2.終末の反キリストによる迫害の類推
ヒトラーによって、ユダヤ人は次第に生活の権利を奪われ、最終的にはヨーロッパ全体が巨大な強制収容所(ユダヤ人の絶滅を目的とした)のネットの中に投入された。
ヒトラーには反キリストのみならず、にせ預言者としての要素もある。彼は幼少の頃から出身地のオーストリアのザルツブルグ近郊の山の魔術師と、また政治家になるまで大ドイツ主義を唱えたチェンバレンという変人哲学者とかかわっていた。青年の時、芸術家(画家)を志しウイーンに出たが(仕事をしようともしなかったので)浮浪者になり、その後、軍隊に入り、第一次大戦後の経済大不況(1929)のときに過激な国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党、反資本主義・反ユダヤ主義・反共産主義)に所属した。軍隊や政界に入った時も、催眠術的に人々を引き寄せ、洗脳する力があり、この能力は演説や世界大戦時の外交にまでも随所で用いられている。
これは神聖ローマ帝国の霊で、かつてスペインにまでも働いた”反ユダヤの霊”であり、若い時から反ユダヤ(+反共産主義)であり、これが彼の生涯一貫しての固定観念であった。また、ドイツ国民に(タイミングのずれた、偽りの)”ドイツ千年王国”を約束した。(ただし、大戦時のヒトラーは直接的な反キリストではなく、ナチスに非協力的な教会についてのみ迫害した。アドルフ・ヒトラーの名前のヘブル語の数字の総和は616)
不法の秘密は、このように歴史上の反ユダヤにかかわって働いた。キリスト教の異端(偶像、姦淫、支配、人間主義)も、反キリストと根は同じである。 終末の時の反キリストは、にせ預言者と明確に区別され、それぞれ現れるが、今度は、ユダヤ人のみならず全世界のキリスト者を迫害する。迫害の首謀者はにせ預言者である。反キリストは、完全に反キリストと妥協したにせ預言者のグループ(これが憤りの3年半の間、エルサレムと世界中の教会を占拠する)を除いて、全世界のキリスト者の政治的勢力を打ち砕く。最終的には、ハルマゲドンに、なんと、再臨のキリストに対抗しようとして集まる。
強制収容所は、エルサレムのみならず全世界のキリスト教会を拠点として、世界中に作られ組織的な虐殺が行なわれる絶滅収容所になると考えられる。
それ以前にも、霊的イスラエルである教会に反キリストの霊の働きが許される場合がある。(後述)
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1918 ドイツ革命、社会民主党による共和国政府
1929(昭和4) 世界大恐慌
31〜32 第一次大戦の賠償金およびアメリカ資本が引き上げ輸出が停止したことによる猛烈なインフレ、失業者600万人、ナチス党の台頭・国会の第一党になる
1933 ヒトラー首相になる、対抗勢力である共産党を大弾圧、全権委任法の成立、処刑場と強制収容所が数多くできる
1938 ナチス宣伝相ゲッペルスによるユダヤ人大弾圧
1939 9/1 ナチス・ドイツ軍ポーランドへ侵攻・第2次世界大戦開始
1940 アウシュビッツ強制収容所建設
1941 ユダヤ人は居住区(ゲットー)に押し込められる、ユダヤの星をつける義務、食料配給の制限、学校の閉鎖
1942 ユダヤ人絶滅計画作成、ガス集団虐殺始まる
1945 撤収移動(死の行進)、4/30ヒトラー自殺、5/2ベルリン陥落、5/7全ドイツ軍降伏
1945年の時点でドイツ本国および被占領国17カ国に強制収容所数約1000ヶ所、囚人1800万人(30カ国)、殺された人の人数1100万人、そのうち約1/3の、400万人がアウシュビッツにおける犠牲者
(cf. ヒロシマ、ナガサキの原爆による死者数30万人、東京大空襲(1945・3/10)10万人、日本人の侵略戦争による全死者数320万人、それよりも多い!)
§ アウシュビッツの資料:
アウシュビッツ(ポーランド語でオフィシエンツィム)は、ポーランドのクラクフの南にあるビスワ川沿いの小さな村にある。この霧深い寒村にヨーロッパ中のユダヤ人を集めて絶滅させる強制収容所が作られたのは1940年である。
アウシュビッツの資料: