3. 日本の教育の転換



  日本は全体的に右傾化の動きがあるが、政府により すでに教育の現場にも戦前のような”愛国主義”が入ってきている。先日、教育基本法の改定が野党不在のまま可決された。偶像崇拝が正式に教育に入るから、(悪霊が働き、)ますます教育が悪くなっていくことが予想される。しかし、国家神道の秘密が明らかにされる時、聖霊様が臨み、これらは逆転する。国家神道から偶像的な要素 ・・・ 靖国、アマテラス、天皇崇拝、先祖崇拝を除くならば、実に、「主」が残る。学校で国家神道によって身についた子供たちの規律や礼拝の態度は、そのまま、主を礼拝することへ転換されるのである。



  1. 日本の社会と子供の状況:


  非キリスト教国である日本は、豊かな社会が実現したが、反面、全体的にモラルが失われた。それでも、仏教の中にキリスト教の教えが取り込まれ(盗用され)ている(→ 参照)ため、聖書の教えが真理であるがゆえに、無制限な混乱状態や暴動などにならなかったと考えられる。(メル・ボンド師や預言者ミッシェル・コーラル師は、日本人には”聖霊様の、特に、「慎み」(Uテモ1:7)の性質がある”と言っているのは、人種による遺伝的な要素によるのではなく、社会的・宗教的な要因があったからである。異文化の外国で育った日系人はこの限りではない。アメリカ人の熱心なブッディストは悪霊憑きである。) 逆に、伝統的な福音宣教のやり方が日本では不振だった理由も、”イスラエル性”の他に、キリスト教と(大乗)仏教の”教え”の部分に関してはそれほど目新しい差異が無く、また、キリスト教がカトリックのような特異な儀式主義に思われていたため、あえてクリスチャンになるほどのことはない、とみなされたためと考えられる。
  また最近は、日本の伝統を重んじる”宗教ナショナリズム”、”右傾化”の傾向にある。(アメリカがキリスト教ならば、日本は国家神道、仏教、儒教だ、という傾向)

  このような、日本社会全体の変化により、高度成長が終わってバブル崩壊の経済破綻状態の社会において、子供が人生の自立目標が立てにくいことや少子高齢化により先行きが暗い見通しであること、また、核家族化や都市部で遊び場が少なく実際的な人とのコミュニケーション(*)が少ない反面、ゲーム・携帯電話の普及による情報の氾濫で人格形成が未成熟であること、離婚・共稼ぎや親がしつけられなかったことによる家庭内でのしつけ(**)の不備親子のコミュニケーションの欠如甘やかし、放任、あるいは、虐待など)がある。したがって、必然的に学校に負担がかかり、学校における いじめ、不登校、自殺、未履修問題、学級崩壊、またその後も、若者のニート、フリーターの増加などの社会問題が噴出している。行政が入るのは家庭よりも学校メインであるが、政府が10年前に指導し、今年4月から廃止になった”ゆとり教育(週5日制)”も裏目に出て、小・中学校の成績が低下し、モラルも悪化した。

  ”いじめ”については、グループ内で強弱優劣の関係がある以上、昔からあったが、いわゆる”ガキ大将”や”正義の味方”がいて庇護したり、いじめられた側に味方する層(仲裁者層)が必ずいて、教師がほうっておいても一人に対し集団で暴言・暴行を加えるなどの卑劣かつ陰湿ないじめに至ることはなかった。しかし、今このような層は育っていないので、積極的にいじめを発見し大人が介入せざるを得ない状況である。欧米ではこの層が普通に存在するが、特に日本では全体があまりにも”事なかれ主義”になっているのが原因である。(メディア社会においては、昔のようなヒーロー、”正義の味方映画”や”根性もの映画”が必要。見ることは所有することである。視聴率だけを追うTV業界に、行政・法律が介入しなければならない。また、事なかれ主義は”犯罪”であることを教えなければならない。) ”自殺”や”閉じこもり”については、命の尊さ、簡単に逃避する弱さ、自殺が罪であることなどが教えられていないのが原因と考えられる。

  ・ 私立学校・さいたま市・開智学園の小学部では、リーダーシップを養成するために学年の違うグループをつくり、異学年活動(道徳の授業、小旅行の企画、劇の台本作りなど)を行なわせ、全員がリーダーを体験するなど、良い意味での”ガキ大将”を中心とした縦社会を体験させている。”新しいエリート”とは、学問的素養に加え、リーダーシップ、社会貢献精神、公正さを備えたエリートであるとし、世の中に出てから通用するように、主体性をもって自ら進んで学習することを目標としている。成績についても、2003年より100名足らずのこの学校の一期卒業生から東大をはじめ一流大学への合格者が続出している。


  * どのような種類の牧会にあっても、”ミニストリーよりも、リレーションシップ”であり、人間関係を築いていく中で「聖徒たちが整えられ、奉仕の働きをさせる」ことがなされていく。

  ** 人間の性悪説は本当であり、人間には生まれながらに「罪の性質」がある。だから、放置しておいても子供は罪を犯す。出エジプトのイスラエルの民(霊的幼子)にまず最初に神様から与えられたのは、「律法」であった。律法と同時に、雷(雷親父としての)などの恐ろしいしるしも与えられた。
  「律法は、キリストに導く養育係(ローマ時代にあった家庭教師)」であり、罪を明らかにさせるものであり、救いのために、また、健全な社会生活を送るためには、何らかの形の(良心なども含めた)”律法”によるしつけが必要である。
  長い間迫害を受けつづけたユダヤ人は、子供を律法によって厳しくしつけ、教育に力を注いだため、比較的自由であった時代には社会に秀でた人材を大勢輩出した。(ただし、「律法主義」(=行いによる自己義認)に陥ると、主に対する不信仰となり、救いに至らない。この点、ルーズな異邦人の方が先に御国に入った。)

   「むちを控える者は、その子を憎む者である。」(箴13:23)  「正義は国を高め、罪は国民をはずかしめる。」(箴14:34)
   「律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という一語をもって全うされるのです。」(ガラ5:14)
   「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。(= イエス様よりも愛してはならない。)」(ルカ14:26)



  2. 教育基本法の改定について:


  戦後、1947年3月から施行された教育基本法では、人格の完成を目標とし(第1条)、国と地方公共団体が設置する学校においての宗教教育は認めない(第9条)、などとなっている。教育基本法にはいわゆる”道徳教育”の規定はなく、文部科学省の学習指導要領に提示されているのみである。国家、国旗、国歌、天皇などに対する尊重や敬愛といった”愛国教育”に関しても触れられていなかった。(大戦前の、”教育勅語”には”親への孝行”、”忠君愛国”などの道徳的な項目があった。)
  2006年11月16日衆議院本会議において、政府提出の改定案について、野党欠席のまま与党(自民党と公明党)単独で強行採決が行なわれ、可決された。その内容の中に、”日本の伝統・文化の尊重、郷土や国を愛する心と国際社会の一員としての意識涵養”が明記され、これは、戦前の教育勅語に基づく”お国のために命を捧げる”教育のみならず、偶像崇拝を法的に強制させるものである。偶像崇拝は、律法(モーセの十戒)の第一戒、第二戒で禁止され、のろいが3代4代までもたらされるほどの大罪であり、これを国家レベルで強制する事は日本の祝福を奪い、ますます悪くなるだけである。
  政府は、”国家、ひいては世界に貢献する日本人を育成する”ことを目標に掲げたが、”たてまえ”ではなく”実際に何をさせているのか”が問題である。 法の改定前、すでに、東京都教育委員会は、”君が代”斉唱時に起立して歌うことを教職員に強制し、起立しなかった人たちを多数処分した。また生徒が起立しなかったことを理由に教師を”厳重注意”した。今後は、”日の丸・君が代”について職務命令として、教師が子供を指導することになっている。

  * クリスチャンがこのような場に居合わせたときは、心の中で「主」を礼拝するのが良いと思われる。(ナアマン(U列5:18、19); ”君が代”の”君”とはイエス様であり、イエス様は「義の太陽」(マラ4:2)とも呼ばれる。) ただし、積極的に”君が代”を歌わせることについては、今年7月に、(集会ではいやしのわざが続出したが、)ベニー・ヒン師が導いた会場での”君が代”斉唱は、”君”を天皇ではなくイエス様と誤解したものであり、つまずきを起こさせるものであって感心できない。パウロは、偶像に捧げられた肉を、信仰の弱いクリスチャンに罪を犯させないように 食べないと言った。


  しかし、この 敵がもたらした、日本の右傾化、愛国教育、偶像崇拝について、神様は逆転させ、主への礼拝と祝福にもっていく計画がある。
  戦前と違うのは、日本に、学校に、聖霊様が強力に臨まれる所である。聖霊様の臨在が強くなるということは、物ごとすべてが聖書のみことばどおりはっきりとなされていくことを意味する。(アナニヤとサッピラへのさばき(使5:1−11)、契約の箱(=イエス様の予型)がペリシテ人に奪われた時に異邦の町々へ災いが下されたこと(Tサム5:1−11)、契約の箱に触れたウザへのさばき(Uサム6:6、7)、などのように)
  聖霊様の臨在が強くなるので、公立学校では改定された教育基本法の実施による偶像ののろい主のねたみによって、学校は揺り動かされる。そして、天皇家の秘密 ・・・ 天皇家のイスラエル性 ・・・ が明らかにされ、元々の日本神道で崇拝している対象が実は「」であることがあかしされる時が来る。この時、多くの人々は救われ主を礼拝するようになり、他の偶像の神々は除かれ廃棄される。



   『主の霊によって日本への聖霊の働きを生み出すようにさせなさい
 神の力で、日本全体が揺すぶられている。しるしと不思議、奇跡と上からの力によって、この国を癒し、変革する。主の霊が、日本の文化も人々も変革するような方法で働く。これは大きな働きである。わたしは文化に影響を受けた日本人の考えを全く変えてしまう。しかもそれを、短期間のうちに成し遂げる。それは、原爆のような爆発的な働きである。
 私は日本から世界中に宣教師を送り出す。彼らは、中国、韓国、他のアジアの国々へ行く。(最終的にはアメリカまで。)
 日本の若者たちは聖霊の火で燃え上がる。日本の大学が御霊の火で燃え上がる。
 数世紀に亘って支配してきた敵の要塞が、今この時打ち破られる。先祖崇拝、他の神々は引きずり落とされる。神は敵が日本を滅ぼすためにしようとしてきた事を逆転させる』   ・・・ ダッチ・シーツ(IHOPカンファランス、カンザスシティー): 2003・10/3



  3. チャーチスクールについて:


  神様は日本中に、主のリーダーを養成し備えている。その重要な働きの一つとしてチャーチスクールが挙げられる。

  1960年代のアメリカでは、共和党(キリスト教保守派)に対し民主党リベラル派の進出により、公立学校で行なわれてきたバイブルタイムと祈りの時間が禁止され、(ドイツではいまだに”宗教の時間”がある) それからの世代では、急激に学力モラルが低下し、少年犯罪が驚くほど急増した。
  特に、理数科系の長期に渡る低迷は深刻で、2003年のPISA(国際学習到達度調査)順位(15歳)は、数学的応用力28位(日本6位、香港1位)、科学的応用力22位(日本2位、フィンランド1位)、読解力18位(日本14位)、問題解決能力29位(日本4位)などとなっている。アメリカの数学の教師の質の問題があり、小学高学年では70%もの資格のない教師が教えている。製造業などでの人材不足により中国からの技術系雇用もされている。(米国は非常事態と見て教員7万人を増員予定)
  また、暴行・傷害・強姦・殺人(窃盗を除く)などの少年犯罪は、1980−2000年での認知件数で日本の7−8倍、一方、検挙率は日本の7割程度。(高校生も、かつては 他愛のないいたずらだったのが、麻薬をやり ピストルで殺すようになったと、メル・ボンド師も証言している。)

  このような状況で、子供に信仰を継承することを願ったクリスチャンホームが、ホームスクーリング運動(ホームスクールは家で学業を行なう)を草の根的に始め急速に全米に広がった。そのうち、教会が主導して(教会の働きの一つとして)行なうのが チャーチスクールであり、聖書の価値観・世界観(福音)を第一として一般教育を行なう。(cf. ミッションスクールは学業を第一とし福音を二の次とするもの) したがって、科学の分野では基本的に「創造論」をベースとする科学を教える。現在、このようなチャーチスクール系の学校で学んでいる生徒数は全米で170万人を超えている。

  チャーチスクールは”聖書の価値観”に基づく教育なので、能力で人間の存在価値を測ることはせず、生徒のもつセルフイメージ「高価で貴い」(イザ43:4)(神様の”予告の目”で見ている)ものとし、神様が愛してくださっていると信頼することができるので、必然的に、モラルが高く、犯罪者とはなり得ないのである。(→ 参照: 犯罪者の矯正とクリスチャンのきよめ
  また、勤勉であることを教えられ、むだな時間を浪費する誘惑に陥ることも少ないので学業成績も高く、大学合格率は一般の受験者を上回り、優れた学生を得るために特別枠を設けて受け入れる大学も存在するほどである。


  日本においてのチャーチスクールは、佐々木弁護士を顧問として”チア・にっぽん”が始められて6年になるが、プロテスタント系の教会で数人〜数十人レベルの学校が 全国で50校になっている。
  学校では、小・中・高クラスの生徒に対し、毎日 聖書と祈りの時間が設けられ、一般の授業の教師は、牧師のほか、教会員、ボランティア(いすれも信者)が行なっている。生徒はクリスチャンホームの子供がメインであるが、一般の不登校などの子供も受け入れられている。 (cf. フリースクールも不登校の子供を受け入れることに対し貢献しているが、一般の学校に復帰することが目的)

  日本のチャーチスクールは今のところ 文科省認可はなく、施設なども未整備(教会、図書館、体育館などを使用)であるが、高等部ではクラーク通信教育などの通信制単位制高等学校との併学が可能であり、高卒資格をとることができる。たとえば、東京バイブルチャーチ(福田牧師)の”ガッズ・キングダム”(東京都江戸川区)では、今年初めての卒業生からオーストラリアの大学、横浜市大に合格者を出している。チャーチスクールは一般に”英語”に強い。


  * 朝生牧師の”JESUS School”(東京都町田市)、佐藤牧師の蓬莱(ほうらい)キリスト教会・チャーチスクール(福島市蓬莱町6−4−21)がある。佐藤牧師は東京以北でチャーチスクール12校のかかわりを持っている。


  ** 若いクリスチャンが海外宣教を含む日本のリバイバルの働きに用いられる条件は、『聖書のみことばによって力強く建て上げられていること』である。(by. ヘンリー・グルーバー師)




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