考えられます。
すなわち、ノアの洪水以前の大地が先カンブリア紀の層で、洪水の時 降り積もった土砂が、その上にある各層となっていったのです。 地層の年代決定は、C14法以外の核種(K−Ar法(カリウム‐アルゴン法)、U−Pb法、Rb−Sr法など)によらざるを得ないので、それぞれの層にあてはめられた地層年代は、有効数字0桁で、すべて 無効です。
洪水の時、単純に、逃げ出せない海底のサンゴや藻類は一番下に、次に 海中節足動物や魚類などは次の層に、逃げ足の遅い恐竜はその次の層に、逃げ足の速い動物や人は上の層のほうに、順々に化石となる傾向にあります。土座衛門は水に浮く。(進化論の系統樹ではない。)
また、洪水の後、繰り返された4回の氷期の時も 激変でした。 4回目の氷期(=ヴュルム氷期)は、ヨセフの時の7年間の飢饉の時と同一と思われます。 シベリアでは
多くのごみと共に、氷漬けになった多くのマンモスが掘り出され、その胃からはイネ科の植物や
キンポウゲ、ヨモギなどの、食べたばかりの未消化の草が発見されました。マンモスたちは逃げる間もなく、突然の寒波と大雪に見舞われ
瞬間的に氷漬けにされたのです。
褶曲した地層は、降り積もった初期の柔らかいうちに 地層ごと皺(しわ)が寄ったその形ができ、その後で砂岩が堅く固まったものです。

「あなたは、深い水を衣のようにして、地を覆われました。 水は、山々の上にとどまっていました。 水は、あなたに叱られて逃げ、あなたの雷(いかづち)の声で 急ぎ去りました。 山は上がり、谷は沈みました。 あなたが定めた その場所へと。」 (詩編104:6−8)
「神は、その種類にしたがって 野の獣、その種類にしたがって 家畜、その種類にしたがって 地のすべての はうもの(爬虫類)を造られた。 神は見て、それを よしとされた。
そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。
そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのもの
を支配させよう。」と仰せられた。」 (創世記1:25、26)
また、大洪水の大量の水の重さによってバランスが破れ、地殻変動が起こり、海底が山の頂上になるような 大変動が起こりました。 創造の当時は、一つの浅い「海」(創1:9、10)がある程度でしたが、もし、現在の地形をならして全て平らにすると、全地は約2400mの海底に沈みます。
それほどの重量があったのです。
世界最高峰のエベレスト山頂(8840m)付近の、チョモランマ層は オルドビス紀(4.8〜4.4億年前?)の石灰岩、 そのすぐ下の イエローバンド(カンブリア紀、5.4〜4.9億年?)の大理石。 ノアの大洪水によって、海の底から押し上げられたもので、これらの地層からアンモナイトなどの化石も採取されています。
フランスのサン・ティティエンヌ(Saint-Etienne)にある 多くの地層を貫く直立した木の化石。 サンティティエンヌは、昔は炭鉱の町であり、石炭紀後期(後期ペンシルベニア紀、約3億年前?)の地層に 多くの珪化木や 炭化木が林立しているので有名です。(クリオ(Couriot)炭鉱跡地にある サンティティエンヌ鉱山博物館) 近くのグラン・クロワ(Grand-Croix)地域からは、解剖学的な細部まで保存されたものが多く出土しています。
この木の化石は、木が朽ちて無くなる前の短い期間に、何度も繰り返して 土砂の堆積が行なわれたことを意味しています。 ・・・ 地層が、長い時間を空けてゆっくり積もったのではない証拠
「種類にしたがって」なので、進化論の枝分かれをする”系統樹”ではなく、上から下まで一本の線となる
それぞれ別々の独立した種として、創造されました。 たとえ近縁種が交配しても、子には生殖能力がないか、次の世代には元に戻ってしまいます。
恐竜についても、洪水前と、洪水後のしばらくの間は、地上で人間のいる世界に同居していたはずです。 ただしその大きさについては、洪水後には上の水層がなくなり、気圧(酸素分圧)が下がり、また気温も下がったことから、大きな恐竜は血の巡りが悪く 生存できなくなりました。 現在も、温暖な地域にコモドオオトカゲや
ナイルワニなどの大型爬虫類がいます。 コモドオオトカゲは、朝、日光浴をして体が温まってから活動開始します。

3. 生き残っているオーパーツ:
狭義のオーパーツは、発見された時点では製造不可能なものや 驚くべき発見であり、一時、世界中で話題に上ったものですが、後の調査により、そのほとんどが全く時代が新しいもの、説明可能なものと、意図的な捏造品との、2つに分類されてきました。
その中で生き残っているオーパーツの中から、天地創造と ノアの洪水にかかわっているものを挙げます。
● 人の足で踏まれた三葉虫の化石:
1968年6月1日、米国ユタ州のマイスター夫妻が、サンダルのようなもので踏まれた三葉虫の化石を発見しました。 ユタ州アンテロープ・スプリングの Cカンブリア層(5億3千年前?)の頁岩からハンマーで割って採取されたものす。今は、考古学者のカール・ボウ氏の所有になっていて、これが本物であることを証言しています。
三葉虫の背にはとげがあり、これを踏んでけがをしないように、当時の人々はサンダルを履いていたものと思われます。 サンダルのひもの跡が残っています。
この化石についての年代測定や、さらなる検証が拒否されていることから、これを疑う者もいて、特に、人のフットプリントではなく、自然に足の形にはく離したものだという
苦しい説明をしています。 前述のように、カリウム−アルゴン法によっても、炭素14法によっても、年代測定しても いつの時代のものかを特定することは原理的にできないので、測定してもあまり意味がありません。
・ この化石は、米国テキサス州グレンローズにある「創造の証拠博物館」に所蔵されています。ここは考古学者で創造論者のカール・ボウ氏によって、1984年に設立された私設博物館です。
人の足跡だけの化石も2つ展示されています。 毎年、ホームスクール向けに、恐竜の足跡と人間の足跡発掘イベントを開催しています。 もし恐竜の足跡が人の足跡と一緒に発見されれば、恐竜の時代に 人間が共存していたことの証明になります。
考古学者カール・ボー氏の オーパーツ化石コレクション 2003年TV放映 ・・・・ 因みに、取材者は れいわの山本太郎氏です

● 人間と恐竜の足跡の化石:
人間の足跡の化石は、米国テキサス州のグレンローズを流れる パルクシー川の 中世代白亜紀(1.4〜0.65億年前?)の地層で発見されました。発見者アルヴィス・デルク・トラックの名前から、デルク・トラックとも呼ばれています。
発見現場は、恐竜化石の一大産地として世界的に知られています。 (アクロカントサウルス(11m、肉食、獣脚類)、ブロントサウルス(22m、草食、竜脚類)などの足跡、化石 多数) そのうち、人間と恐竜の足跡が近い位置にある化石が 発見されることでしょう。 同時代でも、人と恐竜は、住む場所が違っていたと思われます。
これも、米国テキサス州グレンローズの「創造の証拠博物館」に所蔵されています。 この地域には 足に刺さる危険な三葉虫の群れがいなかったので、人々は裸足で歩いていたと思われます。
右の白亜の上の足跡は 巨人のようにかなり大きい。(左)
・ また、北アメリカで最も古いと思われる人類の足跡の化石が、米国ニューメキシコ州のホワイトサンズ国立公園で発見された人の足跡があります。 足跡は、ニューメキシコ州のホワイトサンズ国立公園のアルカリフラットと呼ばれる乾燥地にあり、同国立公園・資源管理官のデヴィッド・ブストス氏が最初に発見し、化石を調査したのは、国立公園局やアメリカ地質調査所、ボーンマス大学、アリゾナ大学、コーネル大学の専門家たちです。
こちらの方は、2016年に、この足跡が人の物であることが確認され、その地層に残されていた植物の種から、炭素14法によって 約2万2000年前?のものと判明しました。足跡は、主に子供や10代の若者のもので、一部大人の足跡もあり、また、付近に、マンモスや巨大ナマケモノ、ダイアウルフ、鳥などの足跡も見つかっています。 (今のところ、恐竜の足跡はないので、比較的新しい。)
国立公園局のダン・オデス博士は、「ホワイトサンズ国立公園の化石は、(ノアの洪水後の時代、)最終氷期極大期(ヴュルム氷期)に人間がアメリカに存在していたということを示す、初の明確な証拠と述べています。(右)
ホワイトサンズ国立公園の足跡

● ボリビアの恐竜と人の足の化石:
ボリビア中央部・ポトシ県のトロトロ国立公園(Torotoro National Park)内にある足跡化石群、カレラス・パンパスでは、約1万6600個以上の恐竜の足跡が確認され、世界最大級の現場の一つになっています。 時代は、中生代白亜紀(約6.6〜1.15億年前?)の泥岩層で、二足歩行の肉食恐竜(獣脚類)や、直径約1.2mの巨大な草食恐竜(竜脚類)の足跡など多数が発見されています。
なぜここに、通常は少数で行動する肉食恐竜が、数多く集まっているのかは不明です。
カレラス・パンパスに恐竜の足跡があることは1980年代から知られていましたが、最近になって アメリカ・カリフォルニア州のGeoscience
Research Instituteの研究チームは約1万6600個以上の恐竜の足跡があることが分かり、この研究成果は2025年12月3日付の『PLOS ONE』で公開されています。 (2025年12月9日、CNN)
さらに、同研究チームによると、ボリビアには三畳紀、ジュラ紀、白亜紀の足跡群が多数ああって、カレラス・パンパスが調査されるまで、世界で最も多くの足跡が見つかった現場は、同じボリビアの古都スクレにあるカル・オルコで、ここには約6800万年前の足跡が約1万4000個残っていると推定されたそうです。
一方、同じボリビアの 首都ラパスから西に約70km、チチカカ湖の近くのスカルティティ(スルカティリ Sullcatiri ?)という町では、中新世(1500万〜500万年前?)の地層から、現生人類の足跡の化石が発見されました。 足跡の長さは 29.5cmで、現代人の平均約24cmよりも大きく、足跡の主は、身長1.7m、体重約70kgの男性と推定されています。
中新世には、オオカミ、ネコ科の動物、カラス、フクロウ、巨大サメのメガロドンなどが存在していたとされています。
通常、人類がアラスカを通って北米から南米に渡ったとされる年代よりもはるか昔の地層であるため、人類学の定説を覆す可能性のある「生痕化石」として注目されています。 (2024年10月、雑誌ムー)

● アカンバロの恐竜土偶:
小型の恐竜と人間が共存した形跡として、メキシコ、アカンバロの恐竜土偶(その数は3万2千体)が有名で、熱ルミネッセンス法による分析が行われ、1968年の調査では紀元前1000年から4000年ごろ、翌年の調査では紀元前2500年前のものとされて一時、世界中で話題になりました。 しかし、近年では、年代は近くの土の年代で、埋め戻した跡があり、発見者ユルスルートによる捏造の疑いももたれていました。 ただし、コモドオオトカゲ クラスの恐竜の生き残りが、温暖な地域で、洪水後のある程度の期間、人間と共存していたことは 十分考えられます。
メキシコシティから北西に約200キロの所にある町に、発掘者の作った「ヴァルデマール・ユルスルート博物館」には、プレシオサウルス、ティラノサウルス、ステゴサウルス、プテラノドンを思わせる像が並んでおり、同じ時代を生きているはずのないラクダやクマ、リャマ、猿、馬といった生物と並んでいます。 しかし、メキシコの古代文明の表現ともまた異質な、「怪物」としかいいようのない土偶が多く展示されていて、仮面、笛、壺、杖、パイプ、鉢の他、儀式用と思われる工芸品も多く展示されています。 ユルスルート亡き今も、エル・トロ山周辺ではアカンバロ土偶が出土しつづけています。 エル・トロ山は古くから「呪術の山」として有名だそうです。
アカンバロ土偶はすべて「エル・トロ山」周辺で出土しており、2022年5月には、山頂付近で、1万年以上前に建造されたと思われる巨石遺跡の存在が明らかになりました。 したがって、『マグエイ(竜舌蘭)の場所』を意味するアカンバロは、メソアメリカ地域で最も古い文化のひとつ「チュピクアロ文化」の中心地だった、というのがこれほどまで多様な土偶が作られた理由と考えられます。 したがって、恐竜土偶は本物で、ノアの洪水後にまだいた小さい恐竜をモデルに 作られたものと思われます。 魔術的な変な土偶もあります。
(雑誌ムーの記事)

● 先カンブリア紀の金属ボルト:
硬い石の中に埋まっていたボルト群が、1997年ロシアのブリャンスク(ベラルーシ近く)の森の中で発見されました。 20cm程度のこの石は、15億年?以上前に生成された石で、その中に金属のボルトがあって、このボルトに数トンの力を加えても変形せず、さらに、X線で石を見たところ、中に小さいボルトが10個ほどあるのが確認できたそうです。 ウミユリなどの生物化石ならば簡単に砕けてしまいます。 15億年前?は 先カンブリア紀で、三葉虫やアノマロカリスがいたカンブリア紀との境目の時代で、実質、ほとんど洪水前の地表です。
この特殊なボルトについて、”15億年前に地球にやってきた宇宙船が何らかの原因で故障・爆発し、飛び散った部品の一部”と語る人(モスクワ航空大学のチェルノブロフ教授)もいましたが、そもそも宇宙人はいないので、これは間違いです。
これは、次の、”金属スプリングの化石”とは異なり、近くにボルト製造工場などの歴史もなく、ボルトが非常に堅いので、年代決定法は全く信用できませんが、もし先カンブリア紀ならば、青銅と鉄の鍛冶屋の祖であるトバル・カイン(創世記4:22)の末裔のいた
ノアの洪水直前の遺物かもしれません。 あるいは、ネフィリムが反重力機関から落としたか?。
・・・・・ これは、未だ 謎です。
cf. 金属スプリングの化石 ・・・ 1991年頃、ウラル山脈東部の金鉱山近くの
ナラダ(Naroda)川で、30万年前?の更新世(31.8万〜2万年年?)の地層から(?)、柔らかい岩に埋まった多量の
銅やタングステン、モリブデンなどの金属スプリングの化石が見つかり、話題になりました。
ばねの大きさは、3μm〜3cm。
しかし、こちらのほうは、この金属スプリングが発見された地の歴史を調べたところ、
旧ソ連時代のプラント工場がこの場所にあり、このばねは工場からの産業廃棄物であり、砂岩のカルシウムにより固化したのが真相でした。(ロシア科学アカデミーの分析によれば、2万〜30万年前という話だった?)
● アンティキティラ島の機械:
これは数少ない、正真正銘の生き残っているオーパーツです。
1901年に、考古学者のヴァレリオス・スタイスによって、ギリシャのアンティキティラ島近海で、アンティキティラの沈没船の中から発見されました。 しかし、その複雑さや重要性は何十年もの間気づかれることがありませんでした。
現在は、アテネ国立考古学博物館に、デレク・デ・ソーラ・プライスによる復元品と共に展示されています。 (米国マンハッタンやモンタナ州にも復元品が展示)
すべての使用説明がコイネー(BC4〜AD6の公用ギリシャ語)で書かれ、発見場所などからギリシャで作られたことはほぼ間違いなく、製作時期はBC3世紀〜BC1世紀中ごろとされています。
非常に精巧な構造で、正三角形の歯を持つ30個の歯車が収められ、クランクを回転させると機構が太陽、月、その他の天体の位置を正確に計算するものです。機械の目的は明らかに地上の観測者から見た天球に対する天体の位置を示す事です。
装置には3つの表示盤が、1つは前面(365日のエジプト式カレンダー)に、2つは背面にあります。 前面の表示盤は少なくとも3つの針を持ち、1つは日付、残りは太陽と月の位置を示して 入力します。
背面上部の表示盤の目盛は螺旋状に配置され、235朔望月を19太陽年とするメトン周期を表現するために1周47目盛りとなっていて、メトン周期は暦を修正するために用いられます。 背面下部の表示盤の目盛も螺旋状に配置され、225の目盛りでサロス周期(=バビロニア人(カルディア人)の発明)を表し、さらに付随した表示盤で54年(3サロス周期)を表現し、日食や月食が起こる日を予測するのに用いられました。
2008年7月に、76年のカリポス周期(76太陽年を940朔望月に等しいとした周期)を表すと考えられている青銅の表示盤上に「Olimpia」の文字を発見し、これは古代ギリシャのオリンピックの開催日を示すと考えられています。
1. 食の予想など航海に必要ない機能を持つ、 2. 海上の厳しい環境下では青銅の歯車が容易に錆びてしまう、 という理由により、この機械は航海術の用途を目的とせず、メトン周期に追従して、日食を予測し、古代オリンピック競技会の日取りを計算できた、という新たな発見が、2008年7月30日、学術誌ネイチャーに掲載されました。
いずれにしても、この非常に精巧な構造物が、17世紀にホイヘンスが機械式時計を作る、1900年も前に作られていたことは、驚異です。 庶民の生活レベルとは大きく乖離したこの機械は、当時の博物館などに展示、運用されていたようです。
小アジアにあったフィラデルフィアの町は、BC150年頃、ペルガモのフィラデルフォスが建設したのでこの名があります。彼はここからヘレニズム文化を内陸部に伝播させようとし、それゆえ町には、「開かれた門」という別名がありました。 当時のヘレニズム文化は、(偶像などを除いて、)現代にも通じる、意外と合理的で高度なものだったと思わされます。 (黙示録3:7、8)
