十字架信仰の力  ・・・・・・・  2012年巻頭言
                                                        2012 1/5



   「イスラエルの神、救い主よ。 まことに、あなたは ご自身を隠す神」(イザヤ45:15)


  創世記では、人間は第6日に創造された と記述されています。 天と地の基が据えられ(第1、第2日)、植物がが繁茂して 大気中に酸素が放出され(第3日)、太陽、月、星などの天体が造られ(第4日)、水中や空を飛ぶ生き物が造られ(第5日)、そして 地上の動物と人を造られました。(第6日) そして神様は、第7日目を安息日に定められました。(創世記1:1−2:4)
  また、神様は、人を神様ご自身の似姿に造られ、ご自身の息を人間に吹き込まれました。(創2:7) 人間と他の動物との決定的な違いは、大脳の構造と共に、人間が霊的な生き物であるということです。

  神様による「創造」のわざは、ここですべて終了しました。 後は、このエントロピーが最小の状態から、時間軸と共にゆっくりと、”自然的に” 疲弊、崩壊、分散、拡散していく、(いわば”死の”)指数関数的な過程(e−αt)に入ったのです。人は、この地球から資源を掘り出し、木を切り、化石燃料を燃やし、また太陽光線による農作物の恵みを受けて生活を営んできました。
  このように、人は、神様による被造物のの最高傑作として造られましたが、同時に、すべての環境が整えられなければ、次の瞬間 生きていけない、”弱い”存在としてです。それは、神様だけに より頼み、「信仰」によって生きるためです。

  肉体においても、いかに”最高傑作”であるかが分かります。 生物は、いかに自然発生的にできないものなのでしょうか。 宇宙の天体が非常に大きなガスや岩の塊であるのに対し、生物体の構造は非常に精密にできています。 ヒトのDNAを構成する4種の塩基の個数は、30億個であり、43000000000 通りもの配列の仕方があります。これはコンピューターがビット数 n 個のソフトを最大 2 通りの配列で情報を組み立てるよりも、はるかに効率の良い方法です。(2 << 4
  したがって、生物体とは、ある とてつもなく偉大で”知的な”プログラマー(=すなわち、神様)が、DNAという情報体高分子に非常に多くの情報を書き込まれて駆動する、超精密機械装置であることになります。(→ DNA転写のメカニズム

  それどころか、人間は、「霊、たましい、肉体の3重構造」(Tテサロニケ5:23)であり、地上においては、さまざまな たましいの精神活動(知・情・意、および、感覚)が 脳・神経系統とともに行なわれます。 そして、死後も、天国へ行くか地獄に落ちるかはともかく、霊は 出生した時を起点に 永遠に存続するのです。したがって、私たちにとって、どのように永遠の時を過ごすかが最も重要な問題となります。 そのまま死んで、火と硫黄のゲヘナ(地獄)で永遠に苦しめられるのか、それとも、キリストを信じて救われ、神の子とされ、天の御国でイエス様と共に永遠に過ごすのか。今、この地上に生を受けている期間が、大きな分岐点です。

  SOS(Save Our Soules)とは何とも意味深い言葉です。それは、霊的生き物である人の たましいの法則がここにあるからです。まず第一に、たましいが幸いであること。そうすれば、すべての点でも幸いで、また健康になります。たましいの幸いが、身体や環境に反映するという、祝福の優先順です。(Vヨハネ:2) 人の心は 罪のために陰険ですが、キリストを信じて聖霊様が内側に満ちると たましいが幸いになります。
  神様が「創造主」でおられるように、神の子とされたクリスチャンは、他の誰よりも「創造的」であることができます。(→ 四次元の世界の構造創造のみことば


  物理学の2大定数・・・光速 c 、プランク定数 h ・・・を見ると、天地万物を創造された時の 神様の計量感覚が、われわれ人間と非常に大きく異なっていることが分かります。 人間の日常感覚によって定義された尺度、すなわち、 距離: メートル(m)、質量: キログラム(kg)、時間: 秒(s)、電流: アンペア(A) による MKSA単位系では、(真空中での)光速 2.998×108 (m/s)、プランク定数 6.626×10-34(J・S) であり、これらをそれぞれ 1とおく”自然単位系”を用いて、単位系換算のための係数無しに素粒子論で扱えるようになります。 すなわち、創造時における、神様との計量感覚とは、実に、108−(−34) = 1042 もの隔たりがあることになります。

  しかしながら、神様は人を、一番最後に、最高傑作として造られました。それどころか、世がすべて改まった後の「新天新地」における、「天の都を測る 測り竿の尺度(144ペーキュス)は、御使いのそれと同じ」(黙示録21:17)であり、神様がいかにこの人間的なスケールの環境設定に関心をもっておられるかが分かります。

  神様は しばしば、あえて、弱い、罪深い、(ただし、へりくだった、)この人間を用いて事を行なわれます。 それは、神様により頼んで「信仰」によって歩む者たちの信仰を、神様が喜んでくださるからです。(ヘブル11:6) イスラエルの民にモーセ(砕かれるために働き盛りに40年間荒野で生活)を遣わし、シナイ山で律法を授与され、ヨシュア(荒野で生まれた)によって 神の霊と共に カナンの地を征服させ、ダビデ(彼もサウル王の迫害を通して砕かれた)によってイスラエル王国を統一し、預言者たちを通して 神様のことばを王や民に知らせ、そして、実に 「神のひとり子」であり 同時に「神」でおられる キリスト・イエス様ご自身が 人として遣わされました。 新約聖書の3分の1もの執筆者となった 使徒パウロについては、「選びの器」(使徒9:15)と語られ、福音を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫に運ぶ召命を受けました。パウロもその激しい伝道生活の中でへりくだらされました。(「使徒たちのうち最も小さい者」→「聖徒たちのうちで一番小さい者」→「罪人のかしら」) そして、使徒、(旧約の)預言者たちのことばは、教会の土台となる「聖書」となりました。(エペソ2:20)
  現在でも、聖霊様に満たされた信者たちは、神様に用いられる「器」と呼ばれます。



   「神は、高ぶるものを退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」(ヤコブ4:7)


  中国人や韓国人は、特に経済の分野で、世界中からあまり評判が良くありません。 しかし、韓国では35%がクリスチャンであり、キリスト教が公認されていない中国の”家の教会”のクリスチャンは10%にものぼります。 これに対し、日本のクリスチャンは、信教の自由が保障され、今まで多くの宣教師によって福音が宣べ伝えられてきたにもかかわらず、0.5%にも満たない状況です。一方、日本人のビジネスマンの多くは、世界的にみても(世界に通用しないほど、日本的に)誠実で お人好しです。 これはいったいどうしたことでしょうか?

  神様からの恵みは、積極的に「求める者」に与えられるからです。

  日本人が美徳として考えている”謙遜”とは、自己卑下して遠慮するという、消極的なへりくだりです。これに対し、神様のヘリくだりとは、卑しい自分の状態そのままで、神様だけにより頼み、神様のことばに従っていくという、信仰の歩みに伴う 積極的なへりくだりです。 日本には、古代のユダヤの文化が根底に影響を与え、非常に”律法的”であるのが、この”謙遜傲慢”の原因と思われます。
  離散前の南ユダは、「信仰」ではなく「行い」によって神の義を得ようとしていました(律法主義)。すると、自動的に「偽善者」になります。(善悪の知識の木の、「偽善」のほう) 一方、北イスラエルは、異教との”霊的姦淫”によって堕落し、主から 我が民と語られていた「契約の民」だったにもかかわらず、不信仰(偶像崇拝と霊的姦淫)の罪のためにアッシリア捕囚とされ、アッシリア滅亡後は世界を放浪する民になりました。太陽崇拝にかかわる”東方憧憬”のため、シルクロードを通って、東のはずれの日本にも大勢来たと思われます。日本には、このユダ、イスラエルの両方来ている可能性が大いにあります。
  ただし、日本人でも、犯罪者は自分の罪を認める人が多いので、救われる割合が高い。日本人は、悪い意味で”優等生”であって、自分の罪を認めようとしない人が大部分です。 しかし聖書は言っています。「義人はいない。一人もいない。」 全知全能の神様の目から見れば、私たちの状態は裸です。そしてどんな小さい罪をも見逃すことは無いのです。 むしろ、神様の前に罪を告白して、キリストの十字架による贖いを受け入れた罪人の方が、神様に完全に赦され、天の御国に入る、という逆転現象が起こります。米国の女性死刑囚で、監獄で救われ、明日死刑になるというのに別人のように顔つきが変わった人がいました。彼女は救われ、聖霊を受け、心に神の平安を受け取っていて、その時すでに「天国市民」でした。

  日本に土着しているアニミズムは、アフリカ系(DNAでD2系統)の影響がありますが、これは律法の第1戒、第2戒で禁止されている偶像崇拝であり、はっきりとした「罪」です。これは、たとい天変地異が起こっても「木や石などで作った偶像を拝み続ける」(黙9:20)ほどに根深いものです。また、先祖崇拝や死者崇拝(=古代ペルシャの風習)も根強くあります。(韓国の場合は、共産主義者が一般の仏壇や偶像を破壊しつくしたので、人々は拝むものが無いので 米国宣教師が伝道していたキリストを信じるようになったそうです。)
  福音が宣べ伝えられ始めた「原始キリスト教」時代は、祖国を追い出されたパリサイ派のユダヤ人が中心となって、グノーシス異端を起こしたり、クリスチャンを迫害しました。 この”ユダヤ的反キリスト文化”の影響を受けた霊的土壌のためと思われますが、江戸初期のキリシタンへの迫害は、ローマに次ぐ殉教者を出すほど 国家レベルの大規模なものとなりました。明治維新で西郷隆盛が政府に異議を唱えるまでの江戸時代の250年間、キリシタンへの弾圧があったのです。(因みに、江戸時代は、それほど神様に祝福されたと思えず、江戸の人口統計から見ると、地方から出てきた人々を疫病によって飲み込む”死の都市”でした。そのほか、各地に地震、ききん、火災。百姓一揆の件数は260年間に3000回以上。)

  にもかかわらず、日本が他のアジア各国のように列強各国の植民地にならず(明治維新、戦後)、日清・日露戦争に勝利し、二度も世界に出て行き(大戦、戦後の経済)、現在 一流の文明国の一つになっている理由は、ひとえに 日本の霊的な「王」である、明治天皇、昭和天皇が、クリスチャンだったことにあります。王の霊性と 本当の神へのとりなしが、日本国全体の祝福に大きな影響を与えたのです。
  最近は、いつまでもキリストの十字架を信じないので、日本が十字架につけられたように、リーマンショック後の各国の不景気のしわ寄せを受けて、円高でつるし上げ状態です。(もっとも、この状況が許されたのは、日本がさらに強力な”技術立国”になって、終末の「ツロ」(エゼキエル26−28章)になるための布石です。)

  また、アメリカのクリスチャニティーも、リックジョイナー師がかつてその著書「収穫」の中で預言したように、ますます反キリスト的になってきています。 ジョージ・ブッシュが所属しているアメリカの福音系はイルミナティーの影響を受けていて、歴史的経緯が複雑です。9.11事件とアフガン戦争は、この反キリスト勢力が仕組んだものです。 また、米国にいる兄弟姉妹のあかしによると、一般の牧師についても、自らの立場を守るために当たり障りの無いご機嫌取りのようなメッセージしか語らず、また(人間的な教えで)経済の祝福(*)についてのみ語るようになってきたそうです。 ジョイナー師によると、アメリカのリバイバルは世界で一番最後のほうになるそうです。

  * 経済の祝福については、確かに真理の一つであるが、「神の国とその義とをまず第一に求め続けなさい。そうすれば これらのものはみな備えられます。」のほうが良い。「働き人が報酬を受けるのは当然」だから。

  イスラエル人のイスラエル国への帰還は、主が「世界中で恥をさらした彼らの義によるのではなく、主ご自身の聖なることを示すため」に行なわれるので、かなり苛酷な取り扱いとなります。(アフガニスタン、カシミール(戦争)、ミャンマー(旧 軍独裁)、四川省(大地震)) (→ 天災・テロの離散イスラエル民族に及ぼす影響
  昨年3月11日の東日本大震災では、甚大な被害がもたらされ、多くの人が亡くなりましたが、日本のリバイバルやイスラエル帰還に影響を与えているものと思われます。大地震はこれから、関東、東海、西日本へと広がります。それと同時に、神様が、日本のリバイバルへの備えをなされていきます



   「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。 キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパ(ペテロ)に現われ、それから十二弟子に現われたことです。 ・・・ 」(Tコリント15:3−8)

   「人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。」(Tヨハネ4:2)


  今から約2000年前、神のひとり子 イエス・キリストが、人となって、人々の罪を贖うために、この地上にお生まれになりました。 神のあり方を捨てることはできないとはお考えにならず、一人の人間として来られたのです。(本当の、”現人神(あらひとがみ)”)
  イエス様が「神」でおられることのしるしは、 @ 旧約聖書の預言が彼について預言していることの成就、であり、そして、A イエス様を通して現われる しるしと不思議 ・・・ すなわち、神の奇跡の要素です。 また、最側近のペテロとヤコブとヨハネには、特別に、ご自身の本当の姿である、神々しい神の御姿を見せられました。(変貌山)
  しかし、それ以外は、一人の貧しいユダヤ人として十字架までのご生涯を送られたのです。 それは、罪は一つも犯されませんでしたが、私たちの「弱さ」を体験され、弱い私たちをあわれんでくださるためだったのです。 イエス様こそ、最高のとりなし手です。 復活された今、父なる神にとりなし続けておられます。


  ここに贖い(あがない)があります。贖いとは、尊いいけにえによる交換であり、神様のものへの買戻しです。 罪によって神様から離された私たちが、再び、神様との永遠の関係が回復するために、実に、神のひとり子 イエス・キリスト和解のいけにえになられました。

  ・ 馬宿でお生まれになったほどの「卑しい生まれ」 ・・・・ 私たちを高貴な者とするため
  ・ 貧しいご生涯 ・・・・ 私たちを富む者とされるため:
  「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」(Uコリント8:9)

  ・ 十字架の前のゲッセマネの祈りで血の汗(非常に恐れなければ出てこない) ・・・・ 私たちと神様との関係回復
  ・ 十字架の前の打ち傷(39回の激しいむち打ちで、十字架の時 肉塊がぶら下がっているのかと見られるほどの血まみれ状態) ・・・・ 私たちを癒すため
  ・ 十字架の前の懲らしめ(いばらの冠、平手、葦の棒などの、横暴なローマ兵らによる嘲弄) ・・・・ 私たちに平安を与えるため

  ・ 十字架の痛み、苦しみ ・・・・ 私たちの罪を贖うため:
  「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎(とが)のために砕かれた。 彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ53:5)
  ・ 十字架に掛けられたこと ・・・・ 私たちを律法の のろいから解放するため(のろいの媒介者である悪霊からの解放):
  「木にかけられる者は、すべて のろわれた者である。」(ガラテヤ3:13)
  ・ 十字架で流された血潮 ・・・・ 私たちをきよめるため 「キリストの血はすべての罪からきよめる」、「その衣を子羊の血で洗って、白くしたのです。」(黙7:14)
  ・ 父なる神に見捨てられたこと ・・・・ 神様から離れた私たちを、みもとへ引き寄せるため
  ・ 十字架の乾き ・・・・ 私たちが決して乾くことがないように、神の霊に満たされるため

  ・ 十字架の死 ・・・・ 私たちに永遠のいのちを与えるため
  ・ 神殿の垂れ幕が上から下へ方向に真二つに裂けたこと ・・・・ 律法の完了、私たちを罪に定める律法が 十字架によって完了したこと(律法から恵みの時代へ)

     (→ 癒し・解放: 十字架信仰の力2006、 経済: 十字架信仰の力2008

  神様は、旧約時代からイスラエルで生々しく行なわれてきた 神様との和解のいけにえの儀式(レビ記)を、神ご自身のひとり子であるキリストを、ただ一回、いけにえの「子羊」として捧げられたことにより、律法の要求が「完了」し、その贖いを受け入れる者を 無条件で良しとされました
  それから、主イエス様は、この最悪の死から、3日目に よみがえられました。 信じる私たちは、あらゆる点で、このよみがえりの力に あずかっているのです。「神の国は、言葉ではなく、力にあります。」 真理は、「力」にあります。 これが「福音」(良い知らせ)です。


  天地万物を造られた神様の御性質の 最も驚くべきことは、「愛」であることです。 主のさばきの恐ろしい時が来る前に、神から離れた私たちに対し、あらかじめ「救い」を備えられたのです。
  「神を愛するとは、兄弟をも愛する」ことです。(Tヨハ4:11、12) 具体的に兄弟愛を現わしている教会は、分類上 フィラデルフィア教会として、終末の艱難期に守られます。(黙3:10)





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