4. 日本における教会の発展
(1) 奉仕・賜物における麦と毒麦の扱い:
現在、教会生活を送っていないクリスチャンが、アメリカにおいても、日本においても数多く存在している。(日本にはすでに(昨年のギャロップの調査によれば)約6%のクリスチャンがいるにもかかわらず、教会で礼拝を守っているのは約0.5%) その理由の一つとして次のことが考えられる。
日本において、また、”育てる”という観点から、たとえ「毒麦」に見えようとも、”預言的な人々”を拒絶するべきではない。むしろ彼らを受け入れ積極的に”投資”すべきである。それは、彼らのような人々が現れることの方がむしろ難しいからであり、麦と毒麦は成長するまで決して区別ができないからである。これは、預言者のみならず、牧師、教師、伝道者、使徒などについても言える事である。
未熟なミニストリーはいろいろな問題を引き起こすが、それでも、それなりの価値がある。ミニストリーを理想的な形でしか認めようとしない人々には、実際彼らが登場すると本物であることに気がつかないのである。そして、教会が未熟な(しかし、へりくだった)本当の奉仕者たちを拒絶する場合、決まって(プライドの高い)”偽の奉仕者”を受け入れてしまうものである。偽物と本物の差は、プライドがあるかへりくだっているかであり、彼らが成長するにつれ ますますその差は明らかになってくる。(麦は実ると頭を垂れるが、毒麦は立ったままである。)
使徒パウロは、彼の生涯で主にある成熟の中でへりくだっていった。(「使徒の中では最も小さい者」(Tコリ15:9) → 5年後、「すべての聖徒たちのうちで一番小さな私」(エペ3:8) → 「罪人のかしら」(Tテモ1:15))
歴史上の最も偉大なリーダー、監督(マネージャー)、教師たちは、自分が語るよりもむしろ、たえず習い、学び、人のことばに耳を傾ける人々である。(特に教師はそうであった。) へりくだった本当の器は、自分が脆く、弱く、愚かであることを理解し、それゆえますます主により頼み、みことばへの信仰をすべての土台とするようになる。
(by.リック・ジョイナー) → 【Walk With
God Ministries(「アメリカからのメッセージ」より】の5/24分
預言者とにせ預言者がキリスト教界に混在することは、聖書の預言のとおり、世の終わりの時の特徴である。エレミヤのように若い時から用いられる預言者も存在する。聖霊様が大いに注がれる日本のリバイバルの時は、器が成長するのに時間がかかるとはいえ、今まで何十年もかかった成熟への期間が大幅に短縮される。それゆえ、急成長する途上にある若い器たちを拒絶するのではなく、積極的に受け入れて、このような みことばによる対応をしていく備えが必要となってくる。
(2) みことばのとらえ方の重要性:
人々が教会に行かないもう一つの理由として、次のことが考えられる。
説教においても、信徒個人の信仰においても、「救い」のみことばがすでに完了したものであるととらえること(語ること)は重要である。
”T・Kの教会”は、カルトで有名だったが 2003年に一度悔い改めた。しかし、そこのある姉妹の証言によると、教会の人々は 教会に前向きでは無い者に 戒めの聖句や厳しい言葉を言うそうであり、この教会しかないと考えている人たちが現在も教会に残っている。また、他のセミナーや聖会などに行ったらいろいろ言われてしまう、という雰囲気である。そして、教会の雰囲気が平安でなく、また、ガンや突然死ぬ人、病気の人も増え、悪霊がいるのが感じられる、と言っている。教会はキリストの御体であるはずなのに、なぜ霊的に悪くなってしまったのだろうか?
一連の「救い」・・・「永遠のいのち」以外に、「癒し」、「平安」、「経済」、「解放」、「問題の解決」、などもすべて「救い」に含まれている・・・が、すでに
イエス様の十字架によって「完了した」ものであるととらえないのが、”律法主義”である。教会が”律法的”になると、悪魔はみことばへの不信仰につけこみ、悪霊どもが教会に働き、それぞれのみことばへの信仰の不足分に相当する問題を巻き起こす。それゆえ、永遠のいのちは認めても、病弱な者が多くなったり、突然死したり、種々ののろいがもたらされる。(不信仰の状態のイスラエルに対する不可解なのろいと同じである。) 当然、このような教会に行くよりも、自宅で聖書を読んでいたほうが良い。しかし、程度の差はあっても、ほとんどの教会は”律法的”な要素があり、不信仰を悔い改め、きよめられなければならない。
信じても教会に行かない人が多いのは、教会の敷居が高い、いろいろな戒律で縛られる、宗教的であるなどの”律法的”イメージで教会をとらえているからではないだろうか?実際そうであることが多いのは残念なことである。
(カトリックのある宗派では、「救いを達成してください」(ピリ2:12)を曲解して、未だ救われていないものと解釈しているゆえ、煉獄などの非聖書的な思想が出てくる。これは永遠のいのちの救いを否定しているから、異端である。)
使徒たちは、”律法 から 恵みへ”、という一大テーマを宣べ伝えた。現在は、聖霊様が注がれる直前の、教会のきよめの時である。
(聖書ヘブライ語の完了体、 律法: 1 → 1、恵み: 1 → N (Nは非常に大きい数))
→ 賜物によるいやしとみことばによるいやし、 クリスチャンの最大の問題点について(by.メル・ボンド東京大会・2004・7/20)
* 奉仕の賜物を用いた伝道・弟子化の取り組み例:
・ 預言カフェ: これは個人預言にかなり熟練していなければできない働きであるが、東京都早稲田で吉田万代師(CIアジア・東京)のグループが今年の5月から始めている。コーヒーを注文し、預言希望を言うと預言してくれる。預言を受ける人は自分のこと(生年月日、問題、相談したいことなど)を全く言わないで、吉田師はその人のことを(ある、主の見るテーマに従って)正確に言い当て、さらにそれに対する聖霊様のアドバイスを伝える。(預言は5分くらいで、サービスでテープに録音して手渡してくれる。筆者も預言してもらい、現在開かれていることについて、テーマそのものについては一言も言わなかったが、実質的に最初から最後まで言い当て、励ましとなり、また、近未来を予告、指示するものであった。) また、日本人は占い好きなので(しかも、無料なので)効果的な伝道と思われる。筆者が預言カフェのことを勤め先で4人の未信者(* キリストのことをそれとなく語っていたが、求道者というほどでもない)に伝え、3人がぜひ行きたいと言った。 ( → 預言カフェの記事 )