6. 数学思索の不思議



  では、人間理性から見て「矛盾しておられる方」とは、もう少し具体的にはどのような方なのだろうか?


  正弦波とは、等速円運動を直線振動に投影し、さらに時間で掃引したものである。アナログ回路の発振器では、デジタル回路と同様にアンプに負帰還すると発振するが、出力波形は方形波やパルス波ではなく、正弦波になっている。図の LC 共振回路による発振器は、ファラデーの法則とヘンリーの法則から、電流の微分方程式は、 i /d t = −i /(LC) であり、発振周波数は  = 1/2π√(LC) となる。

  

  この等速円運動が投射された直線振動が、電流がどのくらいになっているかについて不定であり、時間で掃引するまではわからない。論理的な「矛盾」は、アナログ的の場合も「不定」とみなすことができる。したがって、「神様の矛盾」は、等速円運動に関わりのある、虚数を冪とする指数関数  i θ の形となる。


  このことは、量子力学において最も典型的に表わされている。量子力学は、物質の最もミクロの根本的な性質を記述している。この量子力学的振動は、物質が存在する確率密度が、

               、 (iωt は時間因子、imφ は位相因子 )

  で与えられるように、実に、実数と虚数の間を行ったり来たりする振動となっていて、我々が直感することができない。(cf. 力学振動では エネルギーが 運動エネルギーと位置エネルギーの間を往復し、電気振動では電場のエネルギーと磁場のエネルギーの間を往復する振動であり、どちらも実数である。)
  あらゆる物質は、マクロでは、エントロピー増大則によって時間と共に”死”に至るが、ミクロの世界では、このように永続的な”いのち”の振動が息づいているのである。

  * あらゆる物理現象は、(プリミティブな法則を除いて、)
     1)  型(のパターン): 熱力学、統計力学、梁のたわみ、砂利の山の形、コンデンサーの充・放電、放射性核の崩壊、・・・
     2)  iθ 型(いのちのパターン): 周期現象、振動・波動、光学、発振、電磁波、量子力学的振動、・・・
のどちらかである。



  この”円的”振動は、オイラーの関係式:  で表わされ、x の変化により、実数と虚数との間を行ったり来たりする。 特に、 X = π  のとき、非常にエレガントな形、
                    (オイラーの恒等式

となる。( iθ は多価関数であり、  iθ =  iθ+i 2π 。また、円周率を書き直して Π ≡ 2π とおけば、 iΠ = +1 となる。)




  この式の構成要素は、左辺が、π(円周率)、i (虚数単位)、 e (自然対数の底) という、3つの特別な、根本的な数学定数であり、それぞれ、初等数学の各分野(幾何学(π)、代数学(i)、解析学(e))を代表している定数となっている。(3つのみである(*))

  3者は、これらの基本的な思索であり、かつ、全く異なる思索の分野から導かれた定数であるのが、ここで合体する。すなわち、人間の数学的思索のすべてのエッセンスがここに集結している。
  また、右辺は、マイナス 1 という、きわめて意義深い、論理学を暗示させる数である。

  そして、オイラーの恒等式の左辺の、π は「父なる神」、i は「聖霊なる神」、e は「御子イエス・キリスト」を表わし、右辺の −1 は「十字架」すなわち、「神の愛」を啓示していると考えるならば、聖書のみことばと非常によくマッチングする。

    ( → 数学思索の構造: 7.神の3定数のまとめ )



  *  その他の数学定数と呼ばれる多くの数は、単なる伝統的な数、単に発見史的に意義のある数、あるいは、e、π、i を基本とする派生的数などであり、また、一つに合体するようなことは無い。: オイラーの定数 γ、黄金比 φ、四元数単位、八元数単位など、√2、√3など、数論の各定数など、・・・

  ** 思索の発祥地点:
  1) 知覚:        視聴覚、嗅覚(視聴覚より原始的)、寒暖・温度感覚、圧力・触感、刺激・痛覚
  2) 原始的な思索:  シンボル、形状判断(長さ、角度): ○、△、□、×、十、・・・、  ≒ 文字の判断と対応付け
                 自然数の認識と対応付け; 1、2、3、・・・、 記号化; x、y、z、a、b、c、・・・、 数の概念の拡張: 実数、複素数、・・ 、四則演算; +、−、×、÷ (、+冪)
                 変化; 増減、変化率、次元、関数、極限、・・・
  3) 一般的思索:  1. 数量的・物理的な思索、 2. 精神的・霊的な思索、 3. 1.2.が統合された 社会的な思索




  したがって、オイラーの恒等式の啓示(左辺 = 右辺)により、

   神様は、 「 三位一体という存在形態そのもの = 愛 」  によって 矛盾 しておられるのである!


  神様は、御子イエス様を、十字架につけて死なせるほどに存在そのものが本質的に「愛」なる方、なおかつ、復活された 唯一死の無い方である。そして、この愛の光のエネルギーは、私たちのいる時間軸への掃引によって表わされ、それは全てのものを焼き尽くすほどに激しいものである。このようにして、神は「愛」であり、同時に、「力」であることが説明される。しかも、すべてのものよりも次元が高い方、思索も物理も、何もかも支配する、永遠のいのちの存在で、我々には直接想像もつかない方であるが、(求めれば、)自然啓示によってその片鱗が見えるのである!
  このような方が全ての完全な支配者でおられるならば、私たちは主を畏れつつも、”幸いなるかな!”としか言いようがないのである。


      「愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」(Tヨハ4:8)


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