数学思索の構造
                                                     2005年4月10日


  神は、初めに、人を造る前に、天地万物を創造された。あらゆる物質を創り、すべての法則を打ち立てられた。すべてが創られた後で、神は人間を創られた。(創2:7) そして、神は、人間をちりから造った時、人が神に似せて造られるように、”神の思索”を人間に与えられた。(*) ・・・ 前者の”物理”と、後者の”数学”は、多くの点で類似している。それは作者が同じだからである。
   すなわち、思索 と 自然 の両方において、π を 御父、 を 御子、 を 聖霊 とする 神の啓示が存在する。

                                          ( →  数物の自然啓示の概略 )
     1. 数学定数の構造
     2. 自然対数の底 e の定義
     3. 指数関数への複素数の導入 +  3−2 ラプラス方程式
     4. 無限級数形式の美  +  4−2 級数の中の虚数の振舞い
     5. 複素数の積分の思索  +  5−2 複素積分の実例 、 5−3 コーシーの積分定理
     6. 本質的でない定数との比較
     7. 神の3定数 e、π、i のまとめ


     1. 数学定数の構造


 数学定数と呼ばれるものには、

 円周率 π、自然対数の底 e、虚数単位 i、オイラーの定数 γ、黄金比 φ、四元数単位 1、i、j、k 

などが挙げられるが、このうち、π、e、i のみが本来の数学的基本定数であり、他は派生的、あるいは単に伝統的な定数である。


 π、eは超越数、すなわち、”どんな整係数の代数方程式の根になり得ない数”であり、それらにより派生された数も超越数である。集合論によると、超越数(代数的でない数)の方が、代数的数(整数、有理数、代数的無理数)よりもはるかに多い(実数直線上の濃度がアレフ0よりも大きい)。
 π、e、i どおしの単純な関係式、exp(iπ)=−1、あるいは、exp(iπ+i2nπ)=−1は、歴史上最もエレガントな式であり、”人類の至宝”と言われている。exp(ix)=cos x+i sin xはオイラーの関係式と呼ばれている。

 一方、
 オイラーの定数 γ=limn→∞(Σ1/n − ln n)は、自然対数を用いて定義されるので e の派生的数であり、有理数か無理数かもわかっていない。
 黄金比 φ=(1+√5)/2は、φ2=φ+1の解であり、美術的に最も美しい比と言われ、伝統的に数学定数に含まれるものであるが、その実態は代数的無理数の一つである。
 四元数や八元数は、実数、虚数の2元で構成される複素数を拡張しようという発想のもとにできたものであるが、通常の四則演算を自由にすることができない。それぞれ、四元数体、八元数体という数の体系に分類されている。四則演算を自由に行える条件でn元数を求めると、実は複素数だったことがわかる。


 π、e、i は自然界、特に物理的分野において普遍的に現れる事は、これらの基本定数の基本性をストレートに表している。すなわち、唯一の人格神である神による天地万物の創造の後、人間を創造された時、神がご自身の”性質”、”言葉を語る能力”だけでなく、”思索”を被造物に反映させた事を物語っている。円周率πや自然対数の底 e が古典論的な自然現象の中に通常現れるのはもちろんの事、特に20世紀において展開された量子論において、虚数単位 i を含む複素数の範囲で、それら3つを含む”波動関数”が自然の構造の本質であることが明らかにされたことは最も驚くべき発見である。 (黄金比も一部の自然界に現れるがマイナーである。)

    ・・・・・   思索における、”三位一体” は ”創造主”をあかしする。


       


  *  語る言葉は人の理性を超えて最も大切です。しかし それに次いで、思索も重要です。
  人が 自然をよく観察して、それから 物理理論を展開したのではありません。物理や自然に関係無く、先天的に備えられている ”思索”という人の能力が、少なくとも 初等的な”数学”を生み出してきたのです。すなわち、”数学”と”物理”とは、完全に ソースが違います。その上で これらの間の類似性が確認できるならば、唯一の創造主が まず 存在して、そして 創造の日に これらの両方を創り上げたことになります。


  (参考)  数学と芸術との相関?

  4月から東京芸術大学の大学院・映像学科・監督専攻科(監督・脚本・製作)の教授に なんと ビートタケシ氏が就任しました。氏が主張するには、芸術を極めるためには 肉体鍛錬(製作現場は体力勝負)と”数学”が必要だと語っていました。数学ほど アートなものはない、アインシュタインも”美しくなければ理論ではない”と言っていた、音楽も数学で成り立っている、詰め込み型の勉強では大人物は出てこない、等々。なるほど、確かに、キリストをあかしする場合に関しては、それは真理の一つを突いていると考えさせられました。(某週刊誌3/4より)


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