わかりやすい科学概論( 歴史の中の科学 )


 私たちは真理をすべて捉えられるわけではありませんが、自然科学というものの中に真理の一つを見出すのです。なぜなら、自然のすべてはほとんど例外なく一定の規則に従って厳密に摂理的に振舞っているからです。特に、物理現象は数学という手段で記述されるほど、― まるで誰かが設計したと思われるほどに ― 規則正しく現れ、素粒子のレベルから大宇宙のレベルまで徹底して同一の法則が成り立っているのは驚異のほかはありません。数学は知的分野の産物ですが、あたかも同様な種類の思索特性をもった創造主(人格神)のようなものが、被造物に数学で記述されるような特性を与えたように見えます。



 1. 歴史の中の科学;

 歴史の中で、ルネサンスから啓蒙・科学の時代に入り、長い間混沌としていた雑多な現象に科学の光が差し、天文・物理や化学の諸法則が次々と再発見されて行きました。ここで、なぜ再発見かと言うと、それらの多くはすでに古代ギリシャや、はるか昔の古代バビロニアの時代に見出されるからです。さらに、いわゆるノアの洪水(B.C.2000年頃)以前にも、いくつかのオーパーツとしての証拠が物語るように、現代文明と同様なものが作られていたと思われます。

   「「これを見よ。これは新しい。」と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか先の時代に、すでにあったものだ。・・・」 (伝道者の書1-10)


 中世のキリスト教支配の時代に、社会の影に隠れた魔術師・占星術師・錬金術師たちは一獲千金を夢見てか、あるいはキリスト教支配に反抗してか、とにかく科学の元となるいろいろな現象に接していましたが、彼らは秘密主義かつ経験主義で、それらを統一的にまとめようとはしなかったので、一般的に成り立つ法則としての実を見ることはなかったのです。確かに、当時のキリスト教会はイエスキリストや使徒の時代(原始キリスト教の時代)とは異なり、偽りを含む形できわめて行き過ぎており、また、政治と結託して堕落していました。したがって、とても、科学的な真理を追究できる環境ではなかったのです。
 その後、王族や貴族の道楽の為に雇われた学者達が次々と物質や法則を発見して行きました。
 そして、偽のミステリアスな現象はことごとく見破られ、あるいは、啓蒙され、人を惑わす魔術などはすたれていったのです。
          
 心理的に見ると、何かわからないものや目新しいものは、興味を引くと同時に不安を引き起こし、ねじ曲がった情報を受け入れやすくします。聖書の奥義によれば、実は、この不安定な心のすきまに惑わしの悪霊が働くことがあると言われています。星占いやタロット占いなどをやってロクなことが無かったでしょう。わからないことは明らかにされて行くべきものであり、”常”がわかって初めて”異常”がわかるものです。
 科学的現象も、一定の法則や規則性がわかって初めて科学になり得ます。また、科学的な常識や態度があって初めて、偽物と、本当の異常な現象とが区別できるようになります。したがって、科学の学習はむなしいものに捕われない為の予防接種であるという重要な意味があります。さらに、もし、本当に奇跡の要素があれば、まず、普通に起こり得る事を適正に判断して、その上で、奇跡というものを正しく認識できるのです。

               ヨーロッパ合理主義の流れ 

 近代から現代にかけては、歴史の流れからすると、わずか数世紀の間に非常に急速に産業・経済が発達し、機械文明になってゆきました。その流れの中で、科学的方法論も、科学的知識も、それらの根底を支えるものとして、非常な勢いで発達しました。これ自体は大変役に立つすばらしい恵みであると考えられます。 (大別して、物理、化学(軌道電子の物理)、生物(含・動物学、植物学)、地学(天文、地球物理、地質・鉱物、海洋)、数学、コンピュター。)

 

 しかしながら、出来上がってきた科学には、真理よりも権威主義的な体制を重んじる為、あるいは、社会に混乱を起こさないようにするという政治的な動機で、真理が曲げられ、それが科学的常識になってしまったものが含まれているのです。(進化論、(強い)コペンハーゲン解釈、ビッグバン宇宙論など)

 そして、この宇宙や物質や生命が、非常に長い時間をかけて自然発生的に生成する思想(神なき世界観)、また、人の意識あるいは自然との総合体が宇宙の動向を決定する(人が神になる世界観)ような思想すら定着してしまいました。



 2. 最近の新しい事実;

 ところが、20世紀末になって急に、いままでの世界観をくつがえすような驚くべき発見が、自然科学の多くの分野で次々となされてきたのです。すなわち、それらの結論として、科学史の結末にふさわしく、実に神・創造主のようなものの存在が明らかにされて来たのです。
 
 特筆すべきは、素粒子のEPR問題についての最新の実験(遅延選択実験)の結果です。
 電子計測技術の著しい発達により、一個一個の素粒子の測定がようやく可能となってなされたこの実験は、素粒子があたかも装置の切り替えをあらかじめ予測していたかのように振舞う事を明らかにしました。
 そして、この現象を説明できる唯一の理論 ―町田・並木理論― は、測定系を切り替えても、素粒子の状態がはじめから何も変わっていない事を示しました。
 すなわち、ただ、運命、あるいは、摂理的に、素粒子一個一個の細部にわたって、すべてが計画されている事が証明されました。(もちろん、マクロでは量子力学の統計予測に合致します。)

 また、これにより、”偶然”という要素が否定されたので、これに基づく”量子ゆらぎ”という概念も否定され、したがって、ビッグバン宇宙起源論も否定されました。すなわち、無から有が自然発生的に生成するようなことは無いのです。
 唯一の合理的解釈は、サムシンググレートすなわち”神”なる創造主が、外部から瞬間的に全宇宙を創造した、と言う事になります。

                 →  科学から信仰へ 

 また、オーパーツものについても、聖書、特に創世記の記述 ― 神が6日間で天地を創造したこと、および、ノアの時代の洪水によって当時の生ける物がすべて瞬間的に土砂に閉じ込められ化石となったこと、さらに、ノアの洪水以前に文明が存在していた事 ― を証明しています。(ex) 石炭層に閉じ込められていた金属製の立方体、など)

 これらの、ごく最近になってからの報告が立て続けになされているのを見ると、この時代の終焉に来て、神なる創造主が自身を明らかにしようと計画してきたように思えてなりません。   


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