新しい創造論 ・・・・ 奇跡・再創造を含む創造論
2005 11/10
「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1:1)
創造論は、聖書の記述が正しいとして想定された理論体系で、聖書の記述が正しいことを証明することによって、神への信仰やクリスチャンの霊的刷新をもたらし、また、神のあかし(覆いが取り除けられる、dis-cover)を宣べ伝えることを目標としている。
生物学や宇宙論では、最近の発見や観測によって、進化論と決定的に矛盾する科学的な証拠が数多く発見され、創造論にきわめて有利な状況になってきた。それらは全て、聖書の創世記の記述を支持するものばかりである。
ただし、”無から有を生じさせる全能者”の存在を証明するには、”科学”の範疇では本質的に不可能である。なぜなら、科学は、エネルギーや質量、電荷などの保存則に裏打ちされているからであり、無から有を生じさせるメカニズムは基本的に想定していないからである。
したがって、これらの科学的データと共に、神の小規模な再創造のわざである”神の奇跡”の要素を付け加えて、はじめて、最も合理的な創造論を主張することができると考えられる。
1. 創造論の位置付け
2. 地層年代とノアの洪水
3. 宇宙の構造と年齢
4. 生物の起源とサムシンググレートの存在
5. 奇跡の要素と十字架の価値
(参考文献) 2.〜4.について、
・ 「オーパーツと天地創造の科学」、久保有政 著、学研、2004・5; レムナント・ミニストリー、
・ クリエーション・リサーチ(旧 創造科学研究会)、
・ 「POPな遺伝子」、大石、同文書院、1995、 ・ 「ビッグバンには科学的根拠が何もなかった」、ジャン・ピエール・プチ、徳間書店、1996
1. 創造論の位置付け
(1) 創世記の解釈:
創世記の冒頭の部分で、1)生物・宇宙論的解釈と、2)物理学的解釈とでは、若干異なる。
1) 生物・宇宙論的解釈;
これは、一般的な創造論の解釈で、第2日〜第6日までの記述を聖書の通りに解釈するものである。特に、第2日には、ノアの洪水の元となる「上の水」と「下の水」の存在が記述されている。
ただし、第1日の「光」については、今一つ明確な解釈が無い。
2) 物理学的解釈;
創世記の冒頭の部分で、次のような解釈が可能ではないかと考えられる。
創世記1:1で 神様は全てに先がけて、時間を創った。時間は御使いをも支配する。シュレディンガー方程式では時間が最も最初に変数分離される。 1:2で
聖霊様による量子力学的な波動システム(e 、π、i )の転写。・・・ 孵化の段階
1:3で、神様は神の「ことば」によって、物質光(=エネルギー)を創造した。これは相対論的制約(光速 c =一定)を含む。(1:4、5は「光」と「やみ」との区別は霊的世界を類推させるための記述である。)
1:6〜8の「大空」は、3次元空間の創造。優先順位は光速よりも低いので、空間のほうが歪む。1:7の 「上の水」と「下の水」は、複素共役の対をなす波動関数を表わす。そして、量子論の”確率性”によって、人が物理的に知る事ができる限界が設定された。これは、神様が、”信仰”によって義と認めることを表わしている。
第2日以降は、1)と同様である。
神様はこのように、宇宙の天体よりも先に、地球を造り、植物を造られた。水生動物と鳥類、陸上動物はその後であり、人間は一番最後である。神様は、遺伝子を動物などで”試作”を兼ね、次第にご自身に似るような形に作り上げられたと考えられる。(だから一見、進化論が正しいように見える。DNAのある程度の類似性・発生の形態・痕跡器官・尾底骨など)
そして、適切な大気圧・温度・重力、太陽光線と昼夜、水、酸素、食物など、これらは、ほとんど同時に存在していなければ、どれ一つ欠けても生物が存続できないシステムである。
また、第2章以下にある、エデンの園に置かれた「アダムとエバ」は、創世記1:26、27で造られた「肉人」とは別個の存在であると考えられる。(→
創4:14、:17。また、セツの妻については当時、遺伝子が傷ついていなかったので近親結婚でも問題なかった。)
(2) 奇跡の要素の必要性:
最近、アメリカの公立学校の理科過程において、進化論だけではなく「インテリジェント・デザイン(ID)論」も教えるべきである、という意見がキリスト教保守派から活発に出されている。(ブッシュ大統領は賛成している) これは、人間の複雑な細胞構造などは進化論だけでは説明不可能で、背後にそれをデザインした「高度な知能=サムシンググレート」の存在が必要となるというもので、直接的にはそのサムシンググレートが神だとは言っていない。しかし、キリスト教保守派の人々がこれを押していることから、神の存在を前提とした理論であると思われる。(アメリカ合衆国国民の42%は”人間や生物は初めから現在の姿だった”と考えている。)
しかし、キリスト教の伝統のあるアメリカならいざ知らず、無神論の日本においては受け入れがたい理論であると考えられる。ごく一部の、本当に事情を良く知っている人々しか納得できないであろう。 現在の創造論の最も大きな弱点は、科学的にどのような興味深い、正確なデータを集めようと、大前提となる”天地創造”が、科学的に説明の付けようがない、飛躍した議論になっていることである。なぜなら、”無から有が生じる事”は
物理学の各種保存則からあってはいけない事だからである。したがって、基本的に創造論は”科学”とは言えないのである。
この”天地創造”は、神様による”奇跡”現象を”再創造”と見なすならば、この大前提を帰納的に証明した事になる。すなわち、奇跡という、人間の知る科学的手法によってはそのメカニズムが決して解明されない現象は、奇跡が確かに起こったということの科学的証明によって、全ての人に明らかにされる。
残念ながら今のところ奇跡が明らかに証明された実例はきわめて少ないが、預言で語られているように、日本に聖霊様が注がれ大いなるリバイバルが起こると、それに伴って、各権威者の証明付きの典型的な奇跡が非常に多く世に明らかにされ、海外にも報道されるはずである。その時こそ、創造論の大前提が多くの人々に認められるようになり、その多くの証拠も正当化され、驚きの目を持って、公然と、科学教育としても受け入れられていくと思われる。
2.〜4.に、興味深い証拠を抜粋してみた。