義の太陽といやし
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ヘンリー・グルーバー師によって預言されているように(個人的にもある預言者から語られていますが)、日本のリバイバルと日本人による海外への宣教について、主から与えられる旗印は、”癒しの翼を持つ義の太陽”です。(マラ4:2)
”太陽”とは”イエス様”を、その命の源なる偉大な栄光の御姿をたとえて表現された言葉で、”義”とは”十字架による義”のことです。
当時の太陽の絵は、光線が翼のように描かれていました。この場合の狭義の”いやし”は、メル・ボンド師のように手から光線や熱線のような光が出て、遠隔的に人々の病をいやす方法ですが、さらに一般化して、あらゆる問題についてのいやしと回復を超自然的にもたらす事を表しています。そして、この”義の太陽”は、”主を恐れる者”に昇ると書かれています。
創世記には、神がエデンの園を備え、人をそこに置き、園を守らせたとあります。エデンの園とは、”私たちの心”を表しています。そして園を”よく管理し耕すこと”が日々の割り当てられた私たちの仕事です。アダムとエバは親しく主に礼拝(夕拝)をささげていました。園にある”命の木”はイエス様です。神があえて善悪の知識の木をもそこに置かれたのは、人が神の言われることに聞き従うことを人に信頼している証だったのです。人は多くのことに心を向けることができますが、すべてが有益とは限らないのです。(自己中心の人には大手術が必要です。)
私たちは、アブラハムがロトに肥沃な低地を選ばせたようにへりくだり、ダビデのようにゴリアテと戦う前に信仰と奇跡の訓練を受け、ヨセフのように落とされても落とされても神の時を待ち、ギデオンのように自分の持っているわずかな力で信仰の歩みを踏み出すことを学んでいかなければなりません。(士6:14) あまり考えないで、へりくだって主にゆだねるとき、主は最善の道へ導いてくださいます。
さて、神の創造の初めからの計画に従って、この時代の終焉に至って、多くの科学的な知識が明らかにされました。その一つとして、太陽の構造(あるいは宇宙の構造)を今一度よく知ることは、私たちの心の神観を大きくさせ、私たちの信仰を奮い立たせるのに有益ではないかと思います。
もちろん、太陽を神として拝むわけではありません。(それはエジプト以来の偶像崇拝です) みことばが語るように、イエス様が命の源なる太陽にたとえられているということです。
十字架にかかられたイエス様が、いかに”偉大な神の子”であるかを自然啓示をもって知り、それゆえ、その十字架を通して働かれる神の力と愛がいかに強いものであるかをよく知るということです。(十字架無しでは次の世代は弱くなる(創30-37〜43)。マリア崇拝や、教理や組織を強調しすぎることはイエス様を小さくするもの)
神は、御子イエス様の”十字架”を通して、その偉大な力を現すように、創造の初めから計画されました。これは旧約・新約聖書が主張する一貫した中心テーマです。
エデンの園のように、よく耕された良い土地に、神の種(神のことば)が蒔かれると、それは大きく成長します。
私たちが生かされている終末の大リバイバルの時代は、歴史に記録が無いほどの、非常に大きなダイナミックな主の働きがなされる時代です。私たちは、(一つには)特に心において、その大いなる収穫に間に合う者とされる必要があります。
((注) もう一つには、御霊の賜物の働きにおいては、徹底した”霊による祈り”(口を開いての異言の祈り)が必要。心の中で祈ることはあり得ない。)
神は無名な私たち一人一人を通して、スタジアムで何万人もの観衆が見ている中で死人のよみがえりを行い、たった一人で一つの都市を引っ掻き回し、他国の首相の死をTV放送で預言し、影に触れても人々は癒され、社会も、文化も、芸術も、政治も、経済も、神の栄光にすべて塗り替えられ、千や万の人数の教会は当たり前になり、全国いたるところで昼も夜も主への賛美が思い切りささげられ、科学を通して最終的な主のあかしがなされ、すべての隠されていた考古学的な秘密が明らかにされます。
また、多くの若い人たちは第二次大戦の時のように海外へ福音を宣べ伝えるために勇敢に戦いに出かけ、中国や北朝鮮やロシアはもちろんのこと、福音先進国の韓国にも宣教に出かけ、シルクロード沿いからイスラム圏、イスラエル方面へ、ロシアからはヨーロッパ、全世界へ、また、巡り巡って最終的にはアメリカまで宣教に行きます。
だからサタンは反キリストという最後の切り札を出さなければならなくなり、それは彼らの敗北のしるしです。この時私たちは天にある平安をもって、この世の支配者たちに大胆に預言の霊によりあかしすることになります。私たちの心が充分整えられ、イエス様に似る者となっているならば、聖霊様は喜んでとどまってくださり、終末の艱難のときにも守ってくださいます。
(参考) ・・・ フィラデルフィア教会: 開かれた門・ヘレニズム文化の伝播基地に植えられた兄弟愛の教会
現在は自由主義との論争のあった19世紀と比較にならないくらい自然科学が発達している時代。
しかも、終末の時が近づいている時代。(終末直前の異邦人教会は7つの教会の類型に分類される)