理性の不完全性 ・・・ 義の太陽といやし
2005 6/20
20世紀は 過去の歴史に類を見なかったほど、科学技術が著しく発達した時代であった。一方、それに伴い、人間が知ることの限界について明確に示された時代でもあった。すなわち、量子力学による『確率性』、『不確定性』、相対性理論による『相対性』、そして、数理論理学による『不完全性』である。 これらは、神が世の初めから計画された、「後の雨」の時代のリバイバルのために
人々を信仰に導くための”自然啓示”にほかならない。
神は”ことばの神”であり、神のことばによって天地万物が創造されたこと、神の三位一体の教義、聖書にある神の奇跡の手法などは、すべて人間の理性を超えるものである。そして、聖書の語る中心ポイントである、御子イエス・キリストの十字架による贖いの原理 ・・・ 神の愛 あるいは ”福音” ・・・ は、人間の理性では到底計り知ることのできない奥義である。
しかし、人間には生まれつきの、”信じるという能力”が神から与えられ備わっている。私たちが赤ん坊の時、無条件で父・母を信頼したのと同じである。(肉の父・母が完全でなかったにしても) そして、そのようなへりくだった心に対し、聖霊様が臨まれ、すべてを悟らせてくださるのである。
「主は、知者の論議を無益だと知っておられる。」(Tコリ3:20)
「御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。」(Tコリ2:10)
クリスチャンでも、浅瀬からもっと深みへ行く必要があるのに、多くの場合”理性”が妨害になっている。
ここでは、ゲーデルの不完全性定理を通して、理性の限界を明確にし、人間精神の本来あるべき姿への回復 ・・・ 神への”生きた信仰”への導きをまとめてみた。
1. 義の太陽といやし ・・・ 十字架による回復
2. ゲーデルの不完全性定理 ・・・ 人間理性の不完全性について
3. 神の存在論的証明 ・・・ 理性を超える神の存在について
4. 人の本来の霊的能力 ・・・ 聖霊による言葉と幻の能力について
5. 十字架の奥義 ・・・ 世の初めからの神の計画について
1. 義の太陽といやし:
「しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、癒しがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る。」 (マラ4:2)
太陽の中心核で水素が核融合して ガンマ線を放射し、太陽内部の対流層で紫外線や熱線に落とされ、宇宙空間へ放出する。その一部が地球に届き、大気層で有害な紫外線などが除かれ、植物の葉で光合成に用いられ、酸素を放出し、葉で作られた栄養分はあらゆる生物が活動するためのエネルギーとなる。つまり、すべての生物は、宇宙の彼方にある太陽の中心核で核融合によって発生するエネルギーを食べて生きている。
このように、太陽は”与える者”、生物は”受ける者”の構造である。
太陽は宇宙に無数に存在する恒星の一つに過ぎないが、マラキ書では、神の御子イエス・キリストは太陽にたとえられている。イエス様こそ、すべての霊的なエネルギー源であり、すべては御子にあって存在し、霊的な被造物である人を 霊的に生かす方である。(十字架の時、太陽が暗くなったのは象徴的である)
いやしと解放、回復は、罪に落ち サタンに束縛された人類に対し、神が最も愛を表す方法で行われるわざであり、神が創造した当時のアダムとエバのように、神の子として当然受けるべき祝福にまで回復することである。その様子は、牛舎の子牛が
春が来ると 外に出て喜んで跳ね回るようである。
しかし その特権を与えるためには、神の前にささげられる ただ一度の”犠牲” ・・・ 御子イエス様の十字架が必要であった。そして、十字架の贖いを信じる”信仰”によって、無条件に(価なしに)”義(=神の前に正しい)”とされるのである。(信仰義認)
神は、全知・全能であり、どんな罪をも見逃さずさばきをなされる方であるが、御子の十字架の血によって、罪を帳消しにして、信じる者には罪を全く見ないようにされる。そして、神は、最も創造的な、良いことをされる良い神である。罪が無いとなると、一転して、神は我々の”父”となり、我々を永遠に ご自身の”子”としてくださり、その王子・王女としての身分にふさわしい最高の祝福を与えてくださるのである。(神ご自身の霊である”聖霊”を与えてくださる)
これが、”福音(良い知らせ)”であり、宇宙が創造される以前からの遠大な”神の計画”である。
(参考文献) ・ 「ゲーデルの哲学」 高橋 講談社現代新書(1999)
・ 「神の油注ぎ」 メル・ボンド JRM
・ 「病人をいやす秘訣」 チャールズ&フランシス・ハンター 信仰メディア
・ 「第四次元」 チョー・ヨンギ 信仰と世界社
→ (参考) 太陽と宇宙の構造: