5. 4次元の世界の構造
(* 具体的方法について → 創造のみことば参照 )
「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。」(ヘブ11:3)
この世界が神様のことばによって造られたことを知るのは、信仰の方法を通してである。
進化論や膨張宇宙論、インフレーション理論などの進化論的な哲学による考え方はすべて、神様から離れた人間の傲慢の現れである。なぜなら、被造物である”自然”が神様を差し置いて主人公になってしまうからである。 しかし、主を信じる「信仰」の歩みを通して、神様が天地万物を「創造」されたことを悟り、また、贖われて神の子とされた私たちが「再創造」のわざを行なうとき、目に見えない神様のことばがそのわざを行なうことを
すべての人が悟るようになるのである。
(1) 4次元世界の奥義:
韓国の80万人教会の牧師 チョー・ヨンギ師は、聖霊様との会話の中で、4次元について問答したことがある。
”チョー・ヨンギ、1次元とは何か?”、”はい、1次元とは、二つの点の間に線を引いたものです。”、”違うよ”、”え? 1次元とは線ではありませんか?”、”そうだ。1次元は、二つの点の間に線を引くが、厚さも広さもあってはならない。1次元は、厚さと広さのない線だから、それは仮想的な線なんだ。”、”そうですね、神様!”、・・・。
なんとなくクイズを言っているように聞こえるが、ここに重大な真理がある。
鉛筆で線を引くとき、引かれた線は、鉛筆の芯ほどの幅ができる。つまり、線を引いた瞬間に、それは非常に長い平面、すなわち、2次元になってしまう。1次元とは、厚みも幅もあってはならないので、それは仮想的な線になる。同様に、平面を描く瞬間、それには厚みがあるので3次元になってしまう。全く厚さがない平面も仮想的である。 したがって、1次元は2次元を、2次元は3次元を内包した、それぞれ1次元、2次元となる。
そこで、3次元的な立体概念も”仮想”の存在となり、3次元は、4次元を内包した3次元となるのである。
相対性理論、量子力学に対して、ニュートン力学は”仮想的な存在”(c → ∞、 h → 0 とおいた極限)である。 現代物理学を代表する c (光速=一定)と h (プランク定数)は、被造物の根幹にかかわる 「2大物理定数」である。(それ以外の物理定数は、日常生活に便利なように尺度を合わせるためのものである。)
c は、時間を3次元空間に丸め、空間と時間を伸縮させ、エネルギーと質量を等価とする。
また、 (= i h/2π = 虚数単位×ディラックの h )は、 物質の水面下の状態は複素数の波動であり、不連続性を与え、物質の存在に広がりをもたせ(不確定性)、実在する3次元の物質はすべてその存在がある程度の幅を持つようさせる。
さらに c と合わせた相対論的量子力学より、h は物質の変換の”窓”であり、反粒子やスピン、対称性などの諸特性を与える。
すなわち、ニュートン力学などの古典物理は”仮想的な3次元”に属するものであり、一方、相対性理論や量子力学などは”4次元を内包する3次元”の物理であり、より正確に自然を表現しているのである。
いのちの無い”物質”や”時空”自体がそうであるならば、尚のこと、人間の”意識”(あるいは”たましい”)についても同様のことが言える。 意識は、3次元の肉体に重畳して存在している。肉体に所属する 感覚的世界(知性・情操・意志)は 3次元のものである。ところが、この感覚的世界を飛び越えた世界が”霊の世界”は4次元に属し、3次元の意識は、一部、4次元世界に重なっているのである。3次元の芸術や音楽・賛美は、4次元の情緒や啓示を伴う。このように、精神と霊は重なる部分が存在する。(マタ6:22、23参照)
したがって、”霊的な人”とは、神のみことば(= 霊の世界の絶対的法則)によって、この4次元の世界をよくわきまえている人である。
「地を従えよ。支配せよ。」(創1:28)、「神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。」(創2:15)、「あなたの信じたとおりになるように。」(マタ8:13)
アダムは霊的なことをよくわきまえる人として造られた。神様は、人に、動物には無いこのような特権と責任を与えている。そして、相対論や量子力学で特別の場合にニュートン力学で近似できるように、4次元は3次元を支配する、すなわち、霊の世界はこの世の世界を支配するのである。
(2) 奇跡の存在:
素粒子論では、粒子の”変換”について言っているのであり、インフレーション理論による膨大なエネルギーの起源は、高エネルギーの”ニセの真空”や”高次元”などからある確率で”相転移”して現れたという、結局は”有”から”有”への変化を言っているに過ぎない。零点振動(= h の窓)は”物質”があって初めて存在する。そして、それらの理論の中では”エネルギーや運動量などの保存則”や”熱力学第2法則(=エントロピー増大則、時間の矢)”が依然として成り立たなければならない構造になっている。それは、物理はあくまで「被造物」としての振る舞いだからである。
しかし、創造主である神様による奇跡は、熱力学第1法則(=保存則)、第2法則(=時間の矢)の両方とも超越している。すなわち、完全な無から有を創造される。では、どのようにして奇跡が行なわれるのであろうか?
アメリカの著名な神学校であるフラー神学校のピーター・ワーグナー師は、神学教授であり博士であるが、神様から特別な御霊の賜物(Tコリ12:10)が与えられている。チョー・ヨンギ師がそこで講義をした際、ピーター・ワーグナー師の事務所で、彼が 列車事故で足の一部が切断された一人のイラク人の足を祈りで再生する、という奇跡を見ることができた。
ピーター師は、”ナザレのイエスの御名によって、足よ、長くなれ!、・・・”と何度も言って命令した。彼は汗まみれになってこのように叫び続けていたが、しばらくの間何も起こらなかった。周りの人たちは心配したが、ピーター師はかまわずイラク人の足を触りながら叫びつづけた。すると、あるとき、足が30秒も経たないうちにすっと伸びていくのを、まわりにいた人々は見ることができたのである。そのイラク人は、喜びの余りオフィスを神様に感謝しながら歩き回った。
そして、ピーター師は、このようにチョー師に言った。
”チョー・ヨンギ師の本から、『神様の働きをかなえたいなら、夢を見なさい。そして、かなえられることをただ命令すればよい。』という教えを読み、それを実践しています。それで、私は、足が長くなることを、確実に信じ、すでにそれがかなえられていることを見渡しながら命令したわけです。そして、その夢はすべてが実現しました。”
神様は、時間を超越しておられる唯一の方である。3次元の物質、人間などはもとより、4次元をある程度動くことができる御使いも、悪霊も、すべてが時間の流れの中にある。(ダニ10:13、黙12:12参照) 3次元の物質については、相対論により時間が伸縮し((注)逆転は決してしない)、量子論により最短時間
10-43秒 が存在する。無限遠点(時間 t )からどのように見えようとも、固有時 τ
は被造物それぞれに伴う時計である。遠い宇宙の端と端では因果関係が無い。一方、神様は、すべてを同時に把握し、すべてに因果関係を持っておられる。すなわち、キリストにあって万物は存在する。
神様の予知は時間を超えている。「御国を奪い取る者」とは、神様がもっている完全な、良いものを呼んで、引き出す者である。「信仰の賜物」は、特定の事について、超自然的に確信することができ、時制を超えて、すでにそれがかなえられているとして、それを見て、その世界に生きることである。同様に、預言は、神様だけが知っている未来からの情報を、人々の徳を高めるために、持ってくることである。
だから、「イエスの(神性の)あかしは預言の霊」(黙19:10)より、もし器が、聖霊様が分け与える御霊の賜物によって未来からのものを持ってくるならば、それがイエス様が神であることのあかしとなる。なぜなら、神様以外は、(御使いさえも、)未来にある神様の祝福を見ることができないからである。預言は、未来を持ってくる賜物で、三位一体の中心ポイントにある。(by. ロマ12:6−8、エペ4:11、12、Tコリ12:7−11の比較) したがって、信仰による創造の方法は、神様の本質的な存在とご性質を反映するものとなっている。
”信念”ではなく”信仰”は、神様からのものであり、神のみことばが最高権威である。ジョン・ポール・ジャクソン師が天国を訪れたときのあかしによると、天上で神様が言葉を発せられると、その言葉に、数式や音楽、色、香りが伴っていたそうである。物理法則の数式は、創造の当時発せられた神様の言葉に伴っていたものである。
(* (1)、(2)の具体的方法について → 創造のみことば参照 )
(3) 宇宙の本当の構造:
神様の奇跡は、すべてが配慮され、完全な形で行なわれる。なぜなら、神様は完全な「人格神」だからである。 カルロス・アナコンディア師やマヘシュ・チャブダ師、モアシル・ペレイラ師などによる金歯・金粉の出現の奇跡、ハンター夫妻による手足、指・爪の再生、ガンの癒し、他のダイナミックな癒し、そして、メル・ボンド師による死人の甦り、目球の再生、聴力の再生、その他の多くの癒し、メルキオ・ダリ師の水上歩行、などは、すべて、無かったものが あたかも今までずっとそこに在ったかのように完全に行なわれ、まさに、4次元から3次元を支配した形である。そして、これらの器たちは、当然のことながら、聖書を 初めから最後まで、「誤り無き神の言葉」であると信じている。
もちろん、これらの奇跡はすべて、各種の物理的な保存則や原理・法則、因果関係を打ち破るものである。世界中の物理学者たちが一生懸命 加速器実験をしてミクロの粒子の挙動を調べているが、すでに物理法則を覆す奇跡がたくさん起こっているのである。 また、神様は器を通さずに奇跡を行なわれることもある。カナダのある地方の教会の講壇に降った金粉の量は
1升瓶くらいの瓶に136本あり、その若者がいない教会の経済的必要を充分満たしたそうである。
相対論によれば 質量の等価公式 E = mc2 により 広島の原爆のエネルギーがわずか1円玉の質量(約1g)の質量欠損に相当することから、奇跡によって物質が現れることは、常識では考えられないほど大きなエネルギーに相当する現象が(しかも、周りに何の影響も与えずに)起こっていることである。
だから、神様は、創世記にある天地創造の初めに、遠いクェーサーの光さえも地上に届くほど配慮され、初めから”大人の宇宙”として創造されたと言えるのである。
神様は、人間がその不信仰によって考えついたビッグ・バンという安易な発想をあざ笑うかのように、矛盾だらけで結果が何も無い状況に陥れ、”残骸のミステリー”のようなユーモアをもって対処されている。
天体の奇跡については、今のところ必要性が無いためそれを行なう器は見当たらないが、聖書には、かつて起こった天体の奇跡について、
「民がその敵に復讐するまで、日は動かず、月はとどまった。これは、ヤシャルの書にしるされているではないか。こうして、日は天のまなかにとどまって、まる一日ほど出て来ることを急がなかった。」(ヨシュア10:13)、 「そこで預言者イザヤが主に祈ると、主は日時計の影、アハズの日時計に落ちた影を十度後戻りさせられた。」(U列20:11)
の2ヶ所ある。これは、暦を計算すると確かにこれらの奇跡の分を入れて正確に合うそうである。
それどころか、(近い将来にやってくる)世の終わりの時、かつて4000年前のノアの洪水の時に神様がさばきのために「地を揺るがす」地殻大変動が行なわれたが、それと同時に、「天をも揺り動かす」と予告され、天にすさまじい前兆が現れる。
「わたしは、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす」(ヘブ12:26)
そして、 「小羊が第六の封印を開いた。そのとき、大地震が起きて、太陽は毛の粗い布地のように暗くなり、月は全体が血のようになって、 天の星は地上に落ちた。まるで、いちじくの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされるようだった。天は巻物が巻き取られるように消え去り、山も島も、みなその場所から移された。」(黙6:12−14)
とあるように、星は落ち、天体は巻かれて無くなるのである!この大いなる天体現象を見た地上のすべての地位・立場の人々は、非常に恐れて、次のように言うようになる。
「地上の王、高官、千人隊長、富める者、力ある者、また、奴隷も自由な身分の者もことごとく、洞穴や山の岩間に隠れ、山と岩に向かって、「わたしたちの上に覆いかぶさって、玉座に座っておられる方の顔と小羊の怒りから、わたしたちをかくまってくれ」と言った。」(黙6:15、16)
宇宙の天体は、実は、”ハリボテ”であったことが誰の目にも明らかになるからである。少なくとも、その時は、宇宙は神様の力によって”ハリボテ”になるはずである。